第零話 幕間‐⑤
五日後。旅支度を整えた二人は、最後の品を受け取るため、再び鍛冶屋の戸を叩いていた。
店内では精錬炉の火が静穏に赤を灯し、微かに鉄の匂い漂わせている。先日と異なり、タルムの妻であるイアリスが勘定台に腰を下ろしており──快活な笑顔で迎える彼女に、リサーナは別れの言葉と感謝の思いを丁寧に告げた。
「あら、いらっしゃい、二人とも。あの人から話は聞いてるよ。小型艇はそこの裏口から抜けた庭に用意してあるわ」
「イアリスさん、こんにちは。まだご挨拶が出来ていませんでしたが……今日、カカ村を発ちます。タルムさんにも無理を聞いていただいて……本当に感謝しています」
「ええ、聞いたわ。寂しくなるわね。……元気で頑張って、旅に疲れたらまた戻ってらっしゃい……ディーリア。それから……ルクスくんも体調が戻って何よりだけど、無理は禁物よ」
祈りの言葉と共に、イアリスが優しい眼差しを二人へ向けると……その温もりに包まれるように、彼らは頷く。
気が付けば──この村の人々にとって彼らはもう……旅人ではなく、友として受け入れられていた。
「は、はい……ありがとうございました」
「男の子なんだから、今度はリサーナちゃんを守ってあげなさい」
「ふふっ。こう見えて、彼にはしっかりと守ってもらってます」
「あら……余計なこと言っちゃったわね、うふふ」
「は、はははっ…………」
従者として、主君を護りたいリサーナ。そして主君として、従者を護りたいルクス。
それは形容するまでもなく、その想いは互いに呼応し合い──惹かれ合っていた。
その後、イアリスとの談笑を終えた二人は、鍛冶屋の奥へと足を進める。軋む床板を抜けて裏庭へ出ると、微かに煤の匂いが漂っていた。
店内の熱気とは異なり、山風の涼しさを感じる裏庭。使い古された精錬炉に、革手袋や作業服を吊るした物干竿。作業台には鉄屑や小道具、未完成の剣身が陽光を浴びている。
そしてその中央には店主であるタルムと、依頼していた小型艇の姿があった。
「よぉ、お二人さん! 頼まれたもん、しっかりできてるぜ……!」
カカ村付近の鉱山で採れる孔雀石を用いて作られたその舟は、洗練された楕円形の船体に舵と機動輪を備え、その造形はセクトルを彷彿とさせている。
二人乗りの小型艇ではあったが──孔雀石の緑が美しく輝くそれは、飛行艇として相応に仕上がっていた。
「凄い……正直、想像以上の出来です。……ありがとう、タルムさん」
「ええ、細部まで精巧に造られているわ……本当に、十万ユーノでこれを頂いてよろしいのでしょうか?」
「言ってくれるじゃねぇか……嬉しいぜ。けど男に二言はねぇ、気紛れってやつだ。持ってきな」
引き受けた以上は期日の限り全霊で取り掛かり、逸品に仕上げる。
それが彼の信条であり、村一番の鍛冶師だと謳われる所以だった。
「……息子さんのこと、必ず伝えます」
「そんなに気負う必要はねぇよ、どこかで偶然顔を合わせたらで構わねぇさ。それよか……背中の荷物を見たらわかるがよ。もう、行っちまうんだな」
「はい。……本当に、お世話になりました。また、カカ村に戻ってきます」
「おうよ、待ってるぜ。……操縦の方は大丈夫か?」
「流石に初めてですが……祈術の扱いには多少自信があります。小型艇なら何とかなるかと」
「そうか。……それじゃ、達者でな。次に会う時は、清酒でも飲み交わそうや」
「是非、ご一緒させてください。タルムさんもどうか、お元気で」
ルクスの言葉を受けて、タルムは照れを隠すように背中を向け、別れに右手を振るとその場を離れていく。程なくして……鍛冶屋の奥より、彼が鉄を打つ鍛造の音が木霊した。
その心地よい音に、二人は微笑み合い──慈悲深き御仁への謝意を捧げて、飛行艇を授かるのだった。
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間を置いて……出立を控えた二人を前に、陽光を受けて孔雀緑に輝くタルムの傑作。
その光彩に目を細めながら、ルクスは暫し思案に耽っている。
「名前が欲しいな」
「名前……ですか?」
「これから旅を共にすることだ。セクトルや小型艇と呼ぶのも構わないが、名前があった方がわかりやすい」
なるほど、とリサーナは首を縦に振ると、ルクスと同様に知恵を絞る。
「それもそうですね……。では、アトロ……という名はいかがでしょうか」
「アトロ……確か異邦録に出てくる鳥だったな。だが、飛べない種族じゃなかったか?」
「はい。……ですから、私たちの手で飛ばせてあげるのです」
「……いい名だな、決まりだ」
「ありがとうございます。……良かったわね、アトロ」
彼女がアトロと名付けた飛行艇を前に、顎を撫でるルクス。一瞬の後、彼は操縦席に乗り込み、舵輪の中央へ杖剣を差し込んだ。
続けてリサーナへ声を掛けると、彼女もまたアトロの後部席へと身を預ける。
「よし……リサーナ、行こう」
「はい、ルクス様」
二人が各座席の上に備えられた鉄製の棒を降ろすと、腰の位置で小さく音が鳴り、保護棒によって身体が堅く固定された。
「これは……落下を防ぐものか?」
「恐らくは。取手を動かすと、固定された鉄棒が外れる仕組みのようです」
試しにリサーナが取手を横へ滑らせると、軽い音と共に固定が外れ、保護棒が再び可動するようになる。
「凄いな……タルムさんには感謝しておかないとな」
「ええ、そうですね。……それよりもルクス様、本当に操縦の方は大丈夫でしょうか……?」
「……問題ない。問題はないが……もし墜落したら、その時は別の手段で向かおう」
「は、はい……よろしくお願いいたします」
憂慮するリサーナをよそに、ルクスが神霊石へ手を添える。
忽ち彼の掌よりエナが注がれると、翡翠の光が溢れ、金風が吹き抜けた。
斯くして機動輪が音を立てて回転を始め──アトロが軽やかに浮かび上がる。
「少し揺れるかもしれないが、我慢してくれ」
「大丈夫です。酔いには強い方ですから」
「ふっ、そうか」
笑みを零したルクスが一層のエナを神霊石へ注ぐと、翡翠は激しく明滅し、風は渦を巻く。
やがて、蒼穹を裂くような奔流が走り──二人を乗せた孔雀緑は、水都へ向けて飛び立つのだった。
次回の更新は10月16日の21時を予定しています。
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