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不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第2章 Amorous clover
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24 灯の約束

 八月も終わりの日だ。セミの声が降り注ぐ中、新学期の始業式だ。久々のこの空気も楽しみだが、何よりひとみと会えるのが楽しみだ。休み中の後半は忙しさのあまり、メールも電話も交わせなかった。

 十分という短い始業式の後は、掃除をしたら解散だ。このまま部活に出ようか。きっと今は、九月中旬にある文化祭に向けての大詰めだろう。

 設楽は二階の廊下の窓を拭いていた。相変わらず通りかかる生徒の大半にちょっかいをかけられる。飽きないんだな、と思う。ふと、窓の下にひとみの姿が見えた。竹ぼうきを手に、友達と喋っている。設楽の手は止まっていた。我に帰り、思わずため息をつく。飽きないんだな、俺も。


 部室へ向かうと、掃除を終えた部員がちらほらと集まっていた。

「あれ?笹井君は?」

 設楽に声をかけたのは、小森という同級生だ。オーボエを担当している。中学の頃から一緒で、笹井にぞっこんである。だが、笹井は小森の気持ちを知っていながら友人としてしか見ていないようだ。

「え?いないの?てっきり先に来てるんだと・・・。」

 設楽は驚いた。いつもみたいに奴は掃除をさぼっていると思っていたが。真面目にしているのか?明日は雨だな。

「うん、まだ来てなくて・・・。」

 控えめで大人しい正確だ。あまり目立つタイプではない。小森が笹井に惚れていることを知っている人自体、とても少ない。

 小森はその後、いくつかのスコアを設楽に渡した。文化祭でやるぶんだ。定演から文化祭まで約ひと月ある。といっても、全てを新しい曲に変える時間はない。毎年二曲ほどは演奏会からの使いまわしだ。

 そのうちに人が集まってきた。ひとみが笹井と話ながらやって来た時は、正直変な汗が出た。何より印象的だったのは、笹井の心底嬉しそうな笑顔だった。笹井は設楽に気づくと、余韻の笑顔を引きずったまま、こちらへ向かって来た。

「合奏、二時からだ。時岡先輩の指揮なんだ。後ろで聴いといてくれよ。あ、特にペット、よろしくな。」

「ああ・・・。」

 設楽は抜け殻のような返事をした。合奏の時も音が本当に流れていくようで、手中はできなかった。


 帰りに自転車置き場でひとみを待っていると、軽音楽部の松田が走って来た。

「設楽ーっ!」

「うわっ。」

 いきなり抱きつかれ、よろめいた。

「何だよ、いきなり。」

「あのさ、ちょっとお願いがあるんだけど。」

 何だ、と聞くと、言いにくそうにもぐもぐと口を動かした。

「文化祭で、俺がボーカルやってるバンドの・・・『candle』って知ってるだろ?」

「ああ・・・。それで?」

「うーん・・・お前に・・・一曲歌ってほしいなーって。」

「はあ!?ちょ、待ておい!もうそんな日数無いし、だいたい俺は仕事が放課後にも入ってて、合わせるなんて・・・。」

「分かってる!けど頼む!今、山野いないけど、あいつからの申し出なんだ。」

 山野は軽音楽部の部長だ。candleのメンバーでもある。

「何だって俺に・・・あ、客寄せか?」

「違う。」

 松田は真面目な声になった。

「前に、俺とお前と山野と、あと何人かでカラオケ行ったろ?山野が、お前の声に惚れたって。」

 確かに、歌には少し自信がある。モデルから俳優へ転向しようとした時も、バンドのボーカルかソロで歌手をしてみないかと社長に勧められたくらいだ。

「別に俺は・・・当日は暇だし、やっていいけど。練習はできねえぞ。」

「やってくれんのか!?」

 松田の目が輝いた。

「お前、人の話・・・。」

 設楽の声を無視して、松田はスポーツバッグからCDとルーズリーフを取りだした。

「音源と歌詞。大丈夫、そんなに難しくはないし、本番一発の演技だと思えよ。」

 その時ひとみが来た。松田はにやりと笑う。

「なんだ、夫婦でお帰りか。んじゃな、邪魔はしねえから。設楽、頼んだぜ。」

 さっさと自転車で行ってしまった。何のこと、とひとみがきょとんとするが、何でもない、と返した。俺って流されやすいんだろうか。

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