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第三話 大切な出会い

 翌朝――。

 日の光が部屋の小さな窓を通り抜け、私のまぶたを温かく照らす。ゆっくりと意識が浮上してくると、昨日とほとんど変わらない木の天井が目に入った。けれど、身体を起こしてみると、やっぱり昨日より少しだけ自分が女性であることに慣れてしまっている気がして、複雑な思いが胸を掠める。


「……今日も、一日が始まる、か」


 起き抜けに、改めて自分の胸元を確かめる。やはり膨らんでいて、やわらかい感触がある。感覚にもだいぶ馴染んできた証拠かもしれないが、素直に喜ぶわけにはいかない。私は頬を軽く叩いて気合いを入れ直した。


 今日はどうしよう。昨日は採取クエストをこなして最低限のお金を得たが、正直、今後もあの程度の報酬では生活を続けるのがやっとだろう。まして、男に戻る術や元の世界への帰還方法を探すには、もっと積極的に行動しなければならない。


(装備を買うにも、あまりたくさんの貯金があるわけじゃないし、危険を承知で討伐クエストに挑むのはまだ早いか……)


 などと考えながら、宿の一階へ降りていく。すでに何人かの宿泊客が朝食をとっているようで、スープの香りが食欲をそそる。カウンター越しに女将さんと目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。


「おはよう、ツバサ。昨夜はぐっすり眠れたかい?」


「はい。ちょっと慣れてきた……というか、疲れがたまってたみたいで、深く寝ちゃいました」


 言いながらテーブル席へ向かい、女将さんが用意してくれたパンとスープを受け取る。塩味のきいた温かいスープに浸したパンをひとくち齧ると、昨日よりやわらかく感じた。もしかすると身体の味覚も変わっているのかもしれないが、そこまで気にする余裕はない。


 しばらく食事に集中していると、横のテーブルから声をかけられた。


「やあ、お嬢ちゃん。昨日は初クエストだったそうじゃないか。うまくいったんだろ?」


 話しかけてきたのは、髭をたくわえた中年の男性――昨日の朝にも声を掛けてくれた、あのベテラン冒険者の一人だ。彼は相変わらず豪快な笑みを浮かべている。


「はい、おかげさまで。薬草を採って提出したら、ちゃんと報酬ももらえました」


「それは良かった。最初は地味な依頼を積み重ねるのが一番だぞ。あんまりイキって危険地域に足を踏み入れると、痛い目を見かねないからな」


 ドン、とテーブルを叩くようにして笑う彼だが、言っていることはもっともだ。私も古武術で多少の腕前はあるつもりだが、ここでは未知の危険が多すぎる。どうにも戦力や情報不足は否めない。


 今朝の食事をさっと済ませると、私は再び冒険者ギルドへ向かうことにした。仮登録状態から正規の登録へ切り替えるにはまだ費用が足りないが、数をこなせばそのうち手が届くだろう。


「じゃあ、行ってきます」


 女将さんに挨拶をすると、彼女は「怪我しないようにね」と手を振ってくれた。その姿にほんの少しだけ救われた気持ちになりながら、私は朝の街へ足を踏み出す。


 石畳の大通りは朝から活気に満ちていた。露店の準備をする店主、荷馬車を引いている人、冒険者ギルドへ急ぐ者たち。人種も種族も多彩で、獣人らしき耳や尻尾を揺らして歩く姿もしばしば見かける。


(うーん……本当に、不思議な世界だよな)


 どこを見回しても、ファンタジーのお約束がぎっしり詰まっているような光景だが、こうしてみると彼らにとっては普通の日常なのだ。早く自分も慣れなければと思いつつ、軽やかな足取りでギルドの扉を開ける。


 すると、受付カウンター前には数人の冒険者が列を作っていた。依頼の受付や、報酬の受け取りで混雑しているのだろう。私も列の最後尾に並ぼうと歩み寄るが、その途中でひとりの少女と目が合った。


「……あれ? 君、新人さん?」


 声の主は、外見年齢が私より少し上くらいだろうか。背丈はあまり変わらないが、艶やかな栗色の髪をポニーテールにまとめ、軽装の胸当てと短ズボンのような冒険者スタイルを身につけている。腰には細身の剣が下がっていた。


 瞳の色は少し茶色がかっていて、表情はどこか好奇心に満ちている。パッと見、強面というよりは爽やかさを感じるが、装備からしてそこそこ経験を積んでいそうな雰囲気だ。


「ええと……はい。昨日からこのギルドに来たばかりで、ツバサっていいます」


 私が自己紹介すると、彼女は明るい笑みを浮かべた。


「私はディアナ! 見たところ、まだ仮登録のカードしか持ってないよね? 何か困ってることがあったら、遠慮なく聞いてよ。私もそこまで古参ってわけじゃないけど、多少はここの流れも分かるから」


 ディアナと名乗る彼女は、どこか人懐っこい調子で手を差し出してきた。そのまま握手しそうな勢いだが、私は少し面食らいつつも、きゅっと手を取る。


「ありがたいです。実はまだ右も左も分からなくて……昨日は薬草の採取をやったんですけど、今日も同じようなのをこなすべきか迷ってて」


「ふむふむ、なるほど。あ、列が進んだから、続きはそっちで話そうか」


 彼女が列の前へと進むのを見届けながら、私も続く。相変わらず受付には何人か並んでいて、まだ少し待ち時間がありそうだ。


 そんなとき、ディアナがそっと身を寄せてきて、声をひそめた。


「実はね、私もちょうど今日、短距離の護送依頼を受けようかなって思ってたんだ。近くの村まで薬品と食品を届ける仕事で、報酬はそこそこいいし、危険度も低め。よかったら一緒にどう?」


「え……」


 思いがけない提案に、私は戸惑う。この世界で仲間を組むこと自体は珍しくない。むしろ、パーティを組んで大人数でクエストに臨む方が安全で効率的だとも聞く。ただ、昨日は一人で行動するしかなかったから、少し勝手が分からない。


「でも、私、本当に新人で……戦闘経験もまだないし。足手まといにならないかな?」


「そこは大丈夫。私も大した実力者ってわけじゃないけど、小型モンスター相手くらいなら十分対応できるし、多少の剣技は心得てるつもり。護送先は、ギルド員が定期的に行き来してる比較的安全な地域だからね。モンスター出ても弱いのが大半だし、野党みたいな大物は滅多に来ない」


 そう言ってディアナは肩を竦める。確かに護送依頼なら、戦闘が多発するような場所を通るわけでもないだろう。しかも複数人で行くなら安全度は増す。


(いいかも……)


 私は少し考えてから、勇気を出して「お願いします」と返した。この世界にはまだ知り合いがほとんどいないし、彼女が声をかけてくれたのは好機だろう。身元の怪しい人にホイホイついていくのは危険かもしれないが、ディアナの態度は悪意や下心を感じさせない。ここは素直に協力して経験を積むべきかもしれない。


「決まりね! じゃあ、受付で一緒に依頼を引き受けちゃおう。護送用の荷車はすでにギルドの裏手に用意されてるはず。荷積みを確認して、出発は正午くらいを予定してたから、時間もちょうどいいかも!」


 嬉しそうに語るディアナ。彼女のポニーテールが勢いよく揺れる様子は、なんだか新鮮な活気を感じさせた。まだ出会って数分だが、明るくて前向きな彼女の人柄は心地よい。


 私たちが受付へ進むと、リリが穏やかな笑みで迎えてくれた。


「おはようございます、ツバサさん。ディアナさんも、一緒に依頼を受けるんですね?」


「うん。じゃあ、護送依頼『北西のヴァネラ村への定期輸送』を二人で受注します」


 ディアナがそう告げると、リリは書類を取り出し、私たち二人のギルドカードを確認してから、クエストシートに必要事項を記入していく。どこか慣れた手つきで、あっという間に準備が整った。


「それでは、護送依頼の発注者はギルド内商会の運び手担当になります。詳しい説明は、ギルド裏手の荷車前で担当者が待機していますので、到着されたらお声掛けください。道中、お気をつけて」


 そう言われ、私たちはそれぞれのギルドカードを受け取る。ディアナが「じゃ、行こうか!」と私を促したので、後に続いた。ギルドの建物を出て裏手へ回ると、すでに木製の小さな荷車が待機している。車には簡単なほろが掛けられていて、中には木箱が二つ。


「荷は……薬品と乾燥肉、それに保存食用の野菜か。ヴァネラ村って、実はちょっと医療物資が不足しがちなのよね。ここ数ヶ月、風邪やら軽い疫病やらが流行ったらしくてさ」


 そこに立っていたのは、商会の制服らしき装いをした中年男性。私たちに気づくと、にこやかながらも急ぎの様子で言葉を投げかける。


「お、君たちが今回の護送人か。ディアナさんに……ええと、ツバサさん、だね? 一応依頼内容は把握してると思うが、ここから北西の道を進んで村に到着するまで、およそ半日と少し。荷車を襲うほどの魔物は出ない地域だが、途中の森の外れには小型の狼系モンスターが出ることもある。まあ、今まで大した被害はないが、一応注意してくれよ」


 彼の説明を聞きながら、私は緊張とわくわくが入り交じった気分になる。昨日の採取では魔物とほぼ遭遇しなかった(小さなのが一匹いたが逃げられた)から、今回は護送中にもし戦闘があれば初の本格的な実戦になるかもしれない。


 ディアナは荷車の様子を手際よく確認し、車輪や幌の固定具などをチェックしている。こういった下準備を怠らない姿を見ると、やはり見た目よりしっかり者なんだなと感じた。


「よし、異常なし。じゃあ、ツバサは後ろ側を頼むね。私が前で車を牽きつつ、敵の気配を探るから、背後から襲われそうになったら教えて。荷車は私が馬代わり――ってわけじゃないけど、軽いし順番で引き合おう」


「わかりました! 私も周囲に気を配ってみます」


 そうして私たちはギルド職員に見送られながら、街の北西門へと向かう。門番に依頼書を見せれば、すぐに通行が許可された。木製の車輪が石畳を転がる音が、やけに大きく耳に響いてくる。


 城壁を出て、街道に入ると、風景は一気に開けた。昨日行った丘陵地帯とはまた別の方面で、緩やかな斜面が続き、その先には背の低い樹木がいくつも点在している。道は比較的整備されており、舗装こそないものの馬車が通るには十分だ。


「この道は、村人や行商人が日常的に使ってるから、そこまで荒れてないの。途中に小川を渡る橋があるけど、そこも古いとはいえ定期的に補修されてるはずだから心配いらないわ」


 ディアナが楽しそうに説明してくれるので、私は合いの手を入れながら歩を進める。彼女はどうやら以前にもこのルートを通った経験があるらしい。


「ディアナさんは、いつ頃から冒険者を?」


「ディアナで良いよ。うん、ここのギルドに登録したのは一年ちょっと前だよ。それまでは親の農家を手伝ってたんだけど、どうにも退屈でさ。村を出て世界を見てみたくなったっていうのが、冒険者を選んだ理由かな」


「世界を見てみたい、か……」


 私の場合は望まずに飛ばされてきた格好だけれど、もし元いた世界に戻れないなら、いずれはこの世界を旅することにもなるのかもしれない。あるいは、旅をしながら手がかりを探すことになるのだろう。


 そんなことを考えていると、ディアナがふっと私の顔を覗き込んだ。


「……なんだか浮かない顔だね。この世界に来たばかりの新人さんには、ちょっと刺激が多いかもね」


「えっ……い、いえ、大丈夫ですよ」


 咄嗟に誤魔化したものの、内心はどきりとする。ディアナの言う『この世界』は冒険者の世界のことだろうけど、まさか本当に別世界から来た、なんて話したら、彼女はどう思うだろう。信じてくれるかも分からないし、ギルドに報告されて厄介ごとになるのは避けたい。


 そして、そうこう話しているうちに、街道は森の外れに近づいてきた。青々とした葉の茂みが増え、木漏れ日が地面に斑模様を作る。小鳥のさえずりが時折聞こえるのはのどかだが、油断はできない。


「よし、ここからちょっと警戒。狼系モンスターが出る可能性が高いのはこの辺りから先の一区間だよ」


 ディアナは腰の剣に手をかけながら、私に目配せをする。私は軽く頷き、彼女の後方を数メートルの距離でついていく。荷車の取っ手を交互に持ちながら進むため、私が前に立つ時間もあるのだが、基本的にはディアナが前衛を担ってくれている。


 森と呼ぶには木がまばらだが、それでも死角になる茂みや下草は多い。道の両脇に茂みが迫り出している区間に差しかかると、私の心臓が少し早鐘を打ち始めた。まるで直感が警鐘を鳴らしているような――。


(来る……?)


 ほんの一瞬だったけれど、視界の端に灰色の影が動いた気がした。咄嗟にディアナに声を掛けようと口を開くが、それより早く彼女が叫ぶ。


「ツバサ、右の茂み! 来るよ!」


 ディアナの言葉とほぼ同時に、足元の枯れ草を踏みしめる音が聞こえた。勢いよく飛び出してきたのは、狼に似たモンスター――けれど瞳が赤く、唸り声がひどく耳障りだ。体長は大きめの犬くらいか。口を開けば尖った牙が覗き、唾液が糸を引いている。


「くっ……来るなっ!」


 思わず私が荷車の取っ手を放して後ずさると、狼のモンスターは低い姿勢のままこちらを威嚇するように吠えた。ディアナが素早く前へ出ようとするが、敵は二方向から来ているらしい。


「もう一匹……いや、二匹いる! 左右に分かれたか……!」


 私が視線を投げると、確かに道路の向かい側にも同じモンスターが顔を出していた。どうやら三匹の群れで私たちを囲むつもりだ。


 ディアナが剣を抜き、まずは正面の一匹に突進する。彼女の動きは見た目より素早く、剣先がきらりと光った。その斬撃を狼は辛うじて避けたが、同時に体勢が乱れる。


「ツバサ、後ろ! 荷車を守って!」


 こちらを振り返りつつ、ディアナが叫ぶ。私も足を踏みしめ、咄嗟に身構えた。もともと男の身体だったころから続けている古武術の動作を思い出す。とはいえ、今の身体はかなり感覚が違う。だが……。


(昨日感じた軽さを信じるんだ。いける……!)


 私の横合いから飛びかかってきた一匹に対し、反射的に踏み込みを入れる。両手を構える動作は、素手で戦う格闘スタイルに近いが、私が習ってきたのは護身も兼ねた古流の身体操作術。相手の動きをそらしつつ、反撃するイメージだ。


 ――パンッ!


 一瞬、硬い何かを打ち据えた感触が私の腕を伝う。狙いは相手の鼻先。突っ込んでくる勢いを利用して、その鼻面に手刀というか手のひらの根元を合わせる形でぶつけるように衝撃を与えた。


「ガゥッ!? ……クゥン!」


 狼のモンスターは悲鳴を上げて地面を転がり、木まで吹っ飛んだ。どうやらかなり効いたらしく、身動きはするがその場で動けない。私自身も驚くほど力に驚いた。


(やっぱり明らかに前より強くなってる……元の世界じゃあり得ない吹っ飛び方だ。やたら動きやすいし、踏み込みが軽い……!)


 唸る狼はやがてその場で動かなくなった。それに私の蹴りではなく掌打だけでここまで押し返せるとは、自分でもびっくりだ。


 一方、その間にディアナは正面の一匹を切り裂いたのか、地面に倒れているモンスターが確認できる。あともう一匹は道の反対側へ逃げかけているらしい。


「ふぅ……こっちはやった。ツバサはそっち、大丈夫?」


「はい……何とかなりました」


 私が答えると、他の狼型のモンスター達は森の奥へ逃げ去っていき、戦闘は意外なほどあっさり終わりを迎えた。


 その場に残ったのは、仕留められたモンスターだけ。その毛並みが微かにピクついていたが、すぐに動かなくなる。倒れている死骸をどうするのか、ディアナが腰の剣を鞘に収めながら話しかけてきた。


「この辺は素材売却するほどの価値はないし、放っておいても問題ないわ。危険度の高いモンスターでもないしね。倒した数によってはギルドから討伐報酬が出る場合もあるけど……あー、今回は護送依頼のついでだから、処理の義務はないかな。自然の摂理に則って他の動物が食べるでしょう。時間が惜しいし、急ぎましょっか」


 私も息を整えながら同意する。初めての実戦だったが、思ったより何とかなった。それは、私自身の身体能力が不自然に高まっているおかげも大きいだろう。


 私たちは荷車を整え直し、再び道を進み始める。さすがに今度は緊張感が抜けないが、その後しばらくは何事もなく、森を抜けて開けた道に出ることができた。


 太陽が南に差し掛かる頃、視界の先にこじんまりとした集落――ヴァネラ村が見えてくる。素朴な畑や小さな家々がまばらに建ち並んでいて、周囲には背の低い柵らしきものが巡らされている。


「わあ……いい景色。田舎の村って感じですね」


「そうだね。ここの人たちはほとんどが農民で、あとは牧畜もやってるのかな。街みたいな華やかさはないけど、私はこういう所も好き」


 ディアナは軽やかに笑みを浮かべ、村の入り口へ足を進める。村の近くには簡素な門があり、見張り役と思しき青年が一人立っていた。


「こんにちは。ギルドからの護送依頼で物資を持ってきたよ」


 ディアナが声を掛けると、その青年はほっとしたように笑顔になる。村人たちはどうやら今回の物資をずっと待ち望んでいたらしい。


「おお、ありがてえ! 最近ちょっと体調崩す人が増えてて、薬が不足気味だったんだ。助かるよ」


 私たちは案内されるまま、村の中心へと荷車を押していく。そこには簡素な広場と井戸があり、周囲に数軒の家と倉庫が建っていた。木箱を下ろすと、村長らしき初老の男性が出迎えてくれた。


「おお、ギルドからの護送人か。よく来てくれたね。早速、中身を確認させてもらっていいかな?」


「はい、もちろんです」


 私とディアナは箱を開け、注文どおりの薬品や食料がきちんと梱包されていることを村長に見せる。村長はため息混じりに感謝の言葉を述べながら、「実は一昨日あたりに、また熱病が出てね……」と事情を話してくれた。どうやら、村には簡易の治療師しかおらず、薬が不足するとすぐに対応が難しくなるらしい。


「大規模な魔物の襲撃は少ないんだが、たまに飛び入りで病気が流行ると厄介でね。街の方まで行くには距離もあるし、薬代もかさむ。こうしてギルドに定期配送を頼めるのは本当にありがたいよ」


 村長の言葉に、ディアナは頷きながら「微力ながらお役に立てて何より」と返す。その横で私は、こういう地道な護送が人々の命を支えているんだと実感し、胸が少しだけ温かくなった。


(自分のことで精一杯だったけど、こういう仕事は悪くないな……)


 物資の確認を終え、村長に無事に受け取りサインをもらった私たちは、すぐに報酬を手渡される……と思っていたが、実はそうではなかった。報酬は街のギルド経由で受け取る仕組みだという。配送物資の受け取り確認の証明書を持ち帰り、それをギルドに提出して初めて報酬が振り込まれるらしい。


 私たちはその証明書を大事に荷車へ積み込み、少し休んでから帰路に就くつもりでいた。ところが、村長が「ちょうど昼飯を用意してるから、良かったら寄っていきなさい」と申し出てくれた。


 ディアナは一瞬迷ったようだが、「お言葉に甘えて。ツバサ、体力も使ったしね?」と言って私の顔を覗き込む。確かに森で狼に襲われたときは緊張して汗をかいた。休憩なしで街へ戻るのはしんどいかもしれない。


「それじゃ、お邪魔させてもらいましょうか……」


 こうして私たちは村長の家へ向かい、簡素なテーブルで昼食をいただくことに。内容はシチューとパン、それに新鮮な野菜が添えられているシンプルな食事だったが、濃厚な味わいが美味しかった。煮込まれたじゃがいもに似た根菜もホクホクしていて、思わず頬が緩む。


「うちの村で採れる野菜は、土壌がいいから甘みが強いのさ。街へ出す分があんまり余らなくてね」


 村長が笑いながら言う。こういう温かい雰囲気は、どことなく昔の田舎の実家を思い出させる。もちろん、私の本当の実家は日本の郊外だったけれど、子供の頃に祖父母の家を訪れたときののどかな風景を連想させるのだ。


「ここで少し休ませてもらってから帰ります。ありがとうございます、村長さん」


「おうとも。まあ、一刻も早く帰らなきゃいけない用事でもないだろう? ゆっくりしていきなさい」


 そう言われ、ディアナと私は家の外に出てひと息ついた。時間的にはそろそろ出発しないと夕方になる頃に街へ戻れなくなるが、あと少しだけ休憩は取りたい。


「ディアナは森の中での戦闘、すごく慣れてましたね。狼モンスターをあんなにあっさり……」


「んー、まあ、まだまだだけどね。以前、猛獣除けの依頼とか、小鬼ゴブリン退治を手伝ったこともあるし、ある程度は慣れたかな。ツバサも、見る間もなくあっという間に倒してたね!あれ、何か武術か格闘技をやってたの?」


 彼女にそう問われ、私は言葉を一瞬詰まらせる。日本で古武術をやってたなんて言ってもピンと来ないだろうし、どう説明すべきか悩む。


「子供の頃から、ちょっと護身術みたいなのを学んでて……。まだ使いこなせてるか怪しいんですが」


「へえ、なるほど。確かにすごい衝突音は聞こえてたから、パワーとかもすごそうだね。簡単に狼を吹っ飛ばすとは思わなかったよ」


 ディアナは感心した様子で頷いている。私は苦笑いするしかない。実際、前の世界で培った経験や筋肉の使い方は身についているが、今の身体はそれに加えて明らかに異常なパワーが宿っている。これ以上深く突っ込まれないといいけど……。


「……とにかく、助かったわ。正直、荷車の牽引を一人でやりつつ三匹を相手にするのは厳しかったから、ツバサがいてくれて心強かったよ」


「いえ、私の方こそ。ディアナが前で斬ってくれたから助かったんです」


 互いに礼を言い合い、緊張をほぐすように顔を見合わせて笑う。さっきの戦闘は短時間だったが、やはり初めての実戦は刺激が強かった。二人で乗り越えられたことが、ほんの少し嬉しく感じる。


 しかし、そうやって和んでいた矢先――村長の家の方から慌ただしい声が聞こえた。


「お、おい、そこの冒険者さんたち! すまない、ちょっと来てくれ!」


 聞けば、村の奥の方で怪我人が出たという。畑を耕していた若者が足を刈り取られて動けなくなってしまったらしい。どうやら畑近くの茂みに潜んでいた獣に襲われたようだが、その獣の正体が分からないとのこと。


「私が行くわ。ツバサはどうする?」


「もちろん、私も行きます」


 ディアナはすぐに剣を携え、駆け出そうとする。私も慌てて荷車の脇に荷物を置き、彼女の後を追った。村の外れに位置する畑へ行くと、そこには青ざめた表情の村人たちが集まり、ひとりの青年が倒れている。足首に深い傷を負い、血が滲んでいた。


「これは……結構エグいね。村長さん、治療師は?」


「この村には薬草の知識があるお婆さんがいるが、いま別の家で高熱の老人を看ていてすぐには来られない。どうしよう……」


 村長が焦りの色を浮かべながら周囲を見回す。ディアナがちらりと私を見てから口を開いた。


「仕方ない。応急処置くらいなら私ができるかも。ちゃんとした魔法までは扱えないけど、ギルドで簡単な救急手当は習ったから」


「お願いします! 私にできることがあれば手伝います」


 そう言って私も青年のそばへかがみ込む。彼は苦痛で顔を歪め、うわごとのように何かを呟いている。大きな失血はないが、痛みと恐怖で取り乱しているようだ。


「まずは止血……うーん、確かに厄介な傷口だね。変に噛みちぎられたみたいで、皮膚が裂けてる。ねえ、ツバサ、そこのタオルで傷口を抑えてくれる?」


「わ、わかった」


 ディアナが素早く取り出した布の包みには、ギルドから支給された簡易救急セットが入っていた。包帯や消毒液の代わりになる薬液などがある。彼女は慣れた手つきでそれらを広げ、青年の傷口に当て布を当てて圧迫止血を始める。


 私がそのサポートをしながら、周囲の村人に声を掛ける。


「すみません、きれいな水と布巾、それからもしあれば怪我人を寝かせるための寝台とか……」


 村人たちはそれぞれ慌てながらも必要なものを集めてくれた。ディアナは言葉少なに作業を続けながら、通りすがりに私に指示を出す。薬液を塗って、包帯を巻いて、固定する。こうした初歩の救護作業は、冒険者の基礎訓練の一環なのだという。私は見よう見まねで手伝い、どうにか大きな出血は抑え込んだ。


「ふう……あとは治療師さんに診てもらうしかないね。とりあえず命には別状なさそうだよ」


「ありがとうございます、本当に……」


 青年の傍らに跪いていた村長が、私たちに深々と頭を下げる。彼の息子だろうか、必死に涙をこらえているようだ。周囲の村人もほっと胸を撫で下ろしている。


 だが、これで一安心とはいかない。青年を襲った獣がまだ近くに潜んでいる可能性があるのだ。私がディアナの顔を覗き込むと、彼女も険しい表情で頷く。


「やられたのは足首で、噛まれた感じ……狼にしては歯型が小さい気がするし、こんなところまで熊とか大きいのは出ない。イタチ系の野生動物とか、あるいは魔物化したものか……」


「このままだと、また他の人が襲われるかもしれない。村長さん、最近こういう被害ってありましたか?」


 私が問うと、村長は少し困惑顔で答える。


「いや、ここ数日はなかった……以前にも、夜中に鶏がやられたり、畑の作物が荒らされたりはしたが、こんなに人を襲うほどのものは……」


「うーん、ちょっと周辺を探してみようか? ツバサ、時間は大丈夫? 護送物資はもう渡したし、帰りを少し遅らせても問題ないなら、被害が拡大しないように見回りだけでもしたい」


 ディアナが真剣な表情でそう提案してくる。私はうなずく。確かに、怪我人を放置して戻るのは気がかりだし、何よりこのままでは村人たちが安心して畑仕事に戻れない。


「わかりました。私も行きます。村の周囲を一緒に見回りましょう」


「助かるわ。じゃあ、村長さん、もし私たちが戻ってくる前に治療師が来たら、あの青年をちゃんと治療してあげてください。あと、村の中には子供や女性もいるだろうから、できるだけ外に出ないように注意してね」


「わかった……! 本当にすまないね。恩に着るよ」


 村長は再び頭を下げ、私たちは少年数人の案内を受けて畑の周辺や茂みを丹念に探す。しかし、痕跡らしいものはほとんど見当たらない。足跡がかすかに残っているものの、どの動物や魔物のものか判断がつかないし、血痕も散らばってはいない。


「よほど素早いか、警戒心が強いのか……。それに、昼間に人を襲うなんて相当珍しいんだけど」


 ディアナは木の根元を調べながら、苦い顔で呟く。私も近くの茂みをかき分けてみるが、足跡らしきもの以外に目立った痕跡はない。


 結局、ひと通り見回しても有力な手がかりは得られず、私たちは村長のもとへ戻った。村長は表情を曇らせていたが、「二人にこれ以上の負担をかけるわけにはいかんからな……」と頭を下げる。


「ここ数日は警戒を強めるようにみんなに話すよ。また何かあれば、街のギルドに依頼を出す。今回は本当にありがとう。護送までしてもらったうえにこんなことまで……」


「いえ、私たちは冒険者ですから。どうかお大事に」


 ディアナが村長と固い握手を交わすのを見ながら、私も一礼する。決定的な対処ができなかったのはもどかしいが、時間の都合もあるし、あまり長居すると私たちも宿に帰れなくなる。


「ツバサ、そろそろ街に戻ろうか。日が暮れる前には着きたいし」


「……はい」


 そうして私たちは荷車を牽き、ヴァネラ村を後にした。昼過ぎを回っているから、順調に行っても街へ着くのは夕方近くだろう。


 帰り道も例の狼モンスターが出る可能性があるが、今度は往路で倒したからか、一匹減ったこともあってか、結果的に襲われることはなかった。多少緊張してはいたものの、同じルートを戻る分、道も把握しているので余裕がある。


「ねえ、ツバサ。今日は本当にお疲れ様。初めての護送で、しかも怪我人の手当まで……きっと神経張り詰めたよね」


「うん……でも、ディアナが一緒で助かった。すぐ近くで人が襲われたのを見るのはやっぱりショックだったし」


「そりゃそうだよ。最初は誰だって戸惑うさ。私も昔は傷口見ただけで震えてたもん」


 ディアナは少し照れくさそうに笑う。その言葉を聞くだけで、なんとなく気持ちが軽くなる。私もまだまだ初心者だから、少しずつ慣れていくしかないのだろう。


 そうして、のどかな山道を抜け、街へと近づく頃には空がオレンジ色に染まっていた。城壁の門には同じ門番が立っていて、私たちの姿を見るなり軽く会釈する。ギルドへの護送依頼で往復する者はよくいるらしく、門番にとっては見慣れた光景なのかもしれない。


 ギルドへ到着すると、私たちは荷車を裏手に返却し、依頼主である商会の担当者に証明書を提出する。担当者が内容を確認し、特に問題がないことを確認すると、改めて「ご苦労だった」と頭を下げてくれた。


「これで依頼完了になるから、あとはカウンターで報酬を受け取ってくれ。いや、本当に助かったよ。ヴァネラ村は最近いろいろ病気が流行ってるからね、我々の商会としてもちゃんと支援していかないといけないんだ」


 私たちは受付へ向かい、クエスト終了の手続きを済ませる。報酬額は初級クエストとしてはかなりいい部類で、二人で割っても十分満足できる額だった。


「ツバサ、これが護送の半分ね。おめでとう!」


「ありがとうございます……わあ、こんなに!」


 銀貨がじゃらりと手のひらに載り、私は驚く。昨日の薬草採取と比べると大幅に多い。どうやら護送はそれなりにリスクがある分、報酬も高く設定されているようだ。これでしばらくは宿代や多少の装備購入に困らないだろう。


「ディアナ、本当にありがとうございました。おかげで無事に初めての護送をこなせて……」


 私が深く頭を下げると、彼女は何気ない口調で応じる。


「いやいや、こちらこそ助かったよ。仲間がいないと荷車も重いし、狼も出てくるし……。ツバサがちゃんと戦えるって分かったのは収穫だったし、また機会があったら一緒に行こっか」


「……はい、ぜひ!」


 そんな約束を交わし、ディアナと別れる。彼女は宿が別の場所らしく、「今日はもうクタクタだから先に帰るね」と言ってギルドを後にしていった。私はしばらくギルドで装備や依頼一覧を見回した後、宿へ戻ることにする。


 夕暮れの石畳を歩きながら、ふと気づいた。今日は初の討伐(?)と応急処置、さらには村の見回りまで色々経験して、まるで数日分の出来事を詰め込んだような濃い時間だった。


(これがこの世界で生きるってことなんだろうな……)


 戻った宿で女将さんに一言「ただいま」と声を掛けると、彼女は「おかえり、無事でよかった」と笑みを返してくれた。まだ知り合って数日なのに、そう言ってもらえるだけでなんだか安心する。


 夕食を摂り、部屋に落ち着いてからは、そのまま深い眠りに落ちた。やはり護送と戦闘で体力も神経も使ったせいで、ベッドに沈むなりまぶたが重くなる。


 ――そして、眠りの境界でぼんやり考える。

 自分は元の身体を取り戻すために、どういう道筋を描けばいいのだろう? 今日の経験を踏まえれば、冒険者としての経験を積むのは悪くない選択だ。人脈を増やし、お金を貯め、知識や手がかりを集める。でも――本当に、そんな遠回りでいいのか?

 あるいは、もっと急ぎ足で魔法研究者や賢者を探して回るべき? ただ、昨日今日の冒険で実感したように、世界には危険が多く、安易に旅立つのは無謀だ。まだこの街のことすら十全には分かっていないのだ。

 思考はまとまらないまま、意識が深みへ沈んでいく。男の身体に戻る――その強い願いが心のどこかで焦りを生むものの、同時にここでの日々にも確かに手応えがある。少しずつ知り合いが増え、少しずつ成長している感覚……。

 胸の奥がざわめく。戻りたい、でもこのまま冒険者として進むのも悪くない――。そんな微かな迷いを振り払うように、私はまぶたを閉じた。


 こうして、私の第二の挑戦とも言うべき護送クエストは幕を下ろした。しかし、ディアナとの出会いは、今後の運命を大きく変えていく可能性を秘めていたのだろう。

 まだそれに気づくのは、少し先の話になる。 


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