第一話 邂逅‐⑭
翌朝。秋風を裂いた陽光が差し込み……湖上に浮かぶ水都の周囲では、水面が煌めくように眩い反射を見せる晴天。
光に揺れるその街の、商業区の一角──日は昇りきっており、宿屋ポルタ・クエティスの前では既に支度を整えたルクスとリサーナが佇んでいた。
だが、二人の待ち人の影はどこにもない。約束した時間はとうに過ぎているが──ミナカはまだ、姿を見せていなかった。
「……逃げた、ということは考えたくないわね」
「さあな。奴の眼は真剣だった。これで決別となると、どうやら俺は人を見る眼がないらしい」
「そうね。それに……いずれはあなたが、手に掛ける相手よ」
「………………そうだな」
ミナカの想いは本物だろう……昨夜、透徹した彼女の瞳を見た時、ルクスはそう確信していた。きっと、逃げる選択は取らない。逃げることを、彼女自身が許さないはずだ。
だからこそ自分も応えねばならない。蛇神を討ち祟りを鎮め、彼女の願いを共に果たす。
そしてその先で────彼女とは対峙をしようと。そう、決めたのだ。
やがて……緩やかに朝は昼へと溶け変わっていく。二人の堪えていた焦りが、そろそろ形を成し始めた頃──不意に、弾むような声が風に乗って耳へ届いた。
顔を上げると、商業区の通りを駆けてくる影があった。町娘と見紛うほど簡素な変装に身を包み、大きなつばの帽子を深く被り、必死に両腕を振って走ってくる。
その姿は、勇者の威厳とは程遠い。ただ遅れてしまったことを慌てて取り繕おうとする、一人の少女そのものだった。
「ごめ〜んっ! それからお待たせ、カイナくん、リサーナちゃん……!」
「ようやくご到着か。随分と遅かったな」
「うっ……ほんとにごめんね、ちょっと大聖堂の人混みを避けるのが難しくて、時間掛かっちゃった……でもでも、準備はほら、バッチリっ!」
ミナカは笑顔を咲かせ額から汗を滴らせながら、背負い鞄を健気に掲げてみせる。鞄は万全な旅支度を示すように膨れ上がっており、どこか行楽に出るかのような陽気さすら漂っていた。
だが──彼女自身が、一番理解していた。
きっとこれが、最後の旅になる。だからこそ────。
「楽しそうだな、アンタ」
「はぁ……ともかく杞憂に終わってよかったわ」
「えへへ、そう見える? ……って、杞憂って?」
爛漫に笑うミナカを前に、湛えていた焦りはひと息で霧散した。
渦巻く霧は晴れ……安堵とも、苦笑いとも取れる表情に変わる。
「いいえ、こっちの話よ。それより……」
「ああ、急ごう。……アンタの姿が見えない、と騒ぎになる前にな」
「う、うんっ……そうだねっ! さぁ……ヴィオラへいざ出発っ!」
直後に陽気な声を弾ませ、軽快な足取りで歩き出しているミカがいた。とてもお忍びの旅とは思えない光景に、ルークとリサは同時に肩を竦める。
前途多難とは、きっとこういうことを言うのだろう──そう思いながら溜息をひとつ落とし、二人は歩き出していった。
ヴィクスフォート──水都一の人の往来を目にすることのできる、数々の水上艇やセクトルが停泊した広漠な水関港へ足を運ぶと、何やらミナカの表情は青褪めていた。敷き詰められた白煉瓦の上、俯く彼女にルクスが足を止める。
「……どうした」
「わたし……ここからだと、水都を出られないんだった……」
「出港記録で足が付く。いいえ、そもそも搭乗券を買う時点で聖教騎士を呼ばれるから……かしら。空路のセクトルを選択しても同じことね」
「うん……。その通りだよ。でも、他の方法で水都から出る手立てなんて……」
そう言って、ミナカは帽子のつばを深く押し下げた。セクトルにせよ水上艇にせよ、搭乗に際しての身分確認と出港記録は避けられない。祈術で水門を越えることも不可能ではないが──即座に聖教騎士が押し寄せることは、火を見るよりも明らかだ。
一方で彼女の述懐を聞いたルクスたちに、動揺の色はなく……想定内と言わんばかりに、彼女を見詰め返していた。
「なんだ、そんなことか」
「そ、そんなことって……出られないんだよ!?」
「安心してちょうだい。あなたの搭乗券は私が手配するわ。それを使って乗りなさい」
「え……? ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃあリサーナちゃんが乗れないよ……! それに、水都を出る時だって……!」
慌てふためくミナカとは対照的に、ルクスはふっと息をつき、リサーナは柔らかな笑みを零していた。
「ふふっ……私のことは良いのよ。初めからあなたたち二人で行ってもらうつもりだったの。私が水都を出る時は……そうね、ちょっとした伝手を頼ることにするわ」
「は、初めからっ!? それって……どういう……え……?」
「アトロ……俺たちが脚で使ってる小型の飛行艇は二人乗りだ。三人は乗せられない」
「え、ええっ……!?」
上擦ったその声は、彼女の心境を映し出す。自ら連れ出して欲しいと頼み込んだものの、想像すらしていなかった二人旅。彼女にとってそれは……不覚にも幼き頃に夢見た、少年少女の絵空事だった。
その横では覚悟を固めたルクスが、リサーナへ向き直る。これまで出会って以来、一度として彼女とは距離を置いたことがなかった。微かに不安の芽が擡げるが……そんな恥じるべき逡巡を、今更口にしてはいられない。
「リサーナ。例の患者の容体や、他に祟りに罹った人がいないか調べて欲しい。……終わり次第、ヴィオラへ向けて俺たちを追ってくれ」
「わかりました。……ルクス様、どうかご無事で」
「…………頼んだ」
罪悪感か、緊張か──肩を小刻みに震わせるミナカをよそに、ルクスとリサーナは迷いなく受付へ向かった。水都を訪れた際と同様に身分確認を済ませ、程なくして二枚の搭乗券を受け取ると、足早にミナカのもとへ戻る。
念のため、リサーナは周囲へ視線を巡らせながら、彼女へそっと搭乗券を差し出した。
「まぁ……これだけ人が多いと目につかないわね。はいこれ、あなたのよ」
「う、うん……ありがとう、リサーナちゃん……ううん、りっちゃん……!」
「ふふっ、なによ、それ」
感激のあまり、自然とリサーナを愛称で呼び始めるミナカ。その勢いに当の本人はくすぐったそうに笑い、肩を揺らした。
そんな穏やかな空気も束の間、出航を促す船員の声が港に響く。同時に、聖教騎士たちが慌ただしく港内を駆け回る気配が、潮の匂いと共に流れ込んできた。
予想より早い──いや、むしろ予想通りの追跡だ。ルクスはそう目を細め、水上艇へ足を向ける。
「談笑も良いが、故郷が心配なら急いだほうが良い。念を押すが、ここからは俺たち二人だ」
「わ、わかってるよ、もう。はぁ…………じゃ、行こう」
「行ってらっしゃい。二人とも」
「ああ、行ってくる」
名残惜しさを抱えながら……にこやかに手を振るリサーナと一時の別れを告げて、二人は桟橋へと歩みを進める。
梳いた湖面から立ち昇る、微かな水の香りが鼻先をくすぐった。そして浮き立つ緊張を鎮めるように……二人は水上艇へ身を預け、水都を旅立って行った。
次回の更新は12月11日の21時を予定しています。
☆皆さまからの評価やブックマーク、ご感想が執筆の大きな励みになります。少しでもお力添えいただけましたら幸いです。




