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珈琲と未来予知とスクラップ

作者: トモ倉未廻
掲載日:2026/02/24

「貴方には、予知能力があります」


 他愛なく、喫茶店で珈琲を頼むようなあっけなさで言ってくるものだから、俺は「あ。そうですか」と、年下だろう彼に返していた。

 実際、彼はその後でテーブルの端っこにある呼び出しベルを押して、「ホットコーヒーを2つ」と無愛想なファミレスの店員に、さっきと同じ口調で注文する。


 あ、俺の分はいらないです。


 反射的に薄っぺらい財布の中身を思い出して口を開きかけたものの、他の注文がないのを確認して、店員はさっさと立ち去っていく。マニュアル以外のことは致しませんと貼り紙をつけたような冷たい背中に、出かけた言葉を飲み込んでしまった。

 ……ファミレスの珈琲ぐらい、まだ俺にだって払えるだろ。

 心の中でそう思う。思いながらも、でも500円、と考えてしまう。

 半年前に会社をクビになった俺にとって、500円は一日の食費に等しい。こみ上げてくる遣る瀬なさにため息をつく。

 ふと最近の癖で、そうだ、と思う。


 ――そうだ、想像しよう。


 いつもならここからありもしない妄想を膨らませていくのだが、今日はテーブルを挟んだ向こう側に、彼がいる。まだ学生らしさが抜けきっていない明るい眼差しが細い針の先端となって、俺の妄想の風船に食い込む。バチンッ、とゴムの弾ける音がして、我に返る心地で改めて彼を観察した。

 行きつけのスーパーで声をかけてきた、初対面の男だった。年齢でいうなら、まだ青年だろうか。

 朝から丹念に洗面台で整えたのだろう、ワックスの効いた短い髪。折り目正しくよれひとつない真新しい背広とシャツ。春と共にやってくる新入社員の初々しさを連想するのだが、彼の薬指にはまっているくすんだシルバーのリングが唯一、その模範的な印象からずれてしまっている。

 結婚指輪だろうか。

 ふと閃いたけれど、同時に違うとも思った。

 社会の荒波に揉まれきっていない見た目の年齢からして、結婚していたとしてもまだ数年のはずだ。数年でシルバーがそこまでくすんだ色になるとも思えないし、単純に薬指にはめられているから、俺が結婚を連想しただけだろう。俺自身が失ってしまった夢を、無意識に反映させてしまっただけだ。


 あ。まずい。


 ようやく忘れかけていた彼女との思い出が、この拍子にまたぴしゃりと心の縁ぎりぎりを波打って溢れでそうになり、慌てて意識を別のところに移した。

 目の前の男から感じる、指輪以外の違和感に。


「あの、佐藤さん?」

「……、はい?」


 名前を呼んだ時の、小さな隙間。

 直感的に思う。佐藤という名前は、偽名なのだろう。

 だとすれば、なおさらだ。

 財布の中身も心許ないのに。そもそもついていく理由もないのに。

 どうして、こんな胡散臭い男の誘いに乗り、買い出しを中断してまで、ファミレスに来てしまったのか?

 つい数分前の出来事だ。なのに決定打を思い出せず、強いていうならなんとなく大丈夫そうだと思って、こうして不用意な結果としてファミレスのテーブルで向かい合っている。


 まざまざと振り返れば振り返るほど、理解できない自分の行動理由に途方にくれながら、しかし不思議と後悔は感じずに、気になったことを質問する。


「えっと、……俺に何の能力があるって?」

「予知能力です」

「いや、ないけど」

「ありますよ」


 いや、ないだろ。眉をひそめる。そんな子供でも妄想しないような、SFチックな能力。

 このおかしな状況でようやく素直に不信感を表に出せた俺に、「ですよね」と佐藤は至極当然とばかりに頷いた。

 疑って当然。潔くすっきりとした肯定は、些細なことでも同調して仲間意識が芽生えていく学生同士の雰囲気によく似ている。俺が佐藤に感じている新入社員のイメージそのままで、だから無意識に、彼の薬指のシルバーリングにまた、目がいった。


「証拠をお見せしますね」


 佐藤は自分のそばに置いていた黒いリュックサックを引き寄せると、上部のファスナーを開いた。

 中から5㎝はありそうな分厚いバインダーを重たそうに両手で取り出して、テーブルの上に置く。使い込まれて色褪せたような青いPP素材の表紙を広げると、中身は二穴の金具にファイリングされている新聞のスクラップだった。

 糊付けされてそれなりの年月がたっているのか、古紙特有のごわついた表面を撫でながら、彼は口を開く。


「たとえば昨日の午後2時頃、ニコニコスーパー東藤岡支店で男が刃物を振り回して、死者2名、重軽傷者10名の被害が……」

「それ、嘘ですよね?」


 佐藤の言葉を最後まで聞かずに、声をかぶせる。聞き返すような口振りになったが、確信があった。


「ええ」と、佐藤が頷く。言葉を遮られたことへの不快さは見せず、むしろ早押し問題の正解者を賞賛するような眼差しで俺を見据えて、もう一度大きく頷いた。「ええ。その通りです。この事件は起こっていません。何故なら、貴方が特売のバナナを買わなかったから」


 一瞬、佐藤が何を言っているのかわからなかった。

 目を瞬いて、黙り込む。佐藤の言葉を最初から最後まで、咀嚼して飲み込んでようやく、その単語が、それでも戸惑いを隠しきれないまま、口からこぼれ落ちた。


「え、バナナ?」

「はい。バナナです。昨日、貴方はニコニコスーパー東藤岡支店に赴いて、チラシに記載されている激安商品を購入した。しかし一房99円のバナナだけは購入せずに帰った。男はその数分後に息を切らしてスーパーに飛び込み、バナナを購入することに成功しました」

「…………、つまり?」

「貴方がバナナを買っていた場合、空になった商品棚を見て男は激高し、バックヤードに飛び込んで厨房から刃物を強奪して、惣菜コーナーにいた子供連れを――」


 バナナ。一房99円の激安バナナ。


 佐藤から視線をそらして、俺は昨日の行動を思い返す。

 心許ない失業保険をやりくりしながら毎日を細々と生きている俺にとって、徒歩20分のニコニコスーパー東藤岡支店の特売日は、台風が来ようが大雪になろうが行かなくてはいけない一大イベントだ。

 ただし昨日は寝坊した。理由は分からない。目が覚めたら昼過ぎで、財布を引っ掴んでスーパーに駆け込んだのを覚えている。掲示板に貼り出されたチラシを凝視して、商品をカゴに放り込んでいった。

 そして、バナナ。


 そう。確かにバナナは、最後の一房だった。


 他のバナナたちが売れていった末の、最後の一房。乾いてのっぺりとした黄色の表面に、くすんだ黒色がぼとりと滴り落ちるように広がっていて、誰もが敬遠して遠ざけた結果の、残りものの悲壮感を漂わせていた。誰が買う? 俺か。バナナは栄養価が高いんだ。多少傷んでても食べれないか。でも腹を壊したら病院代のほうがかかる。

 そうだ、想像しよう。

 俺はこう思ったのだ。

 ――このバナナを俺は買わない。でも数分後に、どうしてもバナナを買いたい男が店にやってくる。男は一目散にバナナ売り場にやってきて、色艶も見ずに、このバナナを購入していく。もし、男がバナナを買えなかったら……。


「思い出しました?」と、訊ねてくる声に、小さく息を呑んでいた。


 思わず、「ひっ……」と、喉が引き攣れる。

 無意識に背中を背もたれに押しつけて、身体が一ミリでも佐藤から距離を取ろうとしていた。


「お、お前っ! 俺のストーカー?!」

「え?」

「な、なんで、俺がバナナを買わなかったことを知ってるんだ! 考えてたことまで!」

「あー……、そっちに反応しますか」彼は苦笑いして、こめかみを掻く。「とりあえず落ち着いてください。貴方が驚くのはそこじゃなくて、貴方がバナナ片手に妄想したことが現実になっているほうです。貴方がバナナを買えた世界では、殺人事件が起こっているんです」

「俺にバナナを一生買うなと!?」

「違いますって。つまり、貴方は自分が損をすることで未来をいい方向に改変する予知能力者なんです」

「そ、そんなわけあるか!」

「ありますよ。ほら、この記事です」言って、佐藤が新聞のスクラップを指先でとんとんと叩く。男にしては整った綺麗な爪だった。「読んでください」


 彼の言葉に従って、おそるおそる新聞に目をやる。

 最初に感じた印象の通り、スクラップの表面はごわついて乾燥していた。昨日の新聞を切り取って糊付けしたなら、こんな風にはならない。そもそもこんな事件は起こっていない。

 万が一にも起こっていたなら、今日、何故スーパーは開いているのか。スーパーの入り口で俺をファミレスに誘った佐藤の主張は、根本的なところで滑稽なぐらい矛盾している。

 一方で古びた紙に印字された文章は、彼の言葉通りのものだった。

 刃物を持った男が店内で暴れ回り、死傷者12名の被害。昨日の日付を指でこする。ざらざらした感触があるだけで、日付が変わるなんてことはない。

 新聞から顔を上げて、佐藤を見た。――少しだけ、彼が笑っているのを期待していた。いたずらに成功した子供のように、無邪気に頬を赤くゆるませて微笑んでいたら、手の込んだいたずらだと思い込めた。すみません、と肩を小さくして謝ってきたら、許してやる準備もあった。


「……気持ち悪いぞ」

「すみません」


 期待していた謝罪じゃない。

 佐藤は新聞のスクラップをめくり出す。

 数枚めくったところで、手が止まる。

 促されはしなかったものの、自然と目がスクラップの文字をなぞっていた。印字されている日付は半年前のもので、記事自体にはまったく見覚えがない。

 それでも、背筋がぞわりと震えた。


「半年前、ある企業が大規模な情報漏洩を起こしました。情報は大陸系マフィアの手に渡り、全国の富裕層が立て続けに狙われる強盗殺人事件に繋がりました。その被害者の中に、新興宗教の幹部になる女の親が含まれていました。彼女はこの強盗事件で両親を失い、最終的に教祖の言いなりになります。彼女は教祖の自爆テロに賛同し、東京の繁華街で――……」

「待ってくれ」話が壮大すぎて理解が追い付かない。……違う。理解しかけている。ただ、それが途方もなさ過ぎて、言葉以外の何もかもが振り落とされてしまったかのように、頭が空っぽなのだ。「つまり、……その企業って」

「貴方の会社ですね。貴方が、同僚のミスを押しつけられてクビになった」


 脳裏に、今にも死にそうなほど土気色に青ざめた同僚の顔が蘇った。

 一ヶ月前に結婚して、かわいい年下の嫁さんのお腹には赤ちゃんがいて、言葉には出さなくても全身から幸せな雰囲気を漂わせていた男が、その日、余命宣告でもされたかと思うほど窶れた顔で俺を告発した。ふたりでリーダーをしていたプロジェクトでのミスを。

 俺にすべての責任を押し付けてきた同僚の、今にも縋りついてくるような眼差しを思い出す。

 俺にだって彼女がいる。結婚だって考えている、指輪だって。

 けれど、あの時も、こう考えたのではなかったか。


 そうだ、想像しよう。――ここで俺が否定したら、こいつはどうなるのか。きっとかわいい嫁さんに罵られた挙げ句逃げられ、赤ちゃんに会わせて貰えず、失意のどん底に落ちるだろう。

 それだけならいい。

 俺に責任をなすりつけるぐらいだから、こいつはきっと自分を解雇した会社に恨みを持つ。密かに深夜のオフィスに忍び込んで、データを書き換えて、そして……。


「思い出しました?」

「……、でもあれって、俺の妄想……」

「妄想だと思ってることが実は予知だったってだけです。貴方のことは、未来で研究されているんですよ。自らを犠牲にして、数多の悲劇を防ぐ英雄として」

「……つまり、佐藤さんは、未来人?」

「はい」


 俺に予知能力があると言い出した時と変わらない口調で、彼はこたえる。

 そうしてからそっと、身体の力を抜くように細く、息を吐き出した。


「――ここにファイリングされているのは、未来が改変されなかった場合に発行された新聞のスクラップです。つまり、貴方は」


 彼が昨日と半年前のスクラップを、ぺらりとつまむ。

 意識が吸い寄せられるように、残った束を見た。彼の指先でつまみあげられたスクラップは数枚、残りのスクラップは4センチ以上。

 ごくりと唾を飲み込んでいた。


「貴方は、これだけ損をする人生をこれから強いられるってことです」


 思わず、顔を上げる。視線がかち合う。彼も同じように俺を見ていた。

 これまで新入社員のイメージだった彼がはじめて見せる、力強い眼光が俺の心臓の奥まで突き刺さってくる。

 彼は、俺が唾を飲み込んだ理由に気づいている。

 4センチ。4センチの中に溢れる未来を、俺は思い描いてしまった。

 病気か、怪我か、事故か。4センチの中に押し込まれている俺の不幸が、眼に見えない悪寒になって俺の身体に冷たくまとわりついてくる。

 そして、勘づいてしまった。

 何故こんな話を、彼が俺にするのか。


 血の気がひく。

 けれどそれは一瞬で、直後、思考の奥でひときわ激しく、爆ぜて燃え広がった衝動に指先が震えた。

 

 テーブルを挟んで向こう側に座る佐藤の、スクラップをつまむ指。薬指にはめられたシルバーリングの鈍い輝きと整った爪のラインが、視界の隅でずっと引っかかっていた。

 いや、引っかかっていたことは他にもある。

 スーパーで声をかけられて、なんとなく大丈夫そうだからとファミレスまでついてきた時から。


 曖昧だった違和感が一気に凝縮して形になった。

 

 半年前、喧嘩別れした彼女の指。

 結婚したいなぁと笑う彼女に、去年誕生日プレゼントとして渡したシルバーリング。

 似ていると気づいてしまえば、あとはなし崩しに脳内が想像で埋め尽くされた。

 会社をクビになったあの日から。彼女と別れたあの日から。どんどん色褪せて黒く淀んでしまった世界に突如打ち上がる、極彩色の打ち上げ花火。

 想像か、妄想か。予知なのか。瞬く間に描かれた鮮やかな色彩の未来で、俺と彼女と、もうひとり笑っているのは……、佐藤だ。


「取り戻しませんか? 貴方が自由に選ぶ、貴方だけの未来を」


 新入社員のような真新しい初々しさを滲ませていたはずの眼は、いまや熱をおびて薄い水の膜を張っている。

 佐藤がスクラップから手を離して、ぱたんっとバインダーを閉じた。


「売り物にならないようなバナナが、なぜ廃棄されなかったんでしょう? 貴方が偶然寝坊しますか? ……失態した社員を見抜けずに解雇する会社がありますか?」


 店員が珈琲を持ってくる。俺達の前にそれぞれカップを置いて、注文をとった時のようにさっさと去って行く。

 呼び出しボタンの隣に置かれているスティックシュガーの束から、佐藤が二本抜き取った。

 その二本とも俺のカップのそばに、当たり前のように置く。


「甘い珈琲、好きだったよね?」


 そうして彼は息を小さく吸い込むと、唇を震わせて、小さくゆっくりと呟いた。


「……お父さん」


≪終≫

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― 新着の感想 ―
とても哲学的で、非常に興味深く拝読しました。 息子さんは、両親を救いに来たのかなと思いました。
誰もが一度は考える「もしあのとき、違う選択をしていたら……」という思いが、こんなにも面白い物語になるとは思いませんでした。 冒頭にさりげなく散りばめられていた指輪の描写、クビになった会社のこと、主人公…
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