第二話 旅路‐⑪
束の間の語らいは過ぎ去り、人々が床に就いた夜ノ刻。獰猛な獣すら寝静まる真夜中に、ルクスは寝返りを打ち──浅い眠りだったか、不意に目を覚ました。
身体を起こし、渇いた喉を潤そうと鞄に手を伸ばした、その時。微かに何かが耳を掠める。
「……? なんだ……」
『ぅ……ぁ……』
意識を研ぎ澄ませると、何処からか男の呻き声が届く。次に窓から外を窺えば──村の正門近くに人影が映り、その者は苦痛に襲われ両手で頭を抱えていた。
不審を覚えたルクスは部屋を飛び出し、急ぎ男性のもとへ足を動かす。宿は無論のことエスカ村全体が寝静まった、灯り一つとない暗闇を駆け──程なく、その男の姿を捉えた。
「おい……アンタ、大丈夫か?」
「ぐっ……ああ…………痛い……痛い……っ!」
エスカの村人だろうか。みすぼらしい恰好をした男は苦悶に歪んだ面差で胸を押さえ、その場に蹲っている。
「っ! ……おいっ! しっかりしろっ!」
「ぐぁああああああっ!…………あ……」
激しい痛みに耐えきれなかったのか、或いは意識が遠退いたのか。忽ち悲鳴は止み、男は気を失ってしまう。
その光景に、ルクスの脳裏に過ぎるは一つの既視感。──水都で目にした、蛇神の祟り。嫌な予感を振り払うように彼を背負うと、ルクスは急ぎ村の安置所へ向かった。
失神した男を担ぎ、夜の村道を進むこと屡々。正門とは対極に位置する安置所──教会に辿り着いたルクスは、切迫した表情のままその扉を強く叩いた。
「村の司祭はいるか。いなければ誰でもいい、出てくれ」
エスカ村の規模を鑑みてか簡素な礼拝施設として建てられた教会だったが、今はここを頼るしかない。やがて緩やかに扉が開かれると、祭服を纏った茶髪の聖職者が姿を現した。
「なんですか、この夜更けに」
「急患だ、村の薬師の場所を教えてくれ」
「……この村に薬師はいません。ひとまず、中へ」
夜更けの来訪に聖職者は渋面を見せていたが……ルクスの言葉と背に負った男の姿を認めた途端、表情を一変させる。
目を丸くさせた彼は踵を返すと、急くように教会の中へと招き入れた。
聖職者に導かれるまま蝋が揺れる廊下を渡り、教会の一室へと赴く。病床だろうか、設けられた寝台に気を失った男を寝かせ、身体を冷やさないように布を掛ける。
忽ち先刻のような辛苦の様相は波を引き、男の容態は穏やかな寝息と共に和らいでいった。
「今は眠っているようですが……目を覚ます気配はありません。明日、旅商人の方を訪ねてみましょう。薬を持っているかもしれません」
「助かった。……この男に見覚えは?」
「……彼はこの村の住人です。名はサヴァノ・ホイルス……正直に申しますと、少々厄介者ではありました」
「厄介者?」
村の厄介者。男が口にした言葉にルクスは思わず眉を顰め、怪訝な面持ちで聞き返す。
「はい。……元々気性の荒い人だったのですが、妻子を失ってからは一層暴力的になり……酒場での惹起も茶飯事でした」
「自暴自棄か。妻子を失ったというのは? 死別か?」
「いいえ。愛想を尽かされて夜逃げされたと聞いています」
曰く、ホイルスは職を失い一家でこの村に移住してきたらしい。
彼は働かずに清酒に溺れる日々を過ごし、妻子に手を上げることも少なくはなかったという。
「情けない話だな。帰ってくる者もいない訳だ」
「ええ……そうですね」
ルクスはホイルスを見遣る。浅い眠りについているようで、然し目覚める気配が一向にない。
────やはり、水都で見た光景と同じだった。
「ホイルスの身に起きたのは、恐らく蛇神の祟りだ。これまで同じような症状が出た者はいたか?」
「いいえ、この村ではホイルスさんがはじめてですが……蛇神と言うのは? あのセルナ山の?」
「アンタも知っているのか」
「耳にした程度です。旅商人の方々が口にしておりましたので……まさか祟りが本当だったとは」
男は右手で顎を触りながら、暫し思案に耽る。噂で耳にした程度で直に見るのは初めてだと言う彼だが……平静さを失ってはいなかった。聖職者と言う肩書は、どうやら伊達ではないらしい。
「……そうか。水都でもホイルスと同じような失神が相次いで起きた。とある商人によると、原因はそのセルナ山に眠る蛇神とやらが、戒獣と化して発している瘴気だと言っていた」
「しかし……戒獣化に……それに瘴気ですか。ヴィオラ村の民は無事なのでしょうか……」
ヴィオラ村。ミナカが故郷だと語っていた村で、旅の目的地でもある。
祟りは既にエスカ村まで及んでいる。ともすれば……蛇神の傍で暮らす彼らの安否は、尚闇の中にあった。
「さあな。商人もどこか錯乱していたが……。話を戻すが、祟りだとすればこの男もしばらく目を覚ますことはないだろう」
「そうですか……しかし守り神たる蛇神が戒獣化とは……どうにも何かよくない予兆のように感じてしまいますね」
聖職者は目を伏せる。不安や焦燥……勇者の死をはじめ、何かが崩れ始めていると、そう思わざるを得なかった。
「……聞き忘れていたな。アンタ、名前は?」
「エスカ村の司祭をしているローチェと言います。あなたは?」
どう返したものか、ルクスは僅かに黙考する。端的に名だけを告げることもできたが、ミナカのこともある。ここは素直に打ち明け、彼女と共に改めて訪ねる方が賢明だろう。
「……ミナカ・アイリーンの護衛をしてるルクスだ。明日の朝、彼女と一緒にまたここへ来る」
「なんと、勇者ミナカ様の……そうでしたか。わかりました、ルクスさん。……ディーリア。また明日、お待ちしております」
ミナカの名にローチェが声を大きくすることはなかったが、流石の彼もその目に走る驚愕は隠し切れていなかった。
宿に戻る間際、ルクスはホイルスを一瞥する。呻き声を発していた時の苦悶は影を潜め、彼は静かな眠りに就いていた。まるで一切の不安から解放されたように──平穏だけが、そこにあった。
次回の更新は1月23日の21時を予定しています。
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