第二話 旅路‐⑧
バベルの七騎士。それは現マーレ聖教会騎士団における最高位の称号であり、聖都ニルヴァーナに聳え立つ預言の塔を守護する、選ばれし七人の聖教騎士に与えられる勲章。名声と実力を併せ持つ彼らに、畏敬の念を抱かぬ者はいない。
そして、その七騎士が一人──降り立ったオイゲンは双方へ視線を巡らせると、カレーナへ向き直った。
「あちゃちゃぁ~……穏便に済ませたかったんだけど、勢い余って凄い音立てちゃったな~……」
「エ、エルゴ卿……!」
「お嬢様。……ここは私が」
団服の汚れを叩くオイゲンに、たじろぐカレーナ。忽ち彼女を庇う形で、シュダインが歩み出る。
だが……彼が如何に優れた執事であろうとも。オイゲンの威圧感の前では、震えを滲ませずにはいられなかった。
「少し前から様子を見させてもらってたんだけど、うちのミオメルくんが言ったことは本当だよ。お二人さんが狙う彼女……リサーナくんはフルズブルグ隊の隊員さ」
「フルズブルグ隊……再編成された特務隊ですか」
「へぇ、耳聡いね。まぁそういうことでさ、騎士団にもいろいろあるわけ。……とりあえず矛は納めて貰えるかな? この言葉の意味、聡い君ならわかると思うけど」
綻んだ口元とは裏腹に、鋭い炯眼を散らすオイゲン。決してただの脅しではない。先ほど地を穿った光雷──それを次はお前たちに向けて放つのだと。
彼の意思が、言葉よりも雄弁に示されていた。
「リサーナと言う貴方の隊員は、勇者ミナカに手を貸し、不法出港をしていた。……これも貴方の命令ですか」
「ん? ……ああ、そうだよ。僕が彼女に命令したんだ。特務として、ね」
「そんな勝手、たとえ貴方でも許されるはずが……!」
「おいおい、二度も言わせないでよ。水都の街を壊したくないんだ」
飄々とした表情は崩さぬまま──然し三度目はないと、強めた語気が突き刺さる。
恐怖に諦観し、面差を固くするシュダインは後退り……瞳を瞑った。
「くっ…………お嬢様」
「そうですわね。ええ、こうなった以上は……仕方ありませんわ。ここは退きますわよ、シュダイン」
「いやぁ~話が早くて助かるね~! さすがはヒュレッセン卿の御息女だ。お父様にも、よろしく!」
にこやかな笑顔を浮かべるオイゲンに、何がよろしくだと──カレーナは唇を噛み締める。彼女がこの体たらくを、父に伝えられるはずも無かった。
二人が立ち去る間際……シュダインがリサーナの前で足を止める。彼の唇は、まだ震えを帯びたままだった。
「……一つ聞かせてください。聖教騎士だと……特務だと初めから貴女が明かせば、ある程度の事は済みました。それをしなかったのは、何故です?」
そして────彼女は蠱惑な笑みと共に。彼にだけに届く小さな声で、そっと告げた。
「そうね。私……あなたが思ってる通り、悪い女だもの」
暫しの間を置いて──夕暮れが差し掛かり、橙色が水都を包み込む。フルズブルグ隊は神妙な面持ちで彼らを見送った後、当初の目的へ話題を移していた。
彼女の行動──先のシュダインの言葉。オイゲンは気の抜けた口笛を吹き、ウルハは慎重に言葉を選んでいる。そんな空気の中……最早隠し立ては無意味だと悟ったリサーナへ、ミオメルが水を向ける。
投げ掛けられた問いは当然……事の経緯、その仔細についてだった。
「それで? ちゃんと説明してくれるんでしょうね?」
「ええ。……約束は守るわ」
「なら、場所を移すわよ。ウルハ、アンタも来なさい」
「う、うん、わかった……!」
「あれ? あれれ? 助けてあげたの、僕っちなんだけど……」
「ほんと助かったわ、もうゆっくり休んでいいわよ、オジサン」
「ミオメルくん、その言葉は……刺さるなぁ……トホホ……」
項垂れるオイゲンを、何か気掛かりでもあるように一瞥するリサーナだったが……程なくミオメルの後に続く。
遅れてウーコも踏み出しかけるも────次の瞬間、その足は不意に止まった。
「あっ……リサーナちゃん、ミオちゃん。ごめん、用事思い出しちゃったから、私は後から聞くね」
「……? いいけど、用事って何よ?」
「うん……ちょっとね」
「ミオメルさん、行きましょう。私もあまり時間がないの。……彼を追わないと」
「……わかったわよ。まったく、煮えらないわね」
「えへへ……ごめんね?」
リサーナのことはミオメルに任せておけば大丈夫だろうと──そう立ち去る二人を見届けた、その後。
力が抜けたようにオイゲンが芝生へ尻餅をつくと、ウルハは緊張の混じった声音で呼び掛ける。
「オ、オイゲン隊長……!」
隊長の顔を怖ず怖ずと覗き込む彼女に、彼は黄昏の漂う空を見上げている。
「ん~……? 用事はどうしたのさ~ウルハくん」
「そ、その……た、助けていただきありがとうございました」
そう深々と頭を下げるウルハに、オイゲンはぐにゃりと笑みを崩す。
続いて軽やかに立ち上がり、尋常ではない速さでウルハの周囲を歩き始めた。
「ぐふふ……なんだよい、そういうことかぁ~! いやぁ~! 部下からお礼を言われるのは嬉しいねぇ!」
「え、えへへ……ミオちゃんもきっと、感謝してると思います」
ウルハが柔らかい笑顔を向けると、オイゲンはむっとした表情で怪訝そうに振る舞ってみせる。
だが瞳は弧を描いており、口元の笑みだけは隠しきれていなかった。
「ホントにぃ〜? でもミオメルくん、僕に厳しいからなぁ〜ぐふふっ!」
「普段はツンケンしてますけど……礼儀正しい子なんです、ミオちゃん」
「……そうかい。ま、万事解決愉快痛快で結構結構だっ!」
周囲を彷徨きながら両手を上げ、喜色を露わにするオイゲン。そんな彼に、ウルハはもう一つ尋ねた。
そして──問われた彼は。彼女の言葉に、僅かに頬を強張らせる。
「でも…………オイゲン隊長、本当は最初から私たちを尾行していたんじゃないですか?」
「ムム……それは違うよウルハくん。最初から尾けていただなんてそんな……」
「最初からじゃなくて途中から、ですか?」
再び眉を顰めて、声音を一つ落とす。その一瞬、ウルハはじんわりと体温が下がる感覚を覚えた。
オイゲンの纏う雰囲気が────微かに別の色へと移ろう。
「そうそう、そうなんだよね。いやぁ鋭いなぁ〜」
「どうして……そんなことを?」
「…………聖教騎士だからだよ、ウルハくん」
「え…………?」
足を止め、鋭い眼差しでウルハを見据える彼に、先刻までの弛緩した表情はない。
「リサーナくんにカイナくん……彼らを警戒してるのさ。ミナカ様が失踪したことにも噛んでたんだ、尚更だね」
「そ、それは……」
「すぐに助太刀に入らなかったのはね、彼女がネタを零せばそれで結構と思っていたからさ。まぁ生憎とそれは叶わなかったが……こうやって貸を売りつけることもできたわけだ。いやぁ万歳万歳だね!」
「それが、聖教騎士だから、ですか……?」
「秩序の維持。それは一筋縄ではいかないって訳だよ」
押し黙る部下に、声音は変えず。しかしその口調は穏やかな上官のもので────。
「ウルハくん」
「は、はい…………」
「君は自分の信じられる道を進みなよ」
「…………今のオイゲン隊長は、違うんですか?」
当の本人は両手を頭の後ろで組むと、はたまた崩れるようにして芝生に背中を預ける。
そうして見上げる蒼穹は────今し方よりも更に濃い橙に染まっていた。
「んまぁ……少なくとも真っ直ぐじゃあないね。信じて、進んで、迷って、また信じる。……この繰り返しだ」
「…………」
「過ちや後悔に気付いたときにゃ、もう遅いこともある。けど、真っ直ぐに進み続ければ……それはきっと、後悔じゃなく成就が待ってるのさ」
「……そう、ですよね……そう思いたいです」
大きく欠伸をしながら、片目でチラリとウルハを一瞥するオイゲン。
神妙に語る彼を前に──この時の言葉だけは、彼の本心を垣間見た気がした。
「正解が見えてりゃ、悩みも消し飛ぶのにな」
ポツリと零した欠片は、反響することなく消え去っていく。
今もなお苦悩の種を抱えているかのように、目の前の少女へ同情するように。
そうしてウルハも面持ちを暗くしていると──忽ちオイゲンはパッと表情を明るくさせる。
「っと、それはそうとさ、ウルハくんっ! 僕ちゃんまだ三十ちょっとなんだけど。そんなにオジサンに見えるかな……」
「あ、あはは……言動はオジサンっぽいですけど、まだまだ若々しく見えます……!」
「おおっ!? 嬉しいねぇ……! まだ若々しいかぁ! オジサン、張り切っちゃおっかなぁ~っ!」
斯くて今日も、明日も。夕暮れに染まる、なだらかな水都に身を置きながら。
今を信じるオイゲン・フルズブルグと、信じられるものを探すウルハ・フールデイは──聖教騎士として、秩序の守護を担うのだった。
次回の更新は1月13日の21時を予定しています。
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