1-3-2 「対 Aランク能力者」
十一、7月21日午後3時52分 ひるがお市・霞町・中心街
笹村絵真は考えて戦うタイプだ。というかただの少女が銃と己の身一つで戦う場合、否が応でも頭を使う必要があるのだが。
眼の前、15mほど前には冷酷そうなメガネ男が立ちはだかっている。これが自分、自分たちの敵だ。この男を倒せば自分たちを実際に見た人間はいなくなり、生き残れるはずだ。敵はAランク能力者。「一個中隊と対抗できる」能力を持っている。実際に目の前で、街1つを壊滅状態にしているし、単純な攻撃力は中隊どうこうのレベルではない。多分、武装した中隊が頭をフル回転させてようやく対抗できるという意味なのだろう。一般的な中隊の人数は大体150~200人程度なのに対してこちらの戦力は2人、話にならない。自分は運がいいだけだし、隣にいる少年も能力者3人を数十分で葬ったとはいえ、予測のつかないイレギュラーな因子、信用はできない。つまりこちらの勝てる可能性は限りなく薄い。というか物理的に無理だ。銃しか持っていない中学生がどうやって80m越えの風を発生させることができる能力者に勝てるのだ。蟻が恐竜に立ち向かうようなものだ。しかし、生き残るためには勝たなくてはならない。絶対に、だ。ここで重要になってくるのは自分たちが人間と戦っているということ、そして能力にも欠点があることだ。人間と戦っている以上、付け入るすきはあるだろうし能力に関しても何かしらの欠点が存在するはず。気流を操る能力は銃弾も爆風も毒ガスも完全シャットアウトするという防御面に関してはほぼ無敵の能力だ。今のところはっきりとした弱点などつかめないし、あったとしても突破口になるような致命的な弱点ではないだろう。今の状況で相手に攻撃するには、暴風の吹き荒れるなか、近づいて発砲という超危険な方法をとらなくてはならない。が、まともに近づいたところで突風に巻き込まれて即死ということになりかねない。というかなる。そうなるとどうにかして「安全に接近して発砲」というのがこのメガネ男を倒す最善の方法だろう。さてどうやって安全に近づくか。いまの距離は15mほど、この距離から銃を撃っても松岡にはかすり傷一つつかない。せめて3m程度は近付きたい。となるとやはり囮戦法が考えられる。どちらかが突っ込んでいって相手がそれに集中している間にもう一人が後ろから狙撃と行きたいところだが成功する確率は低いだろう。松岡はただまっすぐに風を飛ばして前方に立つ敵を二人ともなぎ倒してしまえばいいのだ。と、なると八方ふさがりだ。そもそも基本的に勝機などないのだからまっとうな作戦で勝てるわけもない。
「(仕方ないけど、つかさ君の能力頼みってことになるね)」
あんな不確定な要素を作戦に組み込むのは正直不安だが、それしかないだろう。力の片鱗は何となくつかめたていたが全部がわかったわけでもないし、能力の性質上、おそらく彼は力を自由に扱うことはできない。もしかしたら絵真自身の能力が暴走してもおかしくはない。何が起こるか分からない、あの黒服がそうだったように全身ばらばらということもあり得ることかもしれない。ただ、その計算を度外視しても「能力を暴走させる」という力は十分強力なはずだ。それに懸けるしかない。
「つかさ君、正面から突っ込んで!」
絵真は腕から指先までぴんと伸ばしてメガネ男を指差し自信満々に言い放つ。
「え!?俺、死んじゃう…」
絵真的にはそこそこ綿密に練った作戦なのだがそんなこと知りもしない壮は、無茶な指揮官に大軍に一人で突っ込めと言われた部下のようにびっくりしている。
「いいから!自分を信じて!」
「何を根拠に・・・」
「大丈夫だから頑張って!」
「・・・わ、わかった」
壮はなんだかよくわからないまま松岡の方へダッシュする。
「(この程度の説得でAランク能力者に正面から突っ込む気になるのか逆の不思議だよ)」
絵真は壮の後ろで援護射撃(といっても銃器が無効なのだから実際の存在意義はないが)をすることにする。とはいえ、銃は取り出さないし、特別構えもしない。ただ今後の動向を見ているだけだ。
壮は銃を構えて走りながら撃った。反動で思わず転倒しそうになる。
松岡洋右は全く動かない、それどころか呑気にタバコをふかしている。タバコの先から出た煙は彼の周りをらせん状に取り囲んでいた。
「・・・(よく突っ込んでくるな、大した小僧だ)」
タバコを持つ手を軽く上げる。すると強烈な風が吹いて、灰色のたばこの煙を四散させ、壮達を襲う。風速にして70m強、ダンプカーが横転するほどの突風、当然、普通の人間は立っていられない。街路樹が根っこから引きちぎれる。当然銃弾はさっきまでの勢いを殺され、同じくして流れるガラス片などと共に空の彼方へ消えていく。
が、式場壮は倒れもしない、吹き飛ばされもしない。なぜかと言えば彼は普通ではないからだ。強烈な突風が彼を襲った瞬間、その豪風は一瞬にして奇妙な音に変換され、跡形もなく消えた。
「笹村さん大丈夫!?」
「大丈夫、私のところには風が来なかったから」
「それはよかった。(どんだけ運いいんだよ)」
「・・・・・(何が起こったんだ?)」
松岡は何が起こったか全く分からなかった。能力をいつも通り発動し、気流を操作して突風を吹かせ、それを立っている170cmもない軟弱そうな少年にぶつけた瞬間、その風は不可解な現象に変換された。おまけにほんの一瞬だが気流の操作が利かなくなり、いわゆる暴走状態になって自分の右腕を引き裂いた。わかることは一つ
「(あの小僧は能力者か・・・)」
血の流れる右腕を抑えながらそう思考する。「右腕はもう使えないな」さらに巨大な暴風を起こせばこの程度では済まないだろう。そうなれば迂闊に能力を使うのは危険だ。が、ここで引き下がるわけにはいかない。能力を使わなかったら自分の持つ「一個中隊と対抗できる」程度の力が一気に「一人の人間」程度に激減だ。自分は能力を使わなかったらただの人間なのだ。能力にのみ存在価値がある、という自分の性質に少し恨めしくなるが考えたところでどうにもならない。左手を軽く上げる。右手はポケットに突っ込む。動かない腕などただの邪魔な飾りだ。
「(効果範囲は5~7m、軽めに発動してこれだからMAXやっちまうと死ぬかも知れねェな。それは避けたい。ということは小僧の能力効果範囲に入らないように気流を制御し、まずあのお嬢さんからぶっ殺すってのが最善だな)」
思考したころには行動はもう終わっている。すさまじい暴風は壮をするりと避けて絵真に直撃した。強烈な風に叩きつけられた彼女は10数m吹き飛ぶ。が、運良く風に乗れたことと受け身が上手かったことで無傷。
「(お嬢さんも能力者かな!?)」
壮が突っ込んでくる。手にはばっちり銃が握られている。壮は走りながら銃口を松岡に向け、引き金を引いた。距離にして8m弱。
初発砲にしては上出来だった。普通なら銃弾は直撃して敵はお陀仏だ。しかし、敵も普通ではない。銃弾はメガネ男をするりと避けて、その後ろの地面に当たり砕け散った。
「(能力か!?でも、もっと至近距離で撃てば気流では防ぎきれない!)」
「(操作してる気流が小僧に当たらないように制御しながら銃弾をそらすってのは、なかなか神経を使う・・・これ以上距離を詰められるとそろそろ危ないな)」
こんなに時間を食うとは思ってもみなかった。早く何とかしないと倒れている人々の命が危ない。別に人の命を心配しているわけではなくあまりに多くの無実な人々を殺してしまうと上からの査定が悪くなるのだ。こんな子供二人にそんな時間をかけるわけにはいかない。
「(そろそろ本気でやるか・・・)」
「(押してる」」
と、そう、絵真は確信していた。事実、壮の能力によって松岡は外傷を負っている上、もう壮に対して突風による攻撃をしてこなくなった。そうとう警戒しているわけだ。このまま押して行けば倒せる。自信はあった。ただ、油断はできない。壮の能力が極めて不安定ということもあったが、松岡はおそらく自分から殺そうとしているため、このまま攻撃をよけ続けることができるかどうかわからない。Aランク能力者から集中砲火など食らったことはないからよくわからないが、自分の「運」でもどうにもならない場合はある。何とか運よくよけきっても、更に攻撃が来てはどうにもならない。さっきの瞬間移動能力者との戦いがそうだった。いくら攻撃をよけてもさらに攻撃を重ねられられば一発は当たる。自分はか弱い中学生女子にすぎないのだから一発食らえばおしまいだ。
とりあえず前線は壮に任せて後ろからサポートに徹しよう、絵真はそう考える。といっても何をサポートすればいいかは分からない。そもそも手榴弾・毒ガス・銃器が無効の相手に対し自分がするべきサポートなど多分ない。要は自分はここにいたら無駄死なのだ。
街路樹はもう根っこから引きちぎれて何本か倒れているし、ビルのガラスはもうほとんど割れてしまっていて、街はほぼ廃墟だ。そして何より、今街に取り残されている人々の命が心配だ。
「(早く決着をつけないと)」
そう考えていると風が強くなる。当然ながら壮の方へ風は全く吹いていない。
「(今の私はたぶん足手まとい、どこかに隠れてよう)」
絵真は壮を見て、そして体中にガラスが刺さった男性の死体を見た。よく見るとさっき自分たちを連れて行こうとしたおじさんだった。
「(ごめん、頑張るから。)」
絵真はその死体に背を向けて走り出す。いや、走り出そうとした。しかし、ふと立ち止まる。何か大事なことを忘れているような気がする。
「(あれ、この人は吹き飛ばされたんじゃなくて体中にガラスが刺さって死んじゃったんだよね)・・・つかさ君!逃げて!!」
「え!?」
壮は慌てて振り向いたが、「もう遅い」とばかりに空から何かがこちらに向かって落ちてくる。風に流されて飛んできたガラスの破片や金属片。無論、松岡の能力によって飛ばされたものだった。つまりこちらに落ちてくる「意思」を持っている。彼の力は能力を暴走させるのであって、それによってできた二次災害的なものには一切の効力を発揮しない。この場合、気流によって運ばれ、壮の一歩手前で操作が終了されている(壮の能力妨害範囲に達していない者なので壮の力ではどうしようもない。
その「意思」を持った塊たちが壮に降り注ぎ、腕、体、肘、腕、様々な箇所に塊たちがぶつかって血は流れ、骨を砕く。
気が付くと壮は、うつぶせの状態で倒れていた。
体には激痛が走っている。血の冷たい感触が肌を伝い、寒気が這い上がってくる。どこかを打ったらしい。どこかはわからないが鈍い痛みが響いている。大丈夫だ。と言ったら嘘になる。正直、もうだめなような気がした。だが、諦める気はなかった。力を振り絞って回転し仰向けになる。空が青い。
「(笹村さんと約束したんだ、絶対生き残るって・・・)」
「よう、気分はどうだ?」
目の前に松岡が立っていた。意外に力ない声だ。右手は相変わらずポケットの中で、左手には銃ではなくタバコが握られ、不気味な笑顔を浮かべつつ一服していた。が、顔からまっすぐ血が流れている。呼吸も不安定で苦しそうだ。「能力の暴走」だとすぐにわかった。このメガネ男もあの青白い液体を飲んだのかと考える。
「大した奴だな、とっさの判断で身構えるのではなく、能力効果範囲まで近づいて俺の能力を妨害した挙句、ダメージまで与えるってのは、なかなかできないね。しかし自分の落としたガラスが体に突き刺さるってのはバカな話だ」
「えっと、おっしゃっていることがわかんないんですが(ただ、びっくりして突っ込んだだけだからな)」
意外とこのメガネ男の物腰が柔らかく、あまり怖くないことに驚く。何というかさっきまでの皮膚を裂くような強烈な殺気が欠片もない。たばこをふかしている目つきの悪い中年男性だ。それでも十分怖いが。
「ああ、無自覚か?」
松岡はくわえた煙草を地面に落とし靴で踏んで火を消すと、ポケットから煙草の箱とライターを取り出し、片手で箱の中からタバコを器用に取り出した後、口にくわえてライターの火をつける。全部片手。腕が使いたくないことがよくわかった。そこまで怪我がひどいのだろうか。その片腕は相変わらずポケットの中でぐったりとしている。
「無自覚って、あなたの能力が勝手に暴走しただけじゃないんですか?」
「そんなわけねぇだろ。俺のランクいくつだと思ってんだ。テメェが能力者でその能力の影響としか考えられん」
「ああ、そうなんですか」
「反応うすっ」
そんなこと言われても壮的には本当に「そうなんだ」ぐらいだったのだ。そう思えばそうだったのかもしれない。自分が特別なことをしているような感覚は、今日起きた一連の事件に飲み込まれて消えてしまっているし、その能力と称されたものも、相手が自滅しているだけなので特別実感はない。手から炎が出たりしたらもう少し実感があったのだろうか。
「まあどうでもいいですし、そんなことより笹村さんは?」
「あ、あの子か?お前が攻撃されている間に逃げた。」
「そうですか・・・」
「で、どうだ?仲間に裏切られた気分は?」
「生きるんなら良かった」
壮は安堵の顔を浮かべる。
「へぇ?結構いい奴なんだな、テロリスト。」
メガネ男は不思議そうな顔をした。長らくこの世界にいるがこんなことを言うやつは珍しかった。自分が死ぬかもしれないのに他人の心配しかしていないのだ。当の少年はどうでもよさそうな顔でゆっくり起きあがり、背中に付いた砂のようなものを払っている。
「で、僕は殺されるんですか?」
「ま、そういうことだな。ちなみにこの街ぶっ壊したのもお前らってことになるから。悪くて死刑。良くて死刑だな。もっともテロの被害を最小限に抑えるという名目によりこの場で殺すが」
「笹村さんもですか?」
「もちろん、と言いたいところだが、なんだ。お前のその感じが気に入った。特別に助けてやってもいい。」
「・・・結構いい人なんですね」
壮はちょっと嬉しそうな顔をしている。
「数分前にこの街をこんなにしたのはその結構いい人だが」
メガネ男は不愉快そうに言って煙を吐く。煙はらせんを描くように空気に散って消えた。罪悪感があったのではない。この少年の「人を殺す」という感覚に対しての軽さに少し驚いているのだ。目の前で人が死んでいるのになぜこんな態度をとれるのだろうか。もう何千人と殺した自分ならともかくこの少年が、だ。
「自分で殺したならともかく関係ない人が何人死のうと俺は別に平気なんですよ。俺の話じゃないですか。あ、笹村さんは嫌みたいですけど」
「もう少し心優しい少年とかじゃねぇのかよ。この場合」
「俺、あなたの仲間3人殺したんですよ。あんまり記憶ないですが。そもそも、人を傷つけて自分は心やさしいだって言い張るのは逆に胡散臭いですよ。別に僕は心優しい人間になる気もないし、なれもしない。」
「そりゃそうだな。・・・ちなみに聞くが」
「なんですか?」
「お前は一体、何がしてぇんだ?思考回路がわからねぇ。勘でしかないが、「頭がおかしい」で済ませねぇ何かがある気がする」
「別に、ただ死にたくないってだけですよ。ほかに目的もない。あと、いまどきの中高生にそんなこと聞いても無駄ですよ。夢のない世界ですから」
「・・・そうか(じゃあなんでそんなに自分の命を粗末に扱うんだ?いや、でも、さっきは命乞いしてたな。この数時間で心境の変化があったってことか。・・・10代の成長は早いねぇ)」
「で、俺の処置はどうなるんですか?」
「おまえは銃で一発ずつ撃っていって苦しみながら死んでもらう。一応、仲間の敵だ。本当はあんな奴ら知らねぇけどな」
そう言いながらも松岡が銃を取り出す気配はない。二本目のたばこを丁寧に吸っているだけだ。壮は別になんの感動もなく。
「んー、却下ですね。死ぬのは御免です」
「ほう?あのお嬢さんがどうなってもいいってか?」
ある程度予想はできていた。この少年が他人の命をどうとも思わないのならあの少女も同様に捨てるのだろうと松岡は予想できていた。
「とりあえず自分の命が惜しいですし」
壮はポケットの財布を取り出しながら答える。はたから見ると本当にどうでも好さそうだった。少し血で染まった財布の中身を確認し、帰りにジュースが帰ることが分かった後、財布をポケットにしまい、松岡のほうをまっすぐ見る。
「ま、そんなもんだな。じゃあ特別にお前を助ける。ただ、あの子は惨殺だぞ」
「それも却下です」
壮はまっすぐな目で、そう、はっきりと答える。その眼にはさっきのふ抜けた表情とは明らかに違う、明確な意志が宿っていた。急にはっきりと答えられたメガネ男は絶句している。この少年、行動・言動に一貫性がなさすぎる
「おまえは結局、何がしてぇんだ?言ってることもやってることも無茶苦茶だぞ」
「そうですか?どこが?」
「他人がどうなろうと、どうでもいいって言ったじゃねぇか。でもあの子は助けるのか?」
「約束しましたしね、絶対二人で生き残るって」
「後だ、俺はお前らのどっちかを助けるっていう意見を出してるのに何で飲まない?」
「どっちかじゃない。両方とる。それだけです」
「この状況で?敵はAランク能力者、見方は逃げた。自分は死にかけ、勝てる見込みがあると思ってるのか?」
「自分の自信を持ちすぎですよ。それに、勝てるか勝てないかじゃなくて、自分がそういう目的を建ててしまったんだから、それに向かって頑張るだけです」
「ふん、しょうがねぇな。見込みはあると思ったんだが・・・死んでもらうぞ」
松岡は左手を上げる。手を中心として旋風がまきおこり、たばこはそれに巻き込まれ青空に飲み込まれる。その眼はもう、さっきの「いい人」のものではない。まさしく人を殺す人間の、まるで獲物に狙いを定めた猛禽類のような、冷静かつ獰猛な眼だった。
壮は近くにあった風によって飛ばされてきた鉄パイプを手に取ると、立ち上がり、構えた。