ここから始まる|逸脱者《アンレジスター》|
――ガコォン、と。
世界の底が抜けたような、重厚で鈍い音が脳の奥底で響いた。
漆黒の空間。巨大な歯車が噛み合い、残酷な運命を回す音。
やがて、視界を焼き尽くすような赤黒い光が、暗闇の中にひとつの数字を刻み込む。
『7』――。
それは終わらない輪廻の証明であり、新たな次元の幕開けを告げる刻印だった。
* * *
「……ふわぁ。あれ、今、なんかすげえリアルな夢見てたような……」
放課後の教室。西日が差し込む中、俺――川上太一は机の上のよだれを拭いながら顔を上げた。
どんな夢だったか、起きた瞬間から霞のように消えて思い出せない。まあいいか、と大きく伸びをする。
俺はごく普通の高校生だ。
日常のスケールなんてたかが知れている。昼休みに購買で激しい争奪戦の末に勝ち取った『ちくわパン』をウキウキでかじったら、なぜか中身のちくわがスッポリ抜けていて、ただの穴の開いたパンだった時くらいの、ささやかで理不尽な絶望に満ちている。……要するに、ちょっとツイてないだけの平和な一般人だ。
カバンを手に取り、見慣れた通学路を歩く。
駅前の大型ビジョンでは、今日もニュースキャスターが深刻そうな顔で『逸脱者によるボヤ騒ぎ』を報じていた。
「えー、でも逸脱者の異能ってアウトローっぽくてカッコよくない?」
「わかるー。政府の適合者とか、結局ただの公務員でしょ? なんかダサいよね」
横をすれ違った女子高生たちが、まるで新作のタピオカドリンクでも評価するような軽いテンションで笑い合っている。
(平和なもんだ……まあ、俺もだけど)
この世界には『異能』と呼ばれる力を持つ人間が存在する。とはいえ、漫画みたいに誰もがビームを撃ち合ったりしているわけじゃない。
能力持ちは基本的に政府にキッチリ管理され、警察や防衛機関で『適合者』として働くのが普通だ。たとえば指先から炎を出せる異能を持ったヤツは、おそらく消防局あたりで『人間バーナー』として残業代のために身を粉にして働いていることだろう。世知辛い世の中である。
そう考えると、ちくわパンの空洞に絶望している俺みたいな無能力者の方が、よっぽど気楽な一般人だと言える。
異能なんて、所詮はテレビの向こう側の、少し変わったお仕事ドキュメンタリー……そのはずだった。
――日常が、いともたやすく壊れるものだと思い知ったのは、駅前の交差点に差し掛かった時だった。
ズドォォンッ!!
突然、鼓膜を破るような爆発音が、平和な夕暮れを吹き飛ばした。
「ひぃっ!?」
「逃げろ! 逸脱者だ!!」
ひしゃげた車の奥から現れたのは、両腕が禍々しい鋼鉄の刃に変化している大男だった。政府の管理から外れた未登録の能力者。
男は理性を失った獣のように咆哮し、周囲の信号機を両腕の刃で紙切れのように切り裂いていく。
逃げ惑う人々の中で、俺は足がすくんで動けなかった。逃げなきゃいけないのに、なぜか体の奥底で「別の何か」が熱く脈打ち、俺をその場に縫い留めている。
大男が空高く跳躍し、処刑人のギロチンのように両腕の刃を振り下ろす。
直撃する――俺が目を閉じた、その瞬間。
「――お怪我はありませんか?」
パンッ! という破裂音と共に、大男の体が大きく弾き飛ばされた。
俺の目の前に立っていたのは、天使のように優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる同い年くらいの少女。
しかし彼女は、その完璧なメイド服姿に全く似かわしくない、凶悪なサイズの散弾銃の銃口から硝煙を燻らせていた。
「メイド……?」
「あとはお任せください。あなたは隠れていて」
メイドの少女が優しく微笑んで道を空ける。
その背後から、コツ、コツ、と静かな足音を立てて歩み出てきたのは――金色の髪をなびかせた、一人の少女だった。
身長は百五十センチ台の半ばくらいだろうか。俺よりずっと小柄で、華奢な体つき。洗練された制服を着こなす姿は腹立たしいほど可愛いが、その釣り気味の『猫目』は、獲物を狙う肉食獣のようにキリッと鋭い。
そして何より異様なのは、彼女の腰に抜き身の『刀』が提げられていることだ。
『――アァァァッ!!』
態勢を立て直した大男が、獲物を変えて少女へと突進する。
大男の両腕から伸びた禍々しい鋼鉄の刃は、少女の華奢な胴体など一振りで両断できるほど巨大だ。
男が空高く跳躍し、再び刃を振り下ろす。
直撃する――俺が息を呑んだ瞬間。
キィンッ!!
鼓膜を刺すような高い金属音と、弾ける火花。
少女は避けることすらせず、刀の刃を斜めに傾け、自らの何倍もの質量を持つ鋼鉄の刃を正面から鮮やかに『受け流して』いた。
華奢な腕のどこにそんな力があるのか。大男の重戦車のような一撃は、見えない軌道に逸らされるようにしてアスファルトに深々と突き刺さる。
『ガ、アァァッ!?』
体勢を崩した大男が、激昂して嵐のような連続攻撃を繰り出す。
しかし、少女の姿がフッとブレたように見えた。
いや、違う。彼女の動きに、一切の迷いと無駄がないのだ。
まるで敵のすべての攻撃軌道が最初から見え透いているかのように、飛んでくる鋼鉄の刃の隙間を、流れるような足取りですり抜けていく。
相対する少女の時間は、全く別の次元で進んでいるかのように速く、そして美しい。
「……バカみたいに力任せね。少しは頭を使いなさいよ」
少女が冷たく言い放つ。
すれ違いざま。瞬きすら許されないほどの神速の一閃。
大男の両腕についていたはずの分厚い鋼鉄の刃が、まるで薄い紙でも切られたかのように、綺麗な断面を晒して宙を舞った。
『――あ?』
自分の腕の刃が切断されたことに気づき、大男が間抜けな声を漏らす。
少女は流れるような動作で刀を反転させると、柄尻で、大男の鳩尾へと無慈悲な一撃を叩き込んだ。
ドゴォッ!! と、骨が軋むような重たい音が響く。
大男は白目を剥き、ドサリと崩れ落ちた。
静まり返る交差点。
少女は刀身を振って血糊をスッと払い落とすと、迷いのない美しい所作で鞘に納め、ふと、こちらを振り返った。
その鋭い猫目が、俺を真っ直ぐに射抜く。
彼女は俺の顔を見て――いや、俺の『奥底』にある何か得体の知れないものを覗き込んだかのように、驚いたように僅かに目を見開いた。
「ねえ、あなた」
少女は俺の目の前まで歩み寄ると、計り知れない深淵を探るような瞳で、静かに告げた。
「……一体、何者なの?」
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ついに連載が始まりました。
ちくわの入っていないちくわパンという「理不尽な絶望」から始まる太一の物語、いかがでしたでしょうか?
個人的には、メイド服でショットガンをぶっ放す美子と、凛の「受け流し」シーンがお気に入りです。
突如現れた二人の美少女、そして太一に向けられた「何者なの?」という鋭い問い。
果たして太一は、この絶体絶命の(問い詰められる的な意味で)ピンチをどう切り抜けるのか……!?
「続きが気になる!」「太一、ちくわパン食べられて良かったな!」と思ってくださった方は、ぜひ下にある【ブックマーク登録】や【★評価】で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
皆様の応援が、太一にちくわ入りのパンを食べさせてあげるパワーになります。
次回もどうぞお楽しみに!




