第三話 歌姫‐⑮
翌朝。ウルハとリオンが騎士団本部へ赴くと、二人の旧知の顔が待っていた。
「おはよう。……アルメインから聞いてたのよ。明日の朝、あんたたちがここに来るかもって」
眠たげな表情をしたミオメルが欠伸と共に二人を出迎える。
ウルハは昨晩、彼女が負傷したと耳にしていたが……いつも通りの、元気そうな彼女が立っていた。
「ミオちゃん、おはよう……。その、怪我は大丈夫なの?」
「見ての通りよ。……あたしは彼のお陰で軽傷だったわ」
しかしその実、懸念していたのは別のこと。目を伏せた後、リオンを横目で一瞥する。
「おはようございます、ミオメルさん」
「リオン……。ごめん、あたしが……」
ミオメルが謝罪を口にしようとするが、リオンはそれに首を横に振って制する。
「あなたのせいじゃないわ。ジェイクさんは受けるべき報いを受けた。彼もきっと、覚悟はしてたはず。そして、わたしも……」
「それでも……っ! あんたの恋人に助けられたっ! あたしが……彼を死なせてしまったっ! だから……っ! だから……ごめんなさい」
「ミオメルさん…………」
彼女は誠意を込めて深々と頭を下げると、騎士が民に対して詫言を述べる様子に、付近の聖教騎士たちの視線が向けられる。
程なく戸惑いと騒めきが広がる本部内から距離を取るべく、ウルハは足早に事を済ませようと促した。
「と、とにかく! 報告と聴取があるからっ! ミオちゃんもそのために来たんでしょ?」
「っ……うん、そう。……そうね…………行きましょ」
その後……リオンは弁明のため、二人に同行して騎士団本部の審問室を訪れた。
彼女が咎人の恋人、加えて禁制の薬物を服用したことを謗る審問官や、激昂して処刑を口にする審問官もいた。
しかし彼女の歌姫としての聖教への貢献、そして彼女の無過失を主張するウルハとミオメルの訴えにより、審問官の協議の末……彼女に咎はないと下った。
時を置いて、彼女は解放されたが……疲労からか宿へと戻ると言い、二人はその姿を見送った。
その背中はどこか儚げで──深い喪失を漂わせていた。
「……必ず、あの子に笑顔を取り戻してみせる」
「うん……私も協力するね」
「ありがとう、ウルハ。今日、リオンが落ち着いてたのは……あんたのお陰なんでしょ?」
「えへへ……けど、私は特に何も。逆に元気貰っちゃったかも」
最初はジェイクの死をまだ知らされていないのかと思ったが、本部に来ている様子からその線は外れた。
彼女を絶望の淵で支えたのは、横にいたウルハなのだろう。
「そんなあんただから、リオンを励ませたのよ。……櫃鳴症のことは、あたしに任せて」
「うん。でも……何でも背負い込まないで、もっと私にも話して欲しいな」
咎めようとしているわけではない。信頼している証として、彼女の言葉が聞きたかった。
「ウルハ……。はぁ……いいけど、そんな大層なことじゃないわよ?」
「うんっ……!」
ミオメルは実のところ他人の助けを借りるだけの策を、恥じらいながらも語る。
けれど──ウルハにとっては、彼女が打ち明けてくれたことが……何よりも嬉しかった。
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──────卯の月・地の第五曜日。
ミオメルは上機嫌な様子で、商業区プリムス通りを歩いている。
このところ悩みを抱えたまま眠ることが続いていた彼女だが、久方振りに寝覚めの良い朝を迎えていた。
昨日。リオンから高熱を発症した際に訪れた薬師の居所を耳にしたあたしは、審問の後で足を運んだが──そこに薬師の姿はなく、既に蛻の殻と化していた。
聖都に潜む闇に拭い切れない不安を微かに覚えながら、今日は彼女が滞在している宿屋へ向かっていた。
今はまだ無理でも……きっと彼女は前を向いてまた歩き出してくれる。
それまでは自分たちが支えると決めた。それがジェイクの遺言と……彼との約束だ。
宿屋に到着して、主人にリオンの友人だと伝える。彼女から名前を聞いたことがあったのか、快く部屋を教えてくれた。軽快な足取りで向かうと、彼女の歌が聴こえてきた。
変わらず素敵な歌声。幻聴ではない────確かに彼女の歌声だ。
今日は彼女が好きだった、真赤なマーラムの果実を持参してきた。
美味しい甘味を味わいながら、櫃鳴症についても話そう。次の休暇に三人で遠出をするのも良い。その後は……。
「リオン〜? いるんでしょ? 開けるわよ〜」
思考を巡らせて部屋の扉を開ける。
第一声は何を言おうか、そう……考えた時だった。
「うそ……うそよ…………うそうそうそうそううそうそうそっっっっ!」
手に持っていた荷を投げ捨て、部屋に横たわる一人の身体に近づく。その身体は既に冷え切っており、応じることなく瞼を閉じている。
傍らの円卓には白く淡い桃色に濁った液体の入ったグラスが──部屋には毒花として知られるアリオンの香りが満ちていた。
考えたくないことだけが過ぎり──考えたくない事態が、あたしを絶望へと突き落とす。
「リオン……ちょっとリオン……! しっかりしなさいよ……リオン……っ!」
必死に身体を揺するも、息一つとして反応がない。彼女はとうに息絶えていた。窓から差し込む陽光が仏顔を照らす。それは生という苦しみから解放され、死という終わりへ向かうことを意とした表情。
暖かい陽射しと静寂に包まれた部屋で、安らかに眠る彼女の横から、嗚咽が響きわたる。
初めから。ジェイクがこの世を去ってから既に彼女は生きる意味を見失っていた。その穴を自分は埋められると過信していた。自死を選ぶなど毛頭ないと、そう考えていた。
「くそっ……くそくそっ! …………くそくそくそくそくそ、くそッッッ!」
果てない後悔を拳に乗せ、叫声と共に幾度となく自身の膝を殴打する。出血を伴っても、痣ができても、止まることはない。
そして────この痛みが、消えることはなかった。
「なんで……なんで…………」
ふわりと優しい風が吹き、窓際の机より一枚の紙が風に乗ってあたしのもとへ運ばれる。
その紙は弱々しい筆跡で書かれた、恋人と……二人の友人に向けての手紙だった。
『ジェイクさんへ
わたしはあなたの罪をはやく知るべきでした。罪を知り、償い、悩み、ふたりで生きることに意味があった。共に笑うことも、共に泣くことも、共に苦しむことも、共に罪を背負うことも。あなたと分かち合う、それがわたしの人生でした。
変わらない世界で、変わらない景色をみて、変わらない明日を待ちながら……あなたと旅をしたかった。けれどもう……変わってしまった世界で、変わってしまった景色をみて、変わってしまった明日を待つことはできないから……。
今生を別れ、今一度の再会が叶うのなら、次は一緒に。
ウルハさん、ミオメルさんへ
彼が亡くなって……ウルハさんの言葉を飲み込むことに時間が掛かりました。それから憑き物が落ちたようにすっと、心の在り処が分かりました。まずは真実を教えてくれて、ありがとう。そして、ごめんなさい。
頭の整理が終わって、気付いたの。あなたたちを裏切ってでも、わたしにとっての生きる意味は彼と共に在ることだった。彼がいなくなったこの世界からは、旅立つことにしました。それに、薬なしでは櫃鳴症の進行は抑えられないって、分かっているから……。
どうか我儘なわたしを許してください。そしてどうか、あなたたちに主神リアスティーデ様の導きがありますように。ディーリア。
リオン・エイプル』
頬を伝う慟哭の雫が手紙へ落ち、滲んだ文字が心を掻き乱す。自分は二人の人間を殺してしまった。殺させてしまった。リオンにとってのジェイク……ジェイクにとってのリオン。その意味を履き違えていた。
噛み締める唇と震える手は止まらない。止まってはいけない。ジェイクに告げた言葉が跳ね返り、深く突き刺さる。リオンを裏切っていたのは……自分だったのかもしれないと。
正義とは何か。その答えをあたしは一つ失い、暗闇で正解を見つけられずにいた。
この部屋を去り事態を報告する前に。溢れ出る涙を右手で拭いながら、置かれた羽根筆を手に取ると、洋墨を付して手紙の端に手向けの言葉を綴る。
『人が人でいられる世界を築くわ。あんたたちにも……』
詰まった言葉に、筆圧を強めて横線を引き……鼻を啜って、想いのままに文字を書き殴った。
『あんたたちのことは忘れない。あたしが一生背負って、生きていくわ』
書き終えたミオメルは部屋を後にする。そして……この業が彼女を紡いでいく。
歌姫の歌が……今もまだ、頭の中で反芻していた──────。
救いのない現実に、糾弾の叫びをあげる。
救えなかった自分に、戒律の号びをあげる。
悲劇で幕を閉じた歌姫に、贖罪の涙を流す。
輪廻の果てに二人が再び出逢うとしても、それはきっと、この世界ではない。自身がこの世界の根幹に変革を齎さなくては……いつか悲劇はまた、繰り返される。
けれど──せめて今だけは、天へと昇った二人の再会を願いたい。
想いと共にミオメルは、悲劇を止められなかった自分にただ、天へと哭いた。
その日は快晴。雲一つない、空に青が澄み渡る日だった。
こうして……歌姫リオンの物語は幕を閉じました。
第三話は、これにて閉幕となります。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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