第一話 勇者‐⑤
数刻前────。本来であれば終着の聖都へ到着しているはずの一隻のセクトルが、サマル村を出航して僅か、航路半ばの林道にて停泊していた。
そのセクトルの客室で……恐怖と混乱を内包した、耳を劈くような叫声が響く。
「おいテメェらぁ! そこを動くんじゃねぇぞ!」
「どっどどっ、どどどどうしようミオちゃん!?」
「ちょっと落ち着いてウルハ! 騒いだら目を付けられるわ」
¨ミオちゃん¨と呼ばれた柚葉色の髪をした少女は、白を基調に青の精緻な刺繡が印象的な団服──聖教騎士の装いに身を包んでいた。
三つ編みにした前髪を可愛らしく耳にかけ、長い髪を左側頭部の高い位置で結び、束ねた毛先をふんわりと揺らしている。
頭髪と同じ柚葉色をした若葉のような純粋を宿した瞳で、もう一人の少女を諭していた。
¨ウルハ¨と呼ばれた少女も、同様に聖教騎士の団服を纏い、柚葉色の少女より小柄な体躯を震わせていた。
瑠璃色の髪を肩口まで伸ばし、微かに目にかかるような、眉の隠れる前髪をしている。
彼女の繊弱な青藍の瞳で見つめられれば、瞬く間に愛護精神を刺激されてしまうことだろう。
二人こそ、本日付でマーレ聖教会騎士団コーレルム特務隊に配属された──ミオメル・イルファンとウルハ・フールデイだった。
現在、彼女たちが搭乗していた聖都行きのセクトルは乗客に扮した賊による占拠に遭い、多くの人が客室に囚われている。
また、操縦士である男は賊の親玉と思しき人物に拘束され、首元には短剣を突き付けられていた。
「うぇぇぇぇぇぇえええんっ!」
「あああああああ! うるせええええ! 静かにしやがれ!」
感化された赤子の鳴き声が艦内に響き渡ると、賊の親玉の怒りは有頂天に達し、空を裂くように短剣を振り翳して怒号を上げる。
赤子を抱いた母親は、押し殺した声でただ切実に……愛する我が子を胸に抱き寄せていた。
「い、いい子、いい子だから……お願い……」
「チッ……おいガク! ラク! 乗客の手足を縛って口を塞いでおけ!」
「へ、へいっ! ダンダのおやびん!」
ガク、ラクと呼ばれた二人の手下が、鎖を手に行動に移る。親玉──濃紺の上着を羽織り、首筋に大きな痣を持つこの男の名前は、ダンダと言うらしい。
指示を受けた手下によって乗客が順々に拘束されていき、忽ちウルハとミオメルにも彼らの足音が近づいてくる。
やがて団服姿の二人を視認したガクは、慌ててダンダへ告げると、腰に携えた手斧を右手に構えた。
「お、おやびん……! こいつら聖教騎士ですぜ……!」
「はぁ……仕方ないわね。ウルハ、こうなったら抗戦するわ」
「ミ、ミオちゃん!?」
「おうおうおう何が聖教騎士だ! こいつがどうなってもいいのかぁ!? ああッ!?」
二人へ視線を向けたダンダが、捕虜となっている操縦士の首筋に短剣を押し当てた。
剣身が皮膚を掠め、滲んだ血がじんわりと浮かび上がる。そして表情を強張らせる彼女たちを見て、彼は歪んだ笑みを浮かべた。
隙を探り、期を見て賊を仕留める。差し迫った事態にミオメルはそう画策すると、ウルハを一瞥して視線を送る。
無論彼女に意図が伝わることはない。しかし、ウルハは彼女が何かを思案していると理解し──ミオメルにとっても、それだけで十分だった。
「おいガク、ラク! そいつらの頭をカチ割ってやれッ!」
「「へ、へい! おやびん……!」」
ガクと同様に手斧を構えたラクが、早足で二人に近づいてくる。息を潜める乗客には祈りを捧げる者や、涙を流す者が多くいた。もう──されるがままは、許されない。
鋭い剣幕をしたミオメルは素早く立ち上がると、ウルハに告げる。そこに……先刻までの緩んだ表情はなかった。
「ウルハ。もし乗客に危害が及びそうなら、頼んだわよ」
「う、うん……」
ウルハが彼女の背中を見据えて首肯する。そしてミオメルは加速する鼓動を宥めると、毅然と歩み出た。
「おいおいおい動くなといったよなぁ!? 次に動けば……こいつの命はねぇぞ!」
「ひいいいいいいいいッ!」
ダンダが操縦士に押し当てる短剣の力を強め、剣身から赤い雫が流れ落ちる。
その流血に、ミオメルは眉を顰めて問いかけた。
「……あんたのお目当てはセクトルじゃないの?」
「へっ、もちろんそうだ。あとは……へへっ、女だな」
舌で味わうような、品定めをする目で乗客の人々を見渡す。────その言葉が、その卑しい目が……彼女を激昂させた。
躊躇を捨てたミオメルは、堰を切ったように左の掌を前方へ翳し、祈術陣を展開する。
「……そう。なら……この怒りの矛は、直接ぶつけてあげるわっ! ────『ナテラッ!』」
彼女は激憤と共に地天の下階祈術を発現させ、微細な亀裂を持った尖鋭の岩槍を創り出した。
得物を両手で掴み取ると、慣れた手つきでくるりと手首の力を効かせ、岩槍を回転させる。
「ふんっ────!」
客室内の風を切り裂き乾いた音を響かせながら、ミオメルが岩槍を握り締めた──その刹那。賊の手下二人の頸部を、目にも止まらぬ速さで¨貫いた¨────。
彼女は瞬く間に地を蹴り客室を駆けると、ダンダの眼前へと猛追し、その首筋に矛先を添える。
「あら、どうしたの? 操縦士には手を掛けないのかしら」
「なっ……! なにっ……!」
一瞬の出来事に戦慄するダンダ。ミオメルは岩槍を突き付けながら束ねた髪を左手で払うと、至って単純なことをさながら審問官のように語り始めた。
「あんたはセクトルを奪うことが目的。で、ここからセクトルを移動させるなら神霊石に祈術を記憶させた操縦士が必要よね。なら……初めからあんたがその人を殺せるはずがないのよ」
図星を突かれたダンダは、苦虫を嚙み潰したような表情で舌打ちをする。
やがて苦境に追い込まれて自棄になったか、怒号と共に操縦士をミオメルへ突き飛ばし、左手を客席へ向けて翳す。
「チッ……めんどくせぇなあ! おいッ!」
「うわぁあああっ!」
「きゃっ……! ちょっと、なにすんのよっ……!」
ミオメルが慌てて操縦士を受け止めて視線を戻すと……ダンダはすでに、祈術陣を展開していた。
「あんま舐めてんじゃねぇぞッ! ──『ルシオォ!』」
「はっ……! しまっ……!」
鬱憤を晴らさんとダンダが雷降の下階祈術を発現させ、雷の球体を乗客へ向けて放つ。
閃光の迸る球体が一直線に飛翔する中、ミオメルは咄嗟に左手を翳して祈術陣を展開するが……阻止するには僅かに間に合わなかった。
そして球体が爆ぜる稲妻を拡散させ、雷鳴と共に轟雷の嵐を巻き起こす────その須臾に。彼女は祈りを捧げた。
「お願い、みんなを守る力を────『ラクリマ!』」
後方に控えたウルハが、氷海の下階祈術を発現させ──────ダンダ、ミオメルの二人と客席の間に巨大な氷壁を形成する。
心はただ一点に、守るための祈術を。
「っ……! そうか、もう一人……ッ!」
それは────¨氷結晶の防塞¨。閃光に照らされた彼女の想いは、六花が散るように輝いていた。
瞬く間に雷の球体と氷壁が衝突し、四方へ冷気の礫を放散させるが……球体は徐々にその勢いを減衰させていく。やがてその身で放つ稲妻が微弱なものへと変化していき……エナの粒子となって、霧散した。
その場に残ったのは静寂と──その亀裂がより美しさを修飾させる、堅牢な氷壁だった。
「ちゃ、ちゃんと守ったよ、ミオちゃん……」
一仕事を終えて、その安堵からかウルハはその場に尻餅をつく。あとは……友人に託すのみ。
そして氷壁の向こう側では、変わらずミオメルとダンダが対峙していた。
「さっすがウルハ……!」
「クッ……クソがあああああああああ!」
自身の策が水泡に帰したダンダは、怒りを露わに地団駄を踏む。息切れる彼は鋭い眼光を放つと、両手で短剣を握り締めた刺突の構えで、ミオメルへ突進を仕掛けた。
続けて胸部を目掛け直線状に切先を突き出すが……敢えなく彼女の巧みな槍捌きによって弾かれる。
宙に弧を描いた短剣が、乾いた金属音を伴って後方へ落下すると──ここに雌雄は決した。
「髭もじゃのおっさん……成敗よ!」
ミオメルは終いとして鳩尾に鋭い蹴りを見舞うと、ダンダは目を白くさせて昏倒する。
一瞬の静寂の後────客室は勝利の祝福と喝采で溢れ返り、その幕を閉じた。
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場所をセクトルの外──後部甲板の下へと移したミオメル。ダンダはその手足を縛られ、林道に晒されていた。背後に映る大破した船体は、とても動かせる状態ではない様子が伺える。
「さ、懺悔があるなら聞くわよ?」
「へっ、何が懺悔だ。凡くれの聖教騎士が偉そうにしやがって……!」
『ナテラ』
性懲りもなく悪態をつくダンダ目掛け、ミオメルは地天の下階祈術を発現する。林道を直線状に抉る巨岩の弾丸を放つと、僅かに彼の左側面を通って彼方へ消え去った。
右肩を掠めた一撃に、死に直面したダンダは尻餅をつき、全身から多量の冷汗を流し始める。
「あ……ああ……あ…ゆっ、許してくれ! 何でもする! 命だけはっ……!」
「あんた。そう言って希う人を何人殺したの?」
「待ってくれ……! 殺しをしたことはない! 本当だ! 頼む、信じてくれ……!」
必死の形相で訴えかけるダンダ。
だが、ミオメルは飄々とした涼しい顔に冷徹な瞳で見下ろし、岩槍を彼の首筋に添えた。
「嘘ね、あんたの手配書を見たことがあるわ。首筋に大きな痣のある……奴隷商のダンダ」
「ひ、ひぃっ……! わ、わかった、もうしない! 奴隷商からも足を洗う! だから命だけは……!」
「あんたを許す気は毛頭ないの。悪辣非道の人間は……あたしが制裁する」
「待ってくれ! 金、金かっ!? それならいくらでも……ああ……ああああああああ!」
首筋に添えた岩槍を大きく引き、刺突の構えを取る。右足を後方に動かして重心を低くさせ、力強く岩槍を突き出し──必殺の一撃でその命を、刈り取った。
やがて岩槍が役目を終えたかのようにエナの粒子となって霧散すると、ミオメルは頬に散った僅かな返り血を拭い取る。
「薄汚い硬貨を好むのは……薄汚い人間だけよ」
その瞳に映っていたのは──ただ、燃える怒りと正義心に他ならなかった。
一般的に、聖都へ出入する際には血統簿との照合による身分確認が行われますが、小規模の村では行われません。
ミオメルとウルハのいるセクトルに乗ってしまったことが、ダンダの運の尽きでした。
次回の更新も明日の21時を予定しています。