第一話 邂逅‐⑮
鳥獣の囀りと波音が風情を演出する、水都の湖。ヴィクスフォートから流れ出でた水上艇の上を、潮の香りを含んだ風が吹き抜けていく。その甲板には湖面の景色を一目でも拝もうと、大勢の乗客が集まっている。
そして、ミナカとルクスも──その流れに誘われるように、甲板へと足を運んでいた。
「わぁ~綺麗~っ! 風も気持ちいい~っ!」
並んで手摺に腕を添えながら、二人は遠ざかっていく水都を眺める。穏やかな晴天には、どこか安らぎすらも覚えていた。
「はぁ……抜け出しちゃったな、わたし。きっと聖教の人たち、怒っちゃうよね」
「当然だな。はっきり言って、アンタは奇行に走っているようにしか見えない」
「き、奇行って……失礼だよ、もう……。でも、きっと故郷に戻りたいってお願いしても、はねのけられちゃうから……これで良かったんだ」
自分の選んだ道は、きっと間違っていない──そう言い聞かせるように、ミナカは大きく背伸びをし、胸いっぱいに風を吸い込んだ。
「……ねぇ、りっちゃんとカイナくんはどういう関係なの?」
「なんだ、急に」
「ちょっと気になっただけ。ミオメルちゃんからは姉弟って聞いてたけど……なんか、違うように見えるから」
ふと横を向いたルクスの視界に、風を受けながら興味津々に目を輝かせるミナカが映る。
彼とリサーナの関係は、言葉にすれば主従が最も近いのだろう。しかし実際には、その枠に収まらない複雑さを含んでいる──少なくともルクスにとっての彼女は、単なる従者ではなかった。
「はぁ……生憎ただの主従関係だ」
「えぇ〜? なんだか怪しい……」
「なら、直接彼女に聞いてみろ。同じ言葉が返ってくるはずだ」
「……それはそれで、つまんない」
「ふっ……そうか。残念だったな」
『まもなくベイリード港、ベイリード港に到着いたします。この度はご乗船いただきありがとうございました。船長はトレイ・リヴァンが務めさせていただきました』
やがて伝声管を通して、船長の落ち着いた声が甲板に響く。
周囲の乗客たちは一斉にベイリード港の方角へと顔を向け、期待に胸を膨らませた様子で口々に言葉を交わし始めた。
「……でも、羨ましいな。わたしには……ぜったい信じられる! って言えるほど、信頼できる味方はいないから」
「意外だな。民も聖教も、アンタのことを信奉してる者たちばかりに見えるが」
「それは……勇者だって、色々あるんだよ。それに、そんな人が居たら君を頼ってないと思うし」
「……そうか」
「だから……よろしくね、カイナくん」
それは旅の始まりであり、同時に終わりへと向かう刻限でもあった。
討つ者と、討たれる者。決して相容れることのない二人が並び立つ──束の間の休演。
重く、低く鳴り渡る船の汽笛が空気を震わせ、吹き抜ける風と潮の香りが……どこか情緒を帯びた幕開けを、彩っていた。
ベイリード港へ渡った後、喧騒を抜けて歩くことしばらく。ルクスたちは、水都の周辺を囲う針葉樹林に入り、木陰木陰が深く覆う一角へと足を運んでいた。
静寂に包まれた空気に、密集した枯葉の先──程なく、移動の脚を泊めていた茂みに辿り着く。
「あらためて、一時休戦だね。二人で頑張ろうっ!」
「ああ。事が片付くまでは、力を貸す」
「うん、それでいいよ。わたしも……カイナくんのこと、頼りにしてるね」
「…………ルクス」
「え……? な、なに?」
「ここからはアンタを支え、旅を共にする者としての名だ」
「あ、あ~……そっか、偽名の方が色々と都合、良いもんね。ルクス……くん。ふふっ、なんだかしっくりくる名前だねっ!」
立場を隠すという意図を汲んで、ミナカはふっと微笑みを零す。
その偽名こそ彼の本当の名だと、彼女が知るのはまだ先の話か、或いは────。
「約束は守ってもらう。最後には、必ずだ」
「うん……わかってる」
柔らかな木漏れ日が差す、樹林内。枯葉の山に紛れ込ませていた擬装布を、ルクスが乾いた音を立てて引き払う。
そして──その下から姿を現したのは、一隻の小型飛行艇アトロ。孔雀緑に美しく輝くその船体に、にミナカは思わず目を丸くした。
「か、輝いてる……これが言ってた、小型艇のアトロ……だよね?」
「そうだ。……アンタは後ろに乗れ。操縦は俺がする」
ルクスは慣れた手つきで操縦席へと足早に乗り込み、軽く顎を使って後部座席を示す。
その合図に、ミナカはパチリと瞬きをすると──状況を飲み込んだのか、促されるまま飛行艇に身を預けた。
「操縦、できるんだ。カ……ルクスくん、意外と器用なんだね。てっきりりっちゃん任せだと思ってた」
「ふっ、安心しろ。死にはしない」
「えっ!? ちょ、ちょっと、怖いんですけど……っ!」
乗り込んだ彼女が操縦席の方へ身を乗り出すが、ルクスはそんな様子を意に介さず、淡々と離陸準備を進める。
彼は腰に差した杖剣を抜き取ると、そのまま舵輪の中央へと差し込んだ。刹那に神霊石へエナ注がれていき──駆動輪をはじめ、アトロの船体が翡翠色の光に包まれていく。
「きれい…………」
「座席にある棒を腰の位置まで下ろせ。安全装置だ、落下を防いでくれる」
「う、うん。わかった。……っと、ばっちり固定できたよっ!」
「よし。……行くぞ」
発現した風迅の祈術によって押し上げられ、アトロは軽やかに浮遊する。
木々の梢を越え、鮮やかな湖面を離れ……水都の遥か上空へと、徐々にその翼を伸ばしていく。
「待っててね……みんな……」
やがて船体が十全に高度を確保した頃、ルクスはそっと後部座席を一瞥する。そこには、故郷の危機に揺れる焦燥と決意を宿したミナカの眼差しがあった。
ルクスは前を向き、操舵に集中する。ここからだ。彼女への復讐は、ここから……。
次の瞬間、二人の想いを乗せたアトロは晴れ渡る蒼穹へ向かって一息に加速し、風を裂いて軌跡を描き出す。
斯くして──────ルクス・オルドバーンと勇者ミナカ・アイリーンの旅路は、始まりを迎えたのだった。
次話より、第二話へと物語は進んでいきます。
次回の更新は12月14日の21時を予定しています。
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