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死の館の天使と悪女  作者: 春泥
DAY 1
6/45

5 狂宴のはじまり

 なんなの、今の。


 艶やかな黒髪の娘は、切れ長の目を細めてアビーと呼ばれた女とその膝の上に座る少女を眺める。メイドの一人が少女の座っていた椅子や食器類をアビーと呼ばれた女の隣に移動させた。幼子はアビーから耳元に何か囁かれ、最初はいやいやと首を横に振っていたが、しぶしぶと膝の上から降りて隣の椅子に座った。


 あの二人、知り合い? 親子? いや、自分も含めて、みんな記憶を失っているみたいなのに、そんなわけが。いち早く思い出した勝ち組? え、勝ち組ってなに?


 娘は長いテーブルについた女たち、スモッグ様のダサいドレスに身を包んだ女たちの様子を伺う。彼女たちは、年齢や髪の色、皮膚の色まで異なっているが、娘はそのバラエティーに富んだ女たちのなかで、自分だけが異質な存在であるように思えてならない。


 それは、化粧台の鏡を覗き込んだ時に感じた違和感で、しこりとなって彼女の中に残っている。


 艶やかな黒髪は顎より上で切りそろえられていた。眉を隠す長さの前髪が重苦しい。やや吊り上がり気味の切れ長の目、いかなる主張もする気がないような平らな頬骨――指先でそっと触れた頬は滑らかで弾力があった。まだ二十歳にもならないぐらい、若いのだ。たぶん、制服を着て学校に通っている年齢。だから、ぺったんこの胸も、これから膨らむ可能性はある。裸の女たちの中には、彼女と同じぐらいやせ細っていながら、豊満な胸(本物?)をしたいやらしい体つきの女もいたではないか(あんなの、ズルくない?)。

 それでも彼女は、がっかりしていた。


 他の女たちは、()()()じゃない。


 これはただの被害妄想。あるいは、自分だけが特別、他の誰とも似ていない、だから誰からも理解されないのだという、中二びょ――

 ちゅうにびょう? なんだそれ?


「やあ、全員集まったようだ」


 聞き覚えのある、男の声。

 いつのまにやら、長いテーブルの端、館の主が座する席に、男はアームレストに片肘をついた姿勢で長い足を組んで座っていた。声で同じ男だと分かったが、装いはずいぶん変わっていた。着ている物はサファイア色の燕尾服に黒のシルクハット姿、目深に引き下げられた帽子のつばが顔に翳を落としているが、口から下の部分は完全に露出しているのがわかる。

 数名の女たちの口から悲鳴があがった。


「帽子ぐらい脱いだらどうさ。誰もあんたに礼儀を教えてやらなかったのかね。それとも、見られたら困るようなツラなのかい」


 先刻、男にふっ飛ばされた四十女の声だった。皆と同じワンピースを着ているが、長袖を肘までまくり上げて逞しい腕を露出させ、燃えるような赤い髪は、ワイルドに波打ち、広がっている。

 男は帽子のつばを人差し指で押し上げた。蝶々が翅を広げた形で虹色の光を放つ仮面が露わになった。目の部分が覗き穴のように切り取られており、その奥から女たちに向けられた瞳が、蝋燭の光を反射して煌めいた。口元には笑みを浮かべている。


「楽しいパーティーを台無しにする無粋な輩はどこにでも存在するらしい」

 声の調子も弾んでいる。

「まずは、宴を楽しむがいい。おれは今、機嫌がいいんだ」


 男の合図で、壁際に並んでいたメイドたちが一斉に動き出した。ある者は、一脚残っていた椅子を運び出し、ある者は大皿に載った肉や果物を運び込んで目を丸くする女たちの前に置き、ワインと思しき液体でグラスを満たした。大変なご馳走だった。

「おおいに食べ、飲むがいい。そうできる間にな」

 そう言い終えるや否や、男は目の前にある大皿から詰め物をしたガチョウの脚を手で毟り取ってかぶりついた。肉汁が顎を伝って落ちるが、お構いなしだ。肉をこそげ落とした骨を乱暴に皿に放ると、手の甲で口元を拭ってもう一本、鳥の脚をもぎ取る。そして、あいている方の手でフォークを持ち、仔牛のカツレツに突きさした。


 マナーもなにもあったものではない。


 男から一番離れた末席で、ジェーンは顔をしかめた。あんなに騒々しく音をたてて……それでも、カトラリーを使っているならまだましな方で、大きな肉の塊を切り分けもせず、両手で抱え、かぶりついている。まるで、肉食獣の食事だ。

 しかし、猛然と食欲を満たし続ける男の姿は、女たちを刺激したようだ。初めはおっかなびっく銀製のナイフとフォークを使っていた女たちも、初めて口にする高級な食材をふんだんに使った料理に舌鼓を打つうちに次第に我を忘れ、たしなみや礼儀作法も忘れて、手づかみで口に運び始めた。

 いっそう食欲をなくしたジェーンは、色とりどりの果物を盛った鉢から葡萄をひと房とりわけると、一粒一粒、ゆっくりと口に運んだ。


「ジェーン、ジェーン、せっかくお前のためにシェフに腕を振るわせたというのに、お気に召さないのかい」

 脂とグレイビーソース、クリーム等でべたつく指を舐めながら、男が老女に呼びかけた。

「申し訳ないけど、わたしのような年寄りには合わないのよ。でも他の皆さんは楽しんでいらっしゃるようだから」


 女たちは無言で料理を口に運んでいる。人間にも頬袋ができたのかというほど両頬を膨らませて忙しく咀嚼し、先の分を飲み下す前に新たな料理を口にねじ込む。手や口の周りはもちろん、ワンピースの胸元まで汚している者までいる。

 一体どうしてしまったたのかしら、とジェーンは訝しがる。いくらなんでも、ここにいる全員がマナーをわきまえない階級の人達だとは思えないのだけど。


「こんな状況でもまだ古き良き帝国の美徳を捨てられないなんて、悲しくなるな。せめてワインを味わってほしいね。お前と同じぐらい古いボトルを、今日この日のために開けたんだ」


 男は水でも飲むようにワインを飲み干し、すかさずメイドがグラスを満たす。

 ジェーンはワイングラスを揺らして葡萄色の液体の香りを深々と吸い込んだ後、グラスをテーブルに置いた。


「できればシェリーをいただきたいわ。もし、あればだけど」

 ただちにメイドの一人が、小さなグラスに入った琥珀色の飲み物を彼女の前に置く。

「まあ、さすがね。このお屋敷の使用人は、本当に素晴らしいと思うわ」

 老女はシェリーのグラスを上座の男に掲げ、口をすぼめて酒を啜った。

「そして、このシェリーも」

「光栄だね、お前に褒めてもらえるとは。これでも、館の主として、この宴には細心の注意を払って準備をしたんだからな。お前たち全員に楽しんでもらえるように」

「全員そろったというのは、正しくないわね」

「なんだと?」


 男の陽気な調子が一変した。


「『全員集まったようだ』とさっきあなたは言った。でも、メイドがテーブルから椅子を一脚片付けていたじゃない。ここに来てからただ一人席を移動した女の子は、女性の膝の上から椅子に移動しているから、空いていた椅子は、あの子のものではない。わたしがざっと数えた限りでは、わたしたちははじめ、きっかり三十人だった。――洋服を着ていない状態だと、頭数を数えるのも大変なのよね、そんなこと、考えたこともなかったけど。あのときは三十人だった。でも、ここにいるのは、何度数えても、二十九人。一人足りないわね。一体、どこに行ったのかしら」


 ぱりん、とガラスの割れる音がした。男の手の中で、グラスが粉々になっていた。


「ああ、ジェーン、お前ってやつは」


 男はナプキンで手を拭いながら立ち上がった。そして、ひらりとテーブルの上に飛び乗ると、ご馳走の山を踏みにじり、グラスを蹴倒しながら、ジェーンの座るテーブルの末端へと向っていった。

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