14 スポットライト
階段を下りると、果たしてそこに二人がいた。ソファーに座ってくつろいでいる。
「あー、設楽。悪い。あの人だかりの中にお茶持って突っ込んで行く勇気は無かった。」
笹井が笑いながら言い、ペットボトルを渡した。
「ありがとう、いくら?」
「一六〇円。」
設楽がズボンのポケットから財布を出していると、木村が口を開いた。
「にしてもビビったぜ。お前に会いに来たの?OCEANS。」
「あ、見たのか?」
「見たも何も・・・。」
木村は手帳を取り出した。無地のページを開いて見せる。
「じゃーん。」
OCEANSの、それも五人分の五人サインがあった。
「木村って、こういうところはしっかりしてるよなあ・・・。俺も人のこと言えないけど、」
そう言って、笹井も手帳を開いた。
「お前らなあ・・・。」
「裏口から帰ってきた時、一緒に入ったんだ。OCEANSからの差し入れ・・・楽しみだー。」
「クッキーだったよ。」
「へえ・・・。ところでこれ、売れるかな?」
木村がサインを見る。
「ああ、今なら高額で女子達に売れるぜ。」
笹井も木村もまだ興奮したままだ。設楽はソファーに腰掛け、まだ冷たいお茶を一口飲んだ。ふと、先程のことを思い出した。ボーカルのヒロが見た先には、ひとみの姿があった。わざわざメンバーを見に来たのかと思うと、イラッとした。
「お、あと十分だ。戻るか。」
笹井が立ち上がる。二人も行くことにした。
一時半に諸連絡をし、その後は生徒ステージのリハーサルを行う。終わり次第、五時までは自由だ。
午後のリハーサルも設楽は客席にいたが、ついひとみにばかり目がいく。
リハーサルの済んだ後、設楽の携帯が鳴った。仕事用ではない。
「はい・・・ああ、どうも。分かりました、すぐ行きます。」
ストレッチをしている笹井が目にとまった。
「おい、笹井。」
「何?」
「届いたって。花。」
笹井はじゃあ行くか、と言って先に歩き出した。演奏会終了後に、六年生に感謝を込めて花束と色紙を渡すのが恒例だ。段ボールに入れられた十二の花束は、鮮やかな明るい光を放っていた。
「人、やっぱ凄いなあ。」
五時半に開場すると、良い席をとろうと、人々は次々にホールの中へ入って行った。楽屋には、二階から撮った映像が中継で流される。チューニングしながら笹井が呟いた。
あと三十分もない。手が汗ばんできた。トランペットが、手から滑り落ちそうになる。
「時間です。移動を。」
設楽が呼びに来た。六年生が後輩を促す。OBが頑張れよ、と声をかける。
暗い舞台裏には、女子がすでに待っていた。男子部員がその間に入っていく。会場のざわめきがここまで聞こえた。
五分前に合図のブザーが鳴った。下手の扉を設楽が開けた。奥から順に入っていく。設楽が、頑張って、と小さい声で囁いている。ひとみは伏し目がちに、小さく会釈してステージに入った。
一瞬だ。練習やリハーサルはあんなにも長かった。なのに、このステージ上で演奏する分は、まるで光速で去っていくような錯覚に陥る。扉の閉められたこのホールは異世界だ。日常から切り取られ、束の間だが全てを忘れられる。
合同ステージになると、音の厚みはいっそう増す。さすがOB、といった演奏だ。楽器が照明の中できらめく。シルバーの楽器ももちろん美しいが、少し黄色がかった照明には、やはりゴールドが合う。設楽は目を細めながら聞いていた。その瞳はもちろんただ一人を捉えている。よく揃ったトロンボーンのグリッサンドが聞こえる。音の流れに身を委ねると、目の前に景色が浮かぶ。奏でる音の一つ一つは、カンバスに色をつけるに等しい。空が蒼く朱く燃える。スネアドラムの軽快な足音が大地を駆ける。
今、ひとみの隣にいるのが自分であれば、と思う。楽器ができないわけではない。以前学園もののドラマをやった時、吹奏楽部員の役だった。嬉しいことに、トロンボーンの持ち方から全て、ひとみに教えてもらった。少し練習すると、持ち前の慣れやすさと相性の良さで、簡単な曲なら吹けるようになった。だが、もしも本当に隣にいたら、まともに吹くことは叶わないんじゃないか、とも思う。
ジャズのテンポが余韻になって消えてゆく。アンコールまで、全て済んだ。指揮者が一礼し、一年生が花束を持って出ていく。たったそれだけだが、がちがちに緊張しているのが微笑ましい。ステージでは、生徒もOBも起立したままだ。皆、やり切った誇らしさに胸を張っている。喜びに溢れた時間ではあるが、同時に大きな喪失感を伴う。
拍手が空気を揺らし、全てを物語っているかのようだった。