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アガスティア  作者: 常若
第一章 赤の勇者
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第二話 魔獣‐⑦

 初の遠征特務を終えたコーレルム隊。その後、屋敷の地下室──ルードの魔術工房へと調査に戻ったが、空となった円錐形の容器や歪な金属片、原形を留めていない肉片などが散見されるのみだった。


 セレニタスの策謀……ルードの目的も不鮮明なまま、一行はその場を後にする。  


 その去り際────丘陵からカイルノアの地を一望するアルメインの瞳には、揺るぎない決意が宿していた。



 それは偏に────いつかこの地に、色を取り戻してみせると。




「皆さーん! おかえりなさいっ! 特務、お疲れ様でございました……!」


 一行がアルドールへ戻ると、マリベルが両手を大きく振りながら笑顔で出迎える。


「もうくたくた……。はぁ……はやく休みたい」


「ただいま、マリー。こっちは大丈夫だったかい?」


「はいっ! アルドールも準備万端です! 皆さんゆっくり休んでくださいね……!」


 彼女の無垢な笑顔に心が癒される一同。順にアルドールへ乗り込むと、マリベルは上機嫌に離陸準備を始めた。


 そして各々が席に着く中──もじもじと指先を弄りながら上目遣いを向けたミオメルが、躊躇い気味にアルメインへ感謝を口にする。


「アルメイン。その……助かったわ」


「ど、どうしたんだい? 突然……」


「…………あんたがいなかったら、あたしたちも生きてなかったかも知れないし……まだお礼言ってなかったから。………………ありがとう」


「アルくん。私からも……救ってくれてありがとう」


「そうだな。アルメイン、ありがとう」「ええ。あなたのお陰よ、ありがとう」


 仲間の言葉に、アルメインの口角は自然と上がっていた。

 

 護ること。救うこと。それは王国を……世界を平和に導く宿命。けれど。彼らの心からの感謝に、涙腺が緩んでしまう。


「アル。良かったね」


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「……みんながコーレルム隊の仲間で、本当に良かった。僕からも、ありがとう」


 彼の言葉は一同の胸に深く響き渡り──場の空気は温もりを帯びていく。


 そして彼らの表情には、自然と笑顔が咲いていた。


「それでは皆さんっ! アルドール、発進しますっ……!」


「……チル」


 怪訝な顔をする彼女に、微笑みを添えて伝える。


「お疲れ様」


「うんっ」


 優しい彼の言葉にまた、彼女も満面の笑みで頷き返す。


 勝利の余韻を乗せたアルドールは、賛歌を歌うように空を駆けるのだった。


──────────────────────────


 カイルノアを飛び立ってしばらく。心地よい風が吹く甲板に、彼らは上がっていた。


「疲れているところ呼び出してすまない、ウルハ」


「だ、大丈夫だよ。それで……アルくん、どうしたの?」


 その甲板の右側にある一角。二人は見晴らしの良い場所で手摺に腕を添えて、徐々に視界から遠ざかってゆく灰の大地を眺めている。


「……先刻……マルディーニ家の屋敷を捜索した時。君は報告の場では何もないと言っていたが、本当は何か見つけていたんじゃないかい?」


「え……?」


 思いがけない問い掛けだったのか、ウルハはきょとんと目を丸くさせた。


「すまない。僕の勘違いだったら良いんだ。ただあの時……僕の目にはそう映った」


「……ううん。アルくんの言う通り……。ミオちゃんにも同じことを聞いたの?」


「いいや……彼女にはきっとはぐらかされてしまうと思ってね」


 アルメインは遠く地平線の彼方へ視線を向けていた。決して何かを疑っているわけではない。心残りをするなら率直に聞こうと、そう思い至った。


「そっか……ごめんなさい。実はね、書斎にね。禁書……みたいな本があったの。著者は、ヴィクス・マルディーニさん」


「禁書……それに伯爵のものか。どんな内容だったんだい?」


 ウルハは声にしかけた言葉を躊躇して飲み込む。そして逡巡した後に、恐る恐る口を開いた。


「よ、預言者マーレ様の……その、逸話についてね? この人の個人的な見解というか……」


「ああ……。マーレ様について否定的なことが書かれていた、そういうことかい?」


「う、うん。……そんな感じ」


「なるほど……ありがとう。無理に言わせてしまったね、すまない」


「ううん、そんなことないの! 黙ってた私が悪くて……」


 謝罪の言葉を口にするアルメインに、ウルハは慌てた様子で両手と頭を横に振る。


「だが……禁書であれば、処分が必要だった。ミオメルはさておき、君は理解していたんじゃないのかい? これは立派な団規違反だ」


「…………ご、ごめんなさい……」

 

 表情を曇らせた彼女は、両手で裾をぎゅっと握り締め、深く頭を下げる。


 張り詰めた空気が沈黙を増長させる中──やがてアルメインは肩を竦めると、溜息を吐いて続けた。


「はぁ……正直に言うと、伯爵の気持ちも少し理解できる。僕も、聖教の伝記には多少の脚色が含まれているとも思っているんだ」


「ア、アルくん……?」


「意見を持つことは悪いことではないさ。それを正しい方へ導くのも僕の使命……¨救済¨だ」


「………………」


 ¨救済¨。その耳当たりの良い言葉に、ウルハは眉を顰めて渋面を作った。


 彼女が遭った悲劇はアルメインも知っている。けれど……それでも彼女に、言葉を届けたいと。


「彼は……きっと沈みゆく帝国と、ルイナータに蝕まれる街を見て歪んでしまったのだろう。救いの手が差し伸べられることもなく、心は暗闇に染まってしまったんだ」

 

 伯爵がどのような人物像だったのか、アルメインには分からない。だが彼の心が穢れてしまったのはそう昔のことではないと……そんな直感がしていた。


「その救済って、教えを説くこと……?」


「確かに、神から授かった教えは最も遵守すべきことだ。けどそれは……聖教の役目であって僕の役目じゃない」


「アルくんの……役目?」


 真摯な瞳で、彼女はアルメインを見据える。彼もそれに応えて、首を縦に振った。


「ははっ……笑わないで聞いてくれるかい? 絵空事と思うかもしれないが、総ての人が幸福で包まれる世界にすることだ。それが、悪を正し善を与える──救済だ」


 彼女は笑わない。けれど頷きもしない。粛々とアルメインの言葉の続きを待った。


「人は生まれた時、純粋な心を授かる。だが……一度歯車が狂えば、容易く悪に染まってしまう。それを正すのが僕の使命だ。彼らを尊重してあげたい。受け止めてあげたいんだ」


「それは……あのヴァン・ルードに対しても変わらないの?」


「彼は……。彼のように歪みきってしまう前に、彼という人を救いたかったよ」


 切なさを帯びたその言葉に、アルドールが裂いた冷たい風が、二人の頬を掠めていく。


「人の心は薄弱だ。それを教理で支え、僕らが導く。そのために王子として生まれ、そのために勇者の宿命を背負ったのだと。僕はそういう信条を持っているんだ」


 信条。正義。掲げるは真心……でも。あなたは結局一人の人間。総ての人を救済することは不可能だと、分かっているはず……。


「もし。もしね……? 仮に……」


 喉に言葉が詰まる。彼に聞きたい。彼の答えが知りたい。だけど……問うことで積み上げた総てが崩れてしまうかもしれない。そう思うと、言葉が出てこなかった。


「ご、ごめんねっ! 今のは忘れてっ!」


 風に乱される髪を左手で抑え、笑って誤魔化す彼女の姿は……とても痛ましく映った。


「あはは……なんだか疲れちゃったみたい。禁書のことは……本当にごめんなさい。そろそろ、戻るね」


 陰りを見せたウルハは、足早にその場を去ろうとする。その背に……アルメインは瞼を閉じて問い掛ける。ミオメルが口にした言葉。ウルハの境遇。彼女が僕に、問うのだとしたら。





「ウルハ。……聖教が信じられないかい?」





「…………っ!」





 一瞬。微かに肩を震わせたウルハは、背中を見せたまま立ち尽くす。想像通り……彼女の疑念はそこにあった。そもそも敬虔な信徒であれば、書物を見つけた時点で報告をするはずだと言えた。


「君を咎めているわけじゃない。聖教が信じられない気持ちを否定はしない。だから……」


 ウルハは背を向けたまま、顔を上げる。その様子に、アルメインは優しく言葉を続けた。


「僕を信じて欲しい。君が……君とミオメルがコーレルム隊の一員になったのは、運命だ」


 冷たい空気に勝る穏やかな声音に、されど彼女は振り向かずに心情を吐露する。


「……違う。違うの。聖教が信じられないとかじゃないの。教えは人を導いてくれるかもしれない。でも……危機が訪れた時、守ってはくれない。だから私が……守りたいの」


 ウルハの声は風に掻き消されそうなほど弱々しかった。


 けれど……彼女の本心からの言葉だと、アルメインはそう感じ取る。


「そうか……。優しいな、ウルハは」


「………………」


「僕も君と同じように、そして君たち二人を救いたい。だから迷ったら、僕を信じてくれ」


 アルメインの温かな言葉に、微かに頬を伝う雫を流して。ウルハは、ぽつりと呟いた。


「……うん。信じさせてね、アルくん」


 そして彼女は掠れたような笑顔を残し──船室へと駆け足で戻って行った。


 

 甲板の陰には、会話を盗み聞きしていたミオメルの姿があった。静かに瞳を瞑り、風の音を聞き、木々の匂いを感じている。


 背を壁に預けていた彼女は、やがて殺風景な表情で、蒼穹を見上げるのだった────。







 重く心地のよい駆動音を背景に、透き通った冷たい風を横切る甲板でひとりアルメインは地平線の彼方を見つめていた。


 燃える夕暮れを迎えた景色を前に想い耽る。盤石となっていた聖教による統治は、救世戦争を期に絶対なものへ変わった。しかし七年余り経った今、セレニタスのように公然として示すことはなくとも──少数ではあるが、聖教に対して不信を抱く者もいるのだろう。


 聖教の教理は人を支え人を形作る。けれど懐疑心を一度抱いてしまえば、それはやがて疑念に変わってしまう。心に闇の影が差せば、歪みの原因にもなり得るだろう。だが……。


 ウルハの故郷を炎の海へと変えてしまったのは、聖教でも教理でもない。


 それは咎人の、人としての弱さ。そして赦しを与えた聖教と騎士団の、人としての純粋さ。

 

 救われたいと思う者たちの信心が足らないとは言わない。仕方がないで片付ける些事でも決してない。けれど咎人に赦しを与えるのもまた教理であり、信じたいと思う善の心だ。


 自身の手で総てを救うことは叶わない。ならばせめて彼女たちの想いを受け止め、導きの救済をしよう。それが彼女たちと僕の運命。そして彼女たちに捧げる────¨宣誓¨だ。

団規違反についてはミオメルとウルハの二人が該当しますが、その後アルメインは特段報告しません……。

優しいね、アルくん……(何のための規則だ……)


次回の更新も明日の21時を予定しています。


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