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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

だらだら。

羽を伸ばすぞー。

「ここの駄菓子屋潰れるんですよ」


「えっ、マジっ!?」


 衝撃のあまり、俺は前橋の方を向いた。


 汗が出て、薄いシャツは肌に張り付いている。


 いかがわしい。


「本当です。知らなかったんですか」


「知らなかった……」


 小学校の頃から通い続けて十二年。雨の日も風の日も心は駄菓子屋と共にあったのに、そんな俺が知らないなんて。


「それ本当の話なの?」


「当たり前です。嘘なんてつきませんよ。あ、UFOだ」


「さらっと嘘をつくな。ひねくれもんが」


 否定しなかったってことは本当なんだ。


「いつ?」


「そこまでは知りません。でも、近々」


「近々かぁ~」


 駄菓子屋の前にはベンチがある。そのベンチに俺は前橋と座っている。


 初めて俺が駄菓子屋に行ったのは、小学校に上がったばかりの時だ。当時、男子の中では金があったら駄菓子を買いに行く、というのが常識で、俺も例にもれず数人の男子に連れられてその洗礼を受けることになった。


 その日、駄菓子屋に行く約束を取り付けた俺は、ランドセルが揺れるのも気にせず走って帰った。家に着いた俺は、息が整うのを待たずに親に事情を話した。駄菓子屋に行く、と約束したものの金を持っていなかった俺は母にねだることにしたのだ。自分から物をねだることはあっても、金をねだることはなかった俺は、少し緊張しながら母の説得を試みた。


 俺の緊張とは裏腹に母は快く俺に五十円玉をくれた。俺は嬉しかった。初めて自由に使える金を手に入れたという獲得感、これで買う今日の菓子はどんなものなのかという期待感。何より、俺が喜んでいる姿を見て、母が笑顔になったということが嬉しかった。


 俺は手の中に握られた五十円玉を誇りに感じた。


 待ち合わせ場所のコンビニから歩いて十分のところに駄菓子屋はあった。


「多っ」


 通りから眺めるだけでも所狭しと置かれた駄菓子の数々。かわいらしいキャラクターや、派手な着色が目を引く。そうかと思えば瓶に詰まった、アメ、ラムネの山々。


「何これ」


 店内に入った俺は、ある駄菓子を指さした。


「あぁ、それ。おいしいよ」


「食ったことないの?」


「じゃあ、まずそれからだな」


 友だちの勧めもあって、俺は一本十円と書かれたその駄菓子を手に取った。


 黄色い粉がまぶされた黒いこんにゃくみたいなものに棒が刺さっているお菓子、その名もきなこ棒だ。得体は知れないけど、なんだかちょっとお得な感じがする。


「これください」


 店のおじいさんに五十円玉を渡す。白髪交じりで眼光は鋭く、少し怖い。


 おじいさんは五十円玉を受け取ると、新聞紙をわきに置き、レジを触った。がちゃん、と音を立てて底の蓋が開く。おじいさんは蓋から十円玉を掴みとると、手を差し出してきた。


「はいよ」


 俺はお釣りの存在をうっかり忘れていた。慌てて手を出す。


 おじいさんはまた新聞紙に目を戻した。俺の手には茶色い十円玉が四つ残った。母からもらった五十円玉は姿を変えたが、その代わりに俺は一本のきなこ棒を手に入れた。


「当たるかな」


「最大きろくは四回だぞ」


 騒ぐ友だちたちの様子に見当がつかなかった俺は、友だちの一人に訊いた。


「当たるって何?」


 友だちは笑っていた。


「食べてみれば分かるよ」


 俺は食べた。口にした途端、舌についたきなこ。粉っぽいというのが最初の感想だった。俺は一口目を噛み切って口の中で味わうことにした。


「どう」


「おいしい?」


 モチモチの黒い水あめは噛めば噛むほど淡い甘みが広がる。


「おいしい!」


 俺はもう一度きなこ棒に噛みついた。一口目のときは分からなかったけど、このきなこがいい味を出している。水あめだけならただのモチモチ。でも、きなこがあることによって触感はフサフサとモチモチになり食べ応えが増す。それにきなこのいい匂い。十円で買った駄菓子のはずなのに、千円で買ったお菓子みたいだ。


 二口目からはあっという間だった。俺は食べ終えて、棒だけになったきなこ棒を見た。棒の先端が赤い。


「わ、すげぇ。一本目から当たりだ」


「え、当たりって?」


「棒の先端に何もなかったらハズレ、棒の先端が赤かったら当たり。当たりだったらもう一本」


「おじちゃん、もう一本もらうよ」


「おう」


 こんなにおいしいものがもう一本。


「はい」


 新たなきなこ棒が友だちの手から俺の手に渡る。


「いいの?」


「当たり前だろ」


 ごくり、と唾を飲み込む。なんて刺激的なんだ。俺はこの甘美な世界にあおられて頭が溶けそうだった。


 俺はまた食べた。おいしい。二本目と言えば大抵味に飽きてしまうものだと言うのに、これはおいしい。いや、これは二本目だからおいしいんだ。自分の運によって手に入れた当たりの一本だからこそおいしいんだ。


 勝利の味だ。


 俺が食いかけのきなこ棒を持っていたら、友だちたちが何やらカップにお湯を注いでいる。


「なにそれ」


「ブタメン」


「おいしいよ」


「今日はこれが食いたかったんだ」


 ブタメン、と呼ばれた駄菓子のカップの中には粉と麺が入っていた。蓋の商品名を見てみると、ブタメンとんこつラーメンと、書かれている。


「ラーメンなの?」


「そうだよ」


「具はないけどね」


「ふーん」


 一人の友だちが蓋を開けた。


「まだ早いよ」


「いいの。かたい方がおいしいし」


 蒸気と共に豚の油の濃厚な匂いが漂ってくる。


「おいしそう」


「だろ」


 パキッ。割り箸を割ってカップの中に突っ込む。そのまま麺をほぐし、十分だと思ったらやめ、箸で麺をつかみ口に運ぶ。少しの麺を咥えたら、後は香りも味わうつもりで一気に吸い込む。


「うめぇ」


 恍惚とした友達の様子を見て、俺は決心した。俺もブタメンを買う。俺は棚に置かれたブタメンをレジに置いた。


「これください」


おじいさんは新聞から外した目でじろりと俺を見た。


「五十円だよ」


「えっ」


 俺はポケットから取り出したお金を見た。十円が四枚。どう見たって四十円しかない。


「えっと」


「買わないの?」


 レジの前で立ちっ放しの俺に、友だちが首をかしげながら声をかけてきた。


「お金足りない」


「じゃあ、むりじゃん」


「他のにすれば」


 俺の周りにはいつの間にか友だち全員が集まってきていた。みんなの手にはブタメンが一個ずつ握られている。


 俺はなんだか悔しかった。俺以外はみんな駄菓子屋にブタメンがあることを知っていたんだ。教えてくれたって良かったのに。俺だってみんなと同じように楽しくブタメンを食べたかったのに。みんなが俺を騙したみたいだ。


 俺はブタメンがあるのを知っていたらきなこ棒なんて買わなかったんだ。


 ひどいや。


 俺はひどく落ち込んだ。やり場のない怒りを押し込めたせいで声が出なかった。


 俺は諦めてレジの上にあるブタメンを元の位置に戻すことにした。


 その時だ。


「ぼうず、その左手に持ってるもん見してみろ」


 おじいさんが俺に手を伸ばしてきた。ゴツゴツとした大きな手だ。


 俺はよく分からないまま左手に持っていた食いかけのきなこ棒を差し出した。


「おぉ、これはいいもんだ。すごく美味しそうだな。ちょうど食べたかったんだ」


 おじいさんは手に取ったきなこ棒を見ながら言った。声の抑揚も表情の変化もない。子どもの俺でも分かった。これは演技だ。


「なぁ、ぼうず。これ、十円やるから売ってくれないか」


 突然のおじいさんの申し出に、俺はわけが分からなかった。もう半分も食べちゃったきなこ棒をおじいさんはどうする気なんだろう。


「やったじゃん。これでブタメン買えるぜ」


「あっ」


 俺は思わずおじいさんの顔を見た。相変わらずおじいさんの目は不機嫌に見える。


「いいの?」


「俺が欲しいって言ってるんだ。良いに決まってるだろ」


 俺は胸の奥に光が差し込むのを感じた。おじいさんは優しいんだ。目は怖いけど心は怖くないんだ。


 俺はおじいさんがレジに置いた十円の隣に自分の四十円を置いた。


「おじいさん、ブタメンください!」


「毎度」


 おじいさんは笑わず最後までぶきっちょだった。でも、俺はそんなおじいさんが好きになった。


 ブタメンを友だちたちと楽しく食べた後、帰路についた俺は夕日を浴びる駄菓子屋を見た。店内は影があってよく見えなかったが、駄菓子がそこにあると思うと俺はわくわくした。駄菓子屋に初めて来た俺は、未知なる子どもの世界があることを知った。でも、そこは子どもたちだけではなくて、おじいさんがいるのだ。子どもたちがその世界で迷子にならないように手を引いてくれるおじいさんが。


「――ということがあったんだよ」


 俺の駄菓子屋でのエピソードを前橋は黙って聞いていた。


「子どもって周りの影響を受けやすいよな。単純で、悲しかったら泣くし、面白かったら笑うし。だから、俺はおじいさんと出会ったその日から『人は見た目じゃない』ということを知って、その考えを胸に抱きながら生きてきたんだ」


 俺は語り終えて満足だった。面白い話ではないが、自分の経験の中でも思い出深い話この話をすると、心がスッキリする。


「オチは」


「えっ」


「先輩、この話のオチはどこですか?」


「ないよ」


「なるほど、五百円ください」


「へっ? 何で」


「与講料です」


「受講料の反対! 話を聞いてあげたんだから、金を払えって? 汚いやつだ」


「そう言いながらも財布を取り出す先輩はキレイな人ですね。素敵です」


「あは、照れるじゃん」


「先輩は言葉にも裏があることを知った方がいいですよ」


 財布の中を探る手が止まる。


「ごめん、二円しかない」


「今まで何をしてきたんですか」


「駄菓子屋で豪遊」


「こんな大人にはなりたくない」


「泣かないで for you」


「韻を踏むな」


 俺が楽しくなってきたところで、近所の小学生たちが駄菓子屋に入ってきた。


 前橋は小学生たちを見ているらしい。俺の方を向いてくれない。


「先輩、ではお金の代わりに私の話を聞いてください」


「俺よりいい話ができるのぉ?」


「大丈夫です。先輩の話言うほどいい話じゃないですから」


「なんだとっ」


「それに……」


 前橋はこちらに振り返り、俺の目を見た。前橋は細い目をしている。糸のようとは言わないが、見るものを怯ませるような眼だ。


「これから話す話は怖い話です」


 前橋の黒い髪が艶やかに揺れた。


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