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1.5 吉凶は糾える縄の如し

 説教を終え「さらばだ!」と身を翻した孫娘の後ろ姿を、蔵之介(くらのすけ)はため息ひとつで見送った。


 ああやって元気な姿を見せているが、時折り参加させるパーティーでは借りてきた猫のように大人しい。

 見知らぬひとに囲まれる状況のなか、警戒をあらわにしているのだろう。


 いや、女性らしい装いをしているから余計に気が立っているのかもしれない。

 それも仕方ないことかと額に手をやる。


 本来なら艶のある榛色の髪を整えず、長い前髪から覗く同色の瞳は感情の色が窺えない。

 女性であることを放棄する姿は何度見ても胸が締め付けられる。

 あのようなことが起きなければ、と考えては答えのでない問いを繰り返す。


「お義父様、いまよろしいですか?」


 扉をノックされ、入室の許可を得て顔を見せたのは孫娘の母であるお千夜であった。

 神妙な面持ちでソファに腰を掛ける彼女は、蔵之介の息子より頼りになる存在だ。

 いつの時代も女性は逞しい。


「――此度の件、お力添えしていただきありがとう存じます。お義父様にはいつも損な役回りをさせてしまって、申し訳ございません」

「改まって頭をさげんでよい。儂もいい機会だと思っておる。あれにはちと酷なことかもしれんが」


 お千夜は睫毛を下げ、憂愁に満ちた表情を浮かべている。彼女の不安な気持ちは理解できる。

 花凰学院にはあの者が入学し、いずれ顔を合わせることになる。その時どのような反応をするのか。

 なにが起きても対処できるよう本家の者を内部に手配したが、月影がいるのだ、万が一のことが起こっても最悪の事態は避けられるだろう。


(わたくし)、恐ろしいのです。以前のように戻ってしまったらって」

「だかそれは」

「理解しております。もうあの頃のみどりは帰ってこない。頭では理解しているのです。それでも、あの子の笑顔が見たいのです。心からの笑みを」


 そして、賭けるしかない。


 月影と五家が揃うとき、吉凶(きっきょう)(あざな)える(なわ)(ごと)し――。

 昔からの言い伝えだ。調べれば眉唾な話も多い。だが、それに縋ってしまうほどいまのお千夜は弱っている。


 あの日から七年が経とうとしている。

 いまでも思い起こすだけで身の毛がよだつ、悍ましい事件だった。

 誰もが予想し得ない出来事に理解が遅れ、たどり着いた時にはもう、血に染まった少女の姿に息を呑むしかなかった。


 目を瞑ればあのときの狂ったような笑声が耳に木霊する。

 全身から血を噴き出し、深紅の瞳を煌めかせ、血涙を流していた少女の姿。


 日頃はおどけたように振る舞っているが、いまだ不安定なのは確かだ。

 だから余計に目を離せないのだが、


「あの(わっぱ)もおるし、早々大事にはならんだろう」

「……だと()いのですが。でも、そうですよね、あの子ももう18になりますし、自分でコントロールできるようにならなければ」


 お時間頂戴していただきありがとう存じました、と頭を下げてお千夜は部屋をあとにする。


 その肩が僅かに震えるのを見て、我が子に生じた度重なる悲運に身を引き裂かれるような思いだろうと、蔵之介は瞼を閉じる。


 あの事件の顛末は、すべてにおいて理不尽な結果に終わった。

 それを象徴するように蔵之介の妻は石像にされ、息子は暴れ出したいのを抑えるように握った掌から血を流していた。

 

 覚醒遺伝――いや、覚醒異変だったか。


 発達した能力は孫娘を一変させ、日常生活を送るのさえ困難になった。

 流れ込む音に恐怖し、近寄ってくるひとに怯え、暗闇を恐れ、忙しなく目玉を動かし、飢餓感に暴れ、握力を把握できずモノを壊し、月を映しては狂ったように笑いだす。

 いまのような状態になるまで、何年掛かったことか。


「――過ぎた力はいずれ身を滅ぼす、か」


 息子夫婦は預かり知らぬことであるが、孫娘の行く末は罷り間違えば取り返しのつかないことになっていた。


 あの事件は表向き公にされていないが、事件を知る一部の者たちからは存在を危険視され、処分の声があがっていた。

 頼りの綱とともにお上に頼み込んで殺生の判断を延ばしてもらわなければ、気狂いのまま生涯を終えていたかもしれない。

 ゆえに、みどりをパーティーへ出席させているのは、そういう口さがない者たちへのパフォーマンスにすぎない。


 当時の、月影家当代のひとを人とも思わぬ冷淡な眼差しには慄然とする。

 本家の協力もありだいぶ精神的に落ち着くようになったが、いまだ存在を危惧する者もいる。


 今回の決断でどのような変化をもたらすのか、それは誰にもわからない。

 だが、いずれにしても賽は投げられた。


 願わくば幸あらんことを。

 蔵之介はただただ神に祈るしかなかった。

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