第四話 灰祷‐②
ルクスたちがキューレパスカを発ってから、すでに数日。幾夜を越え、街に立ち寄り、空を駆け──この調子ならヴィオラ村へもあと一日もあれば辿り着くだろう。
アトロが翼を広げる蒼穹はすでに茜色に染まり始めていた。長旅の疲れを癒すため、今日は早めに休むことにしたルクスは周囲へと視線を巡らせる。
辺り一帯に広がるのは、果てしない森林の緑ばかり。だが、目を凝らしてみると──その奥に、微かに集落のような影が見えた。
「近場で一泊する。ヴィオラの村も近い、今晩はゆっくり休んで明日に備えておこう」
「? うん、いいけど……どこかに休めそうな場所、あった?」
「ああ。少し先だが、集落のようなものが見える」
首を傾げるミナカは額に右手を翳して遠方を臨む。すると鬱蒼と生い茂る緑の向こう側……その隙間にひっそりと佇む小さな村の姿を、彼女もまた視認する。
「わっ、ほんとだ……! こんな森の中に村があるなんて……ヴィオラ村の近くなのに、全然知らなかったな……」
「今のところは他にあてもない。とりあえず行ってみよう、きっと野宿よりはマシだ」
樹海の奥に形成された、小さな集落。不思議と他の村とは異なり──その村は祈術ではなく人の手によって築かれていた。現代では珍しく石造りの建物が一棟もなく、見渡す限りの家々その総てが木材で造られている。
そして何よりも特異なのは──この村には教会が存在していないことだった。住居以外の建物も存在せず、静かな時間が流れている。ただ……人が余生を過ごすためだけに造られた場所。
俗世から切り離された、隔絶の村だった。
「人里離れた村、か……。村の看板も正門もないが、まずは中へ入ってみよう」
「うん。……すんすん。あ、でもっ、なんかいい香りがするよっ!」
仄かに漂ってきたのは、食欲を擽る美食の香りだった。それに気付いたミナカはぱっと顔を明るくさせる。だが、村へ足を踏み入れた二人の目に飛び込んできたのは──想像を絶する光景だった。
そこに住まう人々は、誰もが褪せた白髪を。そして誰もが、灰色の外套を一様に羽織っている。
「待て、ミナカ。これは…………セレニタスの村だ」
「え…………?」
そうルクスが眉を顰めていると、村の奥から一人の老人がこちらに視線を送っていた。長く伸ばした白髪に、豊かな髭を蓄えた老年の男。来訪者に気付いた彼は、真っ直ぐ二人のもとへ向かってくる。
「おや……この村に客人とはこれは珍しい。旅人の方ですかな? と……あなたは……預言の勇者、ミナカ様……」
「あ、あはは……こ、こんにちは……」
挨拶と共にミナカはにこやかな笑顔で手を振った。だが、老年の男は彼女の顔を目にした途端、その表情を曇らせる。先ほどまで穏やかだった面差しが、忽ち訝しげなものへと変わった。
「はぁ……反聖教組織の集落と知っていれば足を運ばなかったんだがな、邪魔をした」
「反…………って、セレニタス……まさかあの……!?」
ミナカが目を丸くすると同時に、ルクスの言葉を聞いた男は眉を顰める。そして大きく息を吐くと、虚構を宿した瞳で二人を見据えた。
「……ワタシたちをご存知でしたか。それにミナカ様……あなたのそのご様子。……何も関与していないのですね。ここは声を一つ抑えていただき、弁明の機会をいただけませんか」
「か、関与……? えっと……何の話ですか?」
「その必要はない。アンタらに興味もない。来る場所を間違えただけだ……行くぞ」
「ちょっ、ちょっと待ってルクスくん。話くらいは聞いてあげようよ」
「………………」
「寝床をお探しでしたらご用意いたします。折角足を運んでいただいたのに、このままでは気分も晴れません……どうか少しだけ、耳を傾けていただけませんか」
戸惑うミナカの視線。それに加え、生気を失ったような男の眼差しが、真っ直ぐにルクスへ突き刺さる。
まったく仕方ない。この場で善悪を問うのなら、自分はさぞ悪人に見えるだろう。そう思うと、ルクスは小さく鼻で笑った。
ひとまず場所を移すことにした三人は、灰色の外套を纏った住人たちの視線を一身に浴びながら、村の中を進んでいく。どの家の前にも同じ装いの人々が静かに立ち、ただ寡黙にこちらを見詰めていた。
程なくして老年の男が寝食をしているという無骨な木造の家屋へと案内される。扉を潜ると、その室内は驚くほど質素なものだった。寝具らしき藁の束と、藁で編まれた座布団。他には床に置かれた幾つかの果実が目に入るだけで、家具らしいものも殆どない。素朴という言葉で片付けるには、あまりにも慎ましい住まいだった。
家主の彼は手招きして二人を座布団へと促す。それに従って腰を下ろすと、男も同様に腰を落ち着かせ、ゆっくりと口を開いた。
「もてなしが何もできず、申し訳ありませんが……まずは自己紹介をさせてください。ワタシの名前はフォーと言います。そしてここは聖教の闇……人体実験で棄てられた、行き場のない者たちの村なのです」
聖教による人体実験の被験者──その言葉に、ミナカの表情が強張る。何を言っていると、そう言いたげに彼女はフォーを見詰め息を呑む。
一方でルクスは、ふっと視線を落とす。自身が既に認知していた存在──その元凶、その被害者が……己と同様に、こうしてこの場に座っていると。
「……反聖教組織セレニタス……まさかそれを、聖教自らが生み出していたとはな。……アンタは知っていたのか、ミナカ」
「そ、そんなわけないよ……! 目にするのも初めてで……それに聖教の闇って……人体実験をしていたなんて話を聞いたのも、初めて…………」
目の前にいるフォーの受け答えは普通の人間に映っている。彼はルクスが知るセレニタスとは僅かに異なり、ミナカの知らない真実を持っていた。
虚ろな目をした、灰の外套を纏う白髪の人々。首肯するフォーは、この村を聖教によって歪められた業の象徴だという。
「ですが、あなた方の知るセレニタスと我々は異なる集団です。元々マーレ聖教会の実験体だったということは同じですが……ワタシはいつしか自分を取り戻していました」
「確かに、俺が知るセレニタスは正気を失った連中だ。アンタはまともに会話ができる分、人間らしいと言えるな」
「ええ……その一方で、聖教からすれば失敗作なのでしょうね」
「失敗作…………」
「……ワタシは実験によって記憶も名も身分も奪われ、世界に仇なすセレニタスという組織の一員として、脳に記憶を……感情を刻まれました。総ての実験体は喪失の心的負担から髪の色は褪せていき、記憶が定着した者は傀儡に……記憶も曖昧なまま身体の自由が効かない者は迫害を受けるがままに世界を彷徨いました」
ルクスの背に、冷たい汗が伝う。同じ聖教の所業──勇者を生み出した、あのキルケーの夜。もしフォーがそこに触れれば、ミナカの心にもどれほどの負担がかかるか、想像するまでもない。
だが幸いにも、フォーがその事実を知る術はない。ルクスは固唾を呑み、ただ黙って彼の言葉に耳を傾けた。
「そんな……そんなことを……聖教が……本当に……?」
「ミナカ様……無理もありません。私は当初、預言の勇者も協同しているのかと思っていましたが……本当にそうではないご様子ですね」
「あ、当たり前だよ……!」
疑心暗鬼の瞳で見詰められたミナカは前のめりに否定を口にする。狼狽える彼女を見て、結局のところ世界で勇者と謳われる存在も所詮は聖教が擁している駒にすぎないのだろうと……ルクスとフォーは口を噤む。
「……それでこの村を築いたのか?」
「私は一人でも多く同じ境遇の仲間を救いたいと思い、棄てられた彷徨う者たちを探し出しました。そうして集まった皆と共に、人里離れたこの場所で息を殺して暮らしているだけです。……築いたとは、とてもかけ離れていますが。それでも孤独で最期を迎えるよりは良かった」
村にいた人々たちは皆こちらをじっと見据えていたが、今思えばフォーのことを見守っていたのかも知れない。あの中にはきっと、彼に救われた者も数多くいるのだろう。
「失敗作と言っていたが、聖教の意のまま操り人形になっている奴らとは何が違うんだ?」
「その言葉通りです。彼らは改竄された従順な人間。本人たちは敬虔な信徒としての人格が与えられ、民からは反聖教を押し付けられる存在。貶されたとしても、傷つけられたとしてもそれを歯牙にも掛けないのが彼らであり、一方で自我を持っているのが私たちなのです」
「そういうことか。だが……従順なままの方が幸せだったかもな」
「ちょっと……ルクスくんッ!」
「いえ、良いのです。まったくもってあなたの仰る通りだ」
意識など存在せず、与えられた役割を全うする人形。そこに生死の定義はなく、意義もありはしない。自分と言う心を持たずに道具として生まれ、終わる道。
しかし。枷を外れ飛び出した世界でも、己を受け入れてくれる人間はおらず──命すら許されることのない、世界の敵として反聖教の烙印を押されていた。
果たしてそんな彼らの心に、”幸福”という感情があるのだろうか。でも────それでも、と。ミナカは唇を噛み締める。
「ね、ねぇ……フォーさん。さっきから聖教の実験体って言ってるけど、わたし、こんなの知らないよ……。もっと詳しく教えてください、一体、誰の指示でこんな……!」
「それは…………ミナカ様。あなたには大変お辛い事実になるかもしれません。それでも、お聞きになりますか」
「うん。…………聞かせて」
「わかりました。今の話をした、一連の首謀者。それは……」
ごくり、とミナカの息を呑む音が響いた。同時にフォーも、そっと瞼を閉じる。
そして────彼は、その名を告げた。
「マーレ聖教会教皇──ユーヴェン・セラス・ロンゴメリド、その人です」
次回の更新は3月20日の21時を予定しています。
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