第零話 幕間‐⑧
聖都祈政区・預言の塔──白と青の溶け合うその一柱は、心核に巨大な水晶の砂時計を抱き、過去と現在を縫合する礎として、聖都の象徴が如く聳えている。
そして……蒼穹へ突き抜けるその塔の、第三の階。
秋風に包まれた昼の陽光を受け、神々しい輝きを放つステンドグラスが照らす、塔内部の聖祭壇。そこは聖職者の中でも、一部の者のみが立ち入りを許された神域。
絢爛に祀られた腐食一つとない神像を前に、その男──マーレ聖教会教皇ユーヴェン・セラス・ロンゴメリドはその御神体を眺めている。
程なくして……聖祭壇の扉が開かれると、一人の男が姿を現した。
忽ち彼は片膝をつき、深く頭を垂れて教皇へ跪く。
「し、しし、失礼いたします、教皇聖下……しょ、少々、お耳に入れておきたい話がございます……」
白の祭服に身を包んだ、薄幸さが垣間見える老夫。
彼はの名は、レマノ・フリード──祈術学究院を統べる院長である。
レマノは額に汗を浮かべており、呼び掛けに振り向いた教皇は揶揄うように口端を歪める。
「これはこれは、レマノ院長じゃないか。久方ぶりだが、元気そうであるな?」
「は、はい……お陰さまで私は何とか……聖下も、ご壮健で……」
「ファビュラスッ! それは何よりだな! ふはははっ! …………して、要件を申してみよ」
レマノは焦燥から揺らぐ瞳を彷徨わせ、額を伝う汗を拭うと、垂れた頭をそのままに瞼を閉じる。
「じ、実は……学究院にて保管されていた再星の書が、何者かによって盗み出されており……」
「なに……? 再星の書が…………」
「た、大変申し訳ございませんっ……!」
刹那。僅かに眉を顰めた教皇だったが──レマノへ歩みを寄せると、破顔一笑で彼の肩を叩く。
「ふはははっ! よいよい……。あの書物が盗まれたところで何も変わりあるまい? それに知られてはならぬことなら、とうに燃やして処分しているだろう?」
「え、ええ……ですが……」
「問題はないとも、安心したまえ。総ては私の頭の中に。預言の塔に。そして、君のここが憶えていることだ」
教皇は顔を上げたレマノの胸を、右手の甲で軽く小突いた。僅かな感触に、促されまま──彼の瞳は、教皇を仰ぎ見る。
そこには、紛うことなき……マーレ聖教会の長たる威容が、敢然と映っていた。
「よいか。万事は上手く運ぶ。天は母なる大地に、主神は我ら聖教に味方をしている。後は私に任せ、今は祈りを捧げようではないか…………ディーリアッ……!」
「せ、聖下……! おお……おお……! ディーリア……!」
「そう、万事は上手く……そして着実に、な。……下がってよいぞ、レマノ院長」
教皇は僅かに口角を上げると、再び主神リアスティーデの御神体を仰望した。
その横顔を前に、レマノは安堵を胸に抱き──機敏な動作で立ち上がると、一礼して第三の階を後にする。
「は、ははっ……! 失礼いたしましたっ……!」
やがて彼と入れ替わるようにして……軍靴の音が、聖祭壇に響いた。今度は聖教騎士の装いをした男が、聖域へと足を踏み入れる。
呆れ混じりに苦笑するその者は──エルゴ公オイゲン・フルズブルグであった。
「貴方は相変わらずだ、教皇聖下」
「……そなたも来ていたか。此度の件、しかと頼んだぞ」
「心得ております。無事、聖下のもとへミナカ様をお連れしましょう」
オイゲンを一瞥した教皇は、第三の階の中央──神鳥アレウーラをあしらった、白金の円卓へ足を進める。
そして円卓の中心に保管された、一冊の書物──預言者マーレの啓典に手を伸ばした。
「うむ……。今や聖都だけではない、この世界の民の皆がアルメイン殿下の死に疲弊しているのだ。人々に慈愛を齎す、彼女の力が必要だ」
教皇は慈しむように、指先で啓典の装丁をそっと撫でる。
信仰の象徴……神の啓示。受け継がれた重みを掌に馴染ませ、円卓へと戻した。
「レマノ院長についてですが、再星の書の件、不問にしてよろしかったのですか」
「聞いていたのならわかるだろう、あれは大逸れた書物でもないのだ。……それにな」
振り向きざまに教皇は一つ、穏やかな眼差しで口元を綻ばせる。
彼の瞳に宿るのは……信仰の光か、謀略の闇か。
「あの男が院長なのは、私にとっても都合が良いのだよ」
零した失笑の真意を……彼以外に知る者はいなかった。
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マーレ聖教会騎士団本部内・発着場。
昼下がりの霞が包み、整然と並び離陸を待つオルビオンの群れは、時を経ても壮観だ。
中でも際立って存在感を放つのは──純白の翼にして、天上の一隻、アルドール。フルズブルグ特務隊の出立を控え、その翼は離陸路にて搭乗と最終確認が行われている。
間を置いて……ミオメルとウルハの二人が息を切らして駆けつけると、そこには頬を膨らませたチルメリアと、大きな欠伸をしながら右手を振るオイゲンの姿があった。
「ふぁ〜あっと……お二人さん、遅刻よ遅刻〜っ!」
「悪かったわね。ちょっと聖女さまのとこに行ってたのよ」
「遅れてすみませんっ!……おはようございます、オイゲン隊長、チルちゃん」
「む……二人とも、遅い」
「ご、ごめんねチルちゃん! 待ったよねっ……!」
アルメインを失ってからのチルメリアに、ウルハは否応なしにぎこちなく応じてしまう。
長く塞ぎ込んでいた彼女が、今はあたかも以前の明るさを取り戻したかのように振る舞っている。
けれど……その笑顔の奥にある無理な強さを、ウルハは感じ取っていた。
「聖女さまぁ? ミオメルくん、彼女に何か用事でもあったの?」
「聖水を貰いに行っただけよ。ま、この通り無駄骨に終わったけど」
空足を踏んだと、ミオメルは肩を竦めて両手をひらひらと振る。
そんな彼女に、オイゲンは両手を擦り合わせながら笑みを向けた。
「聖水? あら、隊のためにってこと? なんだよミオメルくん。気が利く良い子じゃないかぁ~っ!」
「ちょっと、変態がうつるから近寄んないでよっ!」
「グサッ! そう邪険にされると、僕ちん悲しいんだけど……」
「へ、変態って……ミオちゃん……」
「む……オイゲン隊長は……変態……」
「チルメリアくんっ!? 初対面の時も呟いてたけど、僕は変態じゃないからねっ!?」
軽口が飛び交う喧騒に、一行が揃っているのを視認したアルドールの新操縦士が乗降口から降りてくる。
ジュリ・アルエット──銀髪を後頭部に短く束ね、苗色の瞳をした、強かさと艶やかさを感じさせる妙齢の女性だ。
以前まで操縦士を務めていたマリベル・スールズは、既に別動隊への配属となっていた。
ジュリに決して非があるわけではない。だが……マリベルの交代も、三人の心に空白を残していた。
「あっ……ジュリさん、お待たせしました……」
「いやぁ、ジュリちゃんは今日も美しいなぁ!」
「隊長、お戯れはほどほどに」
「は、はい……失礼いたしました……」
「ほんと、何なのよこいつ……」「あ、あはは……」
「……こほん。皆さん、揃われたようですね。本特務は、水都に滞在中の勇者ミナカ・アイリーン様の護衛、並びに聖都へのご移送です。既に勇者様もお待ちかと思いますので、アルドールへお急ぎください」
「よっ、ジュリちゃん、上手い感じに纏めてくれてありがとう! さぁ諸君! 出発だ!」
「りょーかい。……まったく、誰が隊長なんだが……」「……アル…………」
調子の良い隊長に空気は和らぎ、各員は決意を新たに歩み出す。
悲しみを忘れる必要はない。
憎しみを捨て去る必要はない。
総てを抱えたまま、それでも前へと進むのだと。
三人はあの日──アルメインの葬儀で、確かにそう誓ったのだった。
次回の更新は10月25日の21時を予定しています。
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