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八曜の旗印  作者: 嶋森航
加賀平定
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政策の成果

 結論から言うと、炭団を無償で配る政策は効果覿面だった。冬が始まった当初は、これまで散々と振り回されてきた冨樫家の人間の言葉を信用することはせず、様子見の国人が大多数だった。しかし冨樫家が帰還して数ヶ月、様々な施策をとってそれがことごとく良い結果となったため、徐々にその目は変化を帯びていく。


「誠意を持って民の為励めば自ずと民はついてくる。お主の申しておったことは真であったな」

「簡単なことではありませぬ。単なる偽善ではなく温もりを帯びた御恩であると知ったのです。それを教えたのは兄上の御力にございますぞ」

「煽てるのが上手いわ」


 本気で受け止めることなく、次郎兄上は鼻を鳴らした。

 

 しかしそれは決して世辞などではなく、事実冬を越えて二月下旬に差し掛かり、冬を通して降り積もった雪が徐々に融解していき始めた頃には、石川郡だけでなく河北郡の大部分が冨樫家の傘下に入っている。傘下に入った国人の村は、寒さで凍え死んだり、飢えて亡くなったという事例が殆どなかったということで、効果を実感するに至った。


「このような面妖な仕掛を生み出してしまうとは、流石は『神の御使い』と言うべきかな」

「揶揄わないでくだされ」


 次郎兄上が炬燵を指して愉快げに笑う。炭団は崩れた表面が赤みを纏って顫動し、剥げた部分が紅に光って煌びやかに映った。


 しかし、次郎兄上が広めている神の御使いという称号のおかげもあってか、新たに創設した「曹洞宗冨樫派」に改宗する者が予想を遥かに超える勢いで増えている。冬を越すために「食糧」という餌に釣られた人間も勿論多いのだろうが、純粋に冨樫家の守護としての権威と、この短期間で領内を遥かに豊かにした実績に目が覚めたこと、そして単純に戒律が一向宗以上に緩く肩肘張らずに信仰できるという点が大きかったのだと思う。


 いくら洗脳同然の状態であっても、目の前に遥かに美味しそうな餌があれば喜んで飛びつくということだ。


「だが慢心はできぬな。先祖が民に強いた事実は消えぬ。民と向き合えという父上の言葉、片時も忘れたことはない」

「それでこそ兄上です」


 加賀における一向宗の信者は国を丸ごと飲み込むレベルで多く、臣従した国人も多い一方で門徒の多くは南の江沼郡や能美郡に居を移した。


 これは加賀を支配していた本願寺の上層部が江沼郡の大聖寺城や日谷城、能美郡では林超勝寺など、南に多く拠点を築いていたからだ。江沼郡には南二郡を差配する超勝寺が強い力を持っている。南部に本願寺の拠点が多い理由の一つとして、二十一代当主の祖父・冨樫政親が、石川郡と河北郡の本願寺の坊主や門徒の百姓の首を片っ端から切っていき、味方しない者を排斥していったことが挙げられる。


 これが領土全体における慢性的な冨樫家に対する悪感情を生んだのだが、そういったこともあって北部は比較的本願寺勢力の地盤が緩く、それが冨樫家の順調な掌握を助けた。その分門徒であった者の多くが南に流出してしまったのは、生産性の面で大きな痛手ではあるが。


 幸いなのが、史実で織田軍を苦しめた尾山御坊がないということだ。尾山御坊は石山本願寺のように城内に広大な寺内町を築いた平山城で、非常に堅牢な造りを誇っていた。史実では天文十五年(1546年)に建てられるので、それまでの間に加賀一向一揆は更に勢威を強めていったのだろう。


 そして何より、越中に向かうケースが最も多かった。越中に向かう門徒は南に向かう者より遥かに多い。それは今現在加賀が指導者不在の状況になっていることから、それを不安視した門徒たちが門徒の多い越中に身を移す決断をしたからだ。


 北二郡を任されていた本覚寺もその動きを察知したからか、配下の門徒を引き連れて越中に逃げた。超勝寺とは元々あまり良好な関係とは言いづらく、下間一党の力なくしては共闘関係にはなり得なかったために越中に逃げたのだという。


 越中は国を跨ぐため、一国の守護に過ぎない冨樫家が容易に手を出すことはできない。冨樫軍が越中に兵を出すには、越中守護である畠山家との協議が必要になるからだ。そもそも越中に兵を進める気は毛頭ないし、兵を挙げる余裕もない。去る者追わずの堂々とした姿勢であった。


 冬の間は雪のせいで滞っていたが、春を迎えてから鶴来の街の復興にも取り掛かった。加賀一向一揆によって荒らされたこの町だったが、本宮を中心に発展していたのが窺える。鶴来の酒造所はこの本宮の北側にあり、周囲には酒造所が増設され始めている。酒造所のある付近は白山衆徒が築いた白山城のある舟岡山という山の北側に位置しており、西側にあった町の中心部とは異なり戦火を免れたために、運良く残存したのだという。


 復興後に一向一揆に再び町が荒らされることのないよう、抵抗も虚しく破却されたこの城を再建することにした。そして中心部を北の御堂山という山と挟まれた窪地に移し、戦火に巻き込まれるリスクを低減している。


 加賀一向一揆に滅ぼされた白山衆徒の総本山・白山本宮も再興することにした。無論冨樫家の庇護下に入り兵を持つことを一切認めず、信仰の地としてのみ認めることとしたが、白山衆徒の残党は懸念とは反してそれはそれは喜んでいた。


 白山城は山裾を南に手取川、北に平等寺川が流れており、天然の要塞となっているため、一向一揆に対する戦略的拠点に位置付けている。本拠である野々市の冨樫館は守護の滞在する居館としての役目しかなく、全盛期には高尾城という山城を築いていた。しかし長享の一揆によって廃城となり、戦うための拠点がない現状だった。


 白山城改め鶴来城には、それに代わる役目を期待している。いずれにせよ、まだ町の再建も築城も始まったばかりだ。


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