第21話 流石にこの状況では、私も決心せざるを得ない
「……なるほど」
その言葉を境に喧騒が止み、議場には重苦しい静寂が広がった。
呼吸をするのさえも苦しいほどの圧迫感。
その声を発した主に皆の視線が集まった。
「ヨハンさん、やってくれましたね? あなたはこの様を私に見せたかった、というコトですよね? これはこれは随分と親切な御方だ。……あぁ、言い間違えましたね。随分と悪辣な御方だ」
そこにいたのは、弟であるフリッツが二十年生きてきた中で、見たこともない表情をする兄エーリヒだった。
彼は苦々し気にヨハンを睨みつけて口元を歪める。
――彼は本当に私の兄なのか?
たった一人の兄弟であるフリッツの脳裏にそんな言葉も浮かぶ程の違和感。
武人として名を売っている彼ですら恐怖を感じる程の剣呑な雰囲気を纏った青年がそこにいた。
彼は腕を組み眉間に深い皴を寄せ天井を仰ぎ、苛立たし気に舌打ちをする。
その音すら議会の隅々まで届いたことだろう。
そこにいる男は姿形こそフリッツの知っている大好きな兄そのものだったのに、全くの別人だと心がそれを否定する。
それほどまでに彼の悪態は、何もかもをひっくりかえす程の効果をもたらした。
「あなたにもあなたの都合があるだろうことは理解しますが、ねぇ?」
エーリヒは余計なことをしてくれたなと言わんばかりに大袈裟な溜め息をつく。
そしてようやく引き攣った顔で自分を見つめるフランツに気付いたらしい。
顔を伏せて目を瞑り、しばらく黙り込んだ。
「――私はね、本気で弟に王位を譲るつもりでいたのですよ。……ウェルナーやブライト公爵には反対されていましたが」
彼はそう呟くと目を開き、フリッツのよく知る笑顔で首を竦めた。
いつもの兄が戻ってきたと、彼は人知れず胸を撫で下ろす。
「もちろん私としても、タダで譲る訳にはいきません。未来の王とそれを支える者たちが無能では民が困りますから。……そういう訳でこの際、皆様が如何にして私たちを出し抜き弟を王位につけるのか、そのお手並みを拝見させてもらおうかと思いまして。……私にだってその権利ぐらいはありますよね?」
そう告げるとエーリヒは再び鋭い目つきで議場を見渡した。
その視線に竦んで下を向く者が数人。
彼はそんな者たち睨み鼻で嗤う。
「ウェルナーも冒険者ジークムント君一行を我が国に呼び寄せました。おそらく彼も私と同じく、ここにいる皆を見極めると決めたのでしょう。……少なくとも私はそう判断しました」
エーリヒはにやりと口元を歪めルードルを見つめるが、彼は見た目の太々しいさに似合わない神妙な顔で頷くに留める。
――ルードルとしても兄がどこに着地点を持ってくるのか、いまだ見極めきれていないのだ。
フランツはそう推測した。
「ですが、これはまた随分とお粗末でしたね。挙句ヨハンさんに踊らされてあんな無様な光景まで晒す始末。……流石にこの状況では、私も決心せざるを得ない」
そこにいたのは冷酷な表情をした為政者。
――王たる存在だった。
「……ヨハンさん。私の出した答えはもちろん一番です。それ以外の選択肢は初めからわが国に存在し得なかった。……悲しい話ですが、運命として受け入れましょう」
エーリヒは毅然とした顔でそう告げた。
「皆様よろしいですか? このセカイにおいて見返りのないモノなど存在しません。たとえそれが神の奇跡だったとしても、です。……誰かが何かを得るとき、必ず誰かが何かを失っているのです」
エーリヒは教会関係者を一瞥して、皮肉気に微笑む。
フランツが知る限り、兄が神を讃えたことなど一度たりとしてなかった。
式典ではきちんと役目を果たすがそれだけだった。
これまでの人生で、彼は神の無慈悲を身をもって味わってきたのだ。
「――では三番という神の奇跡が起きた場合、我が国は一体何を失うのでしょう? ……私が考えるに、それは今の私に他なりません」
一転してエーリヒはいつもの優しい表情で臣下たちに語り始めた。
しかし覇気は纏ったままで。
階下の貴族たちは一心に彼を見上げていた。
それをフリッツも放心しながら見つめる。
「健康を手にした私は今の私よりも遥かにたくさんの仕事をこなすことが出来るでしょう。……ですが自由に動くことが出来るようになった私は、いつか必ず今の私を忘れてしまいます。こんなにも皆様に迷惑を掛けながらも信頼してもらえる今の私をです。……『皆に助けてもらっている』という感謝の気持ちを忘れた私の作るリオンは、きっと私が愛し理想とする今のリオンには遠く及ばないでしょう」
エーリヒは杖にもたれ掛かるようにして立ち上がった。
侍医が慌てて支えようとするが彼は目で制する。
そして動かない足を見下ろし、議場を見渡す。
「だから、私は一番を選ぶのです。この不自由な身体のままで皆の王になる。このように一人で立ち上がることさえままならない今の身体で、私は玉座の主となりましょう」
エーリヒは優しい声でそう宣言した。
「仕事によっては弟に任せることもあると思います。これからも私は皆様にたくさんの迷惑をかけることでしょう。予想以上に早く私の命の灯が消えて、再び王位継承問題が浮上するかもしれない。……ですがその上でそれら全てを受けとめた上で、その分たくさん感謝して、その思いを民を豊かにすることで返していくと約束します」
その笑顔はフリッツの知っている兄だった。
――私は初めから知っていたはずなのに。
兄上には絶対に敵わないと。
でも、どこかで自分はまだ彼を見くびっていたのだとフリッツは痛感した。
「ジークムント君は言ってくれました。『足が不自由いうのは王位を捨てなければならないほど罪深いことなのか』と。……それはずっとずっと私の中にくすぶっていた思いでした。彼が私の代わりに叫んでくれたのです」
床の上にひざを付きながら呆然と兄を見上げていた冒険者ジークムントの瞳から涙がこぼれる。
改めて兄を見つめると、彼の足が小さく震えているのに気付いた。
一階席の者たちからは見えないだろうが、この場にいる人間は彼の足に限界が来ていることを知る。
フリッツは居ても立っても居られなくて、兄のところまで駆け寄り肩を貸した。
エーリヒは笑顔で頷くとゆっくりとフランツに身体を預ける。
何度も兄に肩を貸したことがあったが、これほどまで重みを感じたことは一度だってなかった。
フリッツは今、確かに、兄であるエーリヒの身体を全身で支えていた。
その重みの意味をきちんと受け取ったフリッツの目から、止め処なく涙があふれた。
エーリヒは続ける。
「ヨハンさんの提示した三番という選択肢は魅力的です。私だって本音を言えばそれに縋りたい! だけどその甘い果実を手にすることは為政者として決して許されないのです。……皆様も本当は、心の底では理解していたはずです。――『無条件で得られるものなど存在しない』と知ることこそがよい治政を行う第一歩なのだと! ……これからもそれを胸に、国の為そして民の為にこの国をより豊かにしていきましょう!」
エーリヒは胸を張って議場を見下ろした。
一瞬の後、大きな拍手が響いた。――フランツ自身の手から。
「私は兄上の考えを支持する! 王族の一人として、そして何より兄上の臣下の一人としてこの国を全力で支えると今ここで誓う!」
その言葉に続くように、エーリヒの臣下として国に命を捧げるとの表明とする者が現れ、議場は拍手する者で埋め尽くされる。
フランツはその光景を万感の思いで眺めていた。
「――お待ち下さい!」
そんな温かい空気を切り裂くひときわ大きい声が議場に乱入した。
開け放たれた扉の前に立っていたのは、フランツが今朝からどれだけ探しても姿を見せなかったギュンターと、それを取り押さえようとする王立騎士団の面々だった。




