第20話 ……僕のやってきたことは無意味だったのか!?
ジークの登場で議場は一瞬静まり返ったものの、再び騒然となった。
「冒険者が神聖な議場に何の用だ!」
そんな罵声が飛ぶ様子をマリアはどこか他人事のように感じながら、彼女はさりげなくビゼット医師をジークの隣に立たせる。
医師は一斉に自分に向いた視線に怯んだような顔をしたが、深々と一礼した。
「この方はアルバート=ビゼット! 帝国領ラスティアの医師です。今まで歩けなくなった人を何人も治してきた人で、この近隣では彼ほどの知見をもつ医者はいないと言われているそうです!」
高らかに叫ぶジークの言葉に、衝撃を受けた議場は本格的にどよめいた。
彼らがエーリヒ専属侍医の要請に応じてビゼット医師を迎えに行ったことは秘密ではあったが、陣営問わずこの場にいる誰もがその情報を得ている。
エーリヒの足が治るかもしれないという期待と、工作が失敗したのかという落胆の混ざった、そんな声が長らく渦巻き混乱の様相を見せていた。
ビゼット医師を呼び寄せた張本人である侍医が二階から駆け降り、彼の前に立つ。
肩で息をしながらも満面の笑みで医師の手を握った。
「……お待ちしておりました。私めの不躾な呼び出しに応じて頂き、心より感謝致します。……さぁ、どうぞこちらへ」
感極まった歓迎の言葉にビゼットも笑顔で頷き、先導する侍医の後を付いていく。残された二人もそれに続いた。
ようやく余裕を取り戻したマリアが何気なく議場を見渡し、同じ二階でも貴賓席と反対側の場所に見慣れた顔を見つける。
健気に手を振るチェリーの姿にほっこりしたマリアは、軽く微笑んで手を振り返した。
ビゼット医師は兄王子エーリヒの前で跪くと、ほんの少しだけ彼の表情を窺うように顔を上げた。王族の顔を直視してはいけないという礼儀作法なのだろうとマリアは判断する。
「……失礼致します。……診せて頂いてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。……無駄だと思うけれどね?」
一方エーリヒ王子はどこか楽しそうに微笑んだ。
医師は無言のまま彼の足をさすると、いきなり派手に抓り上げた。
真っ赤な痕が出来る。
「――貴様!」
飛んできた罵声は弟王子のフランツのもの。
立ち上がって剣の柄に手をかけていた。
しかし当の兄は平然とした表情を崩さず、弟に落ち着くよう目で合図する。
「……やはり痛みは感じませんか?」
「あぁ、全く感じないね」
「この症状は生まれつきと聞いていますが?」
「あぁ、物心ついたときには、足に力の入る状態ではなかったよ」
エーリヒは医師に聞かれたことを素直に淡々と返答する。
おそらくこれは彼自身何度も経験した問答なのだ。
医師は溜め息を吐くと深く頭を下げた。
「そうですか。……まことに申し訳ありません。この症状では腱を切ってつなげたところで治りません」
「……だろうね。わざわざ国境を越えて来て頂いたのに、無駄足を踏ませてしまってこちらこそ申し訳なかったね。ビゼット先生に落ち度はないことは、他ならぬ私が証明する。あなたの身の安全は私と弟の名前で保障するのでどうか安心して欲しい。……せっかくリオンくんだりまでやってきたのだから、観光などで楽しい思い出を作って頂けるとこちらとしても幾分気が和らぐのだが」
エーリヒは初めからこうなることは知っていたのか、落胆することなく全てを受けとめた笑顔で応じ、医師に対して気遣いする余裕すら見せた。
一方ジークは愕然として小さく握り拳を震わせていた。
「……ビゼット先生でもダメなのか? ……そうだ! ……マリア! 状態異常回復魔法をかけてくれないか!?」
「いや、それはもう何度も試している。それで治るなら――」
侍医が伝えるがジークはその言葉を遮る。
「マリアは聖女なんです! ……他の術者とは違う! 絶対に試す価値はあるはず!」
マリアはいきなり自分にお鉢が回ってきて困惑する。
助けを求めるように周囲を見渡すと、エーリヒ王子と視線が合った。
彼はどこか冷めた笑顔で小さく頷く。
その顔には『気の済むまでやらせてあげなさい』と書いてあった。
マリアは覚悟を決めて兄王子の前に進み一礼した。
「……それでは失礼します」
毒や麻痺などを一度に治癒出来る複合状態異常回復魔法を詠唱する。
マリアの手が青白い光に包まれ、その手でエーリヒ王子の足を何度もさすった。
「……どうでしょうか?」
しかし王子は黙って首を振るだけだった。
「じゃあ、次は――」
「もうやめなさい!」「手立てはないんだ!」
ジークが他の治療法はないかと周囲を見渡すが、他ならない侍医とビゼット先生の二人に止められた。
「なんで! なんでだよ!?」
ジークは吠えた。
いきなりのことに会議場は静まり返ったままだった。
「このセカイは何でも望みが叶うんだろ!?」
皆は一体何が起きたのだという顔で隣の人間と顔を見合わせ、首を傾げる。
そこに陣営など関係なかった。
アレは大丈夫なのかと、皆のその表情が雄弁に語っていた。
――きっと、彼の今の言葉を本当の意味で理解できるのは私と……
彼女はヨハンとチェリーのいた場所を見つめた。……が、そこに二人はいない。
「――足が悪いってのはそんなにも悪いことなのかよ!?」
ジークの叫びに彼女は再び視線を彼に戻す。
マリアとしても彼と長い間一緒に過ごしてきたけれど、ここまで感情剥き出しで叫ぶ彼は見たことがなかった。
「足が悪いってのは王位を諦めなければいけない程の落ち度なのか!? ……エーリヒ殿下は何かの罪を犯したとでもいうのか!?」
ジークは力一杯叫ぶ。
敬語も何もない魂からの叫び。
その真っすぐ過ぎる問いかけに反論出来る者はいなかった。
答えなど誰も初めから持ち合わせていない。
「こんなの絶対に間違っている! 生まれつき足が悪いというだけでエーリヒ殿下はこんなにも負い目に感じて生きてきたっていうのに! お前たちは居場所まで奪おうと言うのか――」
ジークの目に光るモノが見えた。
お前呼ばわりされた貴族たちは黙り込んだままだった。
「――ありがとう。ジークムント君。その気持ちだけでもう十分だよ。……だけど、やはり私は弟に王位を譲ることにするよ。これ以上国を割るのは私の『第一王子としての誇り』が許さない」
静まり返った議場に染み入るような全てを包み込むような、穏やかなエーリヒ王子の声で完全に心が折れてしまったのか、ジークは彼の動かない足に縋りつくように崩れ落ちる。
マリアとしてもこんな彼を見るのは心苦しかった。
でもどうすれば彼の満足いく形で場を収めることが出来るのか、それが分からなかった。
「……僕のやってきたことは無意味だったのか!?」
絞り出されたその言葉に、マリアはどう声を掛ければいいのか見当もつかない。
ロクに高校も行かず、勉強などしてこなかった自分が情けなく歯がゆく、彼女も悔恨の涙を零す。
それでも彼に何か一言声を掛けてやりたくて、でも何も浮かばなくて。
そんな風に自身の無力さを呪うマリアの耳元に声が届いた。
「――いいや、無意味などではないね!」
ジークの嘆きに応えたのは、いつの間にか近くに来ていたヨハンだった。
いきなり現れたヨハンはエーリヒとフランツの兄弟を順に見つめる。
その隣でチェリーも平然とした顔で腰に手を当て、彼の次の言葉を待っていた。
おそらくこの展開は二人にとって予想していた通り展開なのだろう。
――何となくだが、マリアはそう理解していた。
ヨハンは並みいる王族に背を向けると、階下の大会議場に詰める貴族を見下ろし高らかに告げた。
「さて、リオン国の貴族の皆様。あなたたちの前には三つの選択肢が存在します」
言葉は丁寧ながら、先程のジークのような敬語も何もない言葉よりもはるかに不遜に響いた。
おそらく階下にもそう聞こえただろうが、誰も口にしない。
それをいいことにヨハンは続けた。
「一番。足の不自由なエーリヒ殿下が順当に王位に就く。……二番、弟殿下であるフランツ様が代わりに王位に就く」
ここまでは散々議論されてきたことだろう。
だけど彼はもう一つ選択肢を用意したのだという。
「……そして三番。――まずヴィオールの研究者である私が奇跡的な手段でエーリヒ殿下の足を治し、更に健康状態をも改善させる。そんな王位を継承するにあたって何一つ瑕疵のなくなったエーリヒ殿下が王位に就く」
皆があまりの驚きで大きく口をあけた。
周囲を窺うとフランツ王子はおろかエーリヒ王子も。
――そして何故か彼の隣にいるチェリーまでも。
それらを冷静に見渡すマリアもおそらく同じような顔をしているのだろう。
ヨハンは笑顔で続けた。
「もちろん何か研究資金のようなモノを要求したり、この国で特別な地位を用意しろと脅迫するつもりもありません」
その姿は大胆不敵。
やがて冷静に今の言葉の意味を理解した者から順に怒りを露わにし、瞬く間にそれが議場に広まった。
「――えぇい、静まらんか馬鹿者!」
一喝したのはブライト公爵だった。
筆頭貴族というよりも、明らかに元軍人寄りの覇気のある声が議場の隅々まで到達し、慌てて貴族たちは口を噤んだ。
フランツ王子はフラフラとした足取りで立ち上がるとヨハンの横に立ち、議場を見下ろす。
そして弱々しい笑顔で告げた。
「……そのような奇跡など到底信じられぬが、それでも、もし、本当にそれが叶うというならば、私は三番を選ぶ」
心底彼はそれを望んでいるように見えた。
そんな未来をずっとずっと夢見てきたのだと思えた。
その言葉を皮切りに階下の全員がそれに賛同する。
全員が三番を望む中、ただ一人不機嫌そうに眉間に皴を寄せ、沈黙を貫き続けている存在に気付いたのはマリアを含めた数人だけだった。
「……なるほど」
一瞬の沈黙という間隙を縫ってその言葉が紡がれた。
小さな声なのに、喧騒の中なのに、それでも議場の全ての者の耳に届いたであろう綺麗な声。
その声の主――エーリヒ王子は今までの優美な微笑みなど存在しなかったかのような、冷酷な表情を浮かべていた。




