第一話 邂逅‐①
『世界で一番美しい街と言えば、水都レイオラだろう』……この世界に棲まう人へ問えば、誰もが同じ言葉を返すに違いない。
水辺に浮かぶ神秘の都。その光景に心を奪われた者は、誰一人として忘れられぬまま、幻想を幾度も夢に見る。
そして、また一人──彼の地に魅せられ、忘れられぬ者が生まれた。
新聖歴8年 戌の月・風の第二曜日。
月を跨ぎ……小型飛行艇のアトロを駆るルクスとリサーナは、この旅の終着点へと辿り着いていた。
────水都レイオラ。視界の果てまで広がるその都はまさに、陽光を浴びて水鏡に浮かぶ奇跡。
菱形状の外壁に覆われたリダマーナ最古の街は、中央の領王宮を頂点に、山を成すように三角形の街区を築き上げている。水都の内側には無数の水路が走り……セクトルの他に、祈術によって操縦される水上艇が往来していた。
青の景観に溶け込む白煉瓦の街並みは、随所に見られるリダマーナ領国の伝統色──竜胆色の彩りによって華やぎ、都を幻想的に演出していた。
「綺麗……まるで湖の上に建っているみたいだわ」
「ああ……壮観だ。世界で一番美しいと謳われるだけはある」
アトロの速度を緩める中、その壮麗な光景に心を奪われる二人。
やがてリサーナが視線を落とすと、水都の麓にある港──水関と呼ばれる関所が姿を覗かせている。桟橋には水上艇が数隻停泊し、水都の一部として白煉瓦で築かれたそこは、まるで砦のような佇まいをしていた。
「……ルクス様。このまま水都に直行したいところですが、恐らく検閲があります。許可のない飛行艇の停泊は難しいかと」
「検閲か……なら、対岸の港から水都に渡るしかなさそうだな」
「そのようです。アトロはどうされますか?」
「俺が置ける場所を探してくる。リサーナは先に街の様子を見てきてくれ。ひとまず、港まで降りよう」
アトロの纏う風向きを変え、旋回と同時に降下していきながら……ルクスは半身でリサーナを一瞥した。
雲間を抜け、青に輝く水面が広がっている。その湖面は触れる度に波紋を描き、小さな虹のような光を放っていた。
「良かったのか……その、リリタナには寄らなくて」
「……今、顔を出してしまうと……きっと、抑えている感情が出てしまいそうで。それに……心配も掛けてしまうと思いますから」
「……そうか。全部終わったら、その時は……一緒にあの村へ帰ろう」
「はい。……ありがとうございます、ルクス様」
徐々に祈術の出力を落としていくと、船体は低音を響かせて小さく揺れ始める。
強風に流されかけるが──ルクスは主舵を巧みに操り、着陸態勢に入ったアトロを安定させた。
「それと……水都では、カカ村同様に巡礼の旅をする二人組を装う。とうに聖教騎士の姿は捨てたが……オイゲンに見つかった以上、どう転ぶかはわからない。注意してくれ」
もっとも、騎士の身分を明かせば、水都へは問題なく渡航できるだろう。
しかし……自身たちの騎士団内での立場が曖昧な現状、その肩書は毒にもなり得ると言えた。
門を開いた先での拘束や聴取──或いは審問や拘留を視野に入れると、偽りを重ねることが最も安全な道筋だった。
その上──聖教騎士カイナ・メディスは……もう、消し去った筈の名なのだから。
「……わかったわ。今晩、身を置けそうな宿も探しておくわね。水都で落ち合う場所も決めておきましょ。……偽名も、考えておかなきゃね」
「……そうだな。……場所はここから見える噴水広場はどうだ? 人は多そうだが、迷子にもならなさそうだ」
「いいんじゃないかしら。そうしましょ」
早速……リサーナの口調は、従者としてのそれから、旅を共にする仲間のものへと変わっていた。
これまで彼女には、どれほどの苦労を掛けてきただろう。ルクスは深く頷くと、言葉にならない感謝が心を満たしていく。
「決まりだな。少し時間が掛かるかもしれない。……面倒事を押し付けるようで悪いが、頼んだ」
本来、リサーナに雑事を任せることはルクスの意に反していた。
一方で……彼女はそんな言葉を一蹴するように溜息を吐くと、穏やかな眼差しで主君を見つめる。
「何言ってるのよ。言ったでしょ、私も助けられてるって。お互い様よ」
対等でありたいが、対等であれない。けれど……支え合って、共に道を歩みたい。
胸の内に秘めたその想いは──彼女もまた、同じだった。
リサーナを港で降ろした後、ルクスは水都を囲う針葉樹林へと目を向けていた。
人の気配が途絶えた、鬱蒼としたその片隅。徐行を続けた先で──周囲を確認しながら、ゆっくりとアトロを付近に停泊させる。
主舵から杖剣を取り外すと、操縦席から軽快に飛び降り、茂みに扮した布を船体へ覆い被せる。
「……まぁ、これで良いだろう。アトロ、お疲れ様だったな。今はゆっくりと休め」
港からは幾許か距離があるが、安全を買えるなら安いものだろう。ふっと一息を吐くと──杖剣を逆手に持ち、神霊石にエナを込めた。
翡翠が集う刹那……風迅の祈術を発現し、足元に突風が巻き起こる。斯くして疾風を纏ったルクスは、港を目指して一直線に飛翔を果たした。
しばらくして、最寄りの港へと辿り着いたルクス。
鳥獣の囀りや湖面を脈打つさざ波が、心に安らぎを与えるここは──水都を一望できる閑静な内陸港、ベイリード港。
周囲には巡礼者や旅人と思しき人影が散見され、穏和な活気で包まれていた。
白煉瓦の港内の先──自然と調和した桟橋には、水都行きの水上艇が多く停泊している。
搭乗口に併設された受付小屋の前では、白と水色の横縞柄の船員服を纏った女性が、周囲に呼び掛けを行っている。
その声を耳にしたルクスは彼女へ近付くと、搭乗を申し出た。
「まもなく水都レイオラ行き、出航します! お乗りになる方はお急ぎください〜!」
「一人だ。いくらになる」
「ありがとうございますっ! 千ユーノになりますっ!」
懐から聖銀貨一枚を取り出し、朗らかな笑顔を浮かべる船員へ手渡す。
忽ちルクスが水上艇に足を向けたところで、彼女より待ての声が掛かった。
「ちょうど頂きましたっ! ……あっ、お客様……! 搭乗者の照合、及び入港記録のため、生年と出身、名前をお聞かせください……!」
「……それは必要なのか?」
「申し訳ありません、規則ですので……ご協力いただけますと幸いです……」
身元の確認を促す船員に、ルクスは僅かに眉を顰める。
聖教が管理する血統簿に、出生を隠匿した自身の名は記されていない。この場では、その血統簿に記された名を名乗る必要があった。
捨てた筈の名だったが……他に道はない。手に携えた杖剣が、微かに冷たく感じられる。
同時に……騎士としての素性を、知られていないことを祈るばかりだった。
「はぁ……生年は旧聖暦849年、リダマーナ領国リリタナ村出身のカイナ・メディスだ」
船員は受付小屋へ戻ると、棚より、黒の装丁をした一冊の台帳を取り出した。血統簿──表紙には『旧聖暦849年出生』と記されており、彼女は木造机の上で台帳を広げると、人差し指を当てながら記述をなぞっていく。
その視線と指先を追いながら……小さな動揺に、ルクスの鼓動は加速していった。
「849年の……リリタナ……リリタナ……カイナ・メディスさん……ありましたっ! ご協力ありがとうございましたっ……!」
「いや……大丈夫だ。もういいか?」
女性船員は血統簿を閉じて棚へ戻し、卓上の記録簿に羽根筆を走らせる。記述を終え、程なくして顔を上げると──彼女は先刻と同じような笑顔を浮かべた。
右手を胸に、左手を水都に向け──華麗な所作で、乗客の来訪を歓迎する。
「はいっ! それでは……ようこそ、鮮麗なる水都レイオラへ。行ってらっしゃいませっ……!」
真実とは異なる、偽りの出自だが……聖教に記録されたカイナ・メディスの名は、彼の道を再び導くカギとなっていた。
水上艇に搭乗すると、暫しの後に出港の合図が入った。操舵士が氷海の祈術を発現すると、船体より膨大な水流が生み出されていく。徐々に推進力を増していく水上艇に身を任せ、一人ルクスは想い耽る。
赤の勇者を葬り、一つの復讐を遂げた。あれから、俺は変われているだろうか。勇者をこの手で殺める──それが俺の生きる道だった。だが、胸の内に秘めたこの感情は……そんな残虐的なものではなく、穏やかな平和を求めていた。
あと三人。そして、マーレ聖教会教皇。彼らを始末することで、帝国は……父は、母は、民は、報われる。報われなければ、いけない。その役目を全うするのは、皇子である自身なのだと。
あの夜……俺が生まれた日に誓った決意が、揺らぐことはない。
だがその先に。リサーナ……キリルやリリタナの人々に、帝国民だった者たちは……安寧は得られるのだろうか。
俺は────安心して終わりを迎えられるのだろうか。
甲板へ昇ると……湖上を舞う風が頬を撫で、水草に満ちた自然の香りが運ばれる。
水上艇から臨む景色では、湖面に映る陽光が幾重にも砕け、宛ら真昼の星空のように輝いていた。耳を澄ませば、舵の軋む音と、遠くで響く鐘のような水音が、水都への接近を感じさせている。
やがて……未来を憂う思考は青に溶け、省みる時間は過ぎ去った。
ここは水都レイオラ。それは──レムナシアで最も美しい、奇跡の都だった。
次回の更新は10月31日の21時を予定しています。
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