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アガスティア  作者: 常若
第二章 青の勇者
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第四話 灰祷‐①




『人は何故記憶を忘失するのだろうか。


 人には何故記憶の忘失が備わっているのか。


 それは神が与えたもうた、人類に宿りし進化の道標。


 跪き、嘆き、忘れ、そして立ち上がり、歩み出す。


 忘失の先に幸福があり、焼却の先に栄華がある。


 忘れることを恐れず進み続け、人の理の中で考え続けよ。


 その先には必ず、己が望む路が切り拓かれていることだろう。



                預言者マーレ 忘却の記』





 翌日。鳥獣の(さえず)りが鳴り渡る陽だまりのレイオラ──マーレ聖教会騎士団水都支部にて、耳を(つんざ)くような溌剌とした少女の声が轟いていた。


「な、な、な……なんですってぇえええええっ!?!?!?」


 無論、彼女も意味もなく声を荒げているわけではない。護衛対象のミナカが姿を眩ませてから数日。水都では彼女の出奔(しゅっぽん)は諸事情の帰郷と公表され、民の生活は平穏な日常へと戻っていた。


 そして今後の任務について、臨時特務隊室に集まった特務隊の面々だったが──そこには隊長の姿が見えずにいた。終いに同僚の隊員から告げられたのは、その隊長が水都を飛び出したという理解し難い報告だった。


「ちょっとそんな、特務はどうするのよっ!? ミナカ様だって連れ戻さなきゃいけないんでしょっ!?」


「あはは……わたしも同じことを聞いたんだけど、はぐらかされちゃって……」


「そんであのオッサンは水都を出てどっかに行っちゃったわけっ!?」


 怒りを滲ませた足取りで、室内を右往左往するミオメル。その少し離れたところでは、チルメリアも頬を膨らませていた。先日のカムテュスタ公の令嬢の一件では姿を見せていなかった彼女だが……二人の失望に同調するように肩を竦ませる。


「む……無責任な上に気まま」


「う、うん……それでね? 手紙を出すから、届き次第わたしたちはリサーナちゃんを連れてキューレパスカに来てくれって……」


「キューレパスカ……って娯楽都市じゃない! 遊びにでも行くつもり? 一体何考えてんのよ、あのバカッ!!! ウルハもウルハよっ! もっとちゃんと止めないさいよ!」


「ううっ……ごめん……」


 詰め寄られてすっかり萎れてしまったウルハの様子を見て、ミオメルはふと我に返った。これではただの八つ当たりだと、自戒するように彼女は両頬を軽く叩く。


 その時、特務隊室の扉が静かに開いた。入ってきたのは先日合流した隊員──リサーナだった。新調した団服を纏う彼女は、どこか張り詰めた空気を感じ取りながら室内に足を踏み入れる。


「騒がしいわね、何かあったのかしら?」


「あっリサーナちゃん……!」


「良いところに来たわね。あの馬鹿……オイゲンが水都を飛び出してどっか行っちゃったのよっ! 便りが届き次第あんたを連れてキューレパスカに来いって言い残してねっ! まったくこんな時に何考えてんのよっ!」


「ミ、ミオちゃん、落ち着いて……」


「なんですってぇ~! これが落ち着いていられるもんですかっ!」


 苛立ちを募らせたミオメルはウルハの頭を拳骨で押さえつけると、その(かたわ)らではリサーナが僅かに顔を(しか)める。本来であれば彼女は主人の後をすぐに追うつもりでいたが……この状況ではそれも難しくなってしまったと、小さく息を吐く。


「キューレパスカ、ね。水都からだと勇者ミナカの故郷の方角と一致するわ。偶然かしら……」


「あれ、リサーナ……戻ってきたんだ」


 ひょっこりとリサーナの隣に立ち、チルメリアは彼女を見上げる。二人がこうして顔を合わせるのは、実に久しぶりのことだった。


 だがリサーナの方は視線を合わせることができない。どこか気まずげに目を逸らし……彼女にはチルメリアに向ける顔がなかった。


「チルメリアさん……久しぶりね。戻ってきた……まぁそういうことになるわね」


「む……カイナはいないの?」


「ええっと、彼は……」


 どう返したものか──逡巡するリサーナは言葉を探しあぐね、曖昧に言葉を濁す。彼女の様子をチルメリアは不思議そうに首を傾げていると……見かねたミオメルが大きく溜息を吐き、助け船を出した。


「あいつは引き続きアルメインを探すと言って出て行ったわ。好き勝手動いて協調性のカケラもないけど……まっ、あたしたちも今は手持ち無沙汰だし仕方ないわ」


「そっか……アルを……アル……待っててね、私も……」


 励ますために嘘で上塗りをするが、チルメリアの零した言葉に二人は渋面を作る。


 葬儀を終えて尚、チルメリアは希望を……願望を、捨てていない。


 そこに変わらない現実が待っていると知りながら────リサーナは未だ真実を、彼女には告げられずにいた。






 間を置いて──騎士団支部を離れたミオメルは、昼空の下で水都の街並みを歩いていた。巡礼祭の熱狂から数日。商いに精を出す者、幸せを謳歌する恋人たち、戯れに踊る童子、静かな余生に寄り添い合う夫婦。いつもの水都の営みが戻った通りを眺めながら、彼女は想う。


 此度のオイゲンの独断専行に水都での一件。アルメインの葬儀から、自身の心はずっと遠い場所にあるように感じている。加えて。リサーナから告げられた言葉に感情は翻弄され、思考は掻き乱されてしまった。


 地に足を着けることがこんなにも難しいなんて────そう、ミオメルは自身の影を見詰める。


「はぁ……もう何が何だか……」


 カイナの出自、リサーナの胸中、アルメインの正体、そして彼女が語った、マーレ聖教会の奸計。


 総てが真実だとは思わない。思いたくない。だが同時に総てが偽りでもないのだろうと……ミオメルは、そっと睫毛を伏せた。


「そんなの……そんなの……いきなり受け止められる訳がない……」


 思えば、ほんの僅かな間だった。それでも彼は、隊員として共に歩み、心を許せた相手だった。自分の想いも、友の願いも──迷わず託せると思えた相手。その彼が……勇者ではなかった。


 けど。そんなのは関係ない。彼は本気で救済を成し遂げようとしていた。絵空事だと言われても、不可能だと嘲笑されても。……あたしも、かつてはそう思っていた。


 でも。彼の心を見た。彼という人を知った。勇者なんて関係ない。アルメインという人間を、あたしは信じていた。涙を見せた。願いを……語った。


「カイナ……本当に……アルメインを殺める必要があったの……あいつなら、きっと……」


 あんたの想いも受け止めてくれたはず。と、簡単には口にできるものではないが────それでも。


 アルメイン・コーレルムという背に憧憬を抱いたあたしは。彼を信じたんだ。カイナが抱いた闇も、アルメインなら照らせたはずだった。(たと)えどれだけ深い闇でも……彼ならきっと。


「アルメイン……あたしは正義を貫くわ。自分の目で見極めて、正すから。それが聖教でも、カイナでも。あたしは止めてみせるから。だから……」


 誓った言葉を──握り締めるように。丸めた拳を胸に当て、彼女は空を見上げた。


「だから、あたしが間違わないように。間違えないように。見守っててよね」



次回の更新は3月17日の21時を予定しています。


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