第零話 幕間‐③
一章から更新を加えた、二章の世界観設定集も投稿を予定しています。
痛い。熱い。暗い。苦しい。そんな感覚が全身を支配して、数日。
最早これまでだろうかと……私は、諦めを悟っていた。
キリルおじさまが私を連れ出して、村で暮らすようになってから不自由なく過ごしていた。村のみんなも優しく、おじさまも過保護とも思えるほど親身に接してくれた。
そんな幸せの対価が、この結末。元々私が辿るべき運命ではなかった道の末路。後悔があるとすれば……最後に、キリルおじさまにありがとうと、そう──伝えたかった。
不意に。私の視界に光が差し込んでくる。暖かいそれは、私に巡る熱と痛みを包むように調和していく。やがて荒んだ心が平静を取り戻して……私の心身は、深い眠りに就いた。
朝。目が覚めると、キリルおじさまが涙を流して私を抱き締めてくる。苦しいと伝えると……おじさまは良かった、本当に良かったと、その言葉だけを繰り返していた。
そして私は────光に包まれた優しい男の子との、運命の出会いを果たした。
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時を戻し、晩夏。リダマーナ領国の東端に位置する、丁寧な時間が流れる長閑な山村──カカ村。リダマーナの辺境アンバー地方にある、大きな風車が印象的なその村にて……カイナ・メディス改めルクス・オルドバーンは、聖教騎士の姿を棄て去り、従者であるリサーナ・メディスと共に戦の傷を癒していた。
帝都アルタニスにて、積年の想いを成就させた後……療養を兼ねて息を潜めるように都心を離れ、国境を跨いだ分水嶺より、この村に流れ着いた二人。
リサーナは現在、カカ村で最も賑わいを見せる市場へ足を運んでいた。小規模な村でありながら人々は好奇心に富み、各地の珍品が出品される競りには多くの人が集まっている。
市場を囲う露店では多方から客引きの声が飛び交い、リサーナにも例外なく声が掛けられていた。
「あらリサーナちゃん、今日も新鮮な果実が入ってるよ!」「リサーナ! こっちは採れたての鮮魚もあるぜ! 連れの分も買っていきなっ!」「嬢ちゃんっ! 王国で仕入れた……」
その温かい声に、彼女は笑みを浮かべる。この村に訪れた際には偽名を使うことも一考したが、手配書はおろか、追影書のように──行方不明者として、情報が出回っている様子もない。下手に偽った結果、不審に思われることは避けたかった。
そして何より……見知らぬ私たちを温かく迎え入れてくれた彼らを、騙したくはなかった。
「ありがとう。でも必要な物はもう買ってしまったから、また今度来るわね……って、ふふっ……」
「さあ今日は大出血! 安くしてるから見ていきなっ!」「なんと聖都でも見かけることの少ない……」
笑顔を添えて手を振ると、店主たちは既に他の客への客引きに移っていた。肩を竦ませ一息つくと、この平穏が愛おしく……そして別れが惜しく感じてしまう。
リサーナは視界に映る市場の光景を、そっと噛み締めるように歩みを進めていった。
暗澹とした寂れ家屋の扉が、軋む音を響かせながらゆっくりと開かれた。
隙間より僅かに外光が差し込み、照らされた室内の埃が喜びを表すかのように舞い踊る。
彼女は扉を閉めて蝋の明かりを灯すと、抱えていた荷をそっと下ろし──寝具に腰を据えた主へ声を掛けた。
また、二人の装いはかつての団服姿ではなく──白茶色の外套を羽織った、旅人に扮した形姿をしていた。
「……ルクス様。今日も村に変わった様子はありません。ですが……」
主の名は、ルクス・オルドバーン。オルドバーン帝国第一皇子であり、亡き父と帝国の仇を取るため、復讐の道を歩む者。その一歩として、彼はあの日……帝都を炎で包んだ紅き勇者を、討ち果たした。
残る勇者は三人。そして総てを歪ませた聖教を瓦解させるため……二人は次の行動を画策する。
「ああ……いつまでも息を潜めてはおけない。次の標的を決め、行動に移す。……リダマーナにいる今、近しいのは……ミナカ・アイリーンか」
ミナカ・アイリーン──預言の勇者の一人にして、氷海のエナを持つ少女。彼女が表立って戦陣に立つことは稀だが、その祈術を紡ぐ姿は凛として美しく、レムナシアの民の心を魅了してやまない。
そして……紛う事なく、彼女もアルメインと比肩する力を有していると言えた。
「彼女は救世戦争以後、主に水都レイオラに滞在していると聞き及んでいます」
「ここから水都となると、長旅になりそうだな……。加えて陸路は使えない、か」
「水に覆われた都ですからね。海を渡る必要があります」
目的地はレムナシアで唯一大陸から孤立した、大海に浮上する麗しき都──レイオラ。
蒼関──水都への関所を通りセクトルや渡航船を利用することで、その地に足を着けることができる。
「水都行きの船に乗るのも良いが、極力人目は避けたい。祈術で飛翔するのも手だが……もう少し賢い手段がある」
「と……申しますと?」
「神霊石もあることだ。小型の船体を用意すれば、移動手段には困らないだろう」
「なるほど……それでは、飛行艇の手配は私が……」
「いや、明日は俺も村へ出る。善は急げだ、ついでに支度も済ませよう」
「ルクス様……ですが……」
憂慮する彼女は諫めるように眉を顰める。一方、ルクスは懇願するように声音を低くさせた。
「しばらく陽の光を浴びてない。たまには外の空気も吸わせて欲しい」
「……はぁ、仕方ありません。それでは明日、一緒に行きましょう。…………頑固は相変わらずね、もう……」
リサーナは小さく笑みを零して肩を竦ませる。その瞳には、微かに優しさが滲んでいた。
翌朝。二人は穏やかな木漏れ日が差した住宅街を並び歩いていると、ルクスがとある建物に目を留める。
煙突より白煙を棚引かせる、工房のような外観をした赤い石造の建物──そこはカカ村一番の鍛冶師が構える、鍛冶屋だった。
「リサーナ、少しあそこに寄る。昨日話していた件を頼んでみよう」
「わかりました。ついでにルクス様の杖剣も、新調されてはいかがですか?」
「そうだな……今は時間が惜しい。欠けた刃は、あのお転婆みたいに祈術で補えるさ」
二人はかつて共に任に就いた同僚、ミオメル・イルファンの姿を思い浮かべる。
そうして連鎖的に……特務隊で過ごした日々の数々が、想起されていく。
「……彼女たちは元気にしているでしょうか。……少しばかり、心苦しいですね」
「……初めから、わかっていたことだ」
目を伏せる主に……そうですね、と肯定を口にするリサーナ。
彼に付き従うと決めた時から、何れ通る道だと理解していながら。
それでもこの靄は……鬱屈としたままだった。
鍛冶屋へ足を踏み入れると、精錬炉から迸る火勢が店内を赤々と照らしていた。左右の壁一面には、商品である精巧な武具防具が展示されており──中でも、鎧を着用した模型人形が勇ましく存在感を放っている。
そして中央の金床では、橙色の頭髪に無精髭を生やした──店長にして鍛冶師のタルムが、力強く鉄を打っていた。彼は二人の気配を察すると、その手を止めて顔を上げ……驚きに目を丸くさせる。
「いらっしゃい。って、おたくらか。……ルクスだったか? 兄ちゃんも顔を見せるたぁ珍しいな。……身体の方は大丈夫なのか? 村に来て早々に臥せっちまったって聞いていたがよ」
ルクスが彼と対面するのは、カカ村を訪れて以来、これが二度目だった。
強面ながらも人情味溢れる鍛冶師のタルムに、謝意を込めた一礼をし、柔らかい笑顔を向けた。
「お久しぶりです、タルムさん。ご心配お掛けしました……お陰様でこの通り、すっかり快復しました」
「そうかそうかっ! そりゃ何よりだっ!」
二人がカカ村に身を寄せてから、幾月が流れ……今では彼らの存在も、村人に広く知られている。
かつて聖都では偽名を名乗り、姉弟という仮初の関係を築いていたが……ここでは旅を共にする友人として滞在していた。
「実は、体調が戻ったこともあって……近々カカ村を発つことにしたんです。今日はその挨拶も兼ねて、お願いがあってタルムさんを訪ねました」
「なんだ、そうだったのか……もう何ヶ月になる? すっかり馴染んでいたからよ、寂しくなっちまうな」
タルムが感慨深く情に浸れば、店内には鉄槌が鉄を打つ金属音が反響する。
そんな彼を前に──復讐のために善意を利用している二人は……胸の奥で呵責に苛まれていた。
「そうですね……俺たちも、同じ気持ちです。本当に……カカ村の人にはお世話になりました」
「がははっ! いいってことよっ! また、いつでも寄ってくれよ。おたくらなら村も大歓迎だろうさ。……んで、お願いってのはなんだ?」
「小型のセクトル……いえ、二人乗りの舟を鍛造できないでしょうか? 出せるのはこのくらいですが……素材は問いません」
本題に入り、ルクスは一度首を縦に振ると……懐から聖金貨二十枚を出して勘定台に置く。
金額にして、二十万ユーノだった。
「舟だぁ? 造れねぇことはねぇが……知っての通り日頃は剣だの鎧だのばっかだからよ、出来は期待できねぇぞ? 大体そんなもん、何に使うってんだ?」
「大丈夫です、素朴なものでも構いません……用途はこれを舟に組み込んで、足として使います」
腰に差した──折れた杖剣。その杖頭に嵌め込まれた神霊石を見せる。
透き通る翡翠の輝きに、忽ちタルムはごくりと息を呑み、一層の哄笑を発した。
「おめぇ、これ……! くっ……がはは! こりゃすげぇな、神霊石とは驚いたぜ! 乗るのはおたくらだけか?」
「そうですね、二人乗りを想定してますが……難しいでしょうか?」
「いや、いいぜ。だが少し時間が掛かる。急造するにしても、五日は時間を貰うな」
「ありがとうございます……! むしろ早いくらいです、代金の不足があれば言ってください、ある程度は用意できます」
「金額は十分だがよ……ルクス。おめぇくらいの男を見ると、旅に出た息子のことを思い出しちまう。苦労は買ってでもしろというが、備えておくに越したこたぁねぇ。……今回はまけてやる、金は大事に使いな」
タルムはそう言うと、差し出された聖金貨の内十枚を懐に収め、残りをルクスへ突き返した。
「あ、ありがとうございます……。ご子息がいらしたんですね。お会いしたかったです」
「まぁな。ヨルノってんだ。……どこに行ったかすっかりわからねぇが、もし見かけたら応援していると伝えてくれ。……話が逸れちまったが、それじゃまた五日後に顔出しな。しっかり仕上げといてやるよ」
「は、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
憂いを帯びた表情に、二人は顔を見合わせる。応援……ヨルノが旅立つ際に何かあったのだろうか。
或いは単純に父親としての励ましか……深く詮索することはなく、二人はタルムに再度頭を下げて鍛冶屋を後にした。
次回の更新は10月10日の21時を予定しています。
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