1 さあ貴方もジャージー教!
「――君を愛しているから、苦しめたい」
どうしてこんな酷いことをするの、と問いかけたわたしに、彼はそう答えた。
「苦しめたいって、ひどいわ。わたしをなんだと思ってるの!」
「ねえ、愛しいひと。俺を見て。俺だけを見てよ」
「あなたは、わたしだけを見てくれないのに?」
残酷なひと。
わたしの心は随分と前から彼のものなのに、あなたを独り占めにさせてはくれない。
彼は異常だ。わかってる。なのに、なんでかな。それでも、
「――それでも、見捨てないでくれるよね?」
それでも、あなたを愛してる――。
画面上に二人のキスが映し出され、エンドロールが流れはじめる。これで、リカルド・アドルノのヤンデレエンドはコンプリートだ。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
コントローラーを置き、テレビに向かって合掌。
ぼくがしていたのは『謎解きシンデレラと五人の貴公子~真実の扉~』という、なっがいタイトルの乙女ゲームである。
主人公モニカが学園で出会う五人の男子生徒と恋愛や友情を繰り広げ、アイテム取得のために間違い探しやパズルゲーム、イベントなどを経て、真実の愛をもぎ取っていく。
一応このゲーム、スチル含め一週目を全部クリアすると逆ハーレムエンドが開放されるんだけど、そのエンド条件が厳しすぎて、念願の二周目なのにいまだ逆ハーレムに至っていない。
だからちまちま個別エンドのスチルを集めている最中なのだが、このゲーム、二週目で作風がガラリと変わるのだ。
一週目は明るく爽やかな学園生活を満喫し、攻略キャラの心の闇を晴らしてハッピーエンドに持っていく。それに対し、二週目は突如ヤンデレゲージが発生し、主人公モニカが彼らの裏の顔を目撃してしまうところから始まるのだ。
ミステリー風に明かされていく新事実。親密度をただあげればいいってものじゃない。ヤンデレゲージにも注意しておかないと、逆ハーレムに辿り着けない鬼畜仕様。
「制作者は鬼だな、鬼」
だが、だからこそやり甲斐を感じてしまう。
エンドロールの最後、花嫁姿のモニカが映し出される。一週目では祝福の鐘を背景に満面の笑みを浮かべていた彼女も、すっかりレイプ目になっている仕様だ。細かいっす。
確かこのゲームのキャッチコピーは『貴女の愛は真実ですか?』だった気がする。
最初は気に留めていなかったけど、一週目の健全な彼らが好きなプレイヤーには皮肉以外のなにものでもないだろう。
ちなみに、リカルド様のヤンデレバットエンドは拉致監禁。ある日目が覚めると鎖に繋がれた部屋のなかで花嫁衣装を着せられているという、これでもソフトなヤンデレさんだ。
2リットルの炭酸飲料をラッパ飲みしながら「モニカさんファイトー」と眺めていると、部屋の扉がノックされた。
許可を出せば住み込みで働いている家政婦さんが顔を見せる。
「お菊さんどうしたのー?」
「みどりお嬢様、お取り込み中のところ申し訳ありません。大旦那様がお呼びです」
「お祖父様が? なんだろう。お菊さんなにか聞いてる?」
「いいえ。わたくしは何も」
「そっかぁ。んじゃ、パパッと済ませてくる」
セーブを忘れずにしっかり確認してから部屋を出る。うちは代々貿易商を営むかたわら、お祖父様の趣味で美術商にも手を出している。とくに西洋美術を中心に扱っているらしい。
うちは伝統的な日本家屋で東洋美術や古美術がたくさんあるから、詳しいことは知らないけど。
まあとにかくお金だけは有り余っていて、家政婦さんのほかに使用人が数人いる。ここは無駄に部屋数が多いから、母ひとりでは掃除の手が追いつかないのだ。
それにしても、お祖父様の用事とはなんだろう。
先日新型のゲーム機と引き換えに渋々パーティーに参加してあげたから、今月はもう外出の用事には付き合わないと約束したばかりなのに。
あれじゃないこれじゃない、いやあれかと予想しながら、途中お祖母様の石像に挨拶をして書斎へ向かう。
「お祖父様、みどりです」
書斎の扉を叩き、入室の許可をもらってから部屋のなかに入る。お祖父様はソファにゆったりと腰掛け、タブレットをいじっていた。
ぼくが向かいのソファに座るとちょうどお菊さんがやってきて、お茶と和菓子を配膳したあと、一礼をしてから退出した。
「まったくお前は、なんだその服装。家の中とはいえ身だしなみを整えんか」
「利便性にすぐれた万能ジャージです。お祖父様も今日こそジャージー教に入信したらいかがです?」
見目鮮やかな梅の練切を味わっていると、タブレットから目を離したお祖父様が呆れ顔で苦言を呈してきた。これはいつものこと。
ぼくが毎日ジャージを着ていると知ってるのに、毎回注意してくるのだからご苦労なことである。いいや、挨拶代わりなのかもしれない。
あの言葉の裏には「(今日も儂の孫かわええ)」とデレている可能性がなきにしもあらず。
まったく素直じゃないんだから。
「馬鹿者。お前のように堕落してはたまらん」
「おほほほ。堕落への道と知っておいでとは。お祖父様、試しました?」
「はっ。お前の様子を見れば丸わかりだ。儂は邪教に手を出さん」
「ほう。ジャージー教が学び舎で布教されているのをご存知ない?」
「さすが新興宗教。幼子を洗脳するとはやり口が汚い」
「お言葉が悪い。時代ですよ、時代。今やジャージー教は止まることを知らず、全世界に根を増やしているのです」
「だから最近の若者は楽な方へ逃げるのだ。儂は断固として入信を認めん」
「頑固ですこと。で、ぼくに何のご用ですか?」
ツンデレお祖父様との会話を一通り楽しんだあと、本題にはいる。案外ノリのいいひとなので、お祖父様との会話は嫌いじゃない。
白髪に染めた髪を後ろに撫で付け、ふぅと一息吐いたお祖父様は「最近どうなんだ?」と聞いてきた。
「先日もお伝えしたように、元気に引きこもりを堪能してますよ。超楽しいです。あと100年は続けたいかな」
「そうか。元気でなによりだが、さすがに一生は不味いと思わんか?」
「よゆーです。世間体なんてないものじゃないですか。図太く引きこもるつもりなんで、よろしく」
ソファの上で胡座をかいて、お祖父様にピースサインを送る。それを見咎めるように眉を顰めたお祖父様は、しかし指摘することなく話を続ける。
「しかしな、お前にも将来があるわけだ。もしかしたら嫁にいくかもしれんだろう?」
「お父様は一生僕の娘でいてねっていってますよ。みどり、お父様の悲しむ顔、見たくないわ」
しょんぼり眉を下げる。チラッと下から窺えば、お祖父様はぼくのことなどまったく眼中になく、梅の練切に夢中だった。
チッ。パパだったらコロリと絆されるのに。さすがに、お祖父様には通用しないか。
「あいつは話にならん。だが、お千夜さんはお前を嫁に出す気でいるぞ。なにも今すぐってわけじゃない。だがな、儂もお千夜さんもお前が心配なんだ」
お祖父様の言葉にため息を吐く。お千夜とはぼくの母親の名前だ。
子供に激甘な父親と違ってよくできたひとなので、お祖父様から絶大な信頼を寄せられている。
ぼくは指先をいじりながら「それはわかりますけど」と口のなかで呟いた。いままで沢山迷惑をかけてきた。
この、先が見えない生活がいつまで続くのかわからない。親孝行もしたい。
でも、と煮え切らないぼくの態度に、お祖父様はやや早口で続けた。
「ここ一、二年で他人にも慣れてきただろう? 次に必要なのは社会に慣れることだ。それでな、お前にピッタリの学校があるんだが、どうだ?」
「……ピッタリもなにも、通信制に通ってるから必要ないでしょ」
急になにを、と不信感をあらわにしていると、お祖父様はタブレットを見せてきた。
「いいや。通信制に通ってるからといって社会には慣れんだろう。これ、ここなんだがな」
「――花凰学院高等学校?」
「そうだ。お前が以前通っていた月森学園の姉妹校だから、親しみやすそうだろう?」
「それ関係ないと思うけど。って、ここ月影一族が運営してるとこじゃん。月森学園もそうだったの?」
「ああ。月森は二番目の娘さんが新設したんだ」
新設といってもその歴史は百年以上あり、ぼくが小学三年生のときにちょうど百周年を祝った記憶がある。
月森は初等科から高等科まであるエスカレーター式の学校で、ぼくの弟も現在中等科に通っている。
もう一度タブレットを確認すると、花凰学院は幼等部から大学部まであるみたい。
しかし、二番目の娘さんか。
月影一族は、ぼくたち家族にとって切っても切れない深い関係にある。
といってもぼく自身は交流がないのでその詳細を知るのは難しいけど、噂話は出回るわけで、パーティーで何度か耳にしたことがある。
「二番目っていうと、伝説のバツサンジュウ」
「世界中を飛び回っていたお方だからな。情熱的な女性なのだろう」
「いまは人間の男を何人も侍らせてるって噂の」
「真相は誰も知らん。憶測で物を語るんじゃない。そもそも今は関係なかろう?」
確かに関係ないといえばそうだけど。ぼくのすぐれた嗅覚が「これはチャンスだ」と囁く。
ぼくは口許で両手を組み、怪訝な表情のお祖父様と目を合わせる。
油断は禁物。すべてこっちのペースで話を持っていかなきゃ。
「まあまあ、いいじゃないですか。ぼくが小五の途中まで通ってた学校ですよ? そういえば、月森学園には七不思議がありましてね。月並みな話も多かったのですが、なかには全校生徒を震え上がらせる怖い話もありまして。そう、あれは――」
お祖父様から視線を逸らさず、当時の記憶をそっと思い起こす。
「体育の授業になると、三十人いるはずのクラスメイトが一人減っている、という七不思議です。先生もみんなも誰がいないのかわからない。何度数えても二十九人しかいなくて、気付くとまた三十人に戻っている。誰かが戻ってきたはずなのに、その誰かはわからなくて、消えていた本人もそのことを覚えていない」
はじめは何の話だと耳を傾けていたお祖父様も、いまは左右に目を泳がし動揺している。
「最初はみんなその出来事を覚えているのですが、しばらく経つとまた忘れてしまう。そして、それの繰り返し――ね、怖いでしょう?」
ぼくも信じたくないけれど、長い人生のなかで特殊な嗜好に目覚めている可能性を否定できない。
偏見をいえば、バツサンジュウの女性がいきなり学校を新設ですよ。そこにきてあの七不思議。
張りのある額から冷や汗が滑り落ちるのを見て、ぼくはある仮説を立てていく。
「話は変わりますけど、確か、始祖の末裔は大規模な記憶を操作できるとかできないとか。詳しくは知りませんが、本当なんでしょうか?」
「さあ。どうだったかな。私も年を取ったからな、最近物忘れが激しいんだ」
「おや、うちは老化現象に無縁のはずですが」
「長生きすれば過去のことなど忘れる」
「ほう。でも、そうですよね。過去のことなんて、忘れちゃいますよね。それにしても、月影一族は日本にきた当初、相当な苦労を経験したと思うのですが、身を隠すために、どうしていたんでしょう?」
年の功だけあり、冷静さを取り戻してきたお祖父様に攻め手を変える。
お祖父様は月影一族の昔話を語るのが大好きなので、夢中になりすぎるところがあるのだ。
「あぁ、確か室町時代の頃と聞くからなぁ。剣崎家に身を寄せていても限度があった筈だ。身の安全のために催眠をかけてたとしてもやむなしだろう。儂たちがこうして生活できているのも、月影一族と剣崎家をはじめとする五家の皆さんのおかげだ。我々は感謝を忘れぬよう」
「ほほう! 催眠ですか! 催眠といえば暗示も含まれますよね? ぼくはひとりの対象にしか暗示できませんが、やはり月影一族となると集団催眠も得意なのでしょうか?」
「だろうな。我々には想像もつかん能力があるゆえ、すべてを把握できないだろうが」
かかった!
嬉しさのあまり笑みがこぼれる。
「くくくっ、語るに落ちましたなぁお祖父様」
「なに!? ぐぬぬ、謀りおったな貴様!」
「謀るとは人聞きの悪い。自爆でしょう?」
「いや、違うのだみどりよ。語ってる途中で思い出したんだ。ほら、そういうことよくあるじゃん?」
お祖父様って自分で気付いていないけど、誤魔化すとき現代語になるんだよね。
これはもう勝負あり。ぼくの勝ちですよ、お祖父様。くくくっ。
「ほんとうですかぁ?」
「誤解だってみどりちゃん。そんな疑わしい目で見ないでおくれ。いやあ、本当に、じいじうっかり忘れちゃったんだ。あははっ、あははは」
後ろめたいことがあると自分を「じいじ」と呼ぶ癖も健在、と。
爽やかな笑みで首裏をかくお祖父様にぼそっと「みどり、新機種のスマートフォン欲しいなあ。ゲームソフトも気になるやつが三本あってぇ、ライトノベルや漫画の新刊もあるしぃ。でも、先月お金使いすぎてお母様に怒られたんだよなあ」とぼやく。
一瞬固まったお祖父様は、苦渋の声を出す。
「わかった。手配しよう」
「え? どうしたの? あっ、いいよ、そんな、あれ独り言だし。それに日頃から無駄使いは駄目だって」
「あははは、私が、かわいい孫娘の悲しむ顔をみたくないんだよ。みどりちゃんにはいつも笑顔でいて欲しいな。そんなじいじの細やかなプレゼントだ。喜んでくれないのかい?」
「まあ、嬉しい! お祖父様がみどりのことをそんなに思ってくれてたなんて! 少年の成長を間近で見守っておくように、ぼくのこともたくさん可愛がってくださいね!」
「あっはっはっ! 当然じゃないか! 少年の成長を見守る誰かさんのことはまったくこれっぽっちも心当たりはないけれど、悪魔のようにかわいい孫娘をもって、私は最高に気分がいい! 天使のような孫息子とは比べものにもならないな! あーはっはっは!」
「おーほっほっほ! ワタクシも少年の成長を見守る誰かさんのことは知りませんのよ! それにしてもお祖父様ったら褒めすぎですわぁ。みどり照れちゃう! おーほっほっほ!」
お互い高笑いが止まらない。多分どちらのテンションもおかしくなっているのだろう。
お祖父様の言葉には含みがあったような気がするけど、ぼくはそれよりも秘密裏に行われた取引が成立してご満悦だった。
わずかなチャンスも見逃してはならない。
それが修羅の道を歩むジャージー教の教えである。
しばらくして、ピタッとお互いの声が止む。ぼくたちは喉を潤すため、すっかり冷め切ってしまったお茶を口に含んだ。
「でな、この花凰学院は最新の設備が整っているんだ。全寮制だから部外者も立ち入りにくい。それに、お前が入る予定の寮は個室でルームサービスもあるときた。懸念しているだろうネット環境も充実しているから、通販で買い物もできる。今回は特別に、魔法のカードも渡そう。どうだ? 行きたくなっただろう?」
何事もなかったかのように話を再開させるお祖父様にため息をつく。
話を聞く限り悪くない条件だと思う。だけど、
「なんていうか、怪しいんですよねぇ。お祖父様、なにか企んでません?」
とくに、さっきのボーナスチャンス以外に永久サービスもつけるあたり、怪しさ満点。
タダでもらうものほど怖いものはないというし。
「まさか! 私はかわいい孫娘を思ってだな! だいたい花凰学院のどこにデメリットがある? 人里離れた山奥だが街へ下りる送迎バスもあれば、ヘリパッドがあるから休日はヘリコプターでいつでも帰って来れるぞ。何より口うるさいじいじや母親もいない。のびのびと生活ができる良いところだ」
学校へ通わなくてはならない最大のデメリットがあるけど、ヘリコプターで帰宅するのはちょっと楽しそう。でも、予約でいっぱいになりそうなのが難点かな。
あとはそう、エスカレーター式の学校には欠点があるのだ。
幼少時から共に過ごしてきた歴史があるため、繋がりの深さ浅さ関係なく、例えるなら少女漫画の幼馴染のように熟年夫婦の空気感が成立しているため、新顔は仲間に入りにくい。
とくに女子など考えるのも悍ましい。彼女たちの絆は固く結ばれているためほつれても結び直せる関係にあるが、新顔はいくら仲良くなっても心の距離が遠いまま。
悪くない子だけど、それだけだよね!
彼女たちに悪気はない。悪くない子だから話しかけるしグループのなかに入れてあげるが、その子に気遣うことはなく内輪ネタで盛り上がる。
知らない話についていけない新顔に空気が白けたとしても、彼女たちに悪意はなく、ただ純粋に自分たちの縄張りを乱されるのが嫌なだけ。
なかには気を使って接してくれるグループもあるだろう。その場合お互い気を使いすぎて共倒れするか、自然消滅するように距離を置いていくパターンが定説だ。
そんな関係に嫌気がさしてひとりを選ぶ子もいれば、人恋しいときに声をかけてくれた男子とつるむ子もいる。
男子は繊細な女子事情など知らない鈍感勘違い野郎なので、自分をよく見せたい頼られたい欲求を正義感で覆い隠し、グループから外れた格好の餌に忍び寄ってくるのだ。
第三者の目線で見ている女子は、正義感の裏に隠された欲求を敏感に嗅ぎ取っている。だけど、その下心が明確にはわからない。だから匿われている女子に対して「男好き」と攻撃してしまうのだろう。
この行為は嫉妬からではなく、思春期特有の潔癖な部分が男の下心を拒絶し、遠回しに助言しているのではないだろうか。
例えるなら、不倫をしている友達に目を覚ませというようなもの。この場合は不倫という明確な答えが用意されているが、人生経験の浅い少女たちに正義感で覆い隠された欲求の答えを知るのは難しい。
ゆえに、男子も馬鹿だしそれに騙されてる女子も馬鹿。助言はするけど助けもしないんだから!
という心理状況がうまれる。ここに恋のフィルターがかかっていればまた違うものになるかもしれない。
さて、この独断と偏見のすえになにがいいたいのかというと、社会の枠組みから外れたぼくにとって、学校というダンジョンは難易度の高いクソゲーなのだ。
周りはゴブリンだらけ。彼らの戦闘力は計り知れず、剣も盾もひのきのぼうもない世界でどう戦えと?
警戒心の強い彼らは視線を向けようが向けまいが気配を探ることにすぐれている。教室に向かうまでの試練、机に向かうまでの数々の障害、着席してからの地獄、恐怖のペア授業。
想像するだけでHPが削られていくようだ。あぁ恐ろしい。
「山奥だから自然も多い。それに見てみろ、屋上庭園もある。高校に屋上庭園なんてなかなかないぞ。遊歩道も気持ち良さそうな景色が広がっているし、おっ、漫画研究部なんて部活もあるようだぞ」
お祖父様、漫画好きだからって誰もが漫研に入ると思うなよ。これだから年寄りは駄目だ。
なにより、それでぼくが承諾すると本気で思っているのか?
「でも新学年の転校生とかぁ、注目の的じゃないですかぁ。それがなぁ。嫌だなぁ。やっぱり自宅が一番」
「なに、その心配はいらない。お前は今年の春から新入生として入学する」
「――は? 耄碌したか、クソじじい」
ちょっと待て! 早口になったり言動の節々から怪しさが見え隠れしてると思ったら、本当に碌でもないこと企んでるよ!
突然の暴言に、お祖父様のこめかみがひくりと波打つ。
「説教は後にするが、もう手筈を整えてある」
「ファッキン! おい、ゲスじじい、いい加減にしろよ。それ聞いて『みどりぃ、今年18歳になる高校一年生でーす! きゃは☆』なんていうと思うか? まじどつくぞ」
「プラス再教育が必要か。儂の腕がなる。いいか、今回お前に拒否権はない。お千夜さんの許可も取ってある」
はあ? 拒否権がない!?
かわいい孫娘に年齢詐称で高校一年生やれとか、ジジイも許可したお母様も頭おかしいんじゃないの。やっぱりあれかな、常識とかなくなってるのかも。あはは。人間じゃないしね。
ぼくは、絶対に、引きこもり生活をやめない!
固く心に誓う。
「その口を今すぐ閉じな。でないとあんたの薄い本を濃密に描いてやる。ネット公開だぞ。意味がわからないと思うけど、ぼくの想像力と画力をなめないほうがいい」
「あぁ、何かよからぬことなのだろうな。だが、もし花凰学院を無事に卒業できたら、好きなだけ自堕落な生活を送ってもいいが、どうする?」
はっ。そんなことでぼくが頷くとでも? まったく。やれやれだぜ。
でも、一応確認だけはしとかないとね。
「好きなだけって、一生この家にいていいってこと?」
「ああ」
「自堕落に過ごしても文句は?」
「言わんよ。約束しよう」
「お嫁に行かなくても?」
「……」
「お・じ・い・さ・ま?」
「くっ、わかった。お千夜さんを説得しよう」
はぁ。まったく。やれやれだぜ。
「三年間頑張ります、お祖父様。あと先程の乱心は見逃してくれませんか? ちょっとした行き違いゆえの過ちじゃないですかぁ」
三年間我慢するだけで一生引きもっていられるなんてラッキー!
ぼくは固く心に誓ったものをポイっと投げ捨て、お祖父様にすり寄って猫なで声を出した。
自分でもどこから出ているのかわからないけど、今までの人生のなかで一番愛らしい声だと思う。
可愛らしさではなく、愛らしいところがポイントだ。
このまま説教にくわえ再教育されるなんてとんでもない。それだけは意地でも回避しなきゃ。
我が身のためなら意見を覆す。それがぼくの生き方だ。
「あいわかった。しかし見逃すことはできん。このまま執行する」
「お祖父様のいじわる。ねっ、おねがぁい。かわいい孫娘に慈悲をください。ねっ?」
「うむ。悪魔ようなかわいさをもつ孫娘ゆえ、愛のある決断だ」
チッ。
「この鬼畜ジジイ、さっきのこと根に持ってんじゃねーよ! ひ孫産んでも会わせてやんねーからな!」
「はっ、慈悲はいらないな。もとよりお前に期待しておらん。嫁に行く気もないのだろう? ならば天使の孫息子が儂にかわゆいひ孫を抱かせてくれるだろうよ」
さもありなん。
ぼくは逃げようと身を翻す。腕を掴まれた。お祖父様は満面の笑みでいらっしゃる。
「さて、覚悟はいいな?」
「ふっ、諦めたらそこで試合終了なんですよ」
「逃がさん。お前の信じる神に祈れ」
「いやぁぁぁ助けてぇぇぇ」
無念。ぼくの神は防御力が低かった。伸縮性のほかに、強固な丈夫さをください。メイアシュ。