第二話 魔獣‐⑥
今回は区切りが悪く文量が多めとなっていますが、最後までご覧いただけますと光栄です。
一行がルードの後に続くこと幾許か。視界の先には、再び木造扉が現れる。
やがて歩みを止めたードが懐から鍵を取り出して扉を開けると、その先は外界──街から隔たれた、灰色の平原が広がっていた。
付近には、この灰の景色に似つかわしくない──整然と保たれた露店の茶屋が設けられており、ルードは満面の笑みで茶屋の席へコーレルム隊を促すと、慣れた所作で茶を淹れ始めた。
「ここはお気に入りの場所でしてねェ。お気に召すと良いのですがァ……どうぞコチラへ」
「心遣い感謝する。だが……我々はあなたの淹れた茶を飲むことはできない」
アルメインの返答に、ルードは心底残念そうに肩を落とすが……瞬時に鋭い動きで視線を戻した。
途端に先ほどまでの表情は消え失せ──彼は歪な邪悪の笑みを浮かべていた。
「それは残念ですねェ。皆様がきっと気に入る、私の一番好みのお茶を用意して最後の楽しみに待っていたのですがァ。では……お話しの続きをしましょうかァ。まだ聞きたいことはありますかァ?」
妖しく嗤うルードの真意を上手く汲み取れないまま、アルメインは答えを問う。
「……率直に聞こう。あなたはあの地下室で何をしていた?」
「フムゥ。私は偶然そこの裏口を見つけましてねェ……もとは帝国貴族であるカイルノア伯の屋敷だったのですがァ……救世戦争から間もなく伯爵は逝去、血族も失踪したとかァ。そこで地下室を少しお借りして、魔術の研究をしておりましたァ」
屋敷の地下と繋がっていた扉に視線を送る。丘陵の麓とは言え、陰と茂みにに隠れたこの扉を見つけるのは容易ではないだろう。
そして伯爵の逝去に、血族の行方不明。人為的なことが明らかな惨状に、アルメインは拳を握り締める力が一層強くなる。
「魔術……あなたは先ほど自身を魔術師だと言ったな。魔術とは何だ、なぜ研究している?」
魔術────初めて耳にした、祈術とは異なる術。未知の力だからではない……どこか悪寒が走り禍々しさを感じさせるその言葉に、額から嫌な汗を流す。
「意味。意味ですかァ? それは貴方様のためでございますよ、アルメイン王子ィ!」
「なに? ……僕のため? 僕のために魔術とやらを使うのかい?」
「えェ……ご覧いただきましたかなァ? 生命の輝きを得た、魔術の叡智を! この街で! もっとも……結晶を取り込む人間がか弱く、失敗作と成り果ててしまいましたがァ……」
これまで一行は、ルードの言葉の理解に苦しんでいた。しかし。今発したその言葉が意味することは明白だった。
この男は。ヴァン・ルードは紛れもなく────悪人なのだと。
「何を言って……いや、ルード……! やはりあの戒獣、あの惨状はあなたがやったのかっ!?」
アルメインが憤怒の相で糾弾すると、自らを魔術師と名乗る男は両手を大きく広げて天を仰いだ。
カイルノアに着いて程なく、コーレルム隊が遭遇した人面の顔とガルの顔を併せ持つ二頭一身の戒獣。それを放ったのは自分で……それを創り上げたのが魔術なのだと。
「アレを私は魔獣と呼んでいますがァ……しかしながら惨状? 少し語弊がありますねェ」
魔術による戒獣の創造───魔獣。口角を上げたルードが、天へ向かって声高に叫ぶ。
「人類の進化……預言者マーレ様より賜ったこの魔術で! 人はッ! 昇華を果たすのですッ!」
理解が追いつかない。彼はどこか自身が知る人間とは乖離している……論理が破綻しているのだと、アルメインはそう感じざるを得なかった。
「預言者マーレより賜った……だと? あなたは預言者の名を軽んじるばかりか、非道を美徳にするなど──っ! 命を弄んで、聖教の教えを忘れたのか!」
「何ということを仰いますかァ! 滅相もない! 先ほども申し上げたはずですよォ! 教えは常に、我が胸に。ディーリア……」
一行は言葉を失い、理を逸した獣と対話しているような錯覚に陥る。
狂人──この言葉が相応しい人間に、彼以上の者はいないだろうと。
「種を一つ明かしておきましょうかァ。貴方様がたが街で見た、昇華した魔獣……アレは完全ではないのですよォ。そう、神の加護を得られなかった出来損ないでしたァ!」
「っ……! こいつ──っ! 『ナテラッ!』」
興奮した様子で語るルードに、我慢の限界を迎えたミオメルが祈術陣を展開する。
彼女は地天の下階祈術を発現して岩槍を創り出すと、刺突の構えを取った。
「ちなみにィ……魔術とは、鍵を用いて他種の生命を結晶化させ、昇華者との同化を行う儀式なのでございますッ! ああ、結晶化は簡単ですよォ! 拘束と時間は必要ですがァ──そうッ! アルメイン王子ィ! 私は貴方様のために、総てをご用意したのですッ!」
「何を……何を言っているんだ……!」
アルメインはルードへ鋭い眼差しを向けると、背中に携えた大剣の柄を右手で握り締める。
けれど、彼の言葉が。真に自分のためだと言うのならば。
「おや。理解できないと? 崇高なる主神リアスティーデ様がお与えくださった天命ッ! 預言者マーレ様の啓示ッ! 私に、貴方様にッ! 導きを齎してくださったのですッ!」
彼という狂人を狂わせたのが、アルメインという一人の王子だと言うのならば。
「解りますかァ? 真理へ至る探求ッ! 啓示を受けた歓びそしてェエエッ!」
この剣で、彼さえも救済してみせる。それが────自身の掲げる王道だ。
「世界に名を刻み──天へと昇る、華美たる幸福──!」
ルードは懐から黒妖の光を放つ結晶を取り出し──口腔に含むと、一息に飲み下した。
彼が結晶を口にする瞬間、見せた表情は恍惚。魔術師自らの身体に魔術を施し──そして。
「さぁ……貴方様を次のステージに……アルメイン・コーレルム様ァッ!」
「まさか……自分に……!」
『天に陰りを──地に灰を。大地よ震え──人よ逝け』
『昇華《スブリマーレ》──────────ッ!』
ルードが最後の言葉を解き放った、次の瞬間。空気が震撼し、眩い赤の光が空間を包み込む。
則ち、発光────それはまるで世界が魔術を────彼の者の誕生を祝福するかのように。
与えるは恐怖、下すは絶望────赤光より顕現するは、その身を混沌とする歪な形状を持った黒の肉片。饐えた臭いを放つ肉片は、徐々にその姿を変化させていく。
伸びた頭部は天を衝く角を持ち、生えた枝は幾重にも絡まる翼となる。
腕部は凝縮するように鋭く細っていくと、一方の脚部は雄々しく太い下肢に強靭な爪が姿を見せた。
最後に尾を伸ばすと、翻す度に光を反射する光沢の鱗を纏う。
その長尾で愉悦を表すように灰の大地を強く叩くと、カイルノアの地に激震が走り────世界が悲鳴を上げる。
魔術師ヴァン・ルードは今、その姿を昇華させた。
この世にこれ程迄に醜い姿を持った生物はいない。
この世にこれ程迄に悍しい姿を持った生物はいない。
決して神が生命の息吹を与えたものではない。祝福されぬその者の姿は──¨人間の咎¨。
────かつて世界に君臨したとされる、伝説上の生物。主神の仇敵。目の前の彼の者の姿を、その伝説と同様に形容するのだとしたら。
「──【龍】────っ!」
『VAAAAAAAAAAAAAAAAAA────!』
湧き上がる歓喜の讃美。自身を糧に魔術の秘奥を完成させ、世界に仇なす黒龍と成った。
天の下で双翼を大きく広げ、灰色の大地に風格を示すように轟く咆哮を上げる。
彼の者の極彩色の瞳に映るは、六人の影。死闘の火蓋が──今切って捨てられた。
「っ──! 応戦するぞッ!」
アルメインが仲間に促し、自身も大剣を抜き放つ。彼は既に人ではなくなった。
だが、街にいた魔獣や理性を欠いた戒獣とも異なる……それは明確に悪と呼べた、真の獣。
「ふんっ、あの陰気野郎に、こんな隠し玉があったとはね……」
「な、なに……この、肌を刺す嫌な感じ……普通じゃ、ないよ……!」
黒龍は大きく翼を羽ばたかせ、その体躯で爆風を巻き起こすと、天高く舞い上がる。
太陽を光背のように身体を重ね、大きく息を吸い込んだ口先に顕現させるは──巨大な祈術陣。
「くぅ──っ! あの姿でも祈術が使えるのか!?」
黒龍は両翼を再度大きく揺らして身を翻すと、大地に轟く咆哮と共に、祈術を発現する。
『VAAAAAAAAAAA────ッ!』
太陽を模した──灼熱を宿す燼滅の炎球。上階祈術に匹敵する一撃が、周囲一帯へと飛来する。
炎球は灰の大地を朱く照らしながら──その総てを燃やし尽くさんと襲い掛かった。
「──っ! ここは私が守るわっ! アル……あなたのエナは、討つためにお願いッ!」
「リサーナ……!」
「姉さん!? 無茶だッ!」
一早く我に返ったリサーナは、背に携えた祈導書を手に取ることなく両手を前方へ翳す。
そして覚悟を宿した瞳の横に、焦燥の汗が伝う中──彼女は祈術陣を展開した。
──それはただ偏に、仲間へ勝利の襷を託すために。
「大丈夫よ……全力で護るから。後はお願いね……『ボルグーレッ──!』」
詠唱と共に、リサーナの周囲が青白い光に包まれる。彼女が発現するは──¨防護¨の中階祈術。
六祈術に属さない──総てのエナで発現可能なその祈術は、汎ゆる事象に対抗する護身祈術だった。
発現された青き光は徐々に広域となり、優しいみそら色が隊の全員を覆うように包み込むと、円形の防護壁が現れる。
「みんな、円の中から出ないでっ……!」
一同が頷いた直後、炎球と防御壁が暴風を伴った凄絶な衝撃波を発生させて衝突する。相克する二つは防御壁が破壊されることはなく、また炎球が潰えることもなかった。
「ぐっ──ぅ────っ!」
大地を揺るがす熱風と衝撃波が襲い掛かる中、リサーナはエナを注ぎ続けて防護壁を保たせる。
拮抗した状況だったが、浪費を続ける彼女の限界は、すぐそこまで近づいていた。
「姉さんッ───!」
「はぁあああああああああああッ!」
カイナが悲痛な叫声で姉を呼ぶ中、彼女は声高に自身を奮い立たせると、全霊のエナを注いだ。
瞬く間に一層の輝きが放たれ────やがて、みそら色の光が──炎球を消滅させた。
「チル、合わせてくれ……!」
彼女へ視線を送り、アルメインは黒龍の頭上に祈術陣を展開する。首肯したチルメリアもまた同様に、重なるように祈術陣を展開させると、阿吽の呼吸で下階祈術を発現した。
『イグニスッ!』『ルシオ……!』
爆炎と落雷が黒龍へと降り注ぎ、雷鳴と共にその姿を覆い尽くす。────だが。
痛撃に思えた祈術は、一度翼をはためかせれば水泡に帰し……黒龍は傷一つない姿を見せていた。
「くっ……手強いな……! リサーナは大丈夫かい!?」
一方、安否を案じるアルメインの視線の先では、炎球を凌いだリサーナが崩れ落ちるように膝をつく。
両手を地に着け、意識を保たせているが──彼女のエナは、枯渇に近い状態に陥っていた。
「姉さん……! 命知らずにも程がある……!」
「っ……ふふっ。大丈夫……大丈夫、平気よ。カイナ……まだ終わってないわ」
その場に倒れ込む姉を、横からカイナが支える。心痛した弟の声は、酷く震えきっていた。
一呼吸置いた後リサーナは彼の肩に捕まると、再度防護壁へエナを注ごうと試みる。
だが──既に限界が訪れていたのか、リサーナからエナが放たれることはなかった。
『VRAAAAAAAAA!』
隙を逃さない黒龍は咆哮と共に身体を回転させると、靭やかに踊る龍尾で防護壁へ追撃を繰り出す。
「あれ……力が……上手く……」
「──リサーナッ!?」「姉さんッ! くそっ……! 『ボルグッ!』」
脱力する姉に再び肩を貸したカイナは、焦燥の汗を流して祈術陣を展開する。
餌食となる……寸前。防護の下階祈術を発現させると、守護の光波によって龍尾は反発するように弾かれた。
一難を耐え凌ぐも、勁烈な衝撃波が発せられ──間近に受けたメディス姉弟は後方へと飛ばされてしまう。
姉を庇うように抱えたカイナは鈍い音と共に背中を強く打ち、息を詰まらせる。
「ガハッ──! くっ……姉……さん……っ!」
「っ……カイナッ! リサーナッ……! よくも、やってくれたわね……っ!」
メディス姉弟の奮闘に感化されたミオメルは、怯み切った脚を叩いて根性を入れ直す。
黒龍が硬直している好機に身体を右に捻ると、標的の頭部を目掛け──岩槍を大きく振り被った。
「ふぅ──今っ! いっけぇええええええええ!」
全身で一回転すると、慣性を利用した必殺の一条を投じる。直線上に放たれた岩槍は、瞬く間に琥珀色の軌跡を描いた弾丸に変貌した。
それは正に────光線が如く。
しかし──一直線に黒龍の頭部に向かって飛翔する弾丸だったが、終ぞ届くことはなく、黒龍の全身を覆う膜のような壁に波紋を立てて消え去った。
黒龍は無傷のまま──頭部に埋め込まれた結晶が、怪しげな光を放っている。
「なっ……消えたっ……!?」「これなら──『ラクリマッ!』」
隙を与えず右手を前方へ翳したウルハが祈術陣を展開すると、氷海の下階祈術を発現させる。
そして天色の陣より、自身の周囲に六つの氷雪の礫を創り出した。
「お願い────!」
ウルハが祈りを捧げるように両手を握り締めると、一斉に黒龍の胴体へ放たれる。
飛翔する鋭利な氷雪の礫は、冷気を拡散して空気を切り裂きながら強襲するが──一つ、また一つと障壁に波紋を立てて消え去っていく。
「……っ! ど、どうすれば……」
「ぅぐっ……あれは、障壁……なのか?」
「っ……! 恐らくだけど、祈術のエナを吸収させて、自身のエナに転換しているんだろう。彼のあの姿……そう易々と保てるものではないはずだ……!」
立ち上がったカイナが呟き、アルメインは考えを口にする。魔術師が、この灰の大地で【龍】の維持に講じた一手。障壁を破壊して致命的な一撃を加えなければ、再度障壁が展開される可能性も否定できない。
────則ち、障壁を破り……そして一振りで沈める必要があった。
「アル、いつでもやれる」
「わかった……。頼んだ、チル!」
「うん。破壊してみせる──!」
アルメインの意図を汲んでのことか、隣立つチルメリアが祈術陣を展開した。
彼女は両拳を祈術陣の中央に突き出すと、重なり合う指先にエナを集中させる。
そして絡み合うエナの流れが祈術陣に際限なく渡り切る時──拳を突き合わせ、雷降の下階祈術を発現させた。
『ルシオッ……!』
瞬間、閃光──────彼女の拳から荒れ狂う雷が迸り、轟雷を纏う¨拳豪¨と成る。
「やぁああああああああああッ!」
チルメリアが曇天の下、稲妻を散らして黒龍へ一気に距離を詰めた。雷光の軌跡を残して大車輪で駆ける姿は、雷電が如く。燦然たる輝きを宿した左手の雷を、利き手である右手に継承させ──月を掴むように大跳躍をする。……既にその距離は、一足一刀の間合い。
一点集中──────彼女は障壁に向かって、轟雷の一撃を繰り出した。
『祈雷拳技《インドラ・アーツ》──天仙《テンセン》ッ!』
《アーツ》──エナの象徴として異邦の地に棲まう伝説の生物の名を冠し、祈術を武器や身体に纏って繰り出す武技。己の技術と祈術を重ねる《アーツ》は使い手によってその威力は重畳のものとなり、チルメリアは《アーツ》を駆使した戦法を得意としていた。
「砕けろ──っ!」
彼女の放った渾身の雷拳が障壁と衝突して、強烈な稲妻の破片が八方へ火花の如く散る。
震天動地────閃光が両者を照らす中で、障壁と雷拳は拮抗する。チルメリア自身も、手応えのある一撃に思えた。
────────しかし。
障壁は一瞬の揺らぎを見せたのみ……黒龍は寸前と変わりのない姿を保ち続けていた。
決して瓦解することのない障壁に、次第に大地を殴打している感覚に陥る。それは正に──金剛不壊。
『VRAAAAAAAAAA──!』
反撃に走る黒龍は鞭のように撓りを効かせた龍尾でチルメリアを強撃する。
寸前、彼女は両手を交差して衝撃を緩和させると、受け流すように宙返りをして、アルメインの横へと着地した。
『VGRAAAAAAAAAAAAAAAAッ!』
大地が割れ、耳が裂ける、再度の咆哮。炯眼を散らして威嚇するその姿は、憤怒────。
「ごめん……アル。やっぱりダメだった」
「いいや、大丈夫だ……次は僕が行く。────そして、全力を掛ける……!」
赤の勇者の瞳に、闘士の炎が宿る。その炎は悪を正し、浄火の御旗で救済と導きを齎す。
今より執り行うは、正義の執行。持てる最上を────必殺の一撃で龍伐を果たすために、アルメインは身体中に眠るエナを活性化させる。
「みんな……! 少しだけ時間を稼いでくれ! 彼を……障壁ごと叩き斬るッ!」
隊長の号令に一同が頷き、視線を交わす。カイナ、チルメリア、ウルハ、ミオメルの四人は余力の総てを尽くして今を護るために──彼を信じて紡ぐ者たちが、一歩前へ脚を動かした。
「っ……次の一撃は、俺が防ぐ!」
「頼んだわよ、カイナ!」
身体の自由が利かないリサーナを後方に待機させたカイナが声を上げる。
次に黒龍の一撃が飛来したその時────持てる総てを乗せて。
「カイナ……頼んだぞ……!」
アルメインは仲間を信じて瞑想を始める。そして相棒の大剣を水平に構えると、左手を白銀の刃に翳した。
最大限の出力を、最大限の力で。龍を屠るための劔を──────¨今¨。
『これは朱き焔の変遷』
明鏡止水。詠唱と共に、彼とその大剣から────朱の輝きが溢れ出した。
────赤の勇者の大剣に宿りし『聖焔玉』。コーレルム王家に伝わるこの宝玉は、膨大なエナを代償として、圧倒的な威力を誇る祈術へと変貌させる太古の聖遺物。
詠唱に時間を要するため、戦闘の際に行使するには局面が限られていた。だが……彼は一人ではない。アルメインは仲間に背中を任せ、その身に宿したエナを解き放つ。
「ウルハ! もう一回いくわよっ!」
「う、うん……!」
『ナテラッ!』『ラクリマッ!』
二人は各個に地天と氷海の下階祈術を発現させ、岩石の剣と氷塊の矢を放つ。共鳴するように互いを交差させ、踊るように空を舞うと、黒龍の障壁へ刃と鏃を突き立てた。
だが、先刻と同様に波紋が広がりを見せるのみ──吸収されるように柔らかく障壁へ溶けていく。
「っ……これでも届かないのね……!」「わ、私たちじゃ……アルくん……!」
『その種火は神秘を宿す帰郷の道標』
詠唱が紡がれ──膨大なエナが一点に集約していくと、強大な力を感知した黒龍が上空より攻勢に転じる。靡く風に勇者は泰然自若とし、依然として瞑想を継続させ──詠唱に集中していた。
『VGAAAAAAAA────!』
黒龍はけたたましい再三の咆哮を大地に轟かすと、二撃目の炎球を放つために大きく息を吸い込んだ。
そして初撃と同様に大地が鳴動し、天空を裂く暴風の荒波が一行を襲う。
『天穹に焦がれ望む 光風霽月たる鳳翼を』
「怯むな……立ち向かえっ……!」
カイナは錫杖を地面へ突き刺すと、震え上がる右手を左手で抑えつける。
護らなくては……リサーナの分まで。彼女が初撃を防いだ意味は大きい。ここで自分が為せなければ、その意味が損なわれる……!
黒龍が極彩色の瞳を輝かせ、口先に祈術陣を展開する。来たるは────¨終焉の龍火¨。
『其れ則ち 彼方と此方を繋ぐ救世の架け橋』
『VRAAAAAAAA!』
刹那の静寂の後……黒龍より発現されたのは燼滅の炎球ではなく、灼熱の息吹だった。燦然と輝く炎の波が天より降り注ぎ、視界は一瞬にして熱波を帯びた息吹に染まった。
だが──最早炎球であろうが、息吹であろうが、己の為す事に変わりはない。
ここを凌ぐ。この渦を耐える。みんなを……命を、護る。
心臓の鼓動が早まるが、動揺はない。覚悟を宿した眼差しと共に、右手を前方へ翳して祈術陣を展開する。────心の赴くままに、祈りを捧げよう。
「はぁああああッ! 吹き荒れろッ! 『リディシオッ────!』」
舞うは旋風────カイナは力強く拳を突き上げ、風迅の中階祈術を発現させる。
その眼前で幾つもの突風が渦を巻いて集い──翠風の防護壁となって顕現した。
衣服や髪が乱れようとも、瞳はただ一点──灼熱の海を。
今はただ……吹き荒れる翠が、肌で感じるこの風が、心地良かった。
『君へ託そう 天誅の執行を』
翠風は猛々しくその身を巻き続け、驚異的な勢いで肥大化していく。やがて──吹き荒れる風の渦は、コーレルム隊を覆う守護の嵐と成った。形成された守護の嵐は灼熱の息吹を包み込むと、その総てを無に帰してゆく。
『君へ託そう 大願の成就を』
『VGAAAAAAAAAAA!』
黒龍が極彩色の瞳に、微かな心の揺らぎが宿った。
焦燥がその威力を更に増幅させ、絶えることなく炎が流れ出でる。
────だがそれでも。その身が赤く染まったとしても。
守護の嵐が止むことはなく──高まり続ける息吹の威力を上回る勢いで、大嵐が渦巻いていた。
「この地に──っ! これ以上の悲劇は必要ないッ──!」
カイナの哀号が、眩い翡翠の光となり──守護の嵐は黒龍の息吹その総てを、搔き消した。
『破邪顕正の劔と成りて 太平の世を築け』
曇天を裂いた、一筋の光が降り注ぎカイルノアの地を照らし出す。
陽光を浴びた守護の嵐は、役目を終えたかのように凪いでいく。一行が息を吞む……正に圧巻の光景だった。
そして。割れた天に、太陽が顕現する。アルメインは口角を上げ────勝機はここに訪れた。
『──────これは朱き焔の変遷』
「すっ……すごい! カイナさん、すごいっ……!」
ウルハが息を呑み、感嘆の声を上げる。弟の健闘に……リサーナも、僅かに顔を綻ばせた。
「ははっ……ちょっと出来過ぎたかな。隊長……後は頼んだ」
姉同様にエナは枯渇寸前だったが、されど気さくに笑ってみせる。
守り切ったその場を無為にはしないと、アルメインは首を縦に振った。
「ああ。ありがとう、カイナ。君のおかげで万事は済んだ……!」
信じた仲間から襷を受け取る。想いに宝玉は呼応し────剣は聖なる焔を纏う。
『焔剣創製《リファイン・ブレイズ》──!』
呼び起こされるは、空の果てまで突き刺さる焔の一柱。
それは総てを根源から隔絶する、絶対の力。
燦然と立ち昇る朱の輝きに、ただこの場に立つ全員が──見惚れていた。
鳴動する剣は────導きの聖焔。
アルメインが垂直に構えた大剣を薙ぎ払うと、焔渦が舞い踊る。その揺動と共鳴して、重心を沈めた全身を優雅に回転させた。そして猛る聖焔と共に──集中力を極限まで昇華させていく。
やがて幾重にも絡み合う炎の螺旋が高まる時宜に、勇者は跳躍を果たす。
灰土を強く蹴り上げ、大地から脚を離せば宙を舞い────黒龍より遥か上空へ至ると、その身を翻した。
『祈焔剣技《フェニックス・アーツ》──────』
その空には、二つの太陽があった。
一つの太陽から溢れ出る炎が、世界を覆う。
一つの太陽から放たれる焔が、龍を屠る。
天より降り注ぐは────浄化の一閃。
アルメインは上空より黒龍へ狙いを定めると、両手を左腰に添えるようにして大剣を構える。
『VGRAAAAAAAAAAAAAA────!』
相対する黒龍も、瞳孔を大きく見開く。そして呼応するように、口先に莫大な祈術陣を展開する。
────恐らくこの一撃が最後になるだろうと、互いに理解していた。
【龍】が啼く──全霊を乗せ、禍々しい紫の炎が蠢いた。天を陰らせ発現されるは、焦空へと変える紫炎球。その絶大さは中階祈術では決して敵うことはないだろう。選ばれし祈術師の放つ上階祈術を以て尚、拮抗する格外の威力。
だが──────勝敗は既に決していた。
創製された焔大剣からは、轟然と焔が舞い続けていた。踊るように……その力を誇示するように。そして────その焔に応えるように。アルメインは聖焔の一閃を放った。
『炎天《アルデオ》──翔破《フラーマ》────ッ!』
それは舞踏のように華やかで、太陽のように暖かい────龍を屠る一柱の劫炎だった。
灰の大地より天に映るは、太陽より降り注ぐ焔の流星。
天空に軌跡を描いた其れは、紫炎球の中央を穿つと、張り巡らされていた障壁を粉砕させ────【龍】の心臓を貫いた。
「GA────────A──────」
静かに灰へと散りゆく黒龍を前に、アルメインが天より着地する。
跡に立つは────天へと昇る焔柱と赤の勇者の姿のみ。
この地を穢す者は、泡沫となって、その身を¨消滅¨させた──────────。
「ヴァン・ルード……。君は……」
その身を変貌させたヴァン・ルードは、人間の姿に戻ることなくこの世から消え去った。
彼が行使した魔術とは幻やまやかしでもない。アルメインは初めてこの目に焼き付けたが、その有様は凄惨なものだった。
教理を遵守し導かれる者が、その生を放棄してまで手を染めたもの。彼は……一体何を為したかったのだろうか。
「アル! やっぱりアルはすごい……! それから、あったかい……」
笑顔で駆け寄るチルメリアが勢いよくアルメインへ飛び付くと、ぴったりと密着して両腕を身体に回す。振り返れば……疲弊した中で笑みを零すメディス姉弟が、喜びを分かち合うミオメルとウルハが──アルメインを穏やかな表情で見つめていた。
「いいや。僕が力を出せたのはチル……それからみんなのおかげさ」
彼はチルメリアの頭に、優しく掌を添える。それは紛れもない──コーレルム隊の勝利だった。
ルードを討った一行ですが……第二話はもう少しだけ続きます。
次回の更新も明日の21時を予定しています。
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