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アガスティア  作者: 常若
第二章 青の勇者
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第三話 在処‐②

 

 夜を駆ける、二人の男女。彼らは今だけは仮初(かりそめ)の姿を纏い、娯楽都市で偽りのひと時を過ごていた。


 数々の逸話や創作劇を題とし、祈術を用いた演劇に音楽劇。調教師が育てた狐獣(こじゅう)ルナールが場内を駆け巡り、最優秀ペアを決める競走技”ステークス”。キューレパスカの前方に広がる海を眺望し、絶景と食事を堪能できる天空の回廊塔(かいろうとう)


 そして預言者マーレが遺したと言われる虹の大結晶のオブジェは、恋人たちの聖地としてもレムナシアの人々に刻まれていた。


「ルクスくん。付いてきてくれてありがとね」


「気紛れだ」


「それでも……わたし、楽しかったから」


「……そうか」


 隣り合って満天を見上げれば。そこには無限に広がる星々の輝きがあった。


 ルクスはいつか見た聖都での夜空を思い起こす。()も、彼女も。勇者である以前に一人の人間だった。────それでも。


「そろそろ宿に戻ろう。明日は早めに出立する」


「うん……!」


 この問いの答えに正解があるのだとしたら、きっと俺は誤った(みち)を進んでいるのだろうと。


 本当の敵は彼女ではないと理解しながら、後戻りできない路を。それでも彼は、只管(ひたすら)に────。


 


 




 暗く深い記憶の海の底。眠りの中で蘇るそれは、いつかの安寧。


「かあさま、またとうさまと喧嘩をされてましたか?」


「まぁ、聞こえていたの? ふふっ。でも大丈夫、喧嘩するほど仲が良いのよ」


「とうさまはなぜ……かあさまに優しくしないのですか?」


「少し違うわね。優しいのよ彼は。優しいから、厳しくしているの。それは貴方にも同じですよ、ルクス」


 母と父の馴れ初めは縁談という名の政略結婚だったという。だが二人の出会いがどうであれ、それは本物の愛へと変わっていった。まだ幼き自身には、理解の及ばない話だった。


「……? よく、わかりません……」


「ふふっ。そうねぇ……ルクス。女の子には優しくしてあげなさい。貴方のお父様はとても優しい男の子だったのよ」


「……僕はまだ、近い年の子供と話したことがありません。話し方も……わかりません」


 ()ねたように愚図(ぐず)る俺の頭を、母は優しく撫でる。その感触はもう、今となっては思い出すことはできない。


「ルクス……。ごめんなさいね、でもきっと……優しい貴方ならすぐ打ち解けられるはず。きっとその時は、みんなが貴方に心を開いてくれますよ」


 今に思えば、同じ年頃の子供など会わせるはずもなかった。皇子の存在が俗世に伝播(でんぱ)してしまえば、悲劇を呼びかねない。今の俺も、こうして生きてはいないだろう。


 だが……厳しさとは、優しさなのだろうか。優しさとは、厳しさなのだろうか。


 俺は母の言葉の真意を、(いま)だに汲み取ることができずにいた。



 

 夜半過ぎ。久方振りに母の夢を見て、はっとルクスは目を覚ました。辺りは暗闇に沈み、時の移ろいを示すものは一つとしてない。妙に目が冴えてしまったのか、再び寝具に潜れど、眠りは訪れなかった。


 しばし浅き眠りと格闘をしていると────その時。不意を衝くように、その声は届いた。


『いやぁぁぁぁあああああっ! いや……いやぁあああああああああっ!』


 隣室から上がった悲鳴に、ルクスは跳ね起きる。聞き違える筈もない。その声は……自身のよく知る()()のものだ。


 慌ただしく部屋を飛び出し、戸を開けて彼女のもとへ駆け寄る。視界に飛び込んできたのは、多量の発汗に酷く衰弱(すいじゃく)したミナカの姿だった。脅威に映るものはなく、ただ彼女一人が寝具の上で怯えている。


「おいっ! 大丈夫か……!」


「はぁ……はぁ……!」


「おいっ! しっかりしろっ! 何があった!?」


 息は詰まり、瞳孔は忙しなく揺れ動く。明らかに錯乱(さくらん)の様相を(てい)していた。ルクスが必死に呼び掛けるも、彼女の心は此処(ここ)にあらず──悲鳴を帯びた息遣いだけが返ってくる。


「くそ……しっかりしてくれ……! もう大丈夫だ、何もない……!」


 ルクスは咄嗟(とっさ)に両腕を彼女の背中へ回し、宥めるように撫で擦った。優しく──温もりの(こも)った(てのひら)で。


 すると微かに彼女の身体が反応を見せ……ミナカは少しずつ平静さを取り戻していく。


 やがて。(すが)るように自身の手を、ルクスの肩へと添えた。


「あ…………あ……。ルクスくん……ごめんね……ありがとう……」


「……何があった」


「わからない……わからないの。突然暗くなって、怖くなって、自分が自分じゃなくなるみたいで……」


「まさか……蛇神の祟りなのか」


 蛇神の祟り。未だ無作為に罹るその症状と、彼女の憔悴は酷似していた。だが意識が底に落ちる寸前で引き留められたことに安堵する。それは彼女が勇者であるが故だろうか……今はまだ分からない。


「わからない……でも、もう……大丈夫だよ。ごめんね、心配かけさせて」


「乗りかかった船……いや、違うな。アンタがいないと俺も困る。いくらでもかければいい、そんなもの……」


「ルクスくん……。ふふっ、ちょっと今日の君、変だよ」


「………………」


 彼が仇敵に掛けるべき言葉にしては、己の口から出すとは思えない……柔らかなものだった。


 そして傷心が弱音を(もたら)すのか、恐怖が拠り所を求めるのか。悲壮な顔をした彼女が答えを求めて口を開く。


「ねぇ、あの時……水都で君の部屋に行った時、どうしてわたしと一緒に来てくれる道を選んだの?」


「それは……言ったはずだ。アンタから目を──」


「なら……。なら、あの時に首を斬り落とせば良かった。でも君はそうしなかった。どうして?」


 身体を包む布をぎゅっと握り締め……優しい笑みを湛え、悲しみを滲ませた眼差しで。


「どうして……わたしに優しくしてくれるの?」


「……ミナカ。アンタが……」


「……うん」


「アンタが……眩しく映ったからだ」


「わたしが……眩しい?」


 眩しい。そう──()()()も、()()()も。眩しかったんだ。復讐の血に塗れた俺に、理解を説こうとするその心が……。


 低く吐き出されたその言葉に、ミナカは目を見開く。そして彼は気恥ずかしさを隠すように立ち上がった。


「はぁ……性に合わないことを言ったな、忘れてくれ。俺は部屋に戻る。今夜は冷えそうだ」


「わ、わかった……」


「それと明日、念の為薬師に診てもらえ」


「うん。……ルクスくん」


「なんだ」


「おやすみなさい」


「ああ、おやすみ……」


 彼は振り返らず、そのまま部屋を後にする。ミナカはまだ目を丸くさせたままだったが、気付けばその頬は赤く染まっていた。


 自室に戻ったルクスは夜の明かりを映す窓に歩み寄り、外を覗く。そこに浮かぶ月は、刻限を告げるように輝いている。


 急がなければ……蛇神を討ち、この忌まわしい連鎖を断ち切るために。


 この()を、歩み続けるために────。


 





次回の更新は2月7日の21時を予定しています。


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