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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

「この声が届いてほしかった」

作者: 待鳥月見

「私を捨てるなら死んでやるーっ!」

 遠ざかる背中にそう叫んで、私は看護婦さんたちに取り押さえられた。

 それが××君との最後だった。

 私の腕に注射針が刺される。私の記憶はそこで曖昧になる。


 私と××君は、高校の時に出会い、惹かれあい、将来を約束しあった。××君は運動が得意で、バスケやサッカーなど、さまざまな種目で活躍した。シンプルに格好良かった。私たちはクラス公認のカップルで、お昼休みには机を対面にして、私の作ってきたお弁当を××君に食べてもらった。私のばんそうこうだらけの指を見て、××君、はにかんだっけ。

「辛い時は僕がコトハちゃんを支えるよ」

 さわやかな風のなか、私は、そう言ってもらった。コンビニに寄って、棒つきアイスを買って、それを開けようとしているときだった。告白のときみたいに恥ずかしくなって、私はなにも答えずアイスを口に含んだ。幸せだった。

 それがいまやどうだ。

 私はベッドに縛り付けられて、鎮静剤を打たれている。

 ××君は去ってしまった。去った理由はわかっている。私が魔女になってしまったからだ。

 空想現出病――思春期の女の子が百人に一人の割合で、罹る疾患。空気の中のマナを呪文なしに活性化させて、自らを中心とする迷宮結界を作り出す病気。人によってはどこまでも続く花畑、またある人によっては化け物の闊歩する塔。発現する症状は個々人の精神状態に依存し、有効な治療法は確立されていない。ただ鎮静剤を打ち、精神を静かに保つことでマナへの干渉を防いでいるだけ。それは迷宮化までの時間を伸ばすだけで、絶対に迷宮化を避けられるわけじゃない。私は遅かれ早かれ魔女になってしまう。

 こんな病気になったのが悪い。

 こんな病気になったから、××君は行ってしまったんだ。

「あ……」

 ぽろりと、頬を涙が伝った。ベッドのシーツはどこまでも清潔で、冷たい。消毒用アルコールのにおいばかりが充満していて、窓際に飾られたお見舞いの花のかおりなんかちっともしない。

 愛されていたよね? 私……。愛されていたんだよね?

 無機質な天井に答えなんか書いてあるはずもない。

 七歳のとき、公園の遊具で遊んでいる私の体を後ろから同級生が蹴飛ばした。「きゃっ」悲鳴をあげて地面に倒れた私の体を、同級生はさらに蹴って、遊んだ。頭を守りながら体を縮めるしかできない私を、同級生は笑いながらいじめた。どういうわけだかわからないが、私は彼に限らず、よくいじめられた。いじめられやすいらしかった。あるときは「これ、お前の」と言い、同級生たちが給食に毛虫を盛ってきた。ぐねぐねと動く毛虫の様子が気持ち悪くて、悪意もショックで、私はその場で嘔吐した。無理やり毛虫を食べさせられそうになったけれど、なんとか拒否した。教科書に落書きされた。あからさまに、聞こえるところで悪口を言われた。机がいつも廊下に出されてあった。上履きを隠された。体育着を濡らされた。トイレに入っているときに、水をかけられた。私は髪から雫を滴らせながら、誓った。「ぜったいに、幸せになってやる」。

 同級生たちと離れたかった。電車登校でギリギリ行ける場所の、かなり偏差値が高い高校に入学した。そこで私は××君と出会い、人並みに恋をすることをゆるされた。

 ようやく危害を加えられない生活を手に入れた。

 ようやく地獄のような生活から抜けて、これで、幸せになれると思ったのに。どうして、幸せは手からすり抜けていってしまうのだろう。

「辛い時は、支えるよって言ったじゃん……あれは嘘だったの……?」

 両手で顔を覆う。病衣から露出した腕に、大きな傷が開きはじめる。傷の断面はピンク色だけども、血は一滴も流れない。エラのように、呼吸に合わせ、その傷はパクパクと口を開ける。首にも違和感がある。鏡を見ずともわかる。私の体じゅうあるはずだ。私の空想現出が始まっている。気持ち悪い。気持ち悪いよ、こんな体、こんな病気。もういやだ。

 ――もう、死んじゃいたいよ。

 カッと傷は熱を帯びる。「う。……痛い」

 熱は収まらない。

「痛い、痛い、痛い、痛い!」

 ついに迷宮化してしまうのだろうか。それならば、そうなれと思った。迷宮化してすべてを飲み込んでしまえ。すべてを、怨みのままに、滅ぼしてしまえ。

 真っ黒な翼が生えて、この病室から飛びたつところを私は想像する。異形化した私は強い。私をいじめてきた同級生たちを訊ね歩き、彼ら彼女たちの頭蓋骨をてのひらで握り潰すのだ。

 バキィッ

 そんな音がするはずだ。


 私が爽快な気分に浸っていると、

「だめじゃないですか、コトハちゃん。そんなに興奮しちゃ」

 そんな声がして、現実に引き戻された。


 看護婦さんだ。看護婦さんは私の体中にぱっくりと開いた傷を見て、針と糸とを準備した。医療用ですらない、ただの針と糸。それらを使って私の傷を縫いあわせていく。痛みは全然ない。傷をみる看護婦さんの顔色も、あまり変わらない。××君とはやっぱり違う。××君は、病に侵された私を見て、顔をしかめた。

「ね、看護婦さんもあのとき一部始終を見ていたでしょ? 私、愛されてたと思う?」

「高校生の恋愛に真剣みとかあるのかな。ほら、恋愛って、結婚というゴールがみえてこないとさ、真剣になれないって人もいるでしょ。そもそも愛されてたっていうよりかさ、愛してたかのほうが重要じゃない?」

「私は愛してたよっ!」

 私は看護婦さんの言葉に叫んでしまった。

 でも、看護婦さんに焦りはない。

「名前も憶えてないのに?」

「……え」

 指摘されて初めて気づく。××君……名前……呼んでいたはずなのに、思い出せない。

「コトハちゃんだけじゃなくて、空想現出病に罹る子、みんなそうなんだけどね……。みんな、現実を忘れようとしているし、みんな、辛かった記憶を改ざんしようとするんだよ」

 そんなことしてない。私はそんなに弱くない。

 ああ……でも、××君の名前が……思い出せない……。

「私は愛されてたし、愛してた。愛されてたし、愛してた。この傷をみてよ、私は、私は……」

 声が震えた。堪えきれなくて涙が零れた。

「コトハちゃんの中で想いたいふうに想えばいいと思うよ。それは現実の一面だと思うから」

 縫われた傷たちが一斉に悲鳴をあげた。

 私の声はどこにも届かないんだ。


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