第6話 ゴッドヘルくんだりって。
「宿を借りたいんだが、空いているかい」
「あぁ、問題ない。何泊だ?」
「取り合えず一泊だな、仕事の関係でまだどうなるか分からないんでね」
受付は気の良さそうなおやっさんで、了解とばかりに笑顔で頷くと奥の部屋からカギを取ってきた。
「16号室のカギだ。その階段を上がって突き当りを左、その奥を右、突き当りの一つ手前の部屋だな」
茉理は一生懸命道を覚えようとする中、一郎はお金を渡すと気軽にカギを受け取る。そして「世話になるよ」と笑顔でおやっさんに告げて、階段をトントンと駆け上がっていった。茉理も慌ててそれを追いかける。
「……ちょっと! もう覚えたの?」
「あぁ、ジークの隣の部屋だな」
「そうなの?」
「ちなみにその向かいがマリアの部屋だ」
一郎はスタスタと廊下を進み、左に右に曲がって『16』と番号が打たれた扉の前に立つ。手にしていたカギを差し込み、手首をひねるとカチャンと軽い音が静かな廊下に響いた。一郎に続いて茉理も部屋に入り、後ろ手で扉を閉めてカギを掛ける。そして大きく溜め息。
「……ようやく落ち着ける」
彼女は天井を仰いだ。
16号室はホテルというよりはウイークリーマンションのような感覚の部屋だった。中央にシングルのベッドが二つとその間にサイドボード。壁際に机もあった。
茉理は目につく扉を片っ端から開けて、トイレだの浴室だのを確認する。
「……うっし!」
一郎の例のリアリティ重視作風の弊害で風呂・トイレ無しも覚悟していただけに、それらがちゃんと備え付けられていたことに小さくガッツポーズする。
あらかたチェックし終えて納得した彼女は、二台あるベッドのうちの一つに腰かけた。一郎も残る一方のベッドに腰を落とす。
「……それにしても中々上手い芝居だったよね。アレって咄嗟に考えたんでしょ?」
「まぁな。適当な話をぶち上げるのが作家の仕事みたいなモノだからな」
「……適当な話って」
編集者の彼女としては気を使ってでも否定しないといけないところだろうけれど、出来ないし、する気にもなれないのが悲しい。
「それよりさセンセ、研究者ってどういうこと? そもそも誘拐事件ってどんなのだっけ? あんまり覚えていないかも。……ヴィオなんちゃらって国は何となく見覚えがあるような無いような?」
「……担当者なら……って、もういいや。お前が担当になる前に出した本だし」
茉理の矢継ぎ早の質問に一郎は肩を落としながらも、渋々説明をする。
「ヴィオールっていうのはこの大陸に西端に位置する学術が盛んな国だ。そこにはいろんな研究施設がある。……で、何冊か前の巻でヴィオールを訪れたジークたちは連続誘拐事件の犯人として不当に投獄されてしまうんだ。そこからイロイロあって、彼らの潔白を証明する為には真犯人を捕まえなければいけない、となった」
いわゆる典型的な巻き込まれパターンだ。
主人公が冷静になる前に畳みかけて強引にストーリーを進行させる。
ファンタジーの王道だ。
茉理は頷くことで続きを促す。
「……ちなみに投獄の指示を出したのは政権中枢の初老の役人だ。彼はいわゆるヤリ手で、初めからジークが犯人じゃないことは知っていたんだが、ずっと実行犯とそのウラにいる人間の尻尾を掴めなくて困っていた。そこに彼らが現れたのでこれ幸いと手駒として利用することにした」
一郎も興が乗ってきたのか、無意識のうちに膝を叩きながらリズムを取る。
「講談師かよ!」と茉理は突っ込みたかったが、最初に話を振ったのは彼女なので笑いを堪えながら聞き続けた。
「潔白を晴らそうと派手に動いているジークたちを囮に、役人を始めとした能吏たちがウラで着々と捜査を進めていて……ってな話だ。結局ジークたちがせっかく集めた証拠も全部没収されて他言無用を言い渡される。で、いくら何でもその扱いは余りにも酷すぎるだろうと、事情を知っている者たちが立ち上がったんだ。ちゃんと彼の功績を認め、英雄と称えるべきだと次々に中央議会に願い出る声が――――って、マジで読んでくれてなかったんだな」
一郎はちゃんと最後まで律儀に説明してから、本格的に落ち込む。
「……いや、読んでたよ。ストーリーは何となく覚えているから。結構面白かったよ。ちゃんと推理モノとしても出来が良かったし。……ただネットでは相変わらず『ファンタジーでする話じゃないだろう』って不評だったけどね」
茉理の全力フォローの甲斐もなく、一郎は轟沈した。
「――でさ、一郎センセ? これからどうするの? 一息ついてから街でも見て回る?」
「……ん~。……それよりもこのセカイで生き抜く為の装備一式が欲しいな」
恐る恐る様子を窺うかのような茉理の質問に、一郎は瞑目したまま眉間に皺を寄せ返事する。
「ハァ!? ちょっと、何考えているのよ!?」
茉理は一郎の胸倉を掴む勢いで、顔をぐいっと彼に寄せる。
しかし当の彼は意外そうな顔で首を傾げるのだ。
「何って、そりゃ取材に決まっているだろう? ……そういうお前こそ、何の為にわざわざ『ゴッドヘルくんだり』まで来たと思ってんるんだよ?」
――ゴッドヘルくんだりって。
仮にもアンタの作ったセカイでしょうに!
いい得て妙というか、相変わらず他の作家先生方とは一線を画する言葉のセンスというか何というか。
茉理は一応の誉め言葉とともに嘆息する。
「いやいや、だから取材旅行だよね? 普通に街中を観光したりするんだよね? 現地の生活を肌で感じてそれを参考に執筆するんだよね? 取材旅行ってそういうのだよね? …………モンスターや賊と戦う為に来たって訳じゃないんだよね?」
茉理の悲壮感の籠った言葉に一郎は足を組み、あごに手を置く『考える人』のポーズを取る。
「確かに最初は……俺もそんな感じで考えていたんだがな。……でも主役二人に遭遇出来るなんて、早々ある話じゃないだろう?」
早々ある話どころではない。
そもそもノンフィクション作品でさえ主要人物に密着取材するのは難しいのだ。
ましてやこれはフィクション、それもファンタジー作品。
空想のセカイなのだ。絶対にありえない!
茉理は今でも自分の正気を疑っているのだ。
これは夢ではないのか。
今でも自分はベッドの中ですやすやと安眠を貪っているのではないかと。
朝起きればまた出社して一郎センセに原稿催促のメールを出して、彼以外の作家の仕事をチェックして――。
ちょっとした現実逃避を始めようとした茉理に、一郎はここぞとばかりに説得を開始した。ある意味彼の本領発揮とも言える。
「……この機会を逃す訳にはいかないんだよ。出来るならば、彼らに頼み込んで荒事任務の一つでも同行してみたい。もちろん危険なのは重々承知している。……だけど今、俺が作家として大成できるかが懸かっているんだ! 頼む!」
目の前で懇願する一郎を茉理はじっと見ていた。
彼女としても何とかしてやりたい気持ちは強い。彼の作品を読んでそれなりに思うところがあった。
……だからこそ担当を引き受けたのだ。
「それを滞りなく行う為にも、まず最低限自分の身ぐらいは守れないと話にならない。……で、そうなるとやっぱり装備が必要になる。……だろ?」
だが、茉理としても簡単に答えを出せる話ではない。
ここで安易に答えを出すと、取り返しのつかないことになりそうで、彼女はざわつく胸を押さえた。




