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八曜の旗印  作者: 嶋森航
淡海の暁星
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責務と決意

天文6年(1537年) 2月 伊賀国壬生野城


「ここにおったか」

「亜相様」


 北畠に対する前屈みな敵対姿勢を、星合中納言の前で明確な言葉として言い放ってしまった己の浅慮な言動に自己嫌悪していると、三条公頼が背後から声を掛けてきた。


「やはり接触してきたの」


 公頼は俺の横に腰を据える。その背後には立ったままの稍の姿もあった。


「はい。あれほど北畠に対しては慎重な行動をすべきだと言っていたのに、いざ北畠の使者を前にすると我を忘れてしまい申した。もう少し丁重かつ穏便に対応すべきだったと反省しておりまする」

「だがお主は後悔をしておらぬだろう?」


 不敵な笑みを浮かべる公頼に、俺は苦笑いで応えた。確かに後悔はしていない。だが、それとこれとは話は別である。俺は六角家において相当の地位にある人間なのだ。軽率な言動は慎むべきだった。


「お主の気持ちも分かる。冨樫の内で収まるものではないゆえ、六角と北畠の全面戦争となれば引き金がお主の言動になってしまう。それを懸念しておるのだろう? だが、六角と北畠の確執は表面化しておらなんだだけで、とうの昔から存在したものだ。遅かれ早かれいずれは戦に発展していたであろうよ」

「こうなってしまった責任は、北畠を討ち果たしてこそ果たされるものでしょう。精進致しまする」

「あまり背負い込みすぎるでないぞ。ほら、稍も心配な顔をしておるだろう。お主の命はお主だけのものではない。決して命を粗末にしようなどと思うでないぞ。のう、稍。お主の口から告げるのだ」


 公頼はここまで一度も言葉を発さなかった稍に振り返った。もちろん自己犠牲の精神を以て命を粗末に扱うつもりなど毛頭なかったが、それに少し近しいものを抱きつつあったのは否定できない。公頼の言う通り、俺は自分が戦の引き金になる責任を必要以上に背負い込もうとしていた。


「いえ、靖十郎様は大変な時期にありますので、私が余計なことを申して負担になるのは……」


 稍は視線を下げて顔を赤らめていた。


「何を申しておる。それを伝えるためにこうして来たのであろう。それに余計なことではなかろう? むしろ靖十郎にとっても糧になる話よ。今後危険を顧みない無謀な行動を慎むようになる」

「話が読めぬのですが……」

「めでたいことなのだ。後ろめたいことなど一つもない」

「……」


 稍は依然首を縦には振らなかった。ただ何事かと俺は身構えたが、公頼のめでたいこと、という言葉が緊張で強張っていた身体を僅かにほぐす。そして頭の中に浮かんだ予想を恐れ恐れといった様子で告げた。


「……もしや子を身籠ったのか?」


 稍が首を横に振ることはなく、公頼も言葉を紡ぎ出すことはないものの、力を抜いたようにやや腰を丸め、肯定とも取れる姿勢をとった。


「そうか、亜相様の仰る通りめでたいことだ。何を隠す必要がある」

「稍はお主の負担になるまいと気を遣ったのだ。懐妊が分かってから随分と経つ。戦になると聞いて、稍は居ても立っても居られなくなったのよ」


 稍は自分が子を授かったと告げることで、俺の心労が嵩んで負担になると思っていた。俺に甘えたい気持ちはあっても、何よりも大切な戦に集中して欲しかったのだ。


「……稍」

「は、はいっ……」


 稍の上擦った声が響くと、再び沈黙が走る。


「私のことを気遣ってくれるのは無論嬉しい。ただな。稍は妻であって、家臣でも客分でもない。家族の中で相手の顔色を伺ったり気を遣うことなど、居心地が悪いのかと思ってしまう」

「居心地が悪いなど、決してそんなことは……」

「遠慮は要らぬということだ。ただでさえ稍はこれまで自分を律して我慢を重ねてきたのだ。私の前では何も遠慮など要らぬ。自分に正直であってほしい」


 少ししんみりとした空気が流れる。稍はそれでも靖十郎のことを慮ってなのか、俯き加減で控えめに首肯した。


「しかし男か女か、どちらでも構わぬが楽しみだな」


 稍の『余計な心労になる』という心配を余所に、俺は満面の笑みに切り替わる。同時に妊娠してからすでに四ヶ月は経ているということを知り、それに気付かなかった自分に呆れ返った。そして孵ったばかりの雛鳥を扱うように恭しく稍のお腹に手を添える。


「あ……」


 微かに新たな生命の胎動を感じると、頬を緩めて息を吐いた。


「むしろ稍に心労をかけてしまう。私は戦ばかりだ。良くない夫だな」

「いえ、この程度靖十郎様のご苦労に比べたら可愛いものです」

「気を遣う必要はないと申したであろう。ここで弱音を吐いても負担になったりはせぬ。これは稍にとっての戦なのだ。辛くないわけがない」

「いえ、気を遣っているわけではないのです。ただそうですね、不安ではあります」


 稍の搾り出したような微かな弱音に俺は言葉を返すのではなく、そっと肩を抱いた。


「満足に寄り添ってやれぬのが不甲斐ない限りですが、亜相様、私の不在の折には稍をよろしく頼みまする」


 ひとたび戦が始まれば、稍を気にする余裕すらも無くなるかもしれない。しばらく城を空ける可能性も大いにある。


「うむ、承った」


 公頼は『稍のため、産まれてくる子のためにも生き延びて責務を全うせよ』という力強い視線を俺に向けていた。


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