第一話 邂逅‐⑤
背後から自身を呼ぶ声に耳を塞ぎ、ただ前へと進み続けたルクス。その一方で、彼女が追ってくることもないまま──やがて、待ち合わせ場所の噴水広場へと到着する。
噴き出される水飛沫が憩いを生み出し、差し込む陽の光が宙に虹を架ける。広場には友人同士、恋人に親子連れ、老夫婦など……老若男女問わず集う人々によって、和やかな声が絶えず響いていた。
「リサーナは……まだ来ていないか」
だが──その人波の中に、ルクスの待ち人であるリサーナの姿は見当たらない。
暫しの時間が流れた後。腰を落ち着けて待とうと、周囲に設けられた長椅子へ足を踏み出した──その時だった。
「お兄さん…………そこのお兄さん……陰鬱そうな表情の、お兄さん……」
ふと……視界の端にいる、顔が隠れる程につばの長い帽子を被り、奏器を携えた青年より声が掛かる。
ルクスが視線を向けると、忽ち彼は帽子を僅かに上げて微笑んだ。
「誰が陰鬱だ」
「失礼、ボクは吟遊詩人のアマギと言うんだ。一曲、いかがでしょうか」
「……いや、悪いが急いでいる。他をあたってくれ」
本当は急ぐ先も特にないが、と心の片隅で呟く。詩に興味がないわけではないが、今はあまり人と関りを持つことを避けたかった。
即答で断りを入れたルクスは、足早に立ち去ろうとしたが……その背中に、アマギから諫言を浴びる。
「おや、よろしいのですか? 少し前から、ここで誰かを待っているように見受けられますが」
「はぁ……目敏いな」
耳の痛い図星に、ルクスは思わず溜息を零して足を止める。彼が振り返った先では、アマギが変わらずにこやかな笑みを浮かべていた。
「よく言われます」
「……一曲だけだ」
「ありがとうございます。ではお兄さん、こちらへお座りください」
促されるまま傍の椅子に腰を下ろすと、アマギは柔和な笑みで弦奏器に手を添える。彼の指先が触れる奏器……ヴィトラと呼ばれるそれは、多くの吟遊詩人が生業を共にする定番の鳴り物。
異邦では竪琴と称されることもあり──透徹とした美しい旋律から、胸を湧き立たせる激情の旋律まで。使い手の想いを音へと変幻させ、自在に響かせることを得意とする弦奏器だった。
「これより奏でますは、ここではない異邦のお話……妖精と一人の男の話でございます」
アマギは瞼を伏せ……淡い鼻歌を奏でながら、軽やかにヴィトラを弾き始める。
溶け合う音色は、悲恋の旋律。喧騒に取り残された、どこか物悲しいまどろみの中で──彼は詩を紡ぐ。
『ここはとある星の静かな町 ある朝に妖精は恋に落ちた
妖精は彼と言葉を交わし 彼に快く力を貸すと 彼は喜んでくれた
しかし彼は人間だった 彼は人間の女性に恋をした 妖精は悪戯をしてしまった
彼は妖精に怒った 檻に閉じ込め 妖精から自由を奪った
檻の中で妖精が涙を流す 彼は気付いてしまった それは 世界の理
ある朝に妖精は恋に落ちた それは 終わりの始まりだった』
最後の一拍は包むように──アマギは静謐に、優しい指運びで終幕を飾った。
音が溶けていくのと同時に、弦から手を離した彼は微笑みながら瞼を開く。
「いかがだったでしょうか、お兄さん」
「異邦詩か? 聞いたことのない話だな」
「ご名答です、お兄さん。これはボクが作った異邦詩なんです。気に入っていただけましたか?」
吟遊詩人には、古より伝わる名詩を奏でる者もいれば、自身の紡いだ物語を奏でる者もいる。後者の詩が後世に残ることもあるが、それは指折り数えるほどの巡り合わせに過ぎない。
彼は名詩を生み出したいのだろうか──期待を込めた眼差しで感想を求める青年を無下にも出来ず、ルクスは浮かんだ疑問を口にする。
「……妖精とその男はどうなるんだ?」
「ん~……やっぱり気になりますよね」
アマギは苦笑しながら帽子のつばを指先で弄り、言葉を探すように視線を下へ落とした。
程なくヴィトラへそっと手を戻したものの、弦は沈黙を保ったまま。忽ち彼は何度か頷くと、唐突にルクスへ投げ掛ける。
「そうだ、うんうん……。この詩の結末、お兄さんならどうしますか?」
「終わりは決めていないのか? ……アンタの詩だ、自分で決めろ」
「ははっ、もう結末は決まっていますよ。ただ、お兄さんの考えが聞きたいんです」
彼の好奇心を宿した瞳とその問に、ルクスは肩を竦ませた。
己ならばどうするか。その締め括りは未知数でありながらも、ルクスは喜劇になる結末を望んでいた。
「……妖精は檻から抜け出し、再び自由を手に入れる」
「あはははっ、いいね、面白いよ。……でも、現実はそうはいかないみたいだ」
「はぁ……で、アンタの考える結末はどうなるんだ」
「そうだなぁ……お兄さんは、空に映る二つの大きな星を知ってるよね」
指先でつばを持ち上げ、広がる蒼穹へ視線を向ける。その視線を追うように、ルクスもまた空を見上げる。
「……? 太陽と月のことを言ってるのか」
「そうそう、太陽と月。ボクは単純に、あの星は太陽と月だと教わった。きっとみんな同じなんだろうね」
「意味がわからないな。何が言いたい」
「……ははっ、そうだよね。ごめんね、お兄さん。この話の続きは、また次の機会にしよう。……どうやらボクは、もう行かないといけないみたいなんだ」
「なに…………?」
何かに気付き話を締めるように告げると、アマギはヴィトレを革の匣へ収め、椅子から素早く立ち上がった。
その場を去る間際、帽子を深く被り直し──背中を向けた彼は、最後にルクスを一瞥する。
そして宛ら、置き土産のように……アマギは不可解な言葉を残して、歩き出して行った。
「カルペ・ディエム……お兄さん、よければまた……ボクの詩を聞きに来てくださいね」
不思議な吟遊詩人が姿を消してしばらく。ルクスは長椅子に腰を預けたまま、変わらず噴水広場でリサーナを待っていた。
「はぁ……結局アイツは何が言いたかったんだ。リサーナも、遅いな……」
まだ時間を要しているのか、少し彼女の身を案じ出したそんな折に……不意に懐かしい声が、水音を背景に耳に入ってくる。
「ルクス様……もしやルクス様ですか!?」
呼び掛けに反応して振り向くと、橙色の短髪に小洒落た装いをした青年が立っていた。片眼鏡を着けた彼にどこか面影を感じ取るルクスは、噴き出した懐古と共に、旧知の名前を口にする。
「アンタは……いや……もしかして、エリットか……?」
「そうですっ! リリタナのエリットですよっ! まさか水都でルクス様とお会いできるなんて……! いや、それよりも、お元気そうで本当によかった……!」
興奮気味に身を乗り出して熱い想いを語る青年は、エリット・ロラン。ルクスとリサーナの同郷の友人にして、同志の一人だった。
「あ、ああ……ずいぶんと久しいな。村を出ていたのか」
「はい……。ルクス様が聖都に赴かれてから、色々ありまして……そうだっ! よければうちに来てください! リサーナも一緒にいるんでしょう?」
「お、落ち着け……彼女のことだが……」「ルクス、お待たせ……ってあなた…………エリット……かしら?」
「やぁリサーナ! はははっ、噂をすればってやつですね!」
「はぁ……まったく。リサーナ。少しの間、エリットの家に邪魔しよう。宿の方はどうだった」
「……ええ、わかったわ。……宿については、少し難しそうね……。街の防護が厳しいのも問題だけれど、それ以上にどこも満室よ」
確かにと、ルクスは水都の道中でも聖教騎士の目が光っていたことを思い起こす。宿に関しては、夜は特に冷える季節を迎えている──寝床の当てもなく過ごすのは避けたい。
同時にルクスは……罪業をミオメルに打ち明けた影響で、手配書が出回っている可能性に不安を募らせる。紛れもない失態だったが……こればかりは、彼女を信じるしかないと言えた。
二人が神妙な面差をしていると……自宅に招待するのが待ち切れないのか、エリットが痺れを切らしたように彼らの背中を押して歩き出す。
「お、おい」「きゃっ、なっ、何よ……」
「立ち話もいいですが……ささっ二人とも! まずはうちにどうぞ!」
力強く前へ押し出され、リサーナが困惑した表情を浮かべる。
然し無邪気な笑みで再会を喜ぶ彼に、ルクスも思わず肩を竦め……二人は、苦笑を零すのだった────。
次回の更新は11月12日の21時を予定しています。
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