第一話 邂逅‐②
以前、前書きにて触れた設定集ですが、もう少し進んだ先での更新になります。
水都レイオラ・貴族区──。白の大理石と金の装飾が陽光に輝く、一棟の壮麗な建物にて。
正面の白鉄門を抜け、美しく保たれた庭の先──竜胆色の絨毯が敷き詰められた、宮殿の如く煌めくその屋敷では、勤めに励む召使いたちが慌ただしく行き交っている。
そんな厳粛とした空気の中……快活な少女の声が、今日も屋敷を賑わせるのだった。
「シュダイン!? どこですの、シュダイン!? いるのなら返事をなさいっ! シュダインッ……!」
豪奢な青のドレス姿に、麗しい金髪を螺旋状に巻いた髪型をした少女。彼女は従者の名前を叫びながら、屋敷の廊下を闊歩している。
小気味の良いハイヒールの足音が響くと、召使いたちは頭を垂らして道を空けた。
間を置いて……廊下の一室から、洗練された佇まいに落ち着いた歩調で、一人の男が姿を現す。
黒の執事服を纏い、漆黒の髪を整えた長身の青年。彼は少女の前に進み出ると、片膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「申し訳ございません……お待たせいたしました、カレーナお嬢様。お呼びでしょうか」
「フンッ! あなたの謝罪は聞き飽きましたわ。いいこと? わたくしが呼んだらすぐに返事をなさい。貴方はわたくしの従者なのでしょう! しっかりなさいっ!」
「はっ……しかと肝に銘じておきます」
彼女の名は──レディ・カレーナ・カムテュスタ。水都レイオラでも屈指の大貴族、ヒュレッセン公爵のたった一人の愛娘である。
一挙一動に高貴が宿り、威容を含んだ竜胆の瞳で従者へ視線を向ける。その美貌は街区を歩けば、必ずや多くの視線を受けることだろう。
然し、彼女がその名声と容姿に驕ることはない。生来の正義感……或いは高貴なる者の義務としてか、公爵家の令嬢という立場を超えて、水都の秩序維持に奔走していた。
「お父様お父様が見たらなんと仰られることか……次はないですわよっ!」
「慈悲深きお嬢様に、感謝申し上げます」
そんなカレーナに仕えるのが──専属執事である、シュダイン・バルトロ。理知的な佇まいをした彼は、主の叱咤を受け流しつつも、彼女を傍で支える忠実な従者だ。
一方で、実のところ……彼の胸中にはひとつの願いがある。
それは──できることなら、この屋敷で寧静な日々を過ごしたいという、一抹の望みだった。
「はぁ……用件は理解していますわね? 例の田舎者への取り立てについての進捗を報告なさい!」
切迫と憤怒を滲ませた声が、屋敷を包み込む。カレーナの掲げる正義には、困窮した民や救済を求める者への支援も含まれている。……だが同時に、彼女は現実がそう甘くはないことも理解していた。
今回のように、貸付した聖貨の返済が滞れば、カレーナは容赦しない。彼女が直接赴くことはないものの……シュダインを筆頭に、数名の従者に催促を一任していた。
「相変わらず、返済の手持ちが無いとのことで……次に伺うのは一週間後でございます、お嬢様。それまでに用意できなければ実力行使もやむを得ないと、先方にも伝えております」
「ぬるい……ぬるいですわシュダインッ! いいこと? 悪事を働く者は万死に値しますのよっ! 事の大小は関係ない……性根を叩き直すことが上に立つ者の使命ですわっ!」
踵を強く叩き、乾いた音と共に一喝するカレーナ。彼女の言葉にシュダインは目を瞑りながら深く頭を下げた。
己の意に反して、悪意や欺瞞によって契約を反故にする者には……彼女の微笑も、瞬く間に怒りの炎に染まる。
慈悲深くあれど、決して甘くはない。救いの手を差し伸べることも、咎人へ正義の鉄槌を下すことも──カレーナにとって、同じ秩序の維持だった。
「おっほん! まぁ良いですわ、これで応じないようであれば、わたくし自ら出向いて叱責と差し押さえを行います」
「……私もお供いたします、お嬢様」
無論ですわ──と、カレーナが威圧を滲ませた声音で吐き捨てる。
一方で、彼女の豪雨の如き説教を想像したシュダインは心中で溜息を吐く。肩を落としながら……それでも主のために動かねばと、素早く立ち上がった。
「話がついたところで……シュダイン、わかっていますわね?」
「……はい、お嬢様」
「準備はよろしくて? 今日こそ聖教騎士に後れを取ることなく、咎人を捕まえますわよっ!」
「もちろんでございます、お嬢様。どこまでも、ご一緒いたします」
「いい返事ですわシュダイン! さぁ、行きますわよっ! このカレーナが水都一の美女であり、象徴なのですわっ! お~ほっほっ!」
甲高く……嬉々とした令嬢の高笑いが、屋敷に響き渡る。白亜の廊下を踏み締め──見据えるは、邪な心を持つ咎人への制裁を。
そしてそれは、一人の少女が夢に見た──とある願望が故に。正しさに酔い、甘い夢想を目指す彼女の行く末は……まだ誰も知らなかった。
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水上艇が波を掻き、運航すること幾許か。白煉瓦の水門が、鈍重な音を響かせながら開かれていき……陽光を反射する湖面が踊り、港の水流に迎合する。
水都の玄関たる港──水関港ヴァルナフォート。そこは水都外郭を守護する砦にして、旅人を迎える玄関口だ。仄かに香る湖の清涼感に、吹き抜ける秋風が港を演出している。
整然と並ぶ桟橋には多くの船が停泊しており──水上艇がその内の一角に横付けされると、ヴァルナフォートに駐留する、武器を携えた聖教騎士たちが乗り込み、検閲が行われていく。
船舶は水都直属のナイアド船団によって運航がされているが、関所の役割は聖教騎士が担っていた。
「入港許可証、勘定一致。船舶名カリス……船長ミリード・モルティの照合確認。よし、乗客を降ろしていいぞ」
検閲を主導するのは、聖教騎士ルイス・ヒルダン。彼の指揮のもと入港許可証、登録船舶、船員名簿……総ての照合が滞りなく行われ、程なく下船の案内を受ける。
そして水上艇の乗客が次々に水都へ足を着ける人波の中──他の桟橋へ向かうルイスへ、背後より一人の人物が声を掛けた。
「今日の首尾も順調そうだな、ルイス」
「グレッグ殿、お務め御苦労様でございます。今回も査問の件でしょうか?」
「ああ。いつもすまないな、今回の調書だ。載っている人物の出港記録を調べておいてくれ」
白髪混じりの茶髪をした屈強な老騎士──グレッグ・アヴァンス。水都で名の知れた騎士であり、アヴァンス隊を率いる隊長でもある。
グレッグは掌に携えていた書類の束をルイスへ手渡すと、丁寧に両手で拝受した彼より力強い声が返ってくる。
「はっ……! 直ちにお調べいたしますっ! 前回の報告に不備はございませんでしたか?」
「問題ない。……ルイス、お前は優秀な騎士だ。水関で燻っているのが勿体ないほどにな」
「はははっ……。私は、優れた祈術師ではありませんから。せめてお役に立てるようにと、任を処理するだけです」
「そう卑屈になるな、卒なくこなすお前を優秀だと言っているのだ。ふぅ…………にしても……」
深い息を吐き、顎鬚を弄びながら港内を見渡すグレッグ。普段は沈鬱とした水関港ヴィクスフォートも、近頃は活気に満ち、桟橋には荷を担ぐ商人や巡礼者の客が途絶えずに行き交っている。
「……グレッグ殿? いかがされましたか?」
「いや……。最近は乗客の数も多いと思ってな」
「ベイリード港やアザレ港も賑わっているそうです。やはり、皆彼女を一目見たいのでしょう。……彼らも、同じではないでしょうかね」
そう語るルイスが、同じように視線を向け──水都へ訪れ、街区へ足を進める人々を見遣る。
その群衆の中には……薄柳色の髪を風に揺らした、やや風変わりな青年の姿もあった。
「ふむ……あの青年……どこかで…………」
「グレッグ殿。私は次の検閲へ参りますので、また後日、報告に伺います」
「ああ……わかった。呼び止めてすまないな。よろしく頼む」
「滅相もございません。……それでは、失礼します」
ルイスが立ち去った後も、グレッグの視線は一点に注がれていた。大扉の先、光が差し込む街路の方角──ヴィクスフォートの出口。
何かを確かめるように……記憶の海を泳ぐように、その瞳は揺れている。然し、終ぞその片隅にある靄を取り払うことはできず──彼は釈然とした表情で、そっと瞼を閉じるのだった。
次回の更新は11月3日の21時を予定しています。
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