第零話 幕間‐⑦
出立を控えたミオメルとウルハの二人は、リオンの墓所を離れ騎士団本部へ戻った後、発着場へと向かっていた。
アルメインの葬儀から束の間。陰鬱としていた本部内は、任に勤しむ聖教騎士たちによって、僅かばかりに活気が戻りつつあった。
足を進めること幾許か。その道すがら──不意に、あっ、と一言零したミオメルが立ち止まる。
「……? ミオちゃん、どうかした?」
釣られてウルハが振り向くと、彼女は何かを思い出したように勢い良く両手を打ち鳴らした。
「そうだ、ウルハ。ちょっとだけ聖女さまの所に寄っていかない?」
「オリヴィア様? いいけど……。そう言えばこの間のお礼、直接言えてなかったね」
「ええ。礼を伝えるついでに、聖水も頂けないか聞いてみましょ」
コーレルム隊として、最後に赴いた任地──帝都アルタニスにて、かつての仲間を三名失い、辛くも生還した彼女たち。
仲間の捜索を断念し、満身創痍で聖都に帰還した際……救護隊の手当を受け、聖女の聖水によって傷を快癒させていた。
「特務も控えてるもの。心優しい聖女さまのことだから、きっとたくさん用意してくれるはずよっ!」
「もう……あまりオリヴィア様を困らせちゃダメだよ?」
「勇者さまの護衛に、聖水はいざという時役に立つはずよ。……ま、無理強いはしないわ」
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斯くして場所をコルコルディア大聖堂へ移した二人が、回廊を歩くこと暫く……やがて、聖女オリヴィアの居る静寂の間へと辿り着く。
荘厳な白の大扉を開き、中へ踏み入ると──そこには宛ら水辺の畔を思わせる、清澄な空間が広がっていた。
敷き詰められた白の大理石に、四方に聳える乳白色の支柱。その中央には、聖女が祈りを捧げる水辺──リュミエリーナの水鏡が張っている。頭上を見上げれば──曲線を描いた天井に、精緻なアレウーラの壁画が刻まれていた。
そして、その最奥。壁一面に築かれたステンドグラスを仰望し……遠い目をさせた聖女が、佇んでいた。
「失礼いたします、聖女オリヴィアさま。聖教騎士団フルズブルグ特務隊所属、ミオメル・イルファンと申します」
聞き慣れない友人の丁寧な声音と言葉遣いに、目を丸くするウルハ。
続いて彼女も名を告げると、程なく麗しい金色の髪が揺れ動いた。
「し、失礼いたしますっ! 同じくブルズブルグ特務隊所属のウルハ・プールデイと申しますっ!」
純白と金色の聖衣に包まれた、聖女──オリヴィア・ウィンスレットが二人の方へ振り向く。
予期せぬ来訪に目を瞬かせるも、忽ちその面差は穏やかな笑顔を零した。
「…………あら? 可愛らしいお客様。それに……フルズブルグ特務隊と言うことは、元々はアルメイン殿下の……?」
「仰る通りです。以前はアルメイン・コーレルム様のもとで、力を尽くしておりました。殿下のことは……本当に今でも信じられません」
「そうでしたか、あなたたちが殿下の……。ご愁傷さま、でいいのかしら。私も未だに信じられないわ……最後に言葉を交わしたのは、彼の入団記念祝宴会でしたもの」
想起される、祝宴会の夜。それは会話と言うには、あまりにも粗末なものだった。言葉通り……ただ、言葉を交わしたものが最後となってしまった。
俯くオリヴィアに……されど、ミオメルは前を向いていた。
「そう……ですね。けど……。もう、後ろばかり見てられないので」
「立派な志だわ。きっと殿下も、見守ってくださっているはずです。……それで、本日はどんな御用向きでいらしたのですか?」
程なく聖女が二人のもとへ歩み寄ると、ミオメルは持参した布袋を手渡した。
「以前の特務で聖女さまの聖水に助けられ、今日はそのお礼にと伺いました」
「まぁ、ありがとう。すんすん……とっても甘い香りだわ。中は乾燥果実でしょうか?」
「はい。あたしの好物なのですが、聖女さまのお口に合えば嬉しいです。それから……もう一つ、用件が」
ウルハが黙然と見守る中、ミオメルは躊躇いを含んだ声音で要望を口にする。
しかし……その意図を悟っていたのか、聖女は微笑みを浮かべ、先んじて言葉を返した。
「……聖水が欲しい?」
「え……?」
「ふふっ、意地悪しちゃったかしら。……私に用がある人は、その殆どが聖水目当てに顔を出すものですから」
「……類に漏れず、といった具合です」
「気にしないでください、それが聖女の務めですから。でも……残念なことに、聖水の数がもう少ないの」
「ざ、在荷がない……ということでしょうか?」
ふっと溜息を吐くオリヴィアに、恐る恐るウルハが問い掛ける。
「ええ……。でも、それだけではありません。もしかすると……もう、生み出すことも難しいとも言えますわね」
オリヴィアが布袋を胸に抱くと……淡く甘い香気が、静寂を舞う。
それは、悲痛とも歓喜とも取れた──複雑な表情で、聖女は薄笑いを浮かべた。
「端的に話すと、私にはもう────聖水は創れないということです」
「なっ……!?」「そ、それって……」
告げられた言葉にミオメルとウルハが息を呑み、その瞳は大きく見開かれる。
使命からの解放。救済に終わりを迎える罪悪感。……だが。
「このことは……私が生み出す水と聖水を研究している、聖教の学者さんが教えてくださいました」
「……そ、それは、祈術学究院の?」
「ええ、そうです。そして彼曰く、私の祈術で生み出す水に含まれる、精霊素──一般的にはエナと呼ばれるものに、変化はなかったそうなの」
淡々と説明している彼女だが、初めて学者の口から聞いた時には飲み込むのに時間を要したと言う。
それもそのはず──聖水を創ることのできない自身はもう、聖女ではなくなっていたのだから。
「霊水──聖水の基となる自然界の水に含まれる精霊素に、変異が起きた可能性が高い、と彼は言っていました。……以前までは、リダマーナにあるネレード湖の霊水と私の祈術を合わせることで、聖水は創り出せていた。けれど……今はもう、傷一つ癒やせない水にしかならないのです」
「そ……そんな……」
リダマーナ領国フィエル地方の奥深く、霞に覆われたネレード湖──。彼の湖はオリヴィアが初めて聖水を創り出して以来、霊水を生み出す聖なる湖として神聖視されている。
リュミエリーナの水鏡もまた、そのネレード湖より汲み上げられた霊水によって張られていた。
「ごめんなさいね。……でもいずれ、きっと、また聖水を創り出せる人が現れると……私はそう、信じています」
「せ、聖女さまはどうされるのですか? きっと他にも、聖水を生み出せる霊水があるのでは……」
「どうかしらね……。けれど私も……一度でいいから、旅をしたいものね」
と、遠い目で微笑む彼女が口にした、その時。焦げ茶のローブを羽織った銀髪の青年が、静寂の間へと駆け込んでくる。
忽ち焦燥を滲ませた彼は、幼さの残る高い声で、聖女の名を叫んだ。
「────オリヴィアさんっ!」
「……あら? グレーディオさん。こんにちは」
「あ、ああ……こんにちは。って、それよりも……っ!」
「うふふ。少しお待ちになって。……ごめんなさいね、彼がさっき話した学者のグレーディオさんよ。それから……グレーディオさん、こちら聖教騎士の妖精さんたちです」
グレーディオ・オーギュスト──王国貴族であるオーギュスト家の三男にして、祈術学究院に籍を置く若き学士。数多の学者の中でも屈指の英才を誇る彼が、聖女の祈術研究を支えていた。
その彼の、いつになく切羽詰まった様相に、困惑した表情を浮かべるオリヴィア。
一方で傍らのウルハとミオメルは頷き合うと、気を利かせて踵を返すことにした。
「そ、そうか……すまない、話の邪魔をしてしまったかな」
「い、いえ、大丈夫です……ミオちゃん、そろそろ時間だね」
「ええ。あたしたちは今から水都へ向かわなきゃいけないから……そろそろ行くわ」
「そうだったのですね……。聖水のこと、力添えできなくて本当に申し訳ないわ」
「滅相もございません。一度は救ってもらった命……今度は自分の足でしっかり立っていきます」
聖教式の敬礼を交えたミオメルの言葉に、オリヴィアはくすっと笑いを零す。
不器用な所作ではあったが──彼女の眼差しと言葉に、確かな芯の強さを感じ取る。
「ええ、頑張ってくださいね。貴女たちの活躍を祈っているわ……ディーリア」
斯くてオリヴィアとグレーディオは、若き二人の騎士を見送り──再び、静寂の間にて向き合った。
そして……。彼の口から紡がれた一言が、聖女オリヴィアの運命を揺るがすことになるのは……また別の物語であった。
次回の更新は10月22日の21時を予定しています。
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