1-5. 奈落の明星
――この記憶は……?
金と白の輝きが溶け合う、静謐な空間。
神々が並び座し、香気高い茶を嗜む――その一角に、彼女はいた。
いや、“彼女”ではない。あれは、“私”だ。
ルミノール……それが、私の本当の名。分離され忘れ去っていた本来の「私」。
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次の瞬間、景色が暗転する。
天地が裂け、禍々しき存在が現れる。
名前まではまだ思い出せない。だが、あれは確かに……「邪神」だった。
世界の均衡を脅かす、最も古く、最も忌まわしい存在。
私たちは戦った。光と闇の奔流が、神界そのものをも砕かんとする激闘だった。
そして最後は、相打ち――互いに存在を失い、ただ魂だけが漂泊した。
その時、記憶を残した“媒体”――記憶の鱗片をひと欠片、落とした。
あの石……そう、あれは私自身の一部だったのか。
そのまま私は、意識も曖昧なまま、輪廻の環へと流れていった。
数え切れぬ世界のひとつ、この地に、“人間”として生まれ落ちるために。
魔術の知。世界の摂理。そして、私の本質。
全てが今、ひとつに結びつき、目を覚ます。
――私は、再び立ち上がる。
その足取りは、もはや迷いのない、神そのもの。
「璃星!今目立つことをしたら真っ先に襲われるぞ!」
私を庇う声が聞こえる――けれどもそれは、今の私には必要のないものだ。
鼻息荒くこちらを睨む魔物に向かい、静かに告げる。
「よくも私の大切な人間たちに、傷をつけてくれましたね――死して償いなさい」
悠久の記憶を撫で、かつて紡いできた魔術を思い出す。
白金の粒子が身体を覆い、闇を瞬く間に光へ塗り替えた。
――奈落を照らす明星のように。地底の闇に光を灯し、人々を導く道標となれ。
『ステラ・ディヴィナ―Stella Divina』
次の瞬間、空間は荘厳な閃光に呑まれた。
それは、まさしく神の怒りのように、神聖で壮大。
――魔物は、呻き声を上げながら、跡形もなく消滅した。
「まだ完全に力が戻ったわけではないか……8割程度、といったところだろうか」
魔物の先、部屋の奥側では、上層に行くであろう転移魔術が起動したようだ。このような深い神殿にはよく設置される装置――おそらく、あの魔物の死によって放出された、膨大な魔素を受けて起動したのだろう。
「璃星ちゃん……?」
ふと周囲を見渡すと、全員の視線がこちらを向いていた。
当たり前か。なぜなら、私は「私」になったのだから。
ちっぽけな人間からすれば、私は畏敬の対象。今までのような目線は、もう得られない。
「いいえ。その名前は真の名ではありません。私の本当の名は、ルミノール。光の神なのです」
「――光の、神……?それってどういう……冗談じゃないのか?」
深手を負いながらも、律斗は問う。
「ええ。これは冗談ではありません。まあ、私への質問は後で、それよりまずは治療を」
私は目を閉じる。
空間を光の魔素で塗りつぶすように――
そして、命に生命力を吹き込むように――
光が生命の形を模り、彼らの傷を癒やしていく。
「――おお!治ってる、治ってるぞ!」
歓声が上がる。だがその声には、戸惑いと恐れが混じっていた。
彼らの視線は徐々に、畏敬へと…距離を帯びたものへと変わっていった。
やはり、そうなるか。
私は、離れた人々に対して、静かに言葉を紡ぐ。
「私は神だったの。邪神との戦いで相打ち…記憶を落として、この世界に一人の人間、璃星として生まれたの。だから、皆とは違って…」
そう、私は神。人間とは相容れぬ存在。
人間にとって天上の存在である私と、同じ立場で居たいという者など……
「なに言ってんだよ。神だろうがなんだろうが……お前がクラスメートであることに変わりはない。そうだよな、みんな!」
「あぁ!」
彼らは私を突き放すどころか、手を差し伸べてくれた。
このようなことは、永遠の生の中でも、数え切れるくらいしかない……
「璃星、これ……」
詩織がそっと、ハンカチを差し出してくれる。
私の目からは、涙が零れていた。
――転移装置を通り、私たちは地上へ帰還した。
そこでは、事件に巻き込まれなかった教員・生徒たちが待っていた。
久方ぶりの再会。皆は仲間たちと抱き合い、無事を確かめ合うように涙を流していた。
あれからどれだけの時間が経っていたのだろうか。日はすっかり傾いて、茜色の空が私たちを迎える。
夕焼けの色は、なぜこんなにも温かいのだろう。
神としての私は、人間の世界で初めて、「居場所」という名の灯りに包まれた。
私たちはバスへと乗り込み、非日常を後にする。
夕陽が揺れる車窓の向こう。
そこには、明るい未来がある……そう信じたい。