最終話 再醒‐⑩
争いや諍いが嫌いだった。
囃し立てる感情に身を任せ、理性を通り越してぶつかり合う。そして必ず、悔恨が残る。
火種は時間と共に大きくなり……やがてまた、争いが起きる。
支配が嫌いだった。
共存という理想が存在しながら、己が利のため他者を抑圧する。待つのは堕落か、壊滅か、革命か。
けれどそんな思考は愚かだと、気付かされた。
人から争いという言葉は、決して奪うことはできないのだと……そう、思い知った────。
その後。死線を潜り抜け、皇帝である父と皇妃である母の待つ隠し部屋へと辿り着いた。
「かあさま! とうさま!」
重い鉄扉を勢いよく開く。両親の姿を視認すると、胸を締めつけていた焦燥が涙となって溢れ……安堵と共に嗚咽を上げながら、二人へ飛びついた。
「落ち着きさない、もう大丈夫だ」
「ああ、ルクス! 無事で良かった……!」
母が優しく身体を抱き締めてくれる。震えていた身体が、怯え切った心が……静穏を取り戻す。寒さの消えた身体で、私も母を抱き返した。
一方、父は変わらず険しい表情を見せ……覚悟を決めた瞳をしていた。
「あなた……いよいよなのね」
「そうだ。これはルクスがこの世に生を授かったその瞬間から、定まっていた運命だ」
「それでも私は……いいえ。もう、弱音を吐く時間は過ぎたものね」
母の抱擁に込める力が、微かに強まった気がした。
続けて、背後から父が抱き締めてくる。力が強く身体は硬い……立派な父の抱擁だった。
「お前は、私の希望だ。どうか皆の想いを……紡いでくれ」
言葉の真意は問わなかった。分からずとも、二人に誓って応えると決めた。そして、これが……最後の父の言葉だった。
程なく父は、母と熱い抱擁を交わすと──クラウに何かを伝えて部屋を後にする。
父がどこに向かったのか……母とクラウに問うも、首を横に振った。
やがて……部屋には母、クラウ、私だけの三人が残された。
「……エヴィニア様」
「ええ。手筈通りにお願いするわね。……ああ、私の可愛い坊や」
再度……母は屈むと、私の身体を優しく抱き寄せる。温もりを覚える中で、母は大粒の涙を流していた。
これは……別れの抱擁だった。
「かあさま……?」
「いいですか、ルクス。よく聞きなさい。これは母と父の、最後の願いです。今から言う場所へ、クラウと共に行きなさい」
「かあさまは? かあさまはどうするのですか?」
「大丈夫……私もすぐに向かいます。母はいつでも見守っていますからね。……クラウ」
「はい……エヴィニア様」
「お願いね」
「はい…………」
母は私の身体を離れて立ち上がると、クラウと抱擁を交わす。
惜別の情に流した涙は、希望を紡ぐ架け橋となって、二人の心を通わせた────。
私とクラウの二人は、隠し部屋から繋がる皇族専用の地下通路へその足を進めていた。
「殿下。しばらくの間お城には戻れません。ですがきっと、素敵な場所との新しい出会いが待っていますよ」
「クラウも……かあさまやとうさまも一緒?」
「……ええ。もちろんです」
私の手を握る彼女の力が強まった。しばらく歩くと、出口が視界に入ってくる。
「さぁ、もうすぐお城の外ですよ」
「うん…………」
雨に打たれ、その身を濡らした鉄扉を開ける。彼女に連れられた私は、初めて城の外へ足を踏み出した。
御伽噺や異邦録を愛読し、外の世界を夢見ていたが……その時は、本望とは乖離した訪れだった。
降りしきる驟雨に身を晒した……夜ノ刻。昼間に新調した豪奢な服は、泥塗れになっていた。
城を離れて林道を歩いていると、道の脇から銀の鎧と青の外套を羽織った、三人の人物が飛び出してくる。
彼らの姿は、城内へ襲撃を仕掛けた賊の格好に──よく似ていた。
「クラウッ!」
「殿下……! 私の後ろに隠れて下さいッ!」
三人の賊は剣を抜き放つと、卑しい笑みを浮かべた下衆な声で会話を始めた。
「勇者様の言う通りだったぜ、おい! こりゃすげぇな!」
「当たり前だろ! まさか疑ってたのかよ、ハハハッ! ……にしてもよぉ……」
「ああ……ガキは殺すとして……女の方は別嬪じゃねぇかぁ……」
下品な所作で、舐め回すようにクラウへ視線を向ける。当の彼女は重心を沈ませると、右手に小さく祈術陣を展開する。
低俗な声には耳を貸さず……臨戦態勢に入っていた。
『ルシオ……!』
雨足が強まる。横殴りの雨に晒された林道に、雷鳴が轟いた。
刹那──クラウは雷降の下階祈術を発現させ、賊の一人へ落雷を放つ。雷撃は賊の身を焦がして絶命へと誘い……残る二人の賊が、同時に激昂した。
「てめぇぇぇえええええッ!」「おいおいおいおい手癖が悪い女だなぁッ!」
「ふんっ……汚らわしい……」
一人は祈術陣を展開させ、一人はクラウへと斬り掛かった。
単調な動きを見せる賊に、彼女はその身を蝶のように躍らせ──賊の一太刀を跳躍して躱した。
『『ラクリマァッ!』』
賊が氷海の下階祈術を発現させ、氷の礫がクラウへ放たれる。視界の悪化する雨の中……彼女は太腿から短剣を抜き放つ。瞬く間に飛来する礫を斬り裂いて間合いを詰め、祈術を放った賊の喉を一閃──二人目を沈めた。
だが……その瞬間。
彼女の心臓に、急所を捉えた氷の槍が、深く突き刺さった────。
「うぅ…………っ!?」
「あ……ああ……クラウッ! クラウ───ッ!」
「ははっ……! はははっ! ははははははっ! ザマァ見ろォッ!」
もう一人の賊もまた、祈術を発現させていた。仕留めた二人目よりも詠唱が早く──重複した声に気付けなかった。彼女の、失態だった。
その場に倒れ伏し、流れ出す血は雨に滲む。視界が霞んでいき……次第に、その意識は遠退いていく。
「で……殿……下……お逃……げ……くだ…………」
彼女は最期に、尊き存在の悲痛な表情を目にして。その生に、終わりを迎えた。
「この……アマがぁッ! 二人も殺しやがって……クソッ! おいガキ……テメぇもすぐ連れてってやるよ……!」
軍靴で水溜りを踏み付けながら、賊は私のもとへと歩み寄る。
慕っていた女性の死。母の涙。父の覚悟。燃え盛るオルドバーン城……震えあがった手。心臓の鼓動が、加速する。
夢なら醒めろ……現実に戻せ……! 昨日までの、平穏な日々に……ッ!
「あぁ……あぁぁ……うわあああああああああああああああああッ!」
どこで、いつ……何が歯車を狂わせてしまったのだろう。此度の惨状に、精神の均衡が崩壊する。
そして、正気を保てなくなった──────その須臾に。
一節の詠唱が、記憶の湖より呼び覚まされる。もう……何も思考を巡らせることはなかった。
私はその一節を、ただ復唱する。
『創世の大樹は原初の陽を抱き 目覚めの刻を告げた』
遥か頭上──視界一面の巨大な祈術陣が展開され、結界のように空間を覆い尽くす。
賊は驚愕した様相と共に、上空を見上げた。
『星環に永久を綴りし黎明に 輝望の洸を齎す為』
鮮烈にして、絢爛に。祈術陣は真理の光輝を帯びて、白夜の如く世界を照らした。
『其れは 絶え間なき祈りを捧げ運命を紡ぐ誓約』
賊が何かを喚いている……だがその声はもう、私には届かない。
『其れは 万象を巡り明日を標した根源の晶』
最後に。私として流したのは、涙だった──────。
『────そして覚醒する始源の光《モノ・アガスティア》』
世界が、静止する。斬り掛かる賊と、泣き叫ぶルクスと、倒れ伏す侍女。
世界が創り上げられ、白く染まり……僅かに一瞬の刻を、静止させた。
────斯くて世界は、再び動き出す。
壱に……音が消失した。
弐に……天が裂け、驟雨は去り、雲散した夜空には三日月と光の柱のみが残った。
月明かりに照らされた祈術陣は、あまりにも幻想的で、神秘的で────破壊的だった。
その祈術を唱えた直後、左手に紋章が宿る。
それは、覚醒を記す紋。それは、始まりを表す紋。
参に……世界が光に包まれ──軈てその光は、大地の限りを灼き尽くした。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
☆皆さまからの評価やブックマーク、ご感想が執筆の大きな励みになります。少しでもお力添えいただけましたら幸いです。




