第三話 歌姫‐⑬
「なんだ……なんだ、今のはッ!?」
「はぁ……はぁ……。一つだけ……あたしにはわかることがあるわ。リオンはきっと……あんたの犯した罪を知れば、自死を選ぶはずよ」
荒い息遣いでナテラ、と新たに岩槍を創り出すと、両手で縋るように岩槍へ体重を預ける。
程なく呼吸を整えた後に、彼の心へ語りかけるように口を開いた。
「彼女は人の命を犠牲にして生きることを選ぶ人じゃない。そしてこれ以上犠牲が増えることも……決して望まないはずよっ!」
揺さぶりでも時間稼ぎでもない。彼女は本心からジェイクの改心を願っている。ウルハと、そしてリオンの悲しむ姿を、目にしたくはないと。
されど……彼の心は決して揺るがない。中階祈術が不発に終われど、前に進む他──道は残されていないのだと。
「あんた……さっき言ったわよね、リオンに真実を告げられるかって。なら、あたしからも言わせてちょうだい。……あの子が汚れた薬で生かされてることを、喜ぶと思うッ!?」
岩槍を手に接近して糾弾の一閃を振るうが──疲労の蓄積からか、先刻のような力強さはなかった。弧を描いた矛先はジェイクの身体に届くことなく、容易く短剣に阻まれる。
「っ──! あなたの仰る通り、喜ぶことはないでしょうしかしッ! 彼女がそれを知る機会は、永遠に来ないのです……! 『ナテラッ!』」
体力はとうに限界を迎えていた。それでも……疲弊した繊弱な勢いそのままに岩槍を振るい続けるミオメルに対して、ジェイクが祈術陣を展開する。
風に身を任せるように刺突を躱し──地天の下階祈術を発現させると、互いを隔てるように巨大な石壁を創り上げた。
「穢れた手で、触れ合って、面と向かって、心を見て、リオンと話せるッ!?」
だが──ミオメルの糾弾は鳴り止まない。金剛より硬く揺るぎない信念を宿した岩槍が、鍛え抜かれた武技と合わさる。あと少し──彼の心に言葉を届けるために、会心の刺突を繰り出した。鈍く重い音が発せられ、衝撃と亀裂が石壁に走る。
そして再度、彼女が一層の力を込めて岩槍を突き出すと、石壁は粉々に砕け散り──無数の破片となった。
「あの子が、自分の愛した人が罪を犯していることを、許せると思うッ!?」
石壁を破砕して尚、怒涛の攻勢が続く。岩槍を縦に長く持つと、身体を回転させて聖者の断罪が如く振り下ろした。ジェイクは狼狽えながらも、短剣を薙ぎ払って迎え撃つが──剣身は無惨にもその身を散らしてしまう。
拮抗する程の力は既に……彼にも残ってはいなかった。
「あんたはもう、リオンを裏切ってるのよ────っ!」
有りっ丈の言葉と、心へ紡ぐ一突きを。ジェイクは死を覚悟する。同時に、ミオメルの言葉が脳内で反芻した。裏切っていた。リオンを。
そしてもう彼女を助けられる機会は訪れないのだと、彼女から赦しをえる機会は訪れないのだと。最後に、この先彼女が生きていける道を見つけて欲しいと。一滴の涙を流した────。
「くっ…………!」
葛藤が生じたミオメルは矛先を僅かに逸らすと、致死の刺突はジェイクの左耳を掠めて空を穿つ。間を置かずに左脚で彼の胸部を蹴り上げ、一切の抵抗力を削いだ。
「グハッ…………!」
ジェイクは後方の壁に背中を強打すると、もたれかかる形で無気力に崩れ落ちる。
雌雄は決し──ミオメルが矛先を彼の首筋に添える。彼は自身の状況を悟り、謳った。
「……盲目で脚も満足に動かせない私は、この世界に……美しいモノなど存在しないと、そう思っていたのです……」
自由の利かない、他人とは異なる身体。それを揶揄されることも、差別を受けることもあった。
絶望に塗れた人生。一言でジェイク・マーカスという男を表現するならば、この言葉が最も相応しかった。だがそんな彼も……そんな彼だったから。
「けれどあの村で……リオン君と、彼女の歌に出逢ってから私は、世界の美しさを知った」
現実からの逃避。行き着いた先の村で……彼女と出逢った。その歌声に心を傾けると、薄暗かった世界が色づいた。浸透していく。彼女の歌に耳が……心が馴染んでいく。
やがて蟀谷にはこれまで苦渋という感情でしか流さなかったものが、幸福という感情で初めて流れた。温かかった、切なかった。彼の人生が変わった……紛れもない瞬間だった。
「ただ彼女と、生きていたかった。ただ彼女と、旅をしていたかった……それだけだった」
言葉にならない声をあげ、暗闇と哭く。
戻らない時と進み続けるしかない泥濘の中、後悔と覚悟だけがジェイクを支配した。
「……マーカス、お願い。まだ間に合うわ、大人しく捕縛されて」
掛けてあげるべき言葉は見つからない。彼の犯した罪業決しては許されるべきでものはない。けれど……彼の想いもまた、分かってしまうから。
「本当は今すぐその首を刎ねてやりたいところだけど……リオンが悲しむもの。それに、うちの隊長もうるさいし」
岩槍を握る手の力を強くする。悪行を働いた者に対して償いを促すなど、以前の自身では考えられなかった。
違う……今でも許したくはない。しかし心が、彼を死に至らしめることを拒絶していた。
「あんたが一から更生して、償いをして、そうすればリオンとまた……」
「……私が釈放される頃に、彼女は生きてはいないでしょう」
ジェイクが拘置され、櫃鳴症の薬が調合されないとなればそれは、リオンが緩やかな死へ向かうことを意味した。きっと彼が檻を出る日には、彼女はもうこの世にいない。
「はぁ……あんたもつくづく馬鹿ね。言ったでしょ、あたしが変えてみせるって」
ミオメルは矛先を納めて岩槍を縦に持つと、落胆するジェイクへ満面の笑みで告げる。
人が人らしく生きるために。教理の遵守よりも、目の前の正義が優先される世にする。
彼は一人の騎士を見た。実直な高潔を宿した瞳に息を呑む……彼女は本気だった。
「あたしはね、あんたの言った通り清い騎士ってやつなの。だから、あの子を助けるためなら使える札は総て切って、救ってみせるわよ。……絶対に、最後まで諦めない」
「ははっ、はははっ……わかりました、イルファン君。貴女の言葉を、信じましょう……」
誘拐された被害者のこともある。ミオメルは早急に動かなければならない。ジェイクの一件を片した後も忙しくなりそうだと、笑顔で溜息を一つ吐いた。
「っ………………」
さぁ行きましょ、とジェイクへ促すが、彼の様子に異変が生じていることに気が付く。表情は凍りつき脚が震えていた。彼の視界に映るミオメルの、その更に奥に。
住宅街にある一つの家屋。その屋根の暗闇から……彼女がこちらを臨む姿が見えた。
「あ……ああ…………」
人形の統括者《プーパ》──────。
とある薬師から紹介された、黒外套に身を包み、薔薇の仮面を着けた悪魔の狂人。薬師の仲間であるその者が、ここにいる理由があるとすれば。
思考を巡らせた──その瞬間。
住宅街の暗闇から、祈術の輝きが放たれた──────。
「あれはっ…………!」
「…………? どうしたのよ」
祈術は一直線に飛来してきている。ジェイクは咄嗟に脚を動かそうとするが、上手く力が入らなかった。そこにミオメルが被さるように立ち、自身を見遣る。嫌な予感がした。
全身に悪寒が走る。動かなければ。動いてくれ、動けと、強く念ずる。
氷塊の弾丸が眼前に迫っていた。もう祈術を発現する時間も残されていない。
意を決したその須臾に──────彼の脚は、僅かな一瞬だけ応えた。
「くっ──! そうは──させません────っ!」
「きゃあっ! ちょっとなにっ! って……マーカス……嘘でしょ……!」
弛緩した状態のミオメルは、ジェイクの突進に軽々しく横転すると尻餅をつく。そして再び瞼を開くと、氷塊によって胸部を深く貫くかれた彼が佇んでいた。
凍てつく弾丸は、一輪の花が如く。
ジェイクを苗床に、氷華を咲かせていた──────。
「……ゴホッ…………ッ!」
「マーカスッ! あんた……どうして…………ッ!」
ジェイクは意識が朦朧とする中、ふとリオンの姿が視えた。
彼女は笑顔で何か話しているが、上手く聞き取ることができない。ああ、彼女を、彼女の笑顔を……裏切ってしまった。
「アルメイン……ッ! 住宅街の方向から、祈術の攻撃を受けたわッ!」
待機を依頼していた二人に増援を要請する。だが──想定した事態とは乖離していた。
「ああ……! すぐに捕らえてみせるっ! チル、至急救護隊を呼びに行ってくれるかい!」
「うん、わかった……!」
迂闊に氷弾を取り除けば、却って傷口が広がる可能性がある。しかし取り除かなければ冷気により身体への損傷は蓄積されていく。ミオメルには正解の処置がわからなかった。彼の側で顔を覗き、ただ声を掛けることしかできずにいた。
「くっ……! しっかりしなさい! 今、救護隊が来るわ……!」
「…………勇者……アルメインが控えて……いましたか。なるほど……貴女の言う通りに、しなければ……どの道私は……詰んでいたのですね……」
「けどあんたは、あたしに頷いた……! ここからあんたはやり直すんでしょ!」
「貴女の言う通り……私の手は、穢れてしまいました……。それでも最後に……正しい行いができたと、そう思って……います……」
ジェイクは虚ろな瞳で語る。救護隊が到着しても、死は逃れられないと悟った。
けれど最後に愛する人の友人を守ることができた。それだけで今は……心が救われた気がした。
「最後なんかじゃないッ! あんたは改心して、正しい行いをして生きていくんでしょ!」
自分のせいだ。自分が惨状を生んでしまった。自分が、彼を……! そんな考えだけが、ミオメルの脳裏で反芻していた。悲痛な彼女を見て、ジェイクは笑って語りかける。
「……イルファン君。リオン君を……お願いします……」
「ええ、でもあんたが釈放されるまでの間よッ! それからは二人でまた旅に出なさい!」
変わらずジェイクは微笑む。もう死が近いのか、彼は天使の迎えを待つかのように瞼を閉じる。そして……残された力を使って、星の瞬く夜空へ右手を伸ばした。
「……リオン君……愛して…………いま………………」
その言葉を最期に、彼は今生を終えた。
救護隊の到着後……その亡骸を引き取るまで。
ミオメルはただ、彼の名を呼び続けていた────。
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外郭より遠方。居住区裏路地にて、黒の外套に薔薇の仮面を身に着けた者が佇んでいる。
その者の右手には、先刻放った祈術の冷気が僅かに残っていた。
「苦戦しているみたいだったから助けに入ってあげたのに……馬鹿な男だよ」
中性的な声でとある人物を憂う。だがその表情は、口角を上げた笑みに染まっていた。
「あと一人。君にとっては特別な言葉だったけど、我々にとってこの数字に意味はなかった。でも九仞の功を一簣に欠き、君はその一人で命まで失ってしまった。残念で他ならないよ」
黒外套を翻す。望月の夜に相応しく……そして卑しい笑みで、無人の暗闇にただ呟く。
「【カラス】くん……君は賢かったけれど、些か狡猾さに欠けていた。真面目が過ぎたよ。悪に染まり善良さなど捨て去っていれば、君は幸福を手にすることができたというのに」
妖しくもどこか物悲しそうに。夜空へと右手を伸ばすと、優しく包むように拳を握る。
「けど、主菜の前にしてはとてもいい暇つぶしになったよ。もう少し……あと少しだ」
月白を握った拳を心臓に当てる。そして興奮したように悶えると、表情を恍惚とさせた。
「はぁ……! アルメイン様……! 早く貴方を導かせてください……より高みへ!」
彼女は謠う。預言の勇者という、この世には大きすぎる比重を持つ存在を。
彼女は謠う。運命の明日が待つ、その日へと。定められた仮初の、自らの余生と共に────。
第三話は、もう少しだけ続きます。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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