第二話 旅路‐⑫
翌朝──朝霜が残り動物たちが寝覚めの声を上げる、日が昇って間もない頃。ミナカに事情を伝えたルクスは、彼女を連れて教会を訪れていた。
その道すがら……視線を巡らせると、明け方にも関わらずエスカ村の人々は活発に農耕に励み、旅商人たちもまた忙しなく商いを始める姿が映っていた。
「お待ちしていました、ルクスさん。それから、ミナカ様」
「はじめまして、ローチェさん。お話は伺ってます」
「朝早くから悪い。あの男の様子はどうだ」
「いえ、構いません。立ち話も何ですから、どうぞこちらへ」
昨晩とは異なり、明るい陽が差した教会では数人が礼拝に訪れている。安寧を望む彼らの祈りは、神へと届いているのだろうか。そう目を伏せるルクスの傍らでは、ミナカも小さく祈りを捧げていた。
「帽子は深く被っていろ」
「う、うん……」
急くように病床の部屋へと足を進め、ローチェはゆっくりと扉を開ける。
部屋の寝台では、一人の男が穏やかな表情で眠りに就いていた。
「この人が、昨晩倒れた……サヴァノ・ホイルスさん……」
「ええ。ルクスさんが教会に背負ってきた時から、一度も目を覚ましていません」
「どう思う、ミナカ」
「そう、だね、蛇神の祟りに……似てると思う。水都で倒れた商人の人も、同じような顔で眠ってたから……」
激痛を訴えた後、症状が和らぎ──やがて平穏な眠りに就く。そして祟りに遭ったものに、未だその眠りから覚めた者はいないという。噂にしては具体性に富み……然し疑問視せざるを得なかった。
「……水都で罹患者が出たことはお聞きしていますが……ミナカ様、瘴気というのはそこまで影響が届くものなのでしょうか」
「わからない……でも、噂のように現に人が襲われてる。確かめに行って……真実なら、蛇神さまを止めなきゃ」
目に見えない流行り病を前に看過はできない。
今は罹患者を眠りから覚ますため、噂を頼りにヴィオラ村を目指す他なかった。
「ミナカ様……。やはり勇者と言うのは尊大な御方だ」
「昨晩話していた薬について俺の方で当たってみる。アンタも忙しいだろう」
「ああ……それでしたらもう済ませています。旅商人も当然祟りに効くような薬は無いと言っていましたが、熱や痛みが出た際にといくつかの薬草を頂きました」
仕事が早いな、とルクスが零した視線の先。
ホイルスが眠る寝台脇の卓上には、療養のために薬草や果実が置かれていた。
「ディーリア。……あなた方はどうか旅の優先を。ホイルスさんのことは私が面倒を見ておきます」
「そうか……助かる。……蛇神を倒したところで回復するかはわからないが、誰もいないよりはマシだろう」
「ええ、彼のことは私にお任せください。きっと主神リアスティーデ様のお導きで、彼もここへ運ばれてきたのでしょう」
「ディーリア。……ホイルスさん、敬虔な信徒のあなたにもどうかご加護がありますように」
「ミナカ様……ありがとうございます」
温かな笑みを交わす二人を前に、ルクスは想う。
聖教の人間にもホイルスのような人間もいる。いや、きっと大多数がそうなのだろう。
それを理解しているからこそ────その善性を利用している今の世界は、歪んでいるのだと。
「それから……これは個人的な頼みだ。都合が悪ければ無視してくれ」
「……? なんでしょうか?」
「エスカ村の街道から東へセクトルで2刻ほどのところに、孤児院がある。名はパナケア園……知人の男が独り子供たちの面倒を見てるんだが、資金不足で困ってる。食料でも人手でも助けになるなら何でもいい、手を貸してやってくれ」
「なんと、お一人で……わかりました。私にできることであれば、まずは可能なところから支援をさせていただきます」
「ローチェさん……! ありがとうございますっ! 些細なことでも……それでもパナケア園は救われると思います」
「そうか……ありがとう」
久しぶりに。人の温かさに触れたルクスから溢れ出たのものは、ただ純粋な感謝だった。
そうして緩んだ涙腺には、僅かに雫を湛えていた。
「必ず、アンタの想いにも応えてみせる」
「蛇神さまのことはわたしたちに任せてください!」
「はい……お二人もどうか、お気を付けて」
ルクスとミナカは互いに感謝と願いを託すように、ローチェと固く握手を交わした。
そしてミナカは──ふと、並び立つルクスを見詰める。
穏やかな眼差しをする彼に。そんな彼が抱えた想いに。彼と言う人間の心に────少しだけ、触れた気がしていた。
出立を急ぐ二人は村の正門を出て、街道沿いに停泊させたアトロのもとへ向かう。エスカ村には短い滞在となったが──期せずして得た温もりと過ごしたひと時を、忘れることはないだろう。
ミナカは隣歩く青年にそっと身体を寄せ、覗き込むようにして彼の横顔を見上げる。
「お手柄だったね、ルクスくん」
「何の話だ?」
「ほらっ、ホイルスさん。一晩外にいたら悪化してたかもしれないし、戒獣に襲われてたかもしれないし!」
「俺はただ運んだだけだ。それに……」
振り返り、エスカ村を見渡す。ここに暮らす人々は総じて温厚で、相扶けることを厭わぬ心を持っていた。
厄介者だと疎まれながらもホイルスが排斥されることはなく、ローチェが彼の世話を進んで引き受けたことがその証左だ。この村は────この村の人々は、慈愛に満ちていた。
「……? それに?」
「一晩でどうにかなってしまうほど、この村に火種は蒔かれていない。俺がいなくとも、他の人が助けていた筈だ」
「それでも。ホイルスさんを助けたのは君だよ」
照れ隠しだろうか。彼女の言葉に、ルクスは静かに息を吐く。
僅かな時と微かな感触だったけれど、それでも────二人は以前より、互いに自然と心を開いていた。
「それから……パナケア園への支援のお願いも、ね?」
「…………気まぐれだ」
馴染んだ所作でアトロへと乗り込むと、ルクスは操舵輪に杖剣を差し込む。その口元には、柔らかい笑みが浮かんでいる。
忽ち翡翠の輝きが生みだされ────その軌跡を天に描くように、一隻の光は大空へと羽搏いて行った。
「かぁ〜まったく遠いのなんの……! おーい誰かいないのか? おーい!」
夕暮れに染まるエスカ村にて。ルクスとミナカが発った後──身の丈ほどもある木棺を背負った一人の女性が、教会を訪れていた。
「まったく、騒々しい……誰ですか、神聖な教会です。お静かにしなさ…………あ、あなたは……」
騒がしい物音に顔を顰めたローチェは教会の扉を押し開き、姿を見せる。
ひとつ説教でもくれてやろうかと思った、その刹那──目前に立つ人物を認め、彼は思わず目を見張った。
「お、なんだよいるじゃん! 聖書が足りなくなっちまってよ、ちょっとばかしわけてくれねぇか?」
粗暴な口調で話す女性。彼女も、自身と同様に祭服に身を包んでいた────。
次回の更新は2月1日の21時を予定しています。
物語の構成を整えるため、少しお時間をいただきます。
以降については、通常通り3日に1度の更新で投稿していきます。
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