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八曜の旗印  作者: 嶋森航
八曜の栄光
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木造の内訌

天文七年(一五三八年) 2月 伊勢国大河内城


「申し訳ございませぬ。……愚息が敵に寝返ったと」

「左様か。奴の離反は容易に予想できた。さして問題はない。そのために木造との境界の守りを固めておいたのだ」


 星合親泰は取り乱すこともなく、冷静に報告を受け止める。木造家前当主・木造家具(こづくりいえとも)は酷薄に唇を歪めながら、伏して固まっていた。


 木造家はかねてより、北畠一門でありながら先祖代々室町幕府に仕え、北畠に対して何度も弓を引いていた。しかしその状況も、この家具が当主に就任してからは大きく変化する。北畠晴具に対して恭順の構えを取り、足並みを揃えるようになった。それも助けたのか、晴具が当主として君臨している間は両者の関係は良好に保たれていたのである。


 しかし現当主・木造左近衛中将具康(こづくりさこんえちゅうじょうともやす)は、他の一門と異なり宗家と同等の官位にあることから不遜な態度を内外に示している。将軍家と北畠の両属体制を続けている現状もあり、反抗的な態度を取っても粛清できないため、北畠家にとっての目の上の瘤と化していた。


 木造家の家臣も北畠宗家には良い感情を持っておらず、先祖代々の風潮の反して親北畠路線を取った家具には批判的な声が多かった。そのため、家具は家中での求心力を保てず、1533年に出家へと追い込まれることになる。その後延邑斎(えんゆうさい)と名乗り、現在に至る。木造家が六角方に寝返ったという情報を聞きつけ、急いで大河内城に駆けつけたのだ。


「しかし、宗家の首を絞めるような失態に変わりはございませぬ。この延邑斎、愚息の首を持ち帰ってご覧に入れまする。そしてその後、責を取って腹を切りまする」

「奴に近づく術があるのか?」


 親泰は鋭い目つきで問いかける。繊美に彩られた庭の盆栽が微かに揺れると、空に棚引く薄い雲が眼上の太陽を丁度覆い隠した。


「無論、ございまする。出家に追い込まれたとはいえ、家中の風潮を察しての自発的なものにございまする。城を出入りすることはかつて何度もあり申した。そもそも、愚息は出家した私には興味など毛程も持っておりませぬ。ましてや命を狙われるなどと思うはずもありませぬ。もし失敗しても北畠に損失が出ることはありますまい。この皺がれ首一つで済みまする」

「そうか。ではお主に任せよう。だが腹を召す必要はない。それだけ北畠の求心力が落ちているということ。お主の責ではない。それに、お主を失うことは大きな損害にもなる故な」

「ありがたきお言葉……!」


 延邑斎は感激に肩を震わせた後、すっくと立ち上がった。







天文七年(一五三八年) 2月 伊勢国木造城


 数年ぶりに城へ登城した延邑斎は、柔和な笑みをたたえて具康の居室へと踏み入れた。


「これは父上。お久しゅうございますな」


 警戒など微塵も見せず、その瞳の奥には実の父を侮るような色が孕んでいる。それに気づきつつもなお、延邑斎は一切表情を崩すことはなかった。


「六角に降ったようだな」

「それを咎めにわざわざやってきたのですかな?」

「お前の判断を今更咎めるつもりなどない。咎めたところで、考えを変えることなどなかろう?」

「さすが、分かっておられますな」


 愉快げに笑う具康の表情には、余裕が浮き出て見える。


「ただ、お前は愚かだ」

「……某が愚かだと? 聞き捨てなりませぬな」

「木造は家柄を傘に着て、事あるごとに宗家に歯向かってきた。領土拡大が滞ったのは、木造が家中の不和の発端を常に作り続けてきたゆえ。私は宗家と手を取ることでその停滞を打破したのだ」


 一転して北畠晴具と手を携えたことで、北畠家の結束力が大幅に改善した。志摩の水軍衆を下し、紀伊熊野に新宮までをも掌握し、領内の支配力を大きく強めることができたのは、それも一因だろう。


「打破? 笑わせますな。結局は長野を打ち破ることすらできず、みっともなくも討死なされた」

「先の長野攻めでお主が兵を出しながら後方で日和見を決め込んでおらねば、長野はすでに落ちていたかもしれぬな」

「ふん、そんなたらればに付き合っている暇はありませぬ。此度の寝返りは致し方ないもの。責められる謂れはござらん」

「此度の寝返りを責めておるのではない。寝返るならば、よりマシな機があったはず。六角が再び侵攻を始めてようやく尻尾を振ったのだ。六角はそんなお前を信用するかな? 六角も愚かではない。お前が己の身分に驕りを持っていることは存じているはずだ。少なくとも、重用はせぬであろうな」

「父上は木造の高貴さを忘れておられるのです。将軍家の信頼も篤い木造が、軽んじられるわけもありませぬ」


 具康は鼻で笑う。宗家にも劣らない家格を持つ木造という尊い家系に、具康は異常なほどこだわりを抱えていた。そうしたこだわりを持たず、柔軟に情勢に向き合ってきた延邑斎とは真逆を行っている。そのすれ違いが、史実でも子殺しを誘発したのだろう。


「信頼が篤い? ふっ。北畠に属しながら将軍家にも属していた半端な木造が信用されるなど笑止千万だ。本来なら将軍家と他家の両属などあってはならぬ。将軍の誇りを傷つけておるも同然よ」

「それ以上の謗りは許容できませぬぞ。今謝れば不問にして差し上げましょう」

「愚かな息子に下げる頭などないわ」


 そう言って立ち上がると、延邑斎は冷徹な視線を我が子に向ける。虚ろにも映るその瞳にはもはや一切の慈悲を帯びてはいなかった。父の異常な様子にようやく違和感を覚えたのか、具康は身震いして一歩後退る。次の瞬間、延邑斎は隠していた脇差を具康の急所目掛けて容赦なく振り上げた。


 血飛沫が無情に舞う。息絶えるまでにはそう時間は掛からなかった。苦しめることなく冥府に送ろうという一片の親心だったのかもしれない。徐々に赤黒い血に染まっていく畳を見下ろして、延邑斎は自らの親心が萎んでいくのを呆けて受け止めることしかできなかった。

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