最終話 再醒‐⑨
帝都が焼け落ちた、あの日の記憶が蘇る。
始まりの日は──豪雨。母の暖かい歌に包まれながら、眠りに就いた日だった。
「んぅ……う……ん……?」
微かな熱に違和感を覚え、夜更けに目が覚めると──城内が、劫火に包まれていた。
雨音と共に轟々と朽ちゆく音を立てながら、我が家……オルルドバーン城は闇夜に染まる。
皇帝の首を狙う聖教騎士の雄叫。その身を斬殺され、絶命に至る近衛の残叫。仄かに雨の香りがした、心地の良い静かな夜は……数刻の間に、血に塗れた戦の夜に変わっていた。
理解が追い付かない夢現の状態で、ふと……あやしてくれていた母の姿が見えないことに気が付く。窓の外の景色は赤に染まり、剣戟や祈術が交わる音が響いている。急速に、確実に……脳は冴えていく。
これは、現実だ。これは、戦争だ。そして……全身が、悪寒に襲われた。
「かあさま……ッ!」
焦燥に駆られたルクスが、母を探して寝室を出ようとした──その矢先。扉が強く開かれ、白と黒を基調とした給仕服に身を包んだ妙齢の女性が現れた。前髪を目元で端整に揃え、後頭部に団子を結った黒髪の彼女は──侍女のクラウだった。
「殿下……! 良かった……! 怖かったでしょう、もう大丈夫です!」
彼女はルクスの姿を視認すると……胸を撫で下ろして、彼の身体を優しく抱き寄せる。
温かい彼女の胸の中に、僅かな安堵を覚えた。
「クラウ! かあさまがいないんだ……! 一緒に寝ていたのに……!」
「ご安心ください。エヴィニア様は陛下とご一緒です。殿下がお眠りになられた後、陛下とお話をされておりました」
「そ、そうか……ありがとう……」
優秀な侍女であるクラウは、既に事の収拾にかかっていた。彼女の言葉と抱擁により、ルクスは次第に平静を取り戻していく。
そして甘えるように、ぎゅっと……彼女へ両の腕を回した。
「殿下。お二人は城内の隠し部屋に身を潜めておられます。殿下をお連れするよう命を受けておりますので、急ぎここを離れましょう」
「ああ……だが、外には賊どもがいるのではないか?」
「ご安心ください。侍女たる者、殿下をお守りする力は心得ております」
彼女はルクスの瞳をじっと見据え、頼もしくも得意気に笑って見せる。
クラウが武芸に秀でていることは理解していたが……それでも、彼女に傷ついて欲しくはなかった。
「クラウの実力はわかっている。だが……無理はしないでくれ」
「……! はい、ありがとうございます、殿下。それでは参りましょう」
ルクスは差し伸べられた手を取り、寝室を後にする。今も尚、轟々と燃え盛る劫火は、雨に負けることなくその勢いを増している。
陛下と皇妃様のもとへ急がなくては。クラウは皇子の柔らかく温かい手を、優しく握り返す。
必ずや──この尊き命を、守り通してみせると。
彼女は寝室を去る中で、ルクスの言葉に、背負った責務に、決死の覚悟が固まる。
彼に心配をかけさせたくはなかったが……憂慮してもらえたことが、また嬉しかった。
夜を裂く荒天に劫火が踊り、薙ぎ倒された骸と襲撃者が跋扈する城内を二人は駆けていた。持参した手拭き布を口に当て、一心不乱に身体を走らせる。ルクスはそれまで、一歩として城を出たことのなかった脚でただ……只管に。
不意に人の気配を察知したクラウが身を潜め、ルクスの身体を抱き寄せる。彼は慌てて彼女の胸元に飛び込むが──その靴で、瓦礫の欠片を蹴ってしまう。
程なく周囲には、石材の転がる音が反響した。
「おい、何か音がしなかったか?」
「ん……? どこからだ……?」
「……俺が確認しよう」
突き当りの側廊の左角から、襲撃者の言葉を耳にする。聞こえてきた声は──二人。ルクスは必死に声を押し殺すが……戦いの心得を持つクラウの取った行動は、異なっていた。
「殿下、ここは避けて通れません。速やかに私が賊を排除して参ります。殿下はこの場でお待ち下さい」
彼女が小声で告げる。その眼差しに息を呑むルクスは、不安を滲ませながらも首肯した。
「っ! ……わ、わかった。……頼む」
クラウは優しい笑みを浮かべて、素早く立ち上がる。忽ち角から影が差し──敵の迫る気配を感じ取る。
呼吸を整え、心を修羅に。人を殺めるのは……初めてだった。
右の掌を前方へ翳し、祈術陣を展開する。そして、襲撃者の一人が姿を現す──その須臾に。
『ルシオ──ッ!』
雷降の下階祈術を発現させ、狙いを定めた雷弾が閃光となって放たれる。
同時に、呼応するかのように落雷が城内へ降り注ぎ──轟く雷鳴が、共鳴した。
「なっ──⁉ ぐわあああああああああああ!」
直線上に軌跡を描いた稲妻の弾丸は、標的を呑み込み──石壁を貫き、城の外へと突き抜けていく。
「まず……一人」
「な、なんだっ!?」
後方に控えた襲撃者は、奇襲の雷撃に表情を凍らせる。
やがて……雷弾を放った張本人が側廊の角から姿を現すと、咄嗟に剣を構えた。
「き、貴様……! よくも……っ!」
クラウは襲撃者の傍らにある、給士服を纏った遺体に目を細める。彼女の見知った顔が……そこにあった。
「……誰に手をあげているのか、あなたは理解しているのかしら?」
「はっ! 何を言うか……! 天命だ……正義は、こちらにあるッ!」
先手を打った襲撃者が、疾駆と共に斬り掛かり──対峙するクラウは両脚を開いて重心を沈ませる。
次の瞬間、迫る刃に彼女は全身を旋回させ──右脚を鋭く蹴り上げた。痛烈な一蹴に襲撃者の剣は弧を描いて弾かれ、隙を晒した相手の懐へ滑り込むと──容赦なく畳み掛ける。
「ぐぅ────!?」
「さようなら」
手向けの言葉を放つと、右手を太股に滑らせ──帯剣していた一丁の短剣を取り出した。
逆手に構えた短剣は、喉元を目掛けて鋭利な光を残し──風を裂いて襲撃者の首を掻き斬り、絶命させた。
瞬く間に、二つの命を奪う。生き残るには他に手はないと……速まる鼓動に、そう言い聞かせた。
襲撃者を仕留めたクラウは、微笑みを浮かべてルクスのもとへと歩み寄る。
「ご無事ですか、殿下」
「あ、ああ……大丈夫だ」
「よかった……さぁ、参りましょう」
クラウが、ルクスの手をぎゅっと……強く握る。
自分のためだ……自分のせいだ。返り血で赤く染まった、彼女の給仕服に。血で彩られた、その手に。
無垢なる優しき皇子は……心臓の萎縮を、感じていた。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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