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アガスティア  作者: 常若
第一章 赤の勇者
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第三話 歌姫‐⑩

 祭儀場を背に、全速力で駆ける。その視界から、既に彼の姿は消えていた。


 後方には聖都を賑わすリオンの歌声、観客のすすり泣く音、息を呑む音。大花を(かたど)る炎楼の祈術に沸く音……そして前方。静まり返った居住区からただ一つ、颯爽(さっそう)と石畳を蹴り上げる足音。


「はぁ……はぁ……くっ──!」


 息苦しくなるも、必死に脚を回す。目指す足音は徐々に遠ざかっていく。

 

 このままでは追いつくどころか、見失いかねないと悟った。満身創痍(まんしんそうい)で駆ける中──打開の一手を模索する。


「はぁはぁ……これしか……ない……! 『ナテ……ラァッ!』」


 足元、その後方に地天の下階祈術を発現させ、地面より天を()くように斜塔を形成させる。彼女はその先端に乗ると──斜塔が限界まで伸び切る刹那、羽ばたくように跳躍を果たした。


 聖都の夜空を舞う一人の騎士の背に、闇を切り裂く月光が差し込む。十五夜(じゅうごや)に。リオンの歌声が響く今日この日に。彼との答え合わせをすることも、また必然なのだとしたら。 



 ────運命というものは、なんて残酷なのだろうか。



───────────────────────────



 聖都居住区外郭(がいかく)。この区域は普段から活気が少なく、人はあまり寄り付こうとしない。外郭に住み着く者は決まって事情がある人間だと言われ、夜空と寂れた石畳が一層の静けさを(もたら)していた。

 ────そんな聖都居住区外郭で、一つの漆黒が揺れ動いている。


 燦然(さんぜん)と輝ける太陽が地平線の向こう側へ沈みきった頃、その男は夜の外郭を全速力で駆けていた。黒の外套(がいとう)(まと)い鳥獣ラーベの仮面を着け、夜の冷えた風に乗ると軽快な足取りで闇夜と同化する。


 指示のあった実行日が祭儀と同日になってしまったのは不運だった。歌姫の祭儀に気を取られて行動が遅れたためか、少しだけ夜明けが近く感じる。


 急がなくては、彼女と自身の欠けた物を補うために。そして共に生き続けるために。点々と夜の街から灯りが消えていき、男は行使する二本の脚の力を、より一層強めた。


「────っ!」


 感覚を研ぎ澄ませて疾走する中、突き当たりの角を左に曲がる寸前、鋭い殺気が肌に刺さる。だがその脚は止まらない。腰に携えた短剣に手を滑らせると、曲がり角へ突進した。


 次の瞬間──勢いよく突き出した短剣は、(くう)を裂くことなく弾かれ、甲高い金属音が周囲に響く。

 そして闇の中から繰り出された反撃の刺突に、(かす)めた仮面に亀裂が走る。男は一度距離を取るために、後方へ跳躍した。


「祭儀の日に外郭の路地で待ち伏せですか。……誰です?」


「……あたしの予想が外れて欲しかったわ。ジェイク・マーカス」


 沸々と大地の力強さを感じさせる岩石の槍と共に、路地の角からミオメルが立ち現れる。


 そして闇夜を駆けていた男は、ジェイク・マーカス。歌姫リオンの恋人だった。彼は二本の足で石畳を踏み締め、開かれた両瞼には、闇夜に溶け込む(カラス)のような瞳を宿していた。


「あんた……どうしてこんな、リオンを裏切るような真似するのよっ!」


「貴女は……イルファン君。どうしてここに……いえ、そうではない。なぜ私だと……」


 ジェイクは殺気の正体が恋人の友人だったことに動揺を覚えるが、瞬時に心を殺す。

 しばしの沈黙の後──ミオメルが矛先を向けながら口を開いた。


「覚えてるかしら。初めて会った日……リオンがあんたを紹介した時、介助椅子に座ったあんたは洋袴(ズボン)(すそ)を汚していた。それが最初。小さなキッカケだったわ」


「裾……ですか」


 自身の薄汚れた足元を確認する。彼は失態を犯したと溜息を吐くが、顔色一つ変えはしない。


「それと、誘拐が起きた日に限ってアミークスを抜け出していたわね。疑念が一層強くなったのは、あんたが花火師のもとに行かなかった日……その翌日よ。誘拐が始まった時期と、あんたたちが聖都に来た時期が……重なって見えたわ」


 もし、彼が誘拐に()っていれば……。最悪を考えるのであれば、そうであって欲しいとさえミオメルは思っていた。


 だが────現実は、彼女に非情を叩きつける。


「あたしが街の人に聞いて回っても咎人らしき人物の情報がない。となると、余程姿を消す術に長けているか、その逆。夜ノ刻に見かけても咎人だと思われる姿をしていないか。たとえば──介助椅子が必要な姿のように」


 ミオメルが眼光を鋭くさせるが、彼は微動だにせず、続きを促すように言葉を待った。


「あの日以来、あんたは動きを見せなかった。本音を言うとその間に誘拐が起きてくれればって……そう思ったわ。だって……あの子の恋人が咎人だなんて、思いたくなかったからっ……!」


 (ただ)す彼女は唇を噛み、炯眼(けいがん)を向ける。対するジェイクは飄々(ひょうひょう)とした瞳で見つめ返した。


「なるほど……私としたことが。最近になって自由が効くものですから、どうやら墓穴を掘ってしまったようですね」


 二本の足で立つ黒外套。(あら)わになった、漆黒の瞳を静かに瞑る。


「ここまで見られてしまっては仕方ありません。認めましょう、私が一連の誘拐を起こした咎人────名は【カラス】……そう呼ばれています」


 ミオメルの表情が強張る。許してはならない。彼は、自他共に認める悪なのだと──。


「一つ、訂正していただきたい。先ほど貴女は、リオン君への裏切りだと言いましたね。だが、それは違う。これは私たち二人のためなのです……!」


 ジェイクは右手に持つ短剣で空を裂く。今更彼女の友人だろうと関係ない。あと一歩。それだけで二人の悲願が叶う。真っ当な道には戻れないことなど……この手を汚した時から、とうに覚悟は終えていた。


「もう……こうする他、私たちは生きていけないっ!」


 彼の声は泥沼に沈みきったように低く、そして哀しみを背負った声をしていた。


「あんた……! 自分が何やってるかわかってんの……っ!」


「イルファン君。リオン君の友である貴女を傷つけたくはない。ここは立ち去ってはいただけませんか」


 短剣を曲芸のようにくるりと掌で回しながら、決して殺気を消すことはなく告げる。


 これは提案ではない、忠告なのだと──────。


「……いいわよ。あんたが今すぐ彼女のもとに帰って、今後非道を行わないと誓うならね!」


「誓う? リアスティーデ様に、ですか?」


「っ…………」


 ジェイクは主神の名を鼻で笑った。ここに純真な聖教騎士がいれば、神を冒涜(ぼうとく)した彼を即座に斬り捨てたであろう。(しか)し……沈黙を続ける彼女に、ジェイクは口角を上げる。


「神に誓ったところで意味などない。そして教理を重んじることに正義など存在しない。そんなことをしたところで、命は救えないのです──っ!」


 神。そして聖教への侮辱を口にする。これは、彼にとっての宣誓。自身と……彼女への。


「そう……そうね。その通りかもしれないわ」


「ふん……貴女に、私とリオン君の心情が理解できるはずもあるまい」


 意見の肯定(こうてい)に対してジェイクは遺憾(いかん)だと表情を歪める。共感など求めていない。自身が想い創り上げる理想郷。そこに理解者など必要なく、己だけが正義なのだと。


 だが、そんな煽りをミオメルは横に流す。彼女にもまた、譲れないものがあった。


「わかったと言うつもりもないわ。けどね……その動機がどれだけの美談だったとしても、善良な市民の見殺しを許していい理由なんて、あたしには一つもないのよ……!」


 岩槍の矛先をジェイクに向け、大志を放つ。掲げた槍は正義がため、信念は違えずこの胸に。


 目の前の悪を正さずして自身の悲願は叶うまいと、彼女は岩槍を構える。


「くくっ……あはは……あははははっ!」


 ジェイクは(わら)う。自身の行動が正しいと信じた男は、恋人の友人さえ死へと導く。それが……彼の信条。


 立ち塞がるのならば、行く手を阻むのならば──永逝(えいせい)へと誘ってみせよう。


「はぁ…………総ての騎士が、貴女のように清ければ良かったのですが」


「お生憎様(あいにくさま)ね。その清い騎士が、あんたを咎めてるのよッ──!」


 互いに得物を携え、一息に距離を詰める。いずれも繰り出す技は、命を貰い受けるために。


 夜明け前を待つ暗闇で────譲れない魂の天秤が、動き始めた。


純真と清廉は似て非なるもの……ミオメルは俗世の汚れを知った上で、正義を持った清廉な女の子です。


次回の更新も明日の21時を予定しています。

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