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不幸の天才、至福の凡人  作者: 沖津 奏
第1章 Green clover
11/44

11 光の道草

 蝉の声が、暑い空気を揺らす。炎天下に影を落とす木の下を、笹井隆宏は大量の楽譜を片手に、もう一方で携帯を握って走っていた。比較的自由な学校で、校内でも携帯の使用は許可されている。夏休みで、人はいない。

「もしもし、設楽君?悪いけど、今コピー済んだから、製本してくれないかな?」

 もう二週間も経たないうちに、毎年七月末に開催される、ОBと合同で行う定期演奏会だ。五十人程の生徒だけのステージと、百人に近い、生徒とОBの合同ステージの二つがある。事務は、六年生の最後の仕事。笹井は校内にある売店で、本当はやってはいけないのだけれども、スコアをコピーしてきたところだ。打ち合わせと最終決定は済んでいるので、一曲のスコアをいくつも作り、それに照明やスポットライト、カメラで映してほしいさまざまな指示を書き込んでいく。それをもとに、ОBや業者が仕事をする。仕事は大変だが、演奏会自体も大がかりなもので、毎年千人を収容できるホールがいっぱいになる。企画は全て生徒とОBで三月頃から始めていた。夏休みに入ってすぐ行われる市民ホールを借り切っての合宿も終了し、いよいよ大詰めだ。

「分かりました・・・さっき、『風雲の彼方』は仕上げておきました。ああ、それと、ОBの佐伯先輩から連絡がありましたよ。なんでも、アナウンス原稿で相談があるとか。業者さんから電話も入って、Tシャツも出来たそうですよ。」

 演奏会では、生徒だけのステージで、お揃いのTシャツを着る。その年のコンセプトに基づいたデザインだ。

「あっ、それは昼に俺が藤木と取りに行くよ。」

 製本テープが足りるか心配だ。設楽の隣では、栄養ドリンクを一気飲みする六年生の姿があった。受験生とは思えない、とぼやいている。

「ありがとう、ホントに設楽君がいてくれて助かったよ。」

 設楽は言葉を返せず、準備して待ってます、とだけ言った。休みがとれたのが奇跡的だ。演奏会の日は何があっても休みにしてほしい、と毎年頼んできた。その代わり、他の休みを返上で、撮影が入ったりする。なのに、今年は七月に休める。その分、八月は過密スケジュールだけれど。

 外から重い足音が聞こえた。どうやら、笹井隆宏がようやく部室にたどり着いたようだ。擦りガラスにシルエットが浮かぶ。荷物で手が塞がっているようで、開けてくれー、とわざとらしいしゃがれ声がした。


 六年生が仕事で忙しい分、後輩を指導するのはひとみ達五年生の仕事だ。中学生も高校生も合同でステージに立つ。さすがに一年生は出せないが、経験の差は大きい。ホールはクーラーが効いていて、どの程度冷えるのかは本番でも分からない。ピッチの微妙な変化に対応出来るか心配だ。

「ああ、そこ。もうちょっと3rdがGを低めに。スタッカートとアクセントをしっかり意識して。」

 ひとみがトロンボーンを構え、楽譜を見たまま指示した。これは、二年生には少し難しい曲だと思う。ハーモニーがやたらと多く、かといってピッチに気を付けると、スラーがおろそかになってしまう。本人は必死だし、懸命に練習している姿を何度も見ているので、無理に強く言うこともできない。

 パート練習に疲れ、小休憩をとっているひとみ達の前を、スコアを抱えた設楽が通りすぎようとした。

「お疲れさま。何やってるの?」

 ひとみは楽譜を見せながら答えた。

「『組曲 十字軍』の、第三章。」

 合同ステージで演奏する曲だ。今回は第一章と第三章、そしてなぜかかなり短い第七章を演奏する。この組曲は各章が各回を表す、つまり第三章は第三回十字軍を描く。組曲の中では、金管が一番格好良い曲だ。構成的に、トロンボーンはおそらくサラディンを表現している。

「休憩中?だったら、部室に入った方がいいよ。」

 ここは屋根はあるが、差し込む日差しに意味をなさない。

「クーラーも効いてるし、さっきОBの先輩がアイスの差し入れくれたんだ。」

「えっ、本当。」

 トロンボーンの六人の目が輝いた。ひとみが、じゃあ休憩延長して、食べに行こうか、と言った。部活自体がフリーダムなのも、この学校の特色の一つだ。上下関係もあまり厳しくない。

 部室の机でスコアを製本している設楽の横で、ひとみが棒付きのアイスを頬張っている。

「一口、いる?」

 そう言って差し出す。

「いや、俺はいいよ。最後に食べる。ずっとクーラーの中の作業だし。」

 その様子を、自分の後輩の一人が純粋な眼差しでじっと見ているのを、ひとみは横目で見た。入部した時から、彼女は設楽のことが気になるのだろう。しかし、設楽はひとみのことを好きだと公言している。彼女は一体どんな心境なのだろう。だが、こればっかりは譲れない。

「設楽せんぱーい、暑いっす。」

 サックスを持った三年の男子が、設楽にすり寄った。その体型から、皆に「ぽっちゃん」と呼ばれている。本人も気に入っているらしい。

「暑いなら来んなっ。」

 ひとみはその様子を、一歩下がって後輩と一緒に見ていた。

「設楽せんぱーい、俺も暑いー。」

 笹井が真似して、設楽に抱きついた。

「ちくしょー、まとわりつくな!暑いんだよ、離れろ!」

「暑いよー。」

 二人はなおもすり寄る。

「仕事の邪魔だ、練習しろ。散れ!」

「男子って・・・元気だよね。」

 女子の後輩が集まってアイスを食べながら呟いている。

「うん・・・。若いよね。」

 ひとみは、笹井とぽっちゃんが羨ましい、と思った。彼はもう一度言ってくれるだろうか。私のことが好きだ、と。胸が、少しだけきゅっとした。


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