最終話 再醒‐⑥
オルドバーン城・聖堂────金属塊が落下する重低音が、辺りに響く。
続けざまにぽとり、ぽとりと……音を鳴らした鮮血の水滴が、血溜まりを作る。
その音を辿った先には──アルメインの大剣と、彼の身体があった。
「どう……して…………」
その一撃は青天の霹靂……運命の螺旋に投じられた、盤外からの一手。
アルメインの心臓付近には、杖剣が深く突き刺さり──剣身は鮮血に滲み、切先は妖しく雫を咥えていた。
背後からの急襲。繰り出した本人を一瞥し、疑念を抱く。抱かざるを得ない。なぜ、君が……と。
「セレニタス……訳の分からない連中だったが、奴らには感謝をしておかないとな」
応えた声の主が、突き刺さった杖剣を引き抜くと……血飛沫が舞い、彼は返り血を浴びる。
出血の反動で倒れ込むアルメインを、凄惨な眼で見下ろすのは────カイナだった。
「ぅぐっ……ぁ……」
彼が……なぜ。アルメインは何かを発しようとしているが、全身に巡る激痛が妨げる。
「そう。これは……不変の終局だった。絶望に満ちた萌芽が生きる、唯一の道筋」
杖剣の血振るいをしたカイナは、天井を仰ぎ涙を零した。そして静かに、瞼を閉じて呟く。
「偽りの勇者が賢皇を殺した、その瞬間から。アンタが帝都を赤く染め上げた、あの日から」
彼の左手には、ひとつの紋章が闇を照らす光が如く輝きを放っている。そして、その紋章に描かれた鳥獣を……俗世で知らぬ者はいない。
レムナシア大陸に宿るとされている、太陽を象る神鳥──アレウーラ。主神リアスティーデの御使いとして、かつて預言者マーレに祈術を授けたとされるその姿は……神々しく両翼を広げ、総ての穢れを祓わんとする光を放っていた。
────────────ぜひ頼りにさせてほしい。
あの日から、心に秘めた想いは大輪の花となった。
────────────みんながコーレルム隊の仲間で、本当に良かった。
微かに揺れ動く心は、されど復讐の糧となって吞み込まれていった。
────────────君の想いも背負って、紡いでいくよ。
アンタが背負えるはずもなかった。己ですら、迷っていたのだから。
────────────だから君も……僕やみんなを、護ってくれ。
その時は来ないと断言できた。けれど、少しだけ……。あの時間を愛おしく感じてしまった。
やがて甘美な夢幻の時間は……砂のように、儚く散った。
────────────この戦を終わらせよう。違えず……みんなで、絶対に。
アルメイン。この世界で、¨絶対¨という言葉を本物にするには……少し、ほんの少しだけ……平和が足りなかったんだ。
「……どうして……カイナ……君が……紋章を……なぜ…………」
アルメインは意識が朦朧とする中、問い糾す。紋章に。そして訪れることは決してないと信じていた、仲間によって血を流された事実に。今、彼が口にした……言葉の意味に。
「真実に目を逸らさず受け容れられるか、盲目的なまでに過信したその眼で」
盲信……それは、マーレ聖教会への。アルメインが知る由もない──偽りで覆われた大陸の教えに。真っ直ぐ信じた教えに。
聖教が呈した預言に沿って、何の疑いもなくただ……純粋に。たとえ敷かれた道だとしても、必死に拓いてきた。背負った総てに、報いるためにと。
「君に……真意を、問いたい……」
民を導くと志高く掲げ。描いてきた軌跡その総てが、誤りだったとしたら。
「アルメイン。率直に言おう、アンタは……マーレの預言に記された勇者なんかじゃない」
「……何を……何を、言っているんだ……?」
目前の彼が。真にマーレの紋章を宿した彼の言葉が。虚ろな瞳で見下ろし、冷徹な表情から告げられた真実が。
認識が追いつかない。追いつこうとはしない。自身の右手の甲が、微かに疼く。
これまで証だと信じて疑わなかった、その紋章が……今は、褪せた痣に見えた。
「預言者マーレが遺した、最後の預言を覚えているか」
カイナは静かに杖剣を自身の足元に突き刺し、ゆっくりと天を見上げた。
アルメインも半死半生の体で、彼と同じ天を見上げる。流れる血は止まらない……視界が、霞んでいく。
「当たり……前、だ……」
『平和を謳歌する陰は闇の温床となり、水晶体は黒に染まった。
世界の祝福を拒絶し、安寧を灰に染める彼の者の名は災厄の魔皇。
主神より救世の紋章を授かり、終焉に覚醒する彼の者の名は預言の勇者。
一筋の光を世界に齎し、魔王を討つは勇者の掲げた道標の剣。
明日を望む民よ、祈りを捧げよ。救済を望む葦よ、根を張り強く生きよ。
やがて世界は、太平の世となるだろう。
預言者マーレ 太平の記』
一言一句違わず、仰望するカイナが預言者マーレの最後の預言──『太平の記』を口にする。
「…………ラメイアの夜に、総ては変わった」
「な……に……?」
「もちろん知っているだろ? アンタも被害に遭った……連続誘拐事変の名だ」
カイナは腰に掛けた鞄より数枚の紙を取り出すと、周囲へぞんざいにばら撒いた。
ラメイアの夜──まだ人々の記憶に新しく、最悪の悲劇として語り継がれていくであろう連続誘拐事変。はじまりの夜から瞬く間に、世界の各地で託宣の儀を控えた子供が攫われていった。カイナが撒いた紙──被害者の名が記されたその中には、当時五歳を迎える直前だったコーレルム王国第二王子アルメイン・コーレルムの名もあった。
被害総数は数百にも上り──生存者は僅か四名。預言の勇者として覚醒した、四人だけだった。
「なぜあの四人……アンタたち四人だったと思う。もし、ラメイアの夜を企てたのが賊などではなく……聖教だとしたら」
「そんなこと……ある、わけが……!」
「ラメイアの夜から解放したのが聖教騎士と司祭だったから……か? あれは自作自演だ」
もう一つ。カイナは片膝をついて屈むと、一冊の本をアルメインの前に置く。
「再星の書……これは聖術《サクラメンタム》と呼ばれる、儀式に関する研究書だ。ここにアンタの……勇者の秘密が眠ってる」
聖術……儀式……勇者の秘密。そんなものを……どうして、君が……。書物に手を伸ばすが……その手は弱く、届かない。
「多くは記されていないが……明確なことがある。アンタはラメイアの夜に、聖術によって造られた偽りの勇者──依代《セーデス》だ。そして……本物の第二王子は、既に死んでいる。計画に従事していたマクベス教官が……彼の死を、直に見ていた」
「な……なん…………」
「ラメイアの夜は、最後の預言のために生まれた……聖教の策謀だ。……アンタの勇者としての能力、王子としての立場。それらはマーレ聖教会によって歪まされた────偽りのものだ」
この世に生を受けた、記憶の奥底にある最初の記憶。生まれは大勢の人に囲まれ、父も母も満面の笑みで喜んでいた。褒め讃えてくれていた。そしてあの夜。紋章が示していた。お前は、勇者だと。けれど、カイナの言葉を嘘だと……そう、言い切ることができなかった。
分からない。定まらない記憶の海を幾ら泳いでも、沈んでしまった記憶は鮮明に思い出せない。本当の自分はどこに────この記憶が、確かな物なのかさえ。
彼の言葉が真実ならばと。答えのない問が、僅かな沈黙を齎す。意識が朦朧としてくる。流れる鮮血は収まらない。世界の……聖教の……僕の、真実。ここで、終わるのか。
「この書物は彼女が祈術学究院で見つけたものだ。とても容易ではなかったはずさ」
カイナは再星の書を拾い上げて踵を返すと、後方の壁際で失神するリサーナへ近寄った。
優しい手つきで姉の乱れた髪を梳いて整え、楽な体勢で壁にもたれさせる。
「聖教が粛清の名のもと……災厄の魔皇という烙印を押したとしても。善良な民の住まう帝国を滅ぼしたとしても。誰も疑問を抱かない、誰もが正義の執行だと盲信した」
勇者の力を、聖教の力を。マーレの預言を。主神リアスティーデが総てだからと。
再びゆっくりとアルメインのもとへ寄る。静寂に響く足音はもう僅かにしか聞こえない。カイナは地に刺した杖剣を抜くと、剣身を杖の柄であった鞘へと戻した。
「わかるか? 本来起こりえないことさえ容認してしまう! 世界は……腐りきってるんだ!」
アルメインは徐ろに瞼を閉じる。彼の悲痛な叫びだけが、頭に鳴り響く。
「皇帝ヴェーザスは非道を行う人ではなかった。決して圧政を敷くこともなく、民と志を共にし、オルドバーン帝国を繁栄させていた。そして……彼は、俺の父親だった。優しかった。厳しかった。温かかった……その総てが…………ッ!」
カイナが、ヴェーザスの息子……皇子。だが皇帝に子息はいなかったはずだ……きっと皇帝は聖教の企み気付いて……。彼の語る父。アルメインが識る魔皇。
刷り込まれた知識はあまりにも──────現実と乖離していた。
「災厄の魔皇なんて、聖教にとっては誰でも良かったんだ。父は……当て馬にされたのさ」
勇者を煽てるための駒として。マーレが遺した最後の預言を史実とするために、ヴェーザスは充てがわれた。込み上げる想いに、身を震わせる彼の声は……揺らいでいた。
「聖教は民を殺し、帝国を瓦解させていった。所業を父のものとして」
魔皇としての地位を確立させるため、総ては預言のためと行動する聖教の真意が計れなかった。
数多の人を欺き、そして数多の人が尚も預言に縋る真意が。
「再星の書を見つけた時に確信したよ。馬鹿馬鹿しい、結局は聖教の掌の上で転がされていたんだ……! 俺も……アンタも……ッ!」
けれど、君の望みは何だ。帝国の復興? 僕の殺害? 聖教への復讐? 或いは……。
「現実……そんなものはマーレがこの世を去った時から失われた。この世界の人々は預言と聖教に依存しすぎたんだ。いいや、初めからマーレなんて者は……存在しないのかもな」
その言葉に──生死の境を彷徨うアルメインが、息を呑む。偽りの勇者だとしても……この身体が、王家の血を引いていなくとも。それでも僕は、コーレルムの第二王子として邁進してきた。明かされた真実。自身が如何に、純粋で鈍感な操り人形だったことか。
けれど預言者マーレは実在したと、アルメインは信じていた。既にマーレはこの世を去った。その意志を継いでいくのは、自分だと……そう誓った。
たとえ告げられたことが真実だとしても。現実に異を唱えても。救済を遂行するんだ。歪んでいるのなら、聖教を根幹から正せば良い。暗闇の中で迷子となる民は、僕が導けば良い。
力も記憶も、立場も名前も、偽物だとしても。信条を宿したこの心だけは──本物だ。
「君の言葉が……本当だったとしても……」
「……まだ動くのか、アルメイン……!」
彼も、帝国も、世界も、救済する。そのために────。
「それでも、僕はッ! ここでいま……死ぬ訳にはいかないんだ……ッ!」
震える二本脚を、大剣で支える。瀕死に陥りながら、灰の底からアルメインは立ち上がる。
総てが定められた運命だとしても。大人しく死を受け容れる道理は、一つもなかった。
「だから、これは……僕が僕を、導くための力だ──────ッ!」
アルメインは気息奄々として右の掌を開き──前方へ翳して、其れを唱える。
信条の讃美歌。清らかなる灯火。偽りの勇者として────泡沫を掬う魔人の腕。
──────そして、運命の螺旋が廻り……歯車は動き出す。
「預言祈術──『纏いし焔の神髄《ウェスティル・アータリス》────ッ!』」
アルメインの聖櫃を中心として──激甚なエナを帯びた祈術陣が展開され、周囲に凄絶な衝撃波が迸る。帝都を覆うその陣に──星の時間軸が、創まりへと流転する。
預言祈術──────上階祈術を遥かに凌駕する、預言の勇者のみが発現できる究極の祈術。世界の理に触れる──超越にして絶対なる力。再星計画の根幹を担う四人の勇者に与えられた、最後の切り札。
勇者の聖櫃……そこに刻まれし結晶を媒介として発現する預言祈術は、これまで一度も発現した記録はなく、能力も公に秘匿とされていた。再星計画に携わる一部の人間のみが知り得るこの術。発現が過去にあったとすれば……目撃者は、既にこの世を去っているだろう。
その力の根源は──星を創ったとされる、伝説の魔人のエナ。
その力の根源こそ──聖教によって、総てを歪まされた証。
「この焔で、総てを灰にしてきたんだ。君の父も、多くの帝国の民も、戒獣も魔獣も……ッ! 僕はもう、振り返る訳にいかない──────進み続けるしかないんだッ!」
多くの命を背負う業の焔────業焔。黒く赤く燃え盛る焔の塔は、天をも衝く。
汎ゆる生命を呑み込み、地の果てへと還す焔魔人の御伽噺が──現実となって顕現した。
「だから……。この焔を、導きの灯火にしてみせるッ──!」
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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