第一話 勇者‐①
「主神リアスティーデよ……聖なる御霊でお守りください……母なる大地と授かりし言の葉を……ディーリア」
騎士団本部内の礼拝堂にて、一人の青年が祈りを捧げていた。
片膝を地に着け、左手は胸元──心臓に添えられている。
彼が黙祷する姿は、宛ら伝承の一頁のようだ。
堂内の中央には、主神リアスティーデと預言者マーレを象った石像が鎮座しており、二つの石像にステンドグラスを通して陽光が降り注いでいる。
鮮やかな光の粒子が舞い踊り、まるで主神が青年の門出を祝福しているかのような、神秘的な空間が広がっていた。
「相変わらず。入団式典だって言うのに」
祈祷を終えて機敏に立ち上がった青年に、後方より声が掛かる。
彼は振り返ると、声の主──親友に笑顔を向けて、常套句の挨拶を返す。
「おはよう、チル。祈祷に催事は関係ないさ」
そう話すのは、白を基調に青の精緻な刺繡が印象的な──聖教騎士の団服に身を包んだ、長身の背に長柄の大剣を携えた青年。
燃えるような朱色の短髪が存在感を放ち、髪色に合う真紅の瞳に、凛々しく端正な顔立ちをしている。
彼こそ、今より七年前──右手に紋章を宿し、魔皇を征伐した預言の勇者が一人──コーレルム王国の第二王子アルメイン・コーレルムその人である。
「配属の通知書は確認したかい?」
「見てない。……私はアルと一緒なら、後は誰でもいい」
そう答えた少女は、アルメインの幼馴染にして学友の、チルメリア・ケインズ。
彼と同い年にしては華奢で小柄な体つきで、左右の高い位置で結んだ桃色の髪をふわりと揺らしている。長くふさふさとしたまつ毛に、愛くるしい若緑色の瞳が印象的な少女だ。
彼女も聖教騎士の装いをしており、今日付けで入団する新米騎士である。
脚部には男性の団服とは異なる、腰から膝先までを優しく包む薄絹のスカートが揺れていた。
「あはは……チルにはもう少し社交性を持って欲しいところだけど……」
「社交性なら持ってる。アルが知らないだけで、私の人脈は広い」
「初耳だ……機会があれば、是非紹介して欲しいね」
「む……機会があればそのうち」
彼女をよく知るアルメインは、機会があればね、と肩を竦める。
二人はそんな軽口を交わしながら、新入団員の集合場所──騎士団本部内の軍議室へと歩みを進めていった。
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マーレ聖教会騎士団本部。
¨聖教騎士団¨とも呼称されるこの場所は、世界の秩序を護る聖教騎士の総本山。
堅牢な石壁によって成る、沈黙の威厳を持った本部には、この季節になると毎年多くの新入団員がここに集う。
騎士学院を卒業し、騎士の道を選んだ者。或いは各国から志願した者たちが、一堂に会する入団式典。
式典後、彼らは各配属の地域へ赴任することとなるが、この本部へ足を運ぶことは聖教騎士における通過儀礼のようなものだった。
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二人が軍議室に到着してしばらく。
広々とした室内には、すでに百を超える新入団員たちが集い、喧騒な空間を演出していた。
暫くして定刻となり──恰幅の良い体型に、男爵髭を蓄えた騎士が演壇袖に姿を現す。
彼は喧騒を一蹴するほどの声量で、軍議室に声を張り上げた。
「これよりマーレ聖教会騎士団第867期生入団式典を執り行うのである! 一同、静粛にするのである! コホンッ! 式典の進行は私、ゲルト・ガーフスが務めるのである!」
──ゲルト・ガーフス。副隊長の職に就いている彼は、学院でも名の知れた堅物騎士だ。
「私からも、記念すべき諸君の門出を祝福するのである。入団おめでとう!」
「……そこは¨である¨って付けないんだ」
「チル……静かにしておこう」
「コホンッ! それでは式次第通りに進行していくのである! はじめに、騎士団長より激励の言葉をいただくのである! 一言一句、心して聞くのである!」
ゲルトの司会によって、演壇の袖から一人の騎士が姿を現す。
その雰囲気には、ここにいる総ての人が──惹かれていた。
月白の鎧を纏い、銀灰の髪を靡かせた──麗しき女性。
彼女こそ、第三十五代マーレ聖教会騎士団長エリシア・アルカディア。
預言の塔を守護する¨バベルの七騎士¨が一人であり、弱冠二十二歳にして騎士団長の座に就いた戦乙女。
その立場故に、騎士としての手腕を発揮する機会は限られていたが、団員たちは彼女に深い敬意を抱いている。
「紹介に預かった、騎士団長のエリシア・アルカディアだ。初めに、諸君の入団を心から歓迎する──入団おめでとう。私も諸君の多くと同様に、学院を経て騎士団へ入団した。当時は今とは比べ物にならないほど未熟だった私だが、大勢の仲間に支え助けられてきた。こうしてこの場に立っているのも、偏に仲間たちのおかげだ」
饒舌な口ぶりを披露するエリシアに、固唾を飲んで拝聴する新米騎士たち。
彼女は彼らの心に問いかけるように優しい眼差しで見渡すと、微笑みを浮かべる。
「私から騎士の志を一つ説くとすれば、それは──総てが変わるということだ。学院生の頃とは異なる、取り巻く環境や命を賭した戦い。自身が生き延びたとして、その先で仲間を失っているかもしれない。だが、心に誓った騎士の誉を胸に進み続けてほしい。一人でも多くの命を救い、秩序を保て。……少し重いことを話したが、今期の入団生は非常に有望だと耳にしている。勇者に遅れを取ることなく、皆立派な騎士と成って欲しい」
エリシアの視線がアルメインへと向けられる。二人は救世戦争で共に命を賭した旧知の間柄。そして勇者や王子、騎士団長という立場を取り払えば、姉弟のような関係と言えた。
彼女の微笑みにも見えた蠱惑的なその表情は、どこか挑発的でありながら、確かに期待が込められていた。
「長話は苦手でな。最後になるが、諸君の武運を祈らせて欲しい。君たちの活躍を心より期待している……ディーリア。以上だ」
彼女は静かに瞼を閉じ、右手を胸に当て祈りを捧げる。
そして銀髪を揺らしながら降壇すると──凛々しい彼女の姿を新米騎士たちは目に焼き付け、騎士団長の挨拶は終わりを迎えた。
「団長、アルのこと見てた」
「ああ……そうだな。騎士として大成して、エル姉の期待に応えよう」
エリシアが演壇袖に退いたことを確認したゲルトは、一つ咳払いをして式典を進行させる。
「騎士団長閣下、ありがとうございました! 続いては、副騎士団長より激励の言葉をいただくのである! 一言一句、心して聞くのである!」
「む……さっきと同じこと言ってる」
「あはは……」
今度は騎士の列から、一人の大男が穏和な所作で立ち上がり、徐に登壇する。
短く刈り込んだ黒髪に、鋭い眼光。
圧を帯びた──厳格さを漂わせる彼に、新米騎士の多くが思わず姿勢を正した。
マーレ聖教会副騎士団長カイザック・ヴァルトシュタイン。
バベルの七騎士の一人であり、騎士学院の教官も務める男だ。
しかし。演壇に立つ副騎士団長の顔は、馴染み深い教官の顔とは──僅かに異なっていた。
「コホン……紹介に預かった副騎士団長のカイザック・ヴァルトシュタインだ。学院の頃から馴染みのある顔も多いが、各国から志してくれた者もよろしく頼む。……大体のことは騎士団長閣下の言葉通りだ。そして……私から話すことはたった一つ」
カイザックもエリシア同様、壇上から新米騎士たち一人一人の顔をじっと見渡す。
だが。その視線は彼女のものとは異なる、世の残酷と冷酷さを憂いた……そんな凍えた視線だった。
「死ぬなよ。……入団おめでとう、諸君には期待している。以上だ」
たった一言。されど騎士たちの心には深く刻み込まれ────彼は演壇を後にした。
「……はっ! 副騎士団長閣下、ありがとうございました。続いては団章授与である!」
死ぬな。それは当たり前でありながら、騎士が最も遵守すべき使命。
カイザックの齎した重圧に、新米騎士たちは萎縮しているが──それはアルメインとチルメリアも、同様だった。
その後。圧倒された雰囲気に呑まれていたが、ゲルト進行のもと、式典は滞りなく執り行われた。
学院を卒業した後、騎士以外にも聖職者の道に進む人もいます。
また、どちらにも就かず卒業して自分の道に進む人もいます。
本日は二話お送りしましたが、明日は一話の予定です。