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招かれざる|不協和音《ノイズ》

――死んだ。

 本気で、そう思った。


 目の前で振り下ろされた、あのバカげたサイズの鋼鉄の刃。あんなもん、普通の高校生が避けられるはずがない。

 今頃、俺――川上太一は、道路のアスファルトを真っ赤に染めるだけの肉塊になっていたはずだ。助かったのは、偏にこの目の前の二人のおかげ。それはわかってる。


 ……わかってるんだが。


「……はぁ、はぁ……」


 肺に溜まった熱い空気を、無理やり吐き出す。

 喉の奥が焼けるように熱い。足の震えは止まらないが、なんとか地面を踏みしめて立ち上がった。


 静まり返った交差点。

 刀を鞘に収めた少女――北条凛が、無機質な視線を向けたまま、こちらへ歩み寄ってきた。

 一歩、また一歩。彼女の足音が近づくたび、周囲の空気が重く、鋭く張り詰めていくのがわかる。


「……ねえ、あなた。一体、何者なの?」


 耳鳴りの向こう側で繰り返される、あの刺すような問い。

 彼女は俺の目の前で足を止め、獲物を鑑定するような猫目でじっと俺を睨みつけてきた。


「何者って……見りゃわかんだろ。ただのしがない高校生だよ」


 俺は震える膝を隠すようにポケットに手を突っ込み、精一杯の強がりを吐き出した。


「昼飯に食うちくわパンに、ちくわが入ってねえ。……たったそれだけのことで、この世の終わりみてえな絶望を味わう。そんな、どこにでもいるちっぽけな一般人。な?」


 自虐混じりに言い切ってやった。

 実際、俺の人生なんてそんなもんだ。異能いのうなんて派手なもんとは無縁の、しょぼい日常の繰り返し。

 だが、凛の表情は晴れない。それどころか、彼女の瞳には明確な「嫌悪感」に近い困惑が浮んでいる。


「……そんなはずはないわ」


 凛は俺の言葉を切り捨てると、背後に控えるメイド――白藤美子を振り返った。


「美子、あなたも感じるでしょう? ……この男の中。……何かが、致命的に変よ」


 美子が、担いでいた散弾銃ショットガンを背中のホルダーに収め、一歩前へ出た。

 彼女は慈愛に満ちた笑みを湛えてはいるが、その視線は俺の心臓を、いや、そのもっと奥を透かし見ようとしている。


「はい、お嬢様。……肌を粟立たせるような、得体の知れない『不協和音』を感じます。これほど歪な気配……政府の記録データベースにあるどの異能いのうとも似ていません。……いえ、これはもはや異能と呼ぶべきものなのかすら、私には……」


 美子の声が、微かに震えたような気がした。

 機械なんかじゃない。彼女たちは「直感」で理解しているのだ。

 俺という存在のどこかに、彼女たちの世界の理屈では説明のつかない『バグ』が混じっていることを。


「おい、不気味なノイズだの何だの言われても困るんだけど。俺、本当にただの学生だぞ。……俺にあるのは、せいぜい不運の才能くらいだ」


「黙って」

 凛の一喝に、言葉が詰まる。

「あなたが無自覚なのは分かったわ。でも、今の騒ぎで適合者レジスターたちがすぐにここへ来る。このわけのわからない『ノイズ』を抱えたまま、あなたをここに放り出しておくわけにはいかないのよ」


 レジスター。政府お抱えの能力者たちのことか。

 ニュースで見る「正義の味方」が来るのは歓迎すべきことなんだろう。でも、この女子の目は、彼らが来ることを「最悪の事態」だと告げている。


「美子、車へ。この男ごと回収するわ」


「かしこまりました。……さあ、川上様。命を救われた礼だと思って、大人しく付いてきていただけますね?」


 美子が優雅に微笑みながら、俺の腕を掴んだ。

 ……重い。メイドの細い指先だとは思えないほどの、圧倒的な万力のような筋力だ。


「おい、待てって! 俺、明日も学校……」


「うるさいパン男。命があっただけ感謝しなさい」


 凛は冷たく吐き捨て、交差点の影に停まっていた黒塗りの高級車へと乗り込んだ。

 俺もその隣に、美子によってなかば強引に押し込まれる。

 

 バタン、と重厚なドアが閉まる。

 外の喧騒が完全に遮断された車内で、俺の平凡な人生は、加速するエンジンの音と共に置き去りにされた。


 高級車特有の静かすぎる空間。隣では金髪の少女が不機嫌そうに腕を組み、運転席ではメイドが一切の無駄がない動作でハンドルを握っている。


「……おい。拉致したんなら、せめて行先と名前くらい教えろよ。命の恩人に対して不躾だとは思うけど、こちとらパニックになる権利くらいはあるだろ」

 俺は深く柔らかいレザーシートに背中を預け、震える指を隠すように精一杯のタメ口を叩きつけた。隣の少女は、面倒そうに視線だけをこちらに向ける。


「北条凛よ。で、あっちが白藤美子」

 凛は吐き捨てるように自分の名前を告げた。

「言っておくけど、別に拉致したくてしてるわけじゃないわ。あそこにあなたを置いていけば、数分後には政府の記録データベースに『存在しないはずの異常個体』として登録されて、そのままどこかの施設で死ぬまで実験のサンプルにされるのがオチよ」


「実験……? 笑えない冗談だな。俺の中に、そんな白衣の連中が喜ぶような価値なんてねえよ。あるのは胃袋に溜まったパンの残りかすくらいだ。……今日の朝モチ代がなくて買ったちくわパンに、ちくわが入ってなくて絶望してた、どこにでもいるただの高校生なんだよ、俺は」


「……またパンの話? あなた、本当に自分が置かれてる状況がわかってないのね」

 凛は呆れたように大きな溜息をついた。その鋭い猫目が、俺の心臓の鼓動すら読み取ろうとしている。

「さっきの怪物は逸脱者アンレジスター。そして、それを処理するためにやってくるのが政府の犬――適合者レジスターよ。彼らは世界の『秩序』を守るためには手段を選ばない。……特に、あなたみたいな『正体不明のノイズ』は、彼らにとって一番の好物なのよ」


「川上様。……先ほどから拝見しておりますが、あなた、声色一つ変えられませんね」

 運転席の美子が、バックミラー越しに俺を観察しながら平然と言い放った。

「抑揚、呼吸の間、言葉の選び方……これほどの恐怖を突きつけられてなお、あなたの内側に潜む『何か』は、凪のように静まり返っています。……お嬢様も私も、本能が『逃げろ』と警鐘を鳴らしているというのに。正直、これほど形容しがたい不快感、私も初めてです」


「おい、ボロクソに言ってくれるな。俺はただ悲しみを背負って帰宅しようとしていただけなんだぞ」

 その時、美子の目が鋭くなった。


「お嬢様、後方に不審な黒い車二台。……追跡班でしょうか?」

「しつこいわね。美子、振り切りなさい」


 美子がアクセルを踏み込む。猛烈な加速に俺の体はシートに深く埋まり、肺が圧迫された。

「ぶふぉっ!? お、おい! 景色が線になってるぞ!」

「騒がないでパン男。美子の運転は政府の記録データベースにあるどのレーサーよりも速いわよ」

 凛はふんっ、と可愛らしく胸を張り、なぜか自分のことのように得意げなドヤ顔を見せた。年相応の女の子みたいなその表情に、一瞬だけ毒気を抜かれる。


 ……いや、和んでる場合か! 窓の外を見ると、不審な黒い車が死神のように張り付いてきている。美子はハンドルを真横に叩き切り、迷路のような路地へと滑り込んだ。


「おい、美子さん! 前! 信号機の柱が!! どん詰まりだ!!」

「大丈夫です。……息を潜めます」

 

 美子はスッとヘッドライトを消し、急ブレーキと同時に車体を路地裏の深い暗がり――信号機の柱が作る死角へと滑り込ませた。

 直後、猛スピードで通り過ぎていく二台の黒い車。異能による透過などではない、純粋な技術によるスニークで見事にやり過ごしたのだ。


 張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、脳内で「ガコォン」というあの音が響いた。

 猛烈なGの余韻で体が軋む。窓ガラスに反射する自分の瞳の奥に、真っ赤な数字が浮かび上がった。

『7』――。

 強烈な揺れと、その不気味な数字への恐怖でキャパシティを超えたのか。

 俺の意識は、そこでぷつりと途切れた。


   * * *


「……ちょっと。いつまで寝てるのよ、パン男」

「……はっ!?」


 頬をペチペチと叩かれ、俺は跳ね起きるように目を覚ました。

 それはまるで、ちくわパン食べ放題の天国みたいな夢心地から、無理やり地獄の現実に引き戻されるような感覚だった。

 車はすでに静かに停車していて、窓の外には街の喧騒から外れた裏路地が見える。


「あんた、よくあの状況で寝られるわね。神経太いんじゃない?」

 呆れ果てた様子の凛が、少し茶化すようにため息をつきながらドアを開けた。

「……着いたわよ。降りなさい」


 俺は這いずるようにして地面に転がり落ちた。

「……もう、無理。ちくわパンが時空の彼方に消えた気がする……」

「あら、川上様。おはようございます。よくお眠りになられましたか? いい夢は見られましたか?」

「……見れるわけないだろ。どんだけ絶叫したと思ってんだ」


 俺はふらふらと立ち上がり、正面の建物を仰ぎ見た。

 そこは、高層ビルが立ち並ぶ大通りのすぐ裏手だというのに、まるで時代に取り残されたようなレトロな空間だった。

 黒ずんだ赤レンガの外壁には蔦が這い、入り口の横にはガス灯を模したアンティーク調の街灯がぼんやりとオレンジ色の光を落としている。擦りガラスの入った木製のドアには、剥げかけた金色のペンキで『北条探偵事務所』という時代錯誤な文字が踊っていた。


「……昭和の刑事ドラマかよ。中からトレンチコート着たおっさんでも出てきそうだな」

「さあ、中へどうぞ。温かい紅茶でも淹れますね」


 俺のボヤキを無視して、天使のように可愛い、柔らかい笑顔で接してくれる美子さん。さっきまで物騒な運転をしていた人間とは思えないほどのギャップだ。

 俺はその笑顔にホイホイと誘われるように、探偵事務所の中へと足を踏み入れた。


 カランカラン、と。これまたベタな真鍮のベルが鳴る。

 中に入ると、外見の古びた印象とは裏腹に、床は塵一つなく磨き上げられていた。革張りの高級そうな応接ソファに、壁際を埋め尽くす分厚い洋書の数々。そして部屋の奥には、やたらと重厚なマホガニー材の執務デスクが鎮座している。

 凛は迷いなくそのデスクの奥へと進み、革張りの大きな椅子にふんぞり返るように腰を下ろした。


「……で? あんたたちはここで、探偵ごっこでもしてるってわけ?」

 俺が部屋を見回しながら言うと、凛は机の上に両足をドンッと乗せた。


「ごっこじゃないわ。表向きは真っ当な探偵業よ。浮気調査から迷い猫の捜索まで、なんでもこなす優良企業なんだから」

「迷い猫って……さっき道路でバズーカみたいなのぶっ放してたメイドがいる優良企業がどこにあるんだよ」


「あら、川上様。ショットガンです。バズーカなどという無骨なものは、私の美学に反しますので」

 いつの間にかエプロンを整えた美子が、湯気を立てるティーカップを乗せた銀のお盆を持って現れた。


「さあ、どうぞ。最高級のダージリンです。それと、こちらはお茶請けのクロワッサンです。ちくわは入っておりませんが、バターの香りが絶品かと」

「……くっ、メイドの分際で俺のトラウマを的確にえぐってきやがる……!」


 空腹には勝てずクロワッサンを一口かじる。……うまい。悔しいくらいにうまい。朝のちくわパンの百倍うまい。

 俺が涙目でパンを咀嚼していると、凛が机の引き出しから分厚いファイルを取り出し、バンッと乱暴に音を立てて広げた。


 ビクッとして肩を揺らす俺をよそに、凛の猫目がスッと細められる。さっきまでの年相応の表情は完全に消え失せ、得体の知れない脅威を警戒するような、冷たく張り詰めた瞳になっていた。


「さて、餌付けも済んだところで本題よ、パン男」


 室内の空気が、一瞬で凍りつく。


「普通、私たちみたいに異能を持ってる人間はね、相手と対峙したとき、その力がどんな形をしてるのか、肌がピリピリするような感覚で大体わかるのよ」

「……は? な、何言って……」


 命の恩人とはいえ、あまりの凄みに気圧されて声が震える。


「でも、あんたの中にあるソレは致命的に異常よ。……力としての『輪郭』だけは確かにあるのに、中身が完全に『空っぽ』なの。底が抜けた井戸を覗き込んでるみたいで、見てるだけでヘドが出そうになるわ」


「空っぽ……?」

 俺は思わず聞き返した。自分の内側にそんなものがある実感なんて、微塵もない。


「ええ。異能としての形は保っているのに、中身がすっぽり抜け落ちている。まるで、これから得体の知れない『何か』を注ぎ込まれるのを、ただ口を開けて待っているだけの……『空の容器(うつわ)』みたいにね」


 凛は机に両手をつき、身を乗り出して俺を射抜くように睨みつけた。


「あんたの中にあるのは、そういう空っぽのバグった異能なのよ。……自分の中が、そんな異様な『器』みたいな形になってることについて、心当たり、全部吐いてもらうわよ」


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