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アガスティア  作者: 常若
第二章 青の勇者
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第一話 邂逅‐⑩

 その後──大聖堂内を迂回(うかい)しつつ、辛くも逃げおおせたリサーナは、薄暗い居住区の通りを歩いていた。大聖堂を抜けた祈政区(きせいく)から宿屋へ戻るには、貴族区を抜けるのが最も早い。だが、そこは名の通り貴族のみが立ち入りを許される区画。結果的に居住区から遠回りを()いられ、人通りの少ない最短の裏通りを選んだ。


 冷える夜風が吹き抜ける中……リサーナは先刻のことを整理する。得られた情報は二つ。ひとつは、ミナカ・アイリーンが数日の間、大聖堂に滞在していること……もうひとつは、彼女が聖都へ向かうのは教皇の下知(げち)であること。


 教皇の策は読めないが──話は元より、聖都へ()つ前に彼女を討たなければならない。


 そうして次なる一手を模索(もさく)しながら歩みを進めていると……不意にリサーナの行く先から、芝居(しばい)()みた声が響いた。


()()な女性が足音を消して街を歩く……散歩でしょうか? それとも密会でしょうか。波すら立たない夜の水都に、貴女は何を求めるのですか?」


「…………誰」


 聞き覚えのない呼び声に、リサーナは反射的に身構える。やがて闇夜(やみよ)に小さく揺れる街灯の陰から、ゆっくりと姿を現したのは──男女の人影(ひとかげ)だった。


 その内の一人……黒の執事服に身を包んだ黒髪の男が、一歩前へと進み出る。そして影を()うような所作で仰々(ぎょうぎょう)しく一礼すると、夜空に輝く一番星(いちばんぼし)へとその右手を(かか)げる。


「私は一介の執事でございます。今宵(こよい)は月がよく見える日だ……素敵な出会いに、乾杯」


「この馬鹿シュダイン! 何を気持ちの悪いことを言っていますのっ!」


「こほん……失礼しました、お嬢様。野蛮(やばん)な賊かと思いきや、(うるわ)しい女性でしたので……」


「……聖教騎士……聖職者……そのどちらでもないといったところかしら。ただの礼拝の帰りよ、驚かせて申し訳なかったわね」


「あら……? この水都でわたくしをご存知のない人にお会いしたのは久しぶりですわね。あなた、お名前は?」


「急いでいるの……。人を待たせているから、ごめんなさい」


 (ことわ)りを入れて横を通り過ぎ、足早(あしばや)に去ろうとするリサーナの前に、その行く手を(はば)むように二人が立ち塞ぐ。


「礼拝……と(おっしゃ)いましたか。ですがお嬢さん……残念ながらここは、大聖堂主祭壇への巡礼路(じゅんれいろ)とは()()()()()()です」


「それは……」


「我々は先ほど、祈政区から怪しい人影が走り去るのを目撃しました。ここに控えていたのも、そのためです」


「……そう、それなら私も見たわ。貴族区へ入っていたように見えたけれど……」


 (ほほ)に汗が伝うリサーナの苦しい返答に──口角を上げたシュダインは、したり顔で(あご)()でた。


「貴族区ですか。……我々は、()()()()()からここへやってきたのです」


「っ…………!」


墓穴(ぼけつ)を掘りましたわね……シュダイン! わからせてさしあげなさいっ! このレディ・カレーナ・カムテュスタに()(ごと)(ごと)は通用しないことを。そして、お父様が如何(いか)尊大(そんだい)かを……っ!」


「はい、お嬢様」


 片割れの女性──カレーナ嬢は気品に満ちた豪奢(ごうしゃ)な青のドレスを(まと)い、月光の(もと)……丁寧に巻かれた金髪を威厳を示すように左手で払う。


 その主より命を受けた執事──シュダインがリサーナの前へ歩み出ると、粛然(しゅくぜん)と拳を構えた。主君の遊戯に付き従う彼だが……その表情は、どこかこの状況を楽しんでいるようにも映っている。


「待ちなさい。勝手に話を進めているけれど……あなたが一介の執事なら、私は一介の旅人よ。何の罪もない人に手をあげて許されると思うのかしら」


問答(もんどう)は無用……貴女は何かを隠している。祈りの鐘は(よこしま)なる心を吹き返す……事の仔細(しさい)は、捕らえた後で吐いていただきます」


「よく言いましたわ、シュダインっ……! さぁ…………やっておしまいっ!」


「はい────お嬢様──っ! 『()()()()ッ……!』」


 主の号令を受けたシュダインは強く石畳を蹴り上げると、(てのひら)を前方へ(かざ)して祈術陣を展開する。そして疾走により距離を詰める彼の周囲から、(あわ)い赤き光が溢れ出し──雄叫(おたけび)と共に、炎楼(えんろう)下階祈術(げかいきじゅつ)を発現させた。


「くっ──こんな所で戦闘だなんて、正気……っ!?」


 次の刹那──(うな)炎球(えんきゅう)が直線を描き、闇を裂いてリサーナへと襲い掛かる。無論、彼女とて黙ってやられるつもりも毛頭ない。だが……ここは居住区だ。無暗(むやみ)に事を荒立てれば不都合が生じるのはこちらだと、迫り来る熱波に後方へ跳躍して距離を取り、逃走の道筋を描く。


 その第一手として、背に(くく)り付けられた祈導書(きどうしょ)へと左手を伸ばす。そして装丁(そうてい)を払うように引き抜き──勢いよく開かれる頁へ、右手の指先からエナを流し込んだ。


 (こぼ)れ落ち、(きら)めくは────天色(あまいろ)の光。


「…………っ! 祈導書……!?」


「はぁ……一度、その考えなしの頭を冷してもらえないかしら……『ラクリモーサッ!』」


 聞く耳を持たない彼らに、リサーナは躊躇(ちゅうちょ)なく氷海(ひょうかい)の中階祈術を発現させる。彼女が(つく)り出した光は冷気となって周囲を満たし──伸ばした右腕の先より放たれた水流が、一直線に突き進み炎球を迎え撃つ。


 住居に被害が及ばぬ範囲での迎撃(げいげき)だったが──その一撃は火を()ち、炎球の核を消し去るには十分な威力だった。火炎と水流の衝突により、蒸気(じょうき)()ぜる轟音と共に衝撃波が走る。そして──勢いそのままに(ほとばし)る水流が、白煙(はくえん)を駆けて二人へと押し寄せた。


「これは……お嬢様ッ!」


「きゃっ……シュ、シュダイン……! きゃぁああああああああ!」


 シュダインは迫る奔流(ほんりゅう)逸早(いちはや)(とら)えるや否や、咄嗟(とっさ)にカレーナを(かば)うように抱き寄せて(うずくま)る。一瞬の静寂の後──氷水(ひょうすい)の奔流が背中を()し潰す勢いで二人を()み込み、彼らの身体は無慈悲にも後方へと弾き飛ばされた。


 それでも──彼は腕に抱えた主だけは傷つけまいと力を緩めず、痛みが鋭く走る全身で受け身を取る。そして体中を強く打ち付け、()てる水圧によって寒さに(むしば)まれようとも──彼は再び立ち上がった。


「お……お嬢様、お怪我はございませんか……」


「シュダイン……あ、ありがとう……」


「ぐっ……中々の威力……加えて祈導書の持ち主ともなれば、やはり只者(ただもの)ではないようですね」


「大人しく退()いて。……あなたたちに構っている暇はないの。それと言っておくけれど、私は昨日ミナカ様を一目見たくて水都に来ただけの旅人よ。入港名簿にも載っているわ」


 (もろ)くよろめき右腕を押さえるシュダインに、息を整え弁明を口にするリサーナ。嘘は言っていない……あくまでもミナカに会いに水都まで訪れたのだと。


 だが────一度切って捨てられた火蓋(ひぶた)を前に、その声は(むな)しくも届かない。シュダインは再び掌を翳し、祈術陣を展開する。


白々(しらじら)しいことを仰いますね……貴女を野放しにしてはいけないと、お嬢様の(かん)が告げているのです……!」


「そ、そうよ……やっておしまい、シュダイン!」


「あなたたち……っ!」


「ここで貴女を捕えれば、お嬢様は……っ! 『イグニートッ!』」


 淡い光が周囲に満ちていき──カレーナが号令と共に右手を高々と掲げ、シュダインは呼応するように炎楼の中階祈術を発現させた。赤く輝く陣より、不規則に踊る()を模した炎の(うず)が生み出され、夜風を焦がす炎蛇(えんじゃ)は標的を呑み込むように猛進する。


 対峙するリサーナは襲い来る火炎に(あき)れを(にじ)ませ、祈導書を握り直す。ここでの騒ぎが続けば、いずれ聖教騎士が駆けつけてくる。この場に長く留まり、戦いを続ける余裕はない。


 ()くて、祈導書より輝きが放たれ──その光に導かれるように、リサーナは右の掌をシュダインへ向ける。もう躊躇(ちゅうちょ)している場合ではない。瞳を(つむ)り……()()()()()を、ここに。この一撃で、終わらせる。


「くっ──話を……聞きなさい……! 『イグニートッ!』」


 爆炎烈火(ばくえんれっか)──眩い赤光(しゃっこう)が水都を(おお)い、荒れ狂う炎楼の奔流が中階祈術によって発現される。(つど)いしエナは一点に収束されていき……祈りを導く書物より出でし巨大な炎球が、裏通りを轟々(ごうごう)と照らし出した。


「はぁあああああああああああっ!」


 祈導書へ()()なくエナが注がれ──リサーナの(つむ)ぐ祈りによって放たれた炎球は、シュダインの炎蛇と正面から激突する。()()に、赤と赤が喰らい合うその姿は──炎衝(えんしょう)伯仲(はくちゅう)する二対の祈術によって、(おびただ)しい爆風が通りへと(とどろ)いた。


 ()()──その拮抗(きっこう)は一瞬にして瓦解(がかい)する。次の刹那に炎蛇は呆気(あっけ)なく掻き消され、リサーナの炎球は猛火を散らして二人へ襲い掛かった。


 同じ中階祈術──されどその威力は、()()()()()()()()()


「流石にこれは……っ! まずい、カレーナッ!」


「シュ、シュダイン!?」


 (あるじ)諸共(もろとも)、この身が炎球に呑まれる寸前に──シュダインは迷いなく彼女を抱き抱えると、力強く地を蹴り上げた。その跳躍は風を裂き、街路の夜空を翔ける。


 直後──二人がいた地点を炎球が貫き、凄絶(せいぜつ)な衝撃波を伴って爆ぜた。赤光を背に大きく距離を取って着地したシュダインは、腕に抱えたカレーナをそっと地面へ下ろすが……一方の彼女は多発した事象に思考が追いつかず、呆気に取られた面差(おもざし)をしている。


「申し訳ございません。……ご無事ですか、お嬢様」


「え、ええ……コホン。……ありがとう、大丈夫ですわ」


 身体を支え合う二人は即座に視線をリサーナへ戻す。しかしその時には(すで)に、彼女は退避に移っていた。


「悪いけど、遊びに付き合ってる暇はないのよ……『ナテラ!』」


 三度(みたび)、祈導書が淡い光を纏う。開かれる(ページ)へエナを注ぎ、リサーナは右の掌を二人へ翳す。()いで発現させるは、大地が鳴動(めいどう)する地天の祈術────互いを(へだ)て、屹立(きつりつ)する岩壁を創り出した。


 岩壁の陰にふっと笑みを零したリサーナが(きびす)を返し、主の待つもとへと踏み出しかけた──その時。


「ぐぬぬぬぬぬ……ッ! 逃がしませんわよ……ッ! シュダインッ!」


「はい、お嬢様……!」


 彼女を逃がしまいと、シュダインは右手に祈術陣を展開しながら疾走する。淡い赤の輝きが溢れ出し──そして眼前に立ちはだかる岩壁へ向けて、掌を翳した。


「まだ……付き合っていただきますよ……! 『イグニートッ!』」


 至近距離から放たれた灼炎が一瞬にして岩壁を穿つと、シュダインはすぐさまリサーナの後を追う。大地を力強く蹴り上げ、全速力で駆けた()()()()()────それは、思わぬ形で防がれることとなった。


()()()()()……『ラクリマッ!』」


 突如(とつじょ)シュダインの行く手に、一帯を(さえぎ)る巨大な氷壁が形成される。冷気を纏う六花が舞い散り……水都の夜に、降雪(こうせつ)が起きた。


 その氷壁にシュダインは足を止め、思わず立ち尽くす。そして寸前に耳にした声に、()()()()()の姿が()ぎっていた。


「なにっ……! いや、この声は……もしや……」


「君、早くこっちに来てっ!」


 一方、呼び声の届いたリサーナが振り向くと、そこには白の外套(がいとう)を纏った人物が立っていた。夜風に揺れる目深(まぶか)の外套に、その顔を確かめることができない。


 罠かもしれないが……しかし今は形振(まりふ)り構ってはいられない。彼女は差し伸べられた助け舟に従う選択を取ると、即座に駆けだした。


「シュ、シュダイン! 追いますわよ! そんな壁、さっさと溶かしておしまいっ!」


「……お言葉ですが、お嬢様。もう間に合わないかと」


「や、やってみないとわかりませんわッ!」


 後方より我に返ったカレーナが語気を強めて指示を出すが、シュダインは彼女へ振り返ると、短く首を横に振った。


 一蹴(いっしゅう)されたカレーナは言葉を詰まらせ……肩を落としたシュダインが、静かに彼女へ歩み寄る。


「はぁ……いいえ、お嬢様。今日のところは諦めましょう」


「な、なんでよっ……!」


「……彼女が何かを(くわだ)てているのなら、次の機会は必ず訪れます。それに……」


 彼の表情はどこか()()のように映り──そうして耳を打つように、介入した人物について小声で(ささや)く。

 

 ()くして告げられたその名にカレーナは目を見開き、驚愕(きょうがく)に息を呑んだ。


「な、なんですって……? ぐ、ぐぬぬぬぬ……フ、フンッ、仕方ありませんわね……。今日の所は退きますわよっ! けれど……あの女の咎は、必ずや白日(はくじつ)の下に(さら)して見せますわ……! お~っほっほ~!」


 彼女の言葉に、これはまた忙しくなりそうだとダインは苦笑いで溜息を吐く。


 惜しくも標的を逃したレーナの甲高い声音は、夜の聖都に留まるところを知らずに響き渡っていた。






次回の更新は11月29日の21時を予定しています。


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