第一話 邂逅‐⑬
ミナカが一目散に駆け付けた先──宿屋に面した通りに、一人の男が倒れ込んでいた。その傍らではもう一人の男が膝を崩し、必死に声を掛けている。
格好からして商人だろうか……彼が悲鳴を上げたのだろう。ミナカは事態を察し、切迫した声で駆け寄った。
「大丈夫っ!? なにがあったのっ!?」
「ミ、ミナカ様!? どうしてここに……!?」
「声っ、聞こえたから! 状況は!?」
「あ、ああ……こ、こいつ急に倒れちまって……な、なんか変なんだよ……!」
「ぁ…………ぁ………」
臥した男の傍で腰を下ろし、ミナカはそっと脈と心音を確認する。男は微かに呻き声を漏らしているが……苦しんでいる様子はない。ただひとつ、虚ろな瞳だけが空を彷徨っていた。
見たこともない症状だ。だが、考えている猶予はない──程なく駆け付けたルクスたちに、ミナカは素早く指示を飛ばす。この場に敵味方は関係ない。彼を助けなければと。
「カイナくん、リサーナちゃん……! 救護班か薬師の人を……!」
「私が行くわ。きっと宿屋の店主ならこの辺りに詳しいはず……彼女を当たってみるわ」
「……アンタ、この男の知り合いか?」
「あ、ああ……二人で食事に行った帰りだったんだ。さっきまで会話をしていたら、こいつが急に倒れちまってよ……!」
「それから放心状態が続いてる、か。……食あたりの線は?」
「どうだろう……。でも、それとは違うように見えるよ」
男は尚も低く呻き続け、開かれた瞳の焦点は定まらず……何かを追うように宙を見つめている。
一瞥したルクスも、その様子に病の見当すらつかないと目を細めるばかりだった。
「そ、そういや、俺ぁ旅商人なんだがよ、今日立ち寄った村で変な噂話を聞いちまったんだ。……もしかしたら、それかもしれねぇ……いや、でも……!」
「その噂話というのはなんだ」
「あ、ああ……実はよ、ヴィオラって辺境の村奥にある、セルナ山に眠る蛇神の祟りが噂になってるってんだ……そんな祟り聞いたこともなかったが、症状が概ね一致してやがる……」
「蛇神の祟り、か。どうも与太話にしか聞こえないが」
「………………ヴィルコラの……」
ルクスがそっと何かを呟くミナカへ視線を移すと……隣立つ彼女の面差は、寒気に襲われたかのように強張っている。
何か言葉を掛けるべきか。そう迷っていると、チョウを連れたリサーナが駆け戻って来る。急に引っ張り出されたのだろう──チョウは肩を大きく上下させ、両手を膝について息を整えていた。
「宿屋の店主を呼んできたわ。近くの薬師を知ってるそうよ。あなた、脚が動くなら彼を運んでちょうだい」
「わかった……! 助かったぜ、恩に着る……!」
「はぁ……はぁ……うへぇ、キミたち、もしかして厄介事引きつける体質? ってミナカ様!?」
「あ、あはは……こんばんわ」
「なになに、キミたち、ミナカ様と知り合いな訳!?」
勇者ミナカの姿を前に興奮を隠せないチョウは、興味津々にリサーナとルクスを交互に見遣る。
しかし、急を要する今に説明している暇はない。一拍置いて、ルクスが話を進めた。
「はぁ……話が拗れる。取り敢えず今は協力してくれ」
「あれ、キミ、そんな感じだったっけ……まぁいいや、それじゃ知り合いの人、こっち来て。アイツの家狭いから、彼とアタシだけでいいわ」
「何か手伝えることがあれば、私たちも手伝うわ」
チョウの言葉に従い、旅商人の男が倒れた仲間を慎重に抱え上げる。
その横で、彼女はリサーナの申し出に笑みを浮かべ……しかし瞼を閉じて首を横に振った。
「宿を任せたいところだけど……キミたちは一応客なわけだし、部屋で休んでちょうだい。それではミナカ様……これにて失礼いたします」
「あ、待って……! 君の名前、聞かせてっ!」
「あ~……ええっと、私はチョウ……しがない宿屋の店主です」
「ありがとう、チョウさん……!」
薬師のもとへ先導して立ち去るチョウに、ミナカは短く礼を告げる。
最後に彼女はそっと右手を掲げて応え──斯くして三人は、チョウたちの姿が夜に消えるまで、その背を見送った。
その後──仕切り直すように宿へと戻った三人。蝋燭が淡く照らす部屋では、ルクスは寝具に、リサーナとミナカは椅子に腰を落ち着かせている。
時間を置いたためか、先刻までの緊迫した空気はなく……彼らの面差には、どこか疲れが垣間見えていた。
「……ごめん。カイナくん、やっぱりわたし、まだ死ねない」
不意に……沈黙を裂いたミナカが、焦りを滲ませて続ける。
「お願い……この一件が片付けば、わたしの命は好きにしていい。でも、蛇神の祟りを鎮めるのが先」
「やけに執着してるな。ただの噂話だろ」
「そ、それはそうかも知れない……でも……」
「でも、ね。何か引っ掛かることでもあるのかしら」
目を細め、彼女の様子に微かな異変を感じ取ったリサーナが、相槌を打つように水を向ける。
忽ちミナカは堪忍したように、深い息を吐いた。
「はぁ…………倒れた彼の身を案じてるのもホントだよ。でもね、実は噂の出処にあるヴィオラの村……そこはわたしの故郷なの。セルナ山の蛇神──ヴィルコラの祟りなんて話を聞いたら……」
なるほど────と二人は合点がいったように頷き、彼女の言葉を待つ。
言葉通り、目的は救命のためだが……それには故郷への憂慮もあるのだろう。
「待て。アンタは休暇を兼ねて故郷に戻っていたはずだ。噂の真偽もわかるんじゃないのか」
「確かに、ヴィオラには帰省してたよ。もちろん噂にあった話のようなことはなかった。…………でも、最後にいたのはひと月以上前なの。水都に来る途中に、巡礼であちこち行ってたから」
「……だから直近の事情は把握していない、というわけね」
ひと月以上────。祟りがいつ芽吹いたのかは、定かではい。
だが……故郷で生まれた噂が各地を巡り、ここ水都に届くまでの日数を考えれば、十分な時間と言えた。
「うん……それでね。その……実はわたし、これから聖都へ向かうことになってるの」
「知っている。だから、アンタの居場所を探っていたんだ」
「……そっか。でも……こんな噂を耳にしたら、故郷も放っておけない。だけど教皇聖下からの招集は断れない。なら…………」
「あなた、自分が何を言ってるのか……わかっているの?」
凡そ続く言葉を察したのだろう──リサーナが鋭い視線をミナカへ向ける。
そこに宿る意味に、ミナカも肩を揺らして狼狽えるが……それでも、譲りはしなかった。
「わかってる。……わかってるよ。それに、蛇神を倒した後も……その方がやりやすいでしょ? ……だから、わたしを連れ出して」
自身の命を狙う相手に、彼女は助けを求めていた。自由の効かない檻から救命に走るには、それしか方法がないと。それはつまり──合意のもとで行われる誘拐……或いは、逃避行。
そして……蛇神を討った、その後。言葉にしなくとも、三人は同じ結末を描いていた。
「…………仕方ない、手伝おう。それに、俺も……人の命を無下にはできない」
「カイナ……!」
「カイナくん……ありがとう」
ルクス長い沈黙を経て、彼女の頼みを受け入れる選択を取った。刹那に、敵であるミナカは感激したように両手を合わせ、無邪気な笑顔を見せる。
対照的に……あまり気乗りしないのか、傍らのリサーナは苦々しい面持ちで眉を顰めていた。
「だが、今から外を移動するのはまずい。今頃、大聖堂はアンタの姿が見えないと騒ぎになってるかもしれない」
「た……確かに、有り得るかも……。えへへ……実は抜け出したこと、連日しっかり怒られちゃったところなんだ」
「はぁ……だろうな。出立は明朝、日の出に合わせて部屋に来てくれ。……変装を忘れるな」
「うん……わかった」
「……本当に、それで良いの?」
「人を救うのに敵も味方もない。それに彼女が傍にいるのなら、聖都に行かれるよりはマシだ」
「………………それも、そうね……わかったわ」
あくまで目的は彼女の命を貰い受けること。水都での遂行は困難と考えていたところだ。加えて聖都に場所を移した後、彼女が滞在している間に好機が訪れることも、望み薄だろう。
────────ならばこそ。
「それじゃ、意見も一致したとこだし、わたしは帰るね。また明日! ……おやすみ、カイナくん、リサーナちゃんっ!」
彼女が部屋を去った後、扉越しに明るい声が響いてくる。
どうやら一階では、戻ってきたチョウとミナカが愉快にも言葉を交わしているようだった。
「私も部屋に戻るわ。……ルクス様、おやすみなさい」
「ああ……おやすみ、リサーナ」
斯くして二人が立ち去った部屋には、静寂が訪れる。ルクスはそのまま寝具に仰向けに倒れ込むと、変哲もない石の天井を見詰めて眠りに就く。
やがて……目まぐるしく廻る螺旋の中で、物語は動き出す。
これは──彼らが望む、未来へ進むための道標。
そして彼女が望む、明日を歩むための、道標だった────。
次回の更新は12月8日の21時を予定しています。
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