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アガスティア  作者: 常若
第一章 赤の勇者
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最終話 再醒‐⑥

 オルドバーン城・聖堂────()()()が落下する重低音が、辺りに響く。


 続けざまにぽとり、ぽとりと……音を鳴らした鮮血の水滴が、血溜まりを作る。


 その音を辿(たど)った先には──()()()()()()()()と、()()()()があった。


「どう……して…………」


 その一撃は青天の霹靂(へきれき)……運命の螺旋(らせん)に投じられた、盤外からの一手。


 アルメインの心臓付近には、()()が深く突き刺さり──剣身は鮮血に(にじ)み、切先は妖しく雫を(くわ)えていた。


 背後からの急襲(きゅうしゅう)。繰り出した本人を一瞥(いちべつ)し、疑念を抱く。抱かざるを得ない。()()()()……と。


「セレニタス……訳の分からない連中だったが、奴らには感謝をしておかないとな」


 (こた)えた声の主が、突き刺さった杖剣を引き抜くと……血飛沫(ちしぶき)が舞い、彼は返り血を浴びる。


 出血の反動で倒れ込むアルメインを、凄惨(せいさん)な眼で見下ろすのは────()()()だった。


「ぅぐっ……ぁ……」


 彼が……なぜ。アルメインは何かを発しようとしているが、全身に巡る激痛が妨げる。


「そう。これは……不変の終局だった。絶望に満ちた萌芽(ほうが)が生きる、唯一の道筋」


 杖剣の血振るいをしたカイナは、天井を仰ぎ涙を零した。そして静かに、瞼を閉じて呟く。


「偽りの勇者が賢皇(けんおう)を殺した、その瞬間から。アンタが帝都を赤く染め上げた、あの日から」


 彼の左手には、()()()()()()が闇を照らす光が如く輝きを放っている。そして、その紋章に描かれた鳥獣を……俗世で知らぬ者はいない。


 レムナシア大陸に宿るとされている、太陽を(かたど)る神鳥──()()()()()。主神リアスティーデの御使いとして、かつて預言者マーレに祈術を授けたとされるその姿は……神々しく両翼を広げ、総ての穢れを祓わんとする光を放っていた。


 ────────────ぜひ頼りにさせてほしい。


 あの日から、心に秘めた想いは大輪の花となった。


 ────────────みんながコーレルム隊の仲間で、本当に良かった。


 微かに揺れ動く心は、されど復讐の糧となって吞み込まれていった。


 ────────────君の想いも背負って、紡いでいくよ。


 アンタが背負えるはずもなかった。己ですら、迷っていたのだから。


 ────────────だから君も……僕やみんなを、護ってくれ。


 その時は来ないと断言できた。けれど、少しだけ……。あの時間を愛おしく感じてしまった。


 やがて甘美(かんび)夢幻(むげん)の時間は……砂のように、(はかな)く散った。


 ────────────この戦を終わらせよう。違えず……みんなで、絶対に。


アルメイン。この世界で、¨絶対¨という言葉を本物にするには……少し、ほんの少しだけ……平和が足りなかったんだ。


「……どうして……カイナ……君が……紋章を……なぜ…………」


 アルメインは意識が朦朧(もうろう)とする中、問い糾す。紋章に。そして訪れることは決してないと信じていた、仲間によって血を流された事実に。今、彼が口にした……言葉の意味に。


「真実に目を逸らさず受け容れられるか、盲目的なまでに過信したその眼で」


 盲信……それは、マーレ聖教会への。アルメインが知る由もない──偽りで覆われた大陸の教えに。真っ直ぐ信じた教えに。


 聖教が(てい)した預言に沿()って、何の疑いもなくただ……純粋に。たとえ敷かれた道だとしても、必死に拓いてきた。背負った総てに、報いるためにと。


「君に……真意を、問いたい……」


 民を導くと志高く掲げ。描いてきた軌跡その総てが、誤りだったとしたら。


「アルメイン。率直に言おう、アンタは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……何を……何を、言っているんだ……?」


 目前の彼が。真にマーレの紋章を宿した彼の言葉が。虚ろな瞳で見下ろし、冷徹(れいてつ)な表情から告げられた真実が。


 認識が追いつかない。追いつこうとはしない。自身の右手の甲が、微かに(うず)く。


 これまで証だと信じて疑わなかった、その紋章が……今は、()せた(あざ)に見えた。


「預言者マーレが遺した、最後の預言を覚えているか」


 カイナは静かに杖剣を自身の足元に突き刺し、ゆっくりと天を見上げた。


 アルメインも半死半生の体で、彼と同じ天を見上げる。流れる血は止まらない……視界が、(かす)んでいく。


「当たり……前、だ……」


『平和を謳歌する陰は闇の温床となり、水晶体は黒に染まった。


 世界の祝福を拒絶し、安寧を灰に染める彼の者の名は災厄の魔皇。


 主神より救世の紋章を授かり、終焉に覚醒する彼の者の名は預言の勇者。


 一筋の光を世界に齎し、魔王を討つは勇者の掲げた道標の剣。


 明日を望む民よ、祈りを捧げよ。救済を望む葦よ、根を張り強く生きよ。


 やがて世界は、太平の世となるだろう。

             預言者マーレ  太平の記』


 一言一句違わず、仰望(ぎょうぼう)するカイナが預言者マーレの最後の預言──『太平の記』を口にする。


「…………()()()()()()に、総ては変わった」


「な……に……?」


「もちろん知っているだろ? ()()()()被害に遭った……連続誘拐事変の名だ」


 カイナは腰に掛けた(かばん)より数枚の紙を取り出すと、周囲へぞんざいにばら()いた。


 ラメイアの夜──まだ人々の記憶に新しく、最悪の悲劇として語り継がれていくであろう連続誘拐事変。はじまりの夜から瞬く間に、世界の各地で託宣(たくせん)の儀を控えた子供が(さら)われていった。カイナが撒いた紙──被害者の名が記されたその中には、当時五歳を迎える直前だった()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の名もあった。


 被害総数は数百にも上り──()()()()()()()()。預言の勇者として覚醒した、四人だけだった。


「なぜあの四人……アンタたち四人だったと思う。もし、ラメイアの夜を企てたのが賊などではなく……聖教だとしたら」


「そんなこと……ある、わけが……!」


「ラメイアの夜から解放したのが聖教騎士と司祭だったから……か? あれは自作自演だ」


 もう一つ。カイナは片膝をついて屈むと、一冊の本をアルメインの前に置く。


()()の書……これは()()《サクラメンタム》と呼ばれる、儀式に関する研究書だ。ここにアンタの……勇者の秘密が眠ってる」


 聖術……儀式……勇者の秘密。そんなものを……どうして、君が……。書物に手を伸ばすが……その手は弱く、届かない。


「多くは記されていないが……明確なことがある。アンタはラメイアの夜に、聖術によって造られた()()()()()──()()《セーデス》だ。そして……本物の第二王子は、()()()()()()()。計画に従事していたマクベス教官が……彼の死を、直に見ていた」


「な……なん…………」


「ラメイアの夜は、最後の預言のために生まれた……聖教の策謀だ。……アンタの勇者としての能力、王子としての立場。それらはマーレ聖教会によって歪まされた────()()()()()だ」


 この世に生を受けた、記憶の奥底にある最初の記憶。生まれは大勢の人に囲まれ、父も母も満面の笑みで喜んでいた。褒め(たた)えてくれていた。そしてあの夜。紋章が示していた。お前は、勇者だと。けれど、カイナの言葉を嘘だと……そう、言い切ることができなかった。


 分からない。定まらない記憶の海を(いく)ら泳いでも、沈んでしまった記憶は鮮明に思い出せない。本当の自分はどこに────この記憶が、確かな物なのかさえ。


 彼の言葉が真実ならばと。答えのない問が、僅かな沈黙を(もたら)す。意識が朦朧(もうろう)としてくる。流れる鮮血は収まらない。世界の……聖教の……僕の、真実。ここで、終わるのか。


「この書物は彼女が祈術学究院で見つけたものだ。とても容易(ようい)ではなかったはずさ」


 カイナは再星の書を拾い上げて(きびす)を返すと、後方の壁際で失神するリサーナへ近寄った。


 優しい手つきで姉の乱れた髪を()いて整え、楽な体勢で壁にもたれさせる。


「聖教が粛清(しゅくせい)の名のもと……災厄の魔皇という烙印(らくいん)を押したとしても。善良な民の住まう帝国を滅ぼしたとしても。誰も疑問を抱かない、誰もが正義の執行だと盲信した」


 勇者の力を、聖教の力を。マーレの預言を。主神リアスティーデが総てだからと。


 再びゆっくりとアルメインのもとへ寄る。静寂(せいじゃく)に響く足音はもう僅かにしか聞こえない。カイナは地に刺した杖剣を抜くと、剣身を杖の柄であった(さや)へと戻した。


「わかるか? 本来起こりえないことさえ容認してしまう! 世界は……腐りきってるんだ!」


 アルメインは(おもむろ)ろに瞼を閉じる。彼の悲痛な叫びだけが、頭に鳴り響く。


「皇帝ヴェーザスは非道を行う人ではなかった。決して圧政を敷くこともなく、民と志を共にし、オルドバーン帝国を繁栄させていた。そして……彼は、俺の父親だった。優しかった。厳しかった。温かかった……その総てが…………ッ!」


 カイナが、ヴェーザスの息子……皇子。だが皇帝に子息はいなかったはずだ……きっと皇帝は聖教の企み気付いて……。彼の語る父。アルメインが識る魔皇。


 刷り込まれた知識はあまりにも──────現実と乖離(かいり)していた。


「災厄の魔皇なんて、聖教にとっては誰でも良かったんだ。父は……当て馬にされたのさ」


 勇者を(おだ)てるための駒として。マーレが遺した最後の預言を史実とするために、ヴェーザスは()てがわれた。込み上げる想いに、身を震わせる彼の声は……揺らいでいた。


「聖教は民を殺し、帝国を瓦解(がかい)させていった。所業を父のものとして」


 魔皇としての地位を確立させるため、総ては預言のためと行動する聖教の真意が計れなかった。


 数多の人を(あざむ)き、そして数多の人が(なお)も預言に(すが)る真意が。


「再星の書を見つけた時に確信したよ。馬鹿馬鹿しい、結局は聖教の(てのひら)の上で転がされていたんだ……! 俺も……アンタも……ッ!」


 けれど、君の望みは何だ。帝国の復興? 僕の殺害? 聖教への復讐? 或いは……。


「現実……そんなものはマーレがこの世を去った時から失われた。この世界の人々は預言と聖教に依存しすぎたんだ。いいや、初めからマーレなんて者は……存在しないのかもな」


 その言葉に──生死の境を彷徨うアルメインが、息を呑む。偽りの勇者だとしても……この身体が、王家の血を引いていなくとも。それでも僕は、コーレルムの第二王子として邁進(まいしん)してきた。明かされた真実。自身が如何(いか)に、純粋で鈍感な操り人形だったことか。


 けれど預言者マーレは実在したと、アルメインは信じていた。既にマーレはこの世を去った。その意志を継いでいくのは、自分だと……そう誓った。


 たとえ告げられたことが真実だとしても。現実に異を唱えても。救済を遂行するんだ。歪んでいるのなら、聖教を根幹から正せば良い。暗闇の中で迷子となる民は、僕が導けば良い。


 力も記憶も、立場も名前も、偽物だとしても。信条を宿したこの心だけは──本物だ。


「君の言葉が……本当だったとしても……」


「……まだ動くのか、アルメイン……!」


 彼も、帝国も、世界も、救済する。そのために────。


「それでも、僕はッ! ここでいま……死ぬ訳にはいかないんだ……ッ!」


 震える二本脚を、大剣で支える。瀕死に陥りながら、灰の底からアルメインは立ち上がる。


 総てが定められた運命だとしても。大人しく死を受け容れる道理は、一つもなかった。


「だから、これは……()()()()()()()()()()だ──────ッ!」


 アルメインは気息奄々(きそくえんえん)として右の掌を開き──前方へ翳して、()()を唱える。



 信条の讃美歌。清らかなる灯火。偽りの勇者として────泡沫(うたかた)(すく)う魔人の(かいな)



 ──────そして、運命の螺旋が(まわ)り……歯車は動き出す。



()()()()──『()()()()()()()《ウェスティル・アータリス》────ッ!』」



 アルメインの聖櫃(せいひつ)を中心として──激甚(げきじん)なエナを帯びた祈術陣が展開され、周囲に凄絶(せいぜつ)な衝撃波が(ほとばし)る。帝都を覆うその陣に──星の時間軸が、(はじ)まりへと流転する。


 預言祈術(よげんきじゅつ)──────上階祈術を遥かに凌駕(りょうが)する、預言の勇者のみが発現できる究極の祈術。世界の理に触れる──超越にして絶対なる力。再星計画の根幹を担う四人の勇者に与えられた、最後の切り札(ラストホープ)


 勇者の聖櫃……そこに刻まれし結晶を媒介として発現する預言祈術は、これまで一度も発現した記録はなく、能力も公に秘匿(ひとく)とされていた。再星計画に携わる一部の人間のみが知り得るこの術。発現が過去にあったとすれば……目撃者は、既にこの世を去っているだろう。


 その力の根源は──星を創ったとされる、伝説の魔人のエナ。


 その力の根源こそ──聖教によって、総てを歪まされた証。


「この(ほむら)で、総てを灰にしてきたんだ。君の父も、多くの帝国の民も、戒獣も魔獣も……ッ! 僕はもう、振り返る訳にいかない──────進み続けるしかないんだッ!」


 多くの命を背負う業の焔────業焔(ごうえん)。黒く赤く燃え盛る焔の塔は、天をも()く。


 (あら)ゆる生命を呑み込み、地の果てへと還す(えん)魔人の御伽噺(おとぎばなし)が──現実となって()()した。


「だから……。この焔を、導きの灯火にしてみせるッ──!」 


次回の更新も明日の21時を予定しています。

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