第零話 幕間‐②
鈴の音が凛とした音を立てて、一つ、また一つと水面にぽとりと滴下する。
波紋となって溶け込んでいくのは、記憶の雫。
子供の頃の記憶や楽しかった旅の記憶……初恋の記憶。
入り乱れて紡いで、目が覚めると─────そんな夢は忘れてしまっている。
だけど……たとえ歪んでしまっても、その時の気持ちだけは手放さずに憶えていたい。
それはきっと、二度と味わうことのないものだから──。
時を遡ること二月前。帝都アルタニスでの特務の後、隊員を欠いたコーレルム隊に新たな任が下ることはなく、塞がることのない心の空洞を映すかのように、空虚な日々が流れていた。
在籍する三名は消息絶った仲間の捜索に志願し、幾度となく身を投じたが……結果は実を結ばなかった。
度重なる審議の末に、マーレ聖教会及びマーレ聖教会騎士団は、アルメイン・コーレルムらの捜索に一区切りを付ける決断を下す。そして騎士団内における彼らの行方を、喪踪──則ち、任務中途絶として記録した。
斯くして彼が隊長を務めたコーレル厶特務隊は再編成が行われ、新たな特務隊長を迎える運びとなった。
そして本日。眩い陽光がレムナシアを照りつける盛夏に、チルメリア、ミオメル、ウルハの三名は召集を受けて副騎士団長室へ赴き……カイザックより通達が行われていた。
「捜索が打ち切りって……どういう意味よ」
「そのままの意味だ。……騎士団の指揮のもと、表立ったアルメイン殿下の捜索は中断されることとなった」
「アルは……死んでない。絶対……絶対、死んでないっ……!」
告げられた言葉に、チルメリアが唇を噛み締める。彼女の胸中に渦巻くものは、この場にいる全員が同様の想いを抱えていた。
だが────アルメインの姿が未だ確認されていないことも、また事実だった。
「……ケインズ。君の気持ちは理解できるが、これは決定事項だ」
「ふ、副騎士団長閣下は……どう、思われているのですか?」
「そうよ……っ! アルメインから聞いたわ、あんた、あいつの従者なんでしょっ! 本当に……本当にアルメインが死んだと思って────!」
「そんな訳がないだろうッ! ……そんな訳は、有り得ないと思っている……! だが、これは組織として必要な措置だと……っ!」
面差を歪め、己の無力と主の悲運に嘆きを晒す。滅多に声を荒らげることのない彼の叫声に、瞬く間に室内は静まり返り……三人もまた、謝罪を滲ませながら沈黙する。
「「「………………」」」
「くっ……声を張り上げて済まない。……召集した本題に入ろう。捜索の中断によって、君たちの隊にも一時的に新隊長が配属されることになった。……入ってきてくれ」
呼び掛けに応じて、側部の扉から姿を現したのは──鉄弓を背に負った、茶髪の聖教騎士騎士。中肉中背の体躯に、三十路を思わせる風貌。手入れのなされていない無精髭が、若さと老いの境を漂わせている。
舞のように軽やかな足取りでの登場だったが……些かこの場の空気とは、似つかわしくない入室だった。
「呼ばれて飛び出て何とやら〜っ! 今しがた凄い声聞こえたけどさ~って…………ありゃ? なんか、空気重くない……?」
「…………何よ、こいつ。巫山戯てんの?」
「ミ、ミオちゃん……」
程なく茶髪の聖教騎士はカイザックの横へ歩み寄ると、その場でくるりと身を翻す。
一方……笑みを浮かべた忙しない様子の彼に、一同は鼻白む視線を向けていた。
「……コホン。彼はバベルの七騎士が一人、エルゴ公オイゲン・フルズブルグだ。そして諸君らの隊は本日付で、フルズブルグ特務隊として再編されることとなった」
────エルゴ公オイゲン・フルズブルグ。
バベルの七騎士として、水都をはじめリダマーナの秩序を担う筆頭騎士でありながら、領国のエルゴ地方を統治する公爵貴族。
陽気な性格から慕われることも多い反面、その奔放な言動に振り回されることも屡々あると、嘆く者もいるという。
「どもっ、君たちの上官になるオイゲンっすぅ! いやぁ女の子ばかりの隊で嬉しい限りだねぇ! 大丈夫……君たちは、僕っちが守る……!」
瞳を輝かせ、拳を高々と掲げるオイゲン。その熱気とは裏腹に、三人の眼差しは冷ややかで──まるで目の前の人物を不審者と疑うかのようであった。
「ちょっと、ホントにこんなやつが? 有り得ないんだけど……」
「ううっ……確かに……初対面でこれは…………」
「む…………変態」
「グサッ……! アレ? 今……僕ちん、これって言われちゃったよね? アレレ?」
彼女たちの辛辣な言葉に、肩を落とす新隊長。
予想していた展開ではあったが──カイザックは小さく溜息を吐き、言葉を添える。
「……少々言動には問題はあるが、その手腕は肩書の名に恥じないものだ。……それとエルゴ卿、殿下同様、喪踪ではあるが……ここに居る者に加えて、隊にはメディス姉弟も在籍していることを留意しておいて欲しい」
「了解であります、副団長殿っ! って、そういや確か……殿下と一緒に喪踪になった姉弟は、あのマクベスのおっさんの愛弟子だったっけか……?」
「リサーナちゃん……カイナさん……」
アルメインと共に姿を消した二人に、一同は表情を暗くして俯く。アルメインだけではない──メディス姉弟の消息不明もまた、彼女たちの心に傷を負わせていた。
「そうだ。いくら喪踪と言えど、生存の可能性もゼロではない。三名とも籍は特務隊に残している」
「あいよあいよっと。……ほんじゃあ、隊員の諸君! 特務の通達があるまでは各自訓練に励んでねぇ〜。僕ちんってば多忙の身でね? 新隊長として、隊のために骨を砕いて働かなきゃいかんので……副騎士団長殿、あとはよろしくぅ!」
各員へ短く言葉を残すと、オイゲンは右手をひらひらと振りながら颯爽と部屋を後にする。
何とも破天荒な彼に呆気を取られた一同は、咎める視線と共に、改めて副騎士団長へ確認を促した。
「あ、あの……本当に大丈夫なんですか?」
「はぁ……浄化作戦も一時中断となった今、特務隊は本来の役割を停止している状態にある。だが、放置という訳にもいかない」
その後ろ暗さからか……カイザックは踵を返すと、窓越しに映る陽光にその瞳を細める。
「本音を言うと、引き続き殿下やメディス姉弟の捜索を君たちに任せたいところだが……その役は身動きが取りやすいエルゴ卿に一任している」
「つまり……私たち三人は飼い殺しね」
「……あるいは、お荷物」
「ふ、二人とも……そんな言い方しなくても……あはは……」
「ふむ……勘違いしているようだが、捜索に進展があった場合やエルゴ卿を含めた四人で対応可能な任が生じた際には動いてもらうこととなる。備えは怠るな。……今日の召集については以上だが、何か質問事項はあるか?」
ミオメルが憂いを帯びた溜息を洩らし、チルメリアは心此処に在らずと虚空を見遣る中……その沈黙を裂くように、ウルハの手が恐る恐る挙がる。
「……え、えっと、アルドールとマリーちゃんについては……どうなるんですか?」
「ああ……殿下の復帰に備え、アルドールはフルズブルグ隊に所有してもらう。マリベルについては飛行機会が無いとなると、操縦士からは外されることになるだろう」
「そ、そうですか……」
「……マリベルがいなくなるのは、寂しいわね」
「…………」
「君たちには苦労ばかり掛けているのは重々承知している。鍛練の日々にも嫌気が差した時には、聖都守護隊の任務に参加する許可を得ている……秩序の維持に励んでくれたまえ。……以上だ」
拝命の敬礼を行い、消沈する三人は重い足取りで副騎士団長室を後にする。
痛切の傷は、そう簡単に癒えるものではない。
だが──それを克服するのは己に他ならないのだと、全員が理解していた。
次回の更新は10月7日の21時を予定しています。
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