第三話 歌姫‐⑦
月明かりを凍てる春風が、空気を張り詰めたものへ変える夜──黒の外套を纏い、鳥獣ラーベの仮面を着けた男が聖都を闊歩している。
今夜の標的は、聖都商業区に居を構える商人。だが──肌を刺す空気に微かな違和感を覚え、第六感が警鐘を鳴らしている。
然し歩みを止めることは許されない。
既に置かれている身は、立ち止まることが禁じられた吊り橋の上だった。
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【カラス】は只管に駆けていた。やはり第六感が告げていた予感が的中する。商業区に目を付けていた聖教騎士たちに発見されてしまった。
幸い商人の身柄は確保したが──抱えたままでの逃亡は不可能だと判断し、道中の一角へと隠匿した。
後は追手を振り切るだけだが、あまりにも聖教騎士の頭数が多すぎる。次々と目の前に現れる彼らに軌道修正を余儀なくされている……いや、誘導されているかのような…………。
「貴様は既に包囲されているッ! 咎人よ、無駄な抵抗は止めて投降しろッ!」
「くっ──! 諦めるわけにはいかないのですっ! 『ナテラッ!』」
足元に地天の下階祈術を発現させ、家屋の高さ程ある岩石の踏み台を創り上げる。
そして勢いを殺すことなく屋根へと跳躍して疾走するも──聖教騎士は目前まで迫っていた。
「これではっ──! 後少しのところで──っ!」
四人の聖教騎士が風迅の祈術によって眼前の屋根へと舞い降りる。
焦眉の状況に【カラス】は転進して屋根を飛び降り、裏路地を駆けるが……その身は既に袋の鼠となっていた。
狭小の細道を抜けた先──広々とした空間に出ると、そこでは騎士の隊列がこちらを臨んでいた。その隊列の中央──一人の大柄な騎士が前へ歩み出ると、毅然と告げる。
「やれやれ……ネズミ一匹捕まえるために苦労したよ。しかしそれも今日で終わりだな。さて……咎人。これは俺からの提案だが、一騎打ちをしないか? 仮面を外して名乗りを上げろ。そしてお前が俺に勝てば今日は見逃してやろう。どうだ?」
「ジーレ隊長、それは……!」
後方に控える若き騎士が諫める。するとジーレと呼ばれた淡い茶髪をした大柄な騎士は、背に負った戦鎚を威風堂々と石畳へ叩きつけた。
強烈な一撃に地盤は崩れ、空間一体に激震が走る。騎士たちの多くは立ち竦み、声一つ出ない威圧感を与えられる。
忽ちジーレは肩を回して関節音を響かせると、百獣の王が如き炯眼を散らして【カラス】と相対した。
「ケイ。総ての責任は俺にある。いいか、一人目の誘拐を許した時点で騎士の名折れなんだよ。隊長として──名誉挽回の機会をくれ」
「ジーレ隊長……」
背を向けるジーレから返答を受けた若き騎士が息を呑む。彼の瞳に映る隊長の姿は、怒りに満ちていた。
ジーレは黙殺を続ける【カラス】に再び問い掛ける。
「咎人よ。お前は罪業を重ねすぎた。この意味がわかるか?」
「…………忠犬の言葉など、私には分かりかねますね」
「そうかそうか。貴様は今、俺を……いや、聖教騎士を愚弄したな?」
売り言葉に買い言葉を放つ【カラス】に、ジーレは僅かに眉を動かす。戦鎚を握る力を強めると、鎚頭を右足の後方に置く。今ここに、敵を屠る一撃を繰り出す構えを取った。
「どうやら貴方は物事の本質が見えていないご様子ですね。やはり……慧眼の持ち主ではない者に秩序維持など、到底務まるはずもありません」
【カラス】は失笑を添えて平然と挑発を続けるが、四面楚歌の状況は歴然。
せめてもの抵抗と見て取れたが──それもここまでとなる。
「よかろうよかろう……今すぐ、幽世に送ってやる──っ! 『リディスッ!』」
ジーレは足元に右手を翳して祈術陣を展開する。瞬時に風迅の下階祈術を発現させると、風に乗るように【カラス】へ急接近を図り──そして戦鎚を振り翳した、その須臾に。
「くっ──っ⁉ あれは……! 『ボルグッ!』
後方より。一筋の光が¨氷弾¨となって、青天の霹靂が如く降り注いだ──────。
本能が警鐘を鳴らし、反射的に防護の祈術を発現させた者は一難を凌ぐが……一帯の空間総てを覆う氷弾の威力は、絶大なものだった────────。
「ぐぅう──っ!」
【カラス】も咄嗟に防護の下階祈術を発現させるが、氷弾が貫通して負傷する。以前に負った左脇腹の傷に、氷の棘が深く干渉して激痛が突き抜けた。
だが、苦境は敵も同様に──息絶え絶えに立ち上がると、聖教騎士の多くは氷弾に呑まれ、ここから逃れる好機が生まれていた。
即座に退避に移った【カラス】は、身を翻して疾走する。──その去り際に、呟きを残して。
「うぐっ……今回ばかりは……助かりましたよ、【プーパ】」
「なんだ……何が起こった……ッ!?」
一方のジーレ、ケイは無傷だったが、多数の仲間が氷弾の餌食となっていた。
彼らの目に映るは──氷華の大宝石。一瞬にして総てを青の世界へ還したその祈術は、一つの大花を咲かせていた。
大花は聖教騎士を氷の檻に封じ込め、生命を氷寒で蝕み続けている。
「くそっ……! ケイ、立てるか!? この氷華を砕き、仲間を助けるんだッ!」
戦鎚を幾度となく叩きつけ、氷華を粉砕する。四方へ散る礫は、ジーレの焦燥を映し出す鏡のように──光を反射して霧散していく。
呆然としていたケイは隊長の呼び声で我に返ると、氷華へと細剣を突き立てた。
「はっ……! な、何が……い、いや、今は救助をっ……! ……っ!」
「くそっ……硬ぇ……! すまん、俺のせいで! お前ら……今すぐっ! 助けてやる……!」
何が起きたのか、何が至らないのか。これほどまでに強大な氷海の祈術を、自身は発現できるだろうか。
若き騎士の自問は心の深淵に沈み失せ──ただ無心に、救助を続けるのだった。
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【カラス】は商人の身柄を回収した後、【プーパ】の待つ場所へと急いでいた。
「はぁ……はぁ……! ぐっ……!」
既に満身創痍の状態だったが、約束の物を受け取るまでは意識を途絶えるわけにはいかない。
這う這うの体で街外れの一角へ行くと、笑みを宿した【プーパ】が待っていた。
「やぁやぁ。さっきは危なかったね【カラス】くん」
「ありがとうございます……助かりましたよ、貴女のおかげだ」
商人の身柄を包んだ麻袋を地面へ置く。【プーパ】が麻袋の中身を確認した後、先日と同様の袋を懐から取り出して【カラス】へ手渡す。
「どうも、確認したよ。はいこれ、今回の分。次は……その傷じゃ近いうちは難しそうだね」
「…………」
左脇腹の傷は数日程度では完治しないだろう。それは【カラス】自身も理解していた。
「あと一人。君も、君の大切な人も。それで救われる。何だかいいことをした気分だよ!」
「……これが善行だと? つまらない冗談ですね」
「そうかなぁ? これは人助けだよ。立派な、ね。あはははっ!」
【プーパ】は卑しい笑みを零して、無数の星が瞬く夜空を見上げる。
そこには丁度半分に欠けた月があった。────今宵は、弓張月。
「そうだ! こうしようよ。次の満月の日に、もう一人。その頃なら君も満足に動ける」
「満月……ですがその日は……」
「そうそう、そうだよね。多くの人が集まる。その影で君は動ける。またとない好機だよ」
「しかし…………」
「なに? 不満なの?」
「いえ……わかりました。満月の夜……最後の一人を用意してみせましょう」
「いい返事だね……期待してるよ、【カラスくん】」
踵を返して、彼は往く。穢れた世界で救済を得るために────幸福を掴み取るために。
運命に導かれるように────その瞬間は、目前まで迫っていた。
補足ですが、聖都守護隊であるマグエル隊に所属している隊員は、優秀な騎士ばかりです。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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