最終話 再醒‐②
猛々しく燃え盛る城内。視界は赤く染まりきり、仰々しい軍靴の足音が鳴り響く。
ああ、またこの夢だ。幾度となく繰り返され、脳裏に、心臓に、魂に焼き付いた記憶。
荒れ果てた記憶の湖の底。陽光が差すことのなくなった、薄暗い箱。
そしてまた一つ、追憶の波が押し寄せてくる。
あれは──────。
「……い! ……おい! しっかりしろ!」
遠くから声が聞こえる。いや、至近距離かもしれない。わからない。確認しようにも、瞼が開かない。
自分は倒れているのだろうか。身体を起こそうにも、上手く力が入らない。
全身が、泥濘にいるように重苦しい……。
その中で──懸命に意識を集中させ、耳を澄ませる。
「聞こえるか!? 聞こえたら何か、合図をくれ!」
声に反応して、腕を必死に動かした。力の入らない身体で、何とか右手を少し挙げる。
「おお……! 良かった……! 水は飲めるか? ……確かここに……あった!」
貴方は誰……水……身体が起き上がらない……。駄目だ。今は……この人に従おう。
「よし、水を口に入れるぞ、ゆっくり飲め」
声の主と思われる手が頬に添えられ、冷たい滴が唇に触れる。ゆっくり、ゆっくりと、冷水が自身の口内に注がれる。乾ききった喉を潤すそれを、体内に取り込んでいく。
心做しか身体に力が戻り、瞼を開いて声の主を視認する。六十前後だろうか。頭を丸めた老夫だった。
「……が……とう」
「良いってことよ! ……こんなことになってんだ。お前さんだけでも、無事で良かったぜ」
そう語る老夫の視線に導かれ、同様にその先を見渡した。
そして。夢と見紛うほど、自身が眠りについたその間に……世界が一変したことを知る。
「なに……これ…………」
自身の視界には、黒く、深く。
帝都が誇る悠久の優美とは、真逆と言っていい──断崖の大穴の焦土が、広がっていた。
しばらくして。身動きの取れない私は老夫に背負われ、彼の住まいへと身を運ぶことになった。
「坊主、名前は分かるか?」
「ル……」
「る……?」
もしもあの夜の賊の仲間なら……身元を明かせば、この首を斬り裂かれてもおかしくない。
ここで本名を明かすのは、憚られた。
「ル……ル、ルイ」
「そうか、ルイ。気を確かに持てよ。少し先で食事にするからな、踏ん張ってくれよ」
「う、うん……」
私の身体が腰まで滑り落ちていることに気付いた老夫は、腕を僅かに上げて背負い直す。
私は……温かいその背中に、身を委ねてみることにした。
「我が家にはもう一人、ルイと同じくらいの歳の女の子がいるんだ。ちょっとばかし身体が弱い子だが……まぁ仲良くしてやってくれ」
女の子……。歳の近い子供に会ったことなどなかった。
少しの緊張が走るけれど、今はそれ以上に……あの夜の情景が何度も何度も、何度も頭の中で繰り返されていたんだ──。
どれくらいの時間が流れただろう。幾夜を超えて老夫の家があるという集落に着くと、三人の青年がこちらに駆け寄ってくる。
皆、必死の形相で老夫へ訴えていた。
「おいっ! ようやく帰ってきたぞ!」「爺さん遅いぞっ! どこ行ってたんだ! ってその子は……」「それよか爺さん……! 大変だっ……!」
「なんだなんだぁ? どうしたお前らぁ?」
青年ら曰く、老夫と同居している女の子の体調が急変し、酷く苦しんでいるという。
数日前に診た薬師はただの熱だと言ったそうだが、治る気配もなく悪化の一途を辿っていた。
既に私の身体も快復を果たし、自分の脚で歩けるようになっていた。
だが彼の背中の温もりと安心感に甘えてしまい、その背から離れなかった。帰宅が遅れたのは……私の責だった。
急ぎ老夫の家へ駆け込むと、寝具の上で臥せている少女の姿が視界に入った。
「薬師はまだ村にいるのか!?」
「それが、もう次の村に行っちまったんだ……」
「くそっ……! おい……! 聞こえるか! あー……どこが痛いとか、分かるか⁉」
焦燥に駆られた老夫は、女の子の身体を必死に揺すって問い掛ける。
多量の発汗を伴った苦悶の表情を浮かべており、意識はあるが返事がなかった。
徐に私は……女の子へ近付いた。
「おっ、おいっ……! 伝染るかもしれねぇ、離れてなっ!」
老夫が呼び掛ける。が、私が首を横に振ると押し黙った。
女の子の傍に立つと、不思議と左手が温かい何かに包まれる。その甲には紋章が浮かび上がり──白金色に発光していた。
「おっおい、あれ……!」「なっ……なんだ……!?」
周囲の人々が注視する中、私は女の子の身体に左手を添える。
すると──彼女は白金の光に包まれ、その表情を柔らかくしていき……やがて穏やかな眠りについた。
「ル、ルイ……おめぇ……」
御伽噺のような光景に見守っていた一同は、呆気に取られた表情をする。
「おお……ディーリア……!」「凄い……凄いぞ!」「主の導きだ……!」
歓喜の声が挙がる。私は老夫に笑顔を送ると、驚愕した様相で彼も苦笑いを返した。
数日後。女の子は目を覚ますと、荷運びの手伝いをしている私の前に姿を見せた。
人の手伝いなど此の方したこともなかったが、褒められると無性に嬉しかった。
「あの……」
「……もう起きて大丈夫?」
「うん。助けてくれて、ありがとう。私に……生きる力を与えてくれて、ありがとう」
不意に。彼女の笑顔に、涙が零れた。
絶望した私の世界に、一輪の花が咲いた瞬間だった。
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それぞれの想いを乗せたアルドールが走ること半月ほど。日中、休まず移動を続ける艦内では稽古や談笑の声が飛び交う中、コーレルム隊は帝都近郊へ歩みを進めていた。
セクトルが発明される以前、聖都から帝都へはひと月以上を要したと言われている。この時代に生を授かり、アルドールの操縦を一任されているマリベルは、もう少し長く旅路を楽しみたい気持ちもあったが……それを口に出すことは憚られた。
艦内の廊下を歩いていたアルメインは、窓際で遠くを眺めているリサーナへ声を掛ける。物思いに耽る彼女は、何かを憂う表情をしていた。
「リサーナ、どうしたんだい? 随分と深刻な様子だが……」
「……アル。なんでもないわ。ただ少し昔を思い出していたのよ」
「昔、か…………」
「それと……祭儀の日はごめんなさい。実は、カイナと一緒にマクベス教官に会っていたの。急に姿を見せるものだから、驚いてしまって……すっかり話し込んでしまったわ」
「ああいや、それなら構わないさ。……二人はどこでマクベス教官と知り合ったんだい?」
目に映る彼女の瞳が僅かに揺らぐ。心地よい駆動音を嚙み締めるように、俯いて語る。
「リダマーナよ。私たちは田舎の村の出身なの。彼と出会ったあの村から……始まったわ」
「そうか……。よければいつか、二人の故郷も目にしてみたいな」
彼女はアルメインへ視線を向け──その顔に目を丸くすると、可笑しいことのように笑う。
「……ふふっ……アル、あなた……鼻血が出ているわ」
首を傾げて鼻を拭うと、その甲には鮮血が滲んだ。不意の出来事に、アルメインも失笑する。
「え? ……あははっ、本当だ。鼻血なんて、いつぶりだろうな……」
「皆さーん! もうすぐ帝都に到着しますっ! 操縦室にお集まりくださいっ!」
操縦席のマリベルより伝声管を通して報せが入り、二人は笑みを添えて顔を見合わせる。
「どうやら時間みたいだ。行こうか」
「……ええ。そうね」
一同が操縦室へ足を運ぶと、マリベルを囲うようにして並んだ。視線が集まる操縦に、彼女は頬を染めて恥じらいを見せている。
そして────眼前には、広漠たる帝都アルタニスがその姿を覗かせていた。
「えーっと……殿下! 停泊はどのあたりにいたしましょうか?」
「そうだな……発着場は避けよう。オルドバーン城付近の、マリーが泊めやすい地点でお願いできるかい?」
「はいっ! 承知しました!」
帝都の淵……オルドバーン城を巻き込むほどの大穴に、ウルハは息を呑む。
かつて魔皇ヴェーザスが命を散らす、その最後に放った祈術。地を穿った……痛ましい戦跡。
「あれが……ヴェーザスの大穴……」
「む……壮観。この規模の大穴を空けるなんて、魔皇なだけはある」
「一体、どれほどの祈術を行使したんだろう……」
「あたし、ここには初めて来たけど……まるで遺跡ね」
視界に広がる帝都は建造物が朽ち果て、生い茂る蔦が蔓延る無人の廃都と化していた。
過去の栄華──その広大な街並みだけが、寒々しく映っている。
アルメインは拳を強く握り、唇を嚙み締める。背負った業と、自身への戒めを……彼が忘れることはなかった。
「……七年だ。帝都が、帝国が変わってしまったのは。……いや、僕が変えてしまった。華やかだったかつての帝国の面影はもう、消えてしまった」
悲痛な面持ちをする彼に……硝子窓から手を離したミオメルが、言葉を掛ける。
「あんたが変えてしまったならさ……また、あんたの手で変えれば良いじゃない」
「ミオメル…………」
「背負って、生きてくんでしょ」
さり気ない、しかし彼女らしいその言葉に。
少しだけ、自身の荷が軽くなった気がした。
「……そうだな。必ず、この国に色を取り戻してみせるさ」
快晴が似合う、活気に溢れた人で賑わう色を……この都に。そして、この国に。
「アル、私も手伝う」「アルくん、何でも言ってね!」「……俺たちもだ」「ええ、そうね」
「あははっ……ありがとう、みんな。事が片付いたその時には、よろしく頼むよ」
信頼を寄せる仲間に、笑みが零れる。想いは新たに、また絆を紡いでいく。
「この悲劇を終わらせよう。違えず……みんなで、絶対に」
一行は運命の都へと、その足を動かす。
世界に住まう人々と──帝国の救済を、胸に秘めて。
ヴェーザスの放ったとされる祈術とは、果たして……。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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